京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

ブログ復活・どうしたら幸せな人生を送れるか?独断と偏見の私の意見・連載します

2024年02月16日 | 日本人が幸せになるには

もうこのブログは初めて6153日目になりました。最近フェースブックを活用して友達だけに日々の暮らしを送っていました。

FBではあまり長く書いても見るのが億劫になってしまうのでジックリ書いていきたいものはこのブログに限ると思いました。日々の行動はFBで書いてゆきます。初めて見る人はさかのぼってご覧ください。

何しろ昨年誕生日で85歳、我ながら長生きしたもんだと呆れています。

折角、神様からいただいた長い命、無駄に過ごすのは申し訳ない。

記憶力もアヤフヤニなったところもありますが不思議なことに最近(例 昨日の夕食等)のは忘れているのに昔のことは何かの切っ掛けで次々に若い頃の昨日のことのように思い出すのです。

今の社会と昔の社会は変わっているのは当たり前ですが私の経験の中では新しい物より昔の物の方が正しいのではないか?と思うものが多々あります。

それを言うと世間では老害と簡単に片づけられてしまいますが、新しい物だけが価値あるものとは思えません。

昔は2世代3世代が同じ家で一緒に住んでいることが多く両親や祖父母の経験や叱咤が子供や孫に躾として教育されて来ました。

核家族化が進み過ぎて自由に、個性的に、と言う放任主義の世の中になり、折角の我が国の長所も失われてきました。

戦後、曲げられた自虐史観によって日本人は自信を失い、社会を引きずるのはマスゴミの手に奪われました。

それに気が付いた若者たちはマスゴミ離れをしてSNSで自分で善悪を判断するようになり30代40代の人達の中に見るべき人が現れたことは「やはり日本は見捨てたものでは無いな」と安心しています。」

がしかし、戦前、戦中、戦後の復活とバブルを経験してきた人達も昔のことを語る事は少なく、未だに曲げられたニュースがマスゴミからダダ流れになっています。

隣の国の常識「嘘も100編言えば本当になる」が横行しています。

世界はグローバル化が進み、ますます個人の能力が発揮できない時代になってきています。

特に、カテゴリーとして「政治」「教育」「信仰(宗教)」「健康」について重点的に書いてゆきます。拙い私見ですがお付き合いしてください。

気に入らない記事、間違った記事、も含めてコメントして頂けたら返事は書かせてもらいます。

独断と偏見の記事になると思いますが先の短い私の意見をたまには覗いてください。


米を主食にすれば世界の飢饉が救われる。

2024年02月04日 | 日本人が幸せになるには

我が国の食料自給率はどんな基準で考えているのか?ほとんどの食料を輸入に頼っているとマスゴミは報道している。多くの国民もそれを信じて不安な気持ちになっている。

確かに主食を戦後アメリカの方針(都合?)で米飯食から輸入小麦のパン食に変えられてしまった。

うどん、菓子、スパゲティー、ナンなどもすべて輸入小麦(遺伝子組み換え、農薬漬け)に取って代わられてしまった。(たまには「国産小麦使用」など書かねばならないぐらい)

日本の農家の子弟は農協の不甲斐無さと政府の方針で皆街の労働者として吸い上げられてしまった。

今や過疎地の農家は高齢者と無気力、病弱な残った人たちに支えられて補助金で生きながらえている。

これでは日本には将来は無いと農業を目指して農村に入った人達、一旦街に出た人たちも親の高齢などで農業を再びとUターンしてきた人達も農業利権(補助金も含めた)のために締め出す始末。

完全に日本の農業は壊滅に近い状態です。世界の先進国の多くは食料自給率100%以上の国が沢山あります。先進国ほど食料自給率を高めておかねば危険です。

工業生産では世界最高水準の我が国が日本国民の命に直接にかかわる食料と国を守る防衛力で独自に国民の命を守る事が出来ない現状をこのままにして置くわけには行きません。

やれば出来るのが昔からの日本人の長所です。出来ないのは我が国の政治の貧困です。

我が国は民主主義です、民主主義とは国民の1票で代議士(政治を国民に成り代わって行ってくれる人)を選んで国を運営してもらう制度です。しかし、民主主義は昔から必ず腐敗すると言う欠点があります。ローマー時代からも。

本当に民主主義が良いのだろうか?万民平等をうたって広がって来た共産主義もマルクスの理想には程遠く、権力者(共産党幹部)の一党独裁になり一握りの共産党幹部が全国民を奴隷として扱う体制になり、共産主義の隠れ蓑としてグローバル化が進んでいます。

今その過渡期として崩れかけている腐敗民主主義を日本国民は選んでいい物か?

丁度今日は2月4日・京都市長選挙の日です。利権主義の政党政治のひも付きの候補を選ぶのか?

京都市民ファーストの候補を選ぶのか?結果はもうすぐ出ます。

下の写真は奈良の福祉施設のキッチンカーです。食料自給率を高めるために米の主食としての地位を揚げるために努力されているのを私も応援しています。催し会場にこの車で出て行って販売します。

 

 


なぜ?分かり切っている単純なことが進まないのでしょうか?地震・津波(一)

2024年02月01日 | 不合理なもの

長年人間(85年)をやって来て不思議に思うことが沢山あります。

世間では(外国の事は少し置いておいて)素人が考えることなど無視されますが。誰が考えても不合理なものが多すぎませんか?

その1番は自然災害に対する対策です。地震、津波、噴火、台風、洪水、積雪、大火災などまさに日本は自然災害のデパートです。

昔から治山治水は為政者の第一の仕事だったはずです。大名領主は領地の安全のためにどれだけ努力してきたか?

今も政府、地方行政を問わず自然災害から国民、住民の安全を守ることは第一の仕事には違いありません。

だのに被害は少なくなりません。被害者(犠牲者)の数も増える一方、災害発生後の救助活動なども整って来ましたが被害者を少なくする対策も金を掛けたほどには少なくなってはいません。

大災害になる地震、津波の予知も莫大な金額を浪費してきましたが今のところ大震災の予知は出来ずに終わっています。(以前から関東直下型地震、南海トラフ、富士山噴火などは何十年も言われ続けていますが?)

まず、最大の被害を出す地震とそれによる津波被害地は昔から決まっていました。

だから昔から津波の押し寄せる海岸線には人は密集した住居は作らなかったのです。

太田道灌が今の皇居周辺に城を築いた頃は「我が庵は 松原つづき 磯つづき 富士の高嶺を 軒ばにぞ見る」と歌われているように海岸線だったのです。

それから江戸時代以後どれだけ海を埋め立て海抜ゼロメートル地点に住まいを広げて来たか?

名古屋、大阪を始め全国の海岸線に沿って広がって来た町々は一たび近海で地震が起これば壊滅する恐れが永遠にあるのです。

災害復興は儲かるが、災害予防には旨い汁が吸えないと思っている為政者(政府、行政)と利権業者の思惑と思うのは私ぐらいなのだろうか?

このように素人でも分かる不合理が堂々と行われている例は無数にあります。

政治家は昔から「国家百年の計」と言う言葉を使うのが得意でした。

今こそ日本国民は「国家百年の計」を政治に求めなければなりません。

目先の利権に右往左往する政治家をふるいにかけるチャンスだと思います。

カテゴリー「不合理なもの」で私が可笑しいと思う事を書いてゆきます。

あくまでも私の独断と偏見ですがご意見を書き込んでもらいたいと思っています。