京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

日本人が幸せに生きてゆく方法

2023年11月16日 | 日本人が幸せになるには

昔、少なくとも戦後しばらくは日本人は貧しくとも幸せだった。なぜなら、みんな貧しく今のように所得格差が何万倍もなかった。

社員と社長の給料差は10倍もなかった。そして誰も働くことが嫌いではなかった。そして、今言われているような女性蔑視というようなこともなかった。女はいつの時代も家庭の中心だった。何故昔の日本を悪く言う風潮になってきたのだろう?

日本人が幸せをとりもどすには日本の正しい歴史を学ばなければなりません。

歴史は勝者が書くという言葉を知っていますか?戦後の日本の歴史は誰が書いたのでしょうか?

その前に今言われている戦後、戦前と言う戦いは何という戦いっだったのでしょうか?

第2次世界大戦と言われていますね、太平洋戦争とも言われていますね。日本では大東亜戦争と言われていた戦いのことですね。

この戦争の戦勝国はどこですか?敗戦国はどこですか?戦いの原因は?戦いの経緯は?戦勝国が書いた敗戦国の歴史は正しい歴史でしょうか?

戦後80年近く経ち日本国民の大多数が戦後生まれです。まだ大戦の勝者が一方的に書いた我が国の歴史、憲法を忠実に守っているのは可怪しくないですか?

間もなく戦後100年もすぐです。100年も戦勝国が書いた日本の歴史を後生大事時に学び信じ、戦勝国が作った日本国憲法を一字一句変えることなく守っていったら日本の国は無くなります。

そして子供や孫はどうなるか?考えたことがありますか?「今だけ、金だけ、自分だけ」では日本の国は終わってしまいます。

まず、正しい歴史を学びなおすことから始めませんか?そして正しい歴史を書き直して日本国民のプライドを立て直す事から始めませんか?

2千数百年積み重ねられたプライドある歴史はたった1回の敗北で消し去らせられました。もう一度プライドをヨミガエラセルことが大切です。

過去の積み重ねである習慣を学び直してゆきましょう。私は歴史学者でもありませんし、人に教える知識も持ち合わせていませんが85年という無駄の多い人生を経験してきました。

その経験を少しでも若い人たちに伝え残せたらと思い書いてゆこうと思います。また共に学ぶ機会を何処かで作っていきたいと思いますが当座はこの私のブログを読んでコメントや検討をやっていきましょう。

ブログのカテゴリーは「日本人が幸せになるには」を新たに作ります。対立ではなくみんなが幸せになる方法を考えていきましょう。

まず、グローバル化ではなく、家族が、身内が、という小さなサークルから始めます。「幸せは身近から」「自分の幸せ」から「身近な仲間の幸せ」から「我が国の幸せ」が叶えればグローバル化も夢ではありません。


熊による人への被害の増えてきた原因は?「獣との人間の棲み分け」が無くなった事が原因

2023年11月09日 | 不合理なもの

最近、熊による人間の被害が北海道のヒグマ以外にツキノワグマに噛み殺される被害まで出てきました。

原因について学者、有識者のコメントがよく出ていますが私の経験から「人間に害を及ぼす凶暴な獣(ヒグマ、ツキノワグマ、イノシシ、農作物に大きな被害を及ぼす鹿、猿などの害獣と人の「棲み分け」が希薄になってしまったことが第一の原因だと思っています。

獣との棲み分けって何か?農山村でも半世紀近く前までは今の電柵やネットで畑を囲まなくても農作物は作れていました。

それが今や畑だけではなく庭にまで防御柵で囲み、電柵を張り巡らさなくては庭の植木まで根こそぎ食われてしまいます。

約半世紀前を振り返ってもらいたい。人間のテリトリーに獣が入りだした原因の一つは犬の放し飼いを禁止したこと。犬をペットとして座敷で飼う習慣が盛んになり、それが農山村の犬まで繋いで飼うことを義務ずけてしまったことで人のテリトリーまで害獣が安心して入り込むことが出来るようになってしまったことです。

この顕著な例は猿の害です。田舎では最近まで夜になると犬は運動も兼ねて放し飼いにしていました。そうゆう山村では猿の被害は少なようでした。猿は賢く、繋いである犬は恐れません。平気で家の中まで入って荒らしていました。

犬は数千年に渡って人間と共に生活して家族の一員としての仕事を担ってきました。家族の留守中は番犬として不審者には警戒をして空き巣の害などを防いできました。犬にも不審な人間とそうでない違いを本能的に知っていました。

半世紀も昔の話ですが一人で山歩きの帰りに山麓の小さな集落に差し掛かると1匹の犬が後ろからついて歩いてきていました、犬に不信感をあたえぬように普通に歩いていると何時の間にか居なくなってしまい、次の集落にかからとまた違う犬が後ろからついてくるのです。

自分の縄張り?テリトリーの安全を見守っていたのですね?通る人も不信感をあたえぬ様に自然に行動する術(すべ)を皆当時の人たちは心得ていました。

当時も繋いで飼っている犬は噛むが放し飼いの犬はこちらが攻撃したり、恐れなければ噛まないということを知っていたのです。

今は違いますね?離れた犬を見たら110番、捕獲され殺されてしまいます。飼う犬はみなペット犬ばかりが増え狩猟犬は獰猛で危険な犬と思われて山の中をも走らせて訓練もさせることができなくなってしまいました。

狩猟犬こそ育ててきた猟師(ハンター)には家族の一員、以心伝心が今だにある存在です。動物と人間との絆の最たるものです。

放し飼いの犬が居なくなって人間のテリトリーに怖いもの無しで出入りすることが出来るようになった上に現状が分かっていない有識者という学者が時流に乗って動物愛護を説き出してますます危険な猛獣まで餌ずけやペット扱いにし市中に出てくる熊やヒグマまで人間が危害を加えなければ襲ってこない、と言う錯覚は憲法第9条があるから外国に侵略ないと言う左翼思想者の妄言と同じ様に思えてきます。

今だに熊には鈴を鳴らして存在を知らせば逃げていくと言う迷信を得意そうに話すマスゴミの識者を見ると動物園のヒグマの檻に放り込んでやりたく思います。ヒグマだけではなくツキノワグマもイノシシだけでなく、狸や狐、アライグマまで牙をむいて噛み付いてきます。

半世紀昔は人の集落に獣が入ると鉄砲で撃たれたり、犬に追いかけられたり、爆竹で脅かされたり、1斗缶や鍋を叩いて驚かされて人々の住まいには近づかない様にしていました。こう言う行動が動物には「狩猟圧」として人家に近づくことはなかったのです。

その上に焚き火をダイオキシンという何かわからぬ猛毒ガスが発生すると脅かし、禁止したことで煙の嫌いな動物が安心して人間のテリトリーに侵入する様になりました。

「狩猟圧」どころか餌ずけまでしてくれる人間が増えた今、獣たちが堂々と街中を闊歩し、人間に危害を加えるのは分かっていたことです。

この件に関してはもっと書きたいことがありますがこの歳になって数十年続けてきた狩猟や害獣駆除も今年の誕生日を持って終わりにしましたのでこれまで。