昔もそうだったが特に最近は子供が親の言うことや学校の先生の言う事を聞かなくなりましたね。
子供の一生で一番大切なのは生まれてから小学校に入るまでです。この間の親の教育(躾け)がその子供の一生を決めてしまうと私は思います。
社会構造が変わったと言えば変わったのは確かです。だけど男女が結婚して子供を作るのは変わりません。
大きく変わったのは親が幼児の教育(躾け)を放棄した事だと私は思っています。
特に母親の役目は大切だと思っています。
戦後産業の発展に人材が必要になり農山村から働き手を都会に集め地方を過疎化を通り越して壊滅状態にしてきました。
それでも足らずに女性(母親)の仕事への進出を男女平等という甘言で掻き集めて家庭の崩壊の元を作りました。
まだ足らずに今はグローバル化と言う都合のいい言葉と移民という労働奴隷を世界から掻き集めようとしています。
世界の歴史を見てもわかるように移民の氾濫(反乱)で元の民族国家は崩壊してしまっています。
2800年の間先祖たちが営々として築いてきた日本の国はこの70数年で崩壊に向かっています。
この三つの原因はすべて戦後日本人の飽くなき金儲け主義に原因しているのではないでしょうか?
企業経営者、政治を任された議員たち、それに金を稼ぐことだけが幸せに通づると錯覚した日本人。
その原因は「神様、仏様、ご先祖様」に対する信仰心を失った戦後の日本人の心が原因しているのです。
国民の鏡にならなければならない人たちの不祥事の報道がなされない日はありません。
議員や公務員の、警察官や学校の先生方の不祥事がこんなに我が国に頻発することは国家崩壊の前兆と思います。
原因は道徳教育がなされていない事につきます。今慌てて学校での道徳教育が急がれていますが今の学校での道徳教育は成果を生むことはありません。
本来、道徳教育とは信仰心の裏付けなしには効果はないのです。それも幼少の頃からの。
それがタイトルの「神さまが見てはるよ」です。
人が見ていないところでも悪いことはできない。なぜなら「神様が見ておられる」からです。
戦後、連合国の日本統治で徹底的に神道に対する排斥が行われた結果、家庭内でもこの言葉は聞かれなくなりました。
先祖を祀らない、家に神棚もない、そんな家庭で子供をどうして躾けることができるのでしょうか?
幼児の頃から悪いこと、いけない事をする子供に「神さまが見ておられるよ」と見えない眼を意識させる習慣が大切です。
私も子供の頃は悪戯でしたのでよく母や祖母からは叱られていました。その言葉が「神さんが見たはるよ」でした。
少なくとも毎朝一度で良いから神棚に向かい手を合わす習慣をつける事で子供たちは変わってきます。
神や仏の存在を子供の心に植え付けることが出来れば子供が成人しても心の拠り所として幸せに過ごすことが出来ます。
子育てに苦労しているお母さん方にも安心感を与えられることは間違いありません。
神棚など今更という人も住まいの氏神様のお札をタンスの上にでも祭って毎朝子供の見ている前で手を合わすだけでも子供の心は変わってきます。亡くなった祖父母の写真に手を合わすことでも良いのです。
神道では「人は神様から御霊を頂いてこの世に生まれてきて、亡くなれば御霊は神の元に帰る」と信じられています。
ご先祖は神になられて子孫をお守りしてくださるのです。
先祖の霊の祟りなどと言って脅かす宗教もありますが可愛い子孫に祟る先祖などあるわけ無いですよね。
なお、神道は宗教では無いと私は考えています。では何か?「信仰」なのです。
信仰とは、信じ敬う対象を持つことです。その対象は「神さま。仏さま。ご先祖さま」なのです。
幼少の頃から「神さま、仏さま、ご先祖さま」に手を合わす習慣をつけて「神様が見てはるよ」という事を教えるのがより良い家族を、日本国民を育てる上で一番の基本になる言葉なのです。
続きはまた次回にでも書きます。