京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

アフリカ開発会議に思う、外国人労働者の受け入れについて

2019年08月30日 | 日本人が幸せになるには

8月28日から神奈川県で開催されていた第7回アフリカ開発会議が今日終わります。成果はあったと信じます。

八紘一宇を旗印に戦った大東亜戦争の影響で世界の植民地はその後すべて独立を果たしましたが

西洋列国の間接統治の悪影響を今も引きずって自立できない国々が沢山あり貧困や疫病に苦しんでいます。

これらの国々の自立を目的に日本の支援は大切です。国民の交流支援をもっと充実させるべきだと思います。

努力しても良くならない自国を見限ってのヨーロッパやアメリカへの難民の多くは

これら西洋人から搾取の対象として植民地にされていたアフリカ、アラブ、中南米の人たちです。

大東亜共栄圏を旗印に自国の独立と繁栄を指導してきたわが国がもう一度その経験を活かし、これらの国々の

人々を受け入れ経験を積んで自国の発展に貢献できるように手伝いをさせてもらうことが大切です。

大切なことはここに挙げたアフリカ、アラブ、中南米の国々は日本から遠く離れ、その上、親日国です。

反日教育を子供のころから叩き込まれた韓国人や中国人をこれ以上受け入れることは危険です。

日本人は姿や顔つきが似た南北朝鮮人やチャイニーズに親近感を持ち心根も日本人と同じと錯覚をしてしまいます。

紛らわしい近隣敵国人をこれ以上受け入れず、国の将来を担う意欲のあるアフリカやアラブの国々との交流こそ

お互いの国の発展に貢献することは間違いない、日本企業の進出にも期待が持てます。

グローバル化が叫ばれて、世界市民というまがい物の思想がここしばらく世界に蔓延してきましたが」。

グローバル化とはグローバル企業が世界の人々を奴隷化する手段でしかありません。

やはり、人間は家族、血縁、地域、国の安寧が一番大切で、国民が子育て、仕事、生活を安心して送れるのは

自国の安定が優先されるべきで、自国の安定は地球上の他国の安定でもあるのです。

そのためにはアフリカ、アラブ、などの未だに戦乱や難民流失の収まらない地域の安定に寄与することは重要です。

姿や皮膚の色で南北朝鮮人やチャイニーズとの区別がつくということは人種差別ではありません。

日本人ほど人種差別をしない国民はないと思います。近隣反日国に対するものは差別ではありません。

我が国に仇をなす危険な人種に対する警戒です。(私はこれらの反日在住者は強制退去させるべきと思っています)

信仰心の篤いイスラム教徒やアフリカの人々を信じてのことです。宗教にはおおらかな日本では信仰を続けられるからです。

 

 

                                             


昔の日本は良かった?”イヤ!”今の日本もすごい!80年を生きて(2)

2019年08月27日 | 日本人が幸せになるには

前回のブログで

>戦後の日本人の多くは道徳心と教養を無くし、日本人として生きてゆく規範を無くしてしまった<

と書きました。

特に最近、大企業やマスコミ、官庁、学校、公務員、政治家の犯罪や誤魔化しが頻繁にあばかれてきました。

これらに携わる人々は国民の規範になる人々です。その人らの道徳心が失われたのですから日本の行く末が心配です。

急いで学校での道徳教育が議論されだしましたが道徳教育は学校の教科書だけでは教えることができません。

「神様が見てはるよ」と子供のころから母や祖母からよく言はれました。だから人が見ていないところでも悪いことは出来ません。

これが道徳心だったのです。信仰心を持つことを家族や周囲の大人が学校へ行くまでに教えていたのです。

神さま、仏さま、ご先祖さま、サムシンググレート?などの見えない目が私たちに注がれている。そして、守られている。

信仰心とは字のごとく、信じ、敬う心です。その対象が神さま,仏さま、ご先祖さま達だったのです。

神社、仏閣、神棚、仏壇に幼いころから手を合わす習慣がついていないと道徳教育は法律の抜け道を防げないのです。

道徳心、信仰心のカケラもない日教組の先生方に道徳教育は出来ないのです。

そんな先生方が道徳を説いても子供は従いません。しっかり見抜いています。子供の感性は鋭いですよ。

>教養<と>規範<また次に書きます。

 


昔の日本は良かった? ”イヤ!”今の日本もすごい!八十年を生きて(1)

2019年08月20日 | 日本人が幸せになるには

私は昭和13年(西暦1938年)生まれであと10日余りで八十一歳の誕生日を迎える終期高齢者の老いぼれです。

先日も自動車免許と銃砲所持免許の更新で認知機能検査(ボケ検査)を受けてきました。

総合点86点でしたから3年前の前回よりはボケましたが76点以上が「記憶力・判断力に心配ありません」ですから心配なし。

何故か、年を取るにしたがって昨日のことより半世紀以上前のことのほうが思い出せるという変な現象があります。

と言ってもどれほど正確に思い出せているのか? その思い出は年を追うごとに変化(風化)してきているのかはわかりませんですが。

前回このブログにも書きましたように8月15日の敗戦記念日が大嫌いなのです。この日が近づくとマスゴミが自虐史観のオンパレード。

この戦争で300万人の日本国民が亡くなり、そのうえ敗戦という悲劇を経験し、生き残った日本国民も心に深い傷を負いました。

真の日本国民にとって敗戦という屈辱は思い出したくもない嫌な出来事です。心の癒しの一番の良薬は嫌なことを忘れることです。

「忘却こそ最大の癒し」なのです。戦後70数年開戦を指導した人たちはもう誰もいません。新兵として戦った人たちも90歳以上。

何時まで隣国から戦争責任を責められ、国連からは敵国と差別されなければならないのか?

日本は旧敵(アメリカ、ロシアなど)の戦争時の残虐行為も水に流して仲良く世界の国々との親善を心掛けているのに。

いまだにこの日(8月15日敗戦の日)を中心に我が国のマスゴミどもは懺悔懺悔の大合唱、誰のためにこんな特集をしているのか。

今年は幸い(幸ではないが)台風10号が西日本を直撃したお陰で何時もの年よりはマスゴミのトーンが落ちたのは良かった。

そのうえ、韓国の文大統領がトチ狂って自爆してしまい、中共はトランプに経済戦争を仕掛けられ、香港のデモで日本にかまえず。

やっと日本人が自信と誇りを取り戻すキッカケの年になりそうですね。

ただ残念なことには戦後の日本人の多くは道徳心と教養を無くし、日本人として生きてゆく規範をも無くしてしまいました。

昔の日本は良かったと現在の日本を嘆く年寄りもいますが、戦中、戦後を経験してきた70数年、これほど日本が世界から信頼された時代があったでしょうか。

しばらくこのブログで私の見てきた日本を振り返って見たいと思います。モチロン、何時ものように独断と偏見に満ちていますが。

 


8月15日敗戦記念日・台風のおかげで穏やかに過ごせそう

2019年08月15日 | 日本人が幸せになるには

毎年この時期になると戦後生まれの「戦争を知らない子供たち」やアメリカの手先のマスゴミが盛り上げる内容の薄い厭戦ムードのテレビに耐えてきました。

被災地の地方の人には申し訳ないが超大型台風がこの日に西日本を直撃するニュースが昨日から流されて嫌な敗戦記念日特集を見なくて済んでホットしています。

私には理解できない。

何故、敗戦のこの日に天皇陛下までもが参列される戦没者の慰霊祭を行うのか? 連合国に対する懺悔の日なのか?

何故、この日に限って靖国神社参拝が問題になるのか? 敗戦の責任を英霊に擦り付ける嫌がらせなのか?

何故8月15日の敗戦の日を戦後七十数年も祝い続けるのか? 「靖国神社崇敬奉賛会・終身正会員」の私には理解できない。

靖国神社や各地の護国神社に祭られている英霊たちの御霊や千鳥ヶ淵の戦没者の御霊もこの日に祭ることを喜んでくださっているとは私は思えない。

広島や長崎の原爆投下記念日も連合国の戦勝記念日であるこれらの日を何故敗戦国の日本人が国を挙げて祝うのか? それも敗戦後七十数年も経っているのに。

いまだに連合国の間接統治を従順に受け入れている日本人が真の独立を果たすのは英霊と戦没者の慰霊が正しく執り行われてからだと思います。

神や仏を信じない無宗教者たちが式場で黙とうを捧げている滑稽な風景はもういい加減にしたら、

戦に負けた日を100年近く祝っている国なんて世界に他にあるのだろうか? 

8月15日は日本人にとって屈辱の日なのです。


家族でお墓まいりとお稲荷さんにお参りする

2019年08月13日 | 家族

横浜から次男が来ている間に長男夫婦と一緒に伏見の我が家の墓所にお参りにゆきました。

8時半ごろ

朝7時に京都北山の我が家を出て、もうお墓では暑くなっていました。

嫁の実家のお墓まいりにゆく長男と別れて次男と妻と一緒に伏見のお稲荷さんにお参りしました。

お稲荷さんにお参りするのは4〜5年ぶりです。

10時ごろそろそろ人も増え始める

まだこの時間だったせいか外国人もあまり来ていない、次男のお礼参りのご祈祷と私はお神楽を奉納。

あと、久しぶりで黒田禰宜に社務所に上がってお会いする。今月から人事異動で祭儀部長に昇格されて忙しそう。

知人が仕事で昇格されるのを見るのは嬉しい事です。しばらくお話をして次の目的地の今熊野観音寺に向かう。

ここは妻の実家の墓所があるところ、この時期ヤブ蚊の猛攻撃を受けるのですが今日は虫除けスプレーのお陰か?暑さ続きで蚊がバテたか?

急いで墓の掃除と線香を供えてお参りをして逃げ出す。夏場も暑さだけならまだ我慢できますがヤブ蚊の攻撃には弱い私です。

帰りにレストランでハンバーグで昼食をとってわが家に帰りました。やはり京都北山の我が家は涼しい、台風のせいか風が心地よい。

テレビでは接近中の超大型の10号台風の事、昨秋の台風被害で10日ほど停電の思い出がよぎるがこれだけは逃げようがない。

くるなら来い! 明日明後日は台風通過を楽しみます。(やせ我慢! やせ我慢!)


今日夕方に食べようと思ってた小玉スイカ・ヤラレタ!

2019年08月11日 | カントリーライフ

畑に1本だけ育てていた小玉スイカ・丁度食べ時になっていたので今夜横浜からくる次男と食べようと畑に植えたままにしていた。

朝の涼しいうちに畑に行って夕方食べるまで冷やしておこうと、ヤラレタ!

からす

シカやイノシシ除けの網やネットは周囲に張り巡らしているのだが以前にカラスにキュウリ(10本ほど)を全滅させられた事を忘れていた。

今年本格的に畑をやりだしたのでトマト、キュウリにはネットで覆ってカラスが入れなくはしていたのですが

ただ1本だけしか植えなかった小玉スイカは覆ってなかった、それも3個しか実がなってなかったので。

1〜2年に一度くらいしか帰ってこない横浜に住む次男が今日の夕方にくるので農業高校出の息子に直前まで畑で熟れさして置きました。

今朝涼しいうちに畑に行き収穫して夕方まで冷やしておこうと、ガッカリしました。3個とも皮だけ残してご覧の通り。

今のところ害獣駆除の許可書はイノシシとシカだけですのでカラスは撃てませんが11月15日の解禁になれば狙います。

昨年買った高性能空気銃の出番です。

50メートル先の獲物を狙えます。


鉄砲所持で3年に一度一番大変な所持免許更新の時期

2019年08月08日 | 狩猟

空気銃

3年に一度銃砲所持免許の更新があります。毎年ある1度の点検も嫌なものですが3年毎の更新手続は3倍大変です。

高齢者の銃所持者のなかにはこの更新手続きが嫌で免許を返上するハンターもいるくらいですから。

山間部の高齢者ハンターが何故いつまでも銃免許を待ち続けなければならないか?

それでなくても物騒な銃を年寄に持たすのは危険だ! 免許返上をしろ! という声もよくあります。

しかし、戸数10軒ほどの過疎の集落にも畑や田圃はあります。鹿や猪が毎夜、年中出没します。

狩猟免許所持者には年中害獣駆除の依頼があり害獣駆除に従事してます。

檻や罠にはまった獣の止め刺しにも銃は必要ですが年に何度かは朝一番に農家から田んぼに鹿が走りまわっているので撃ってくれと。

田んぼや畑には電柵で囲ってあるのですがどこかから入って荒らし回っているので一番近くにいるハンターが駆り出されます。

これがまた大変なのです。用意して出かけるまで結構時間がかかるのです。再現しますと。

夜が開けてすぐぐらいの時間に農家に人が自分の田んぼや畑に鹿が入っているのを見つけて駆け付けて大声で呼ばれるのです。

「どこそこの田んぼに鹿が入って走りまわっている。逃げない様に見張りにゆくからすぐに着てくれ。」

私は眠気まなこで着替えます。まさかパジャマ姿では猟は出来ませんからそれから指定のハンティングベストを着込み、ガンロッカーを開けます。

銃はすぐ撃てる状態では入れてはいけないのです。先台だけでも外して保管しなくてはなりません。大慌てで先台をセットしてカバーをかけます。

弾は別の場所の鍵のかかる弾丸庫から出さなければなりません。狩猟刀と弾帯を付けて田んぼですから長靴を履いてやっと出かけられます。

車で出かけるほどの距離でもないので走ってる目的の田んぼに行くのですが場所によっては4〜500メートルも走らなければなりません。

4キロほどの銃を背負い、弾帯と狩猟刀を腰につけ、履いているのは長靴です。この姿でこの歳で、走るのはキツイです。

まあ、これだけの時間をかけて息も絶え絶え現場に駆けつけても2度に1回は「逃げられた!」と言はれて姿も見ずに家に帰る。事があります。

まだ田んぼに居てももこちらの姿をみていますから反対側の電柵に沿って逃げ回ります。獲物との距離は50メートル以上離れています。

散弾銃でスラッグ弾(1発弾)を50メートル以上離れて走っている獲物に当てることは至難の業です。

バンバンバンバン撃って4〜5発目ぐらいに足にでもかすってくれれば近付いて止めを刺す事ができますが、後で近所の人からは「バンバンバンバン音がしていたけど何匹倒したん?」とからかわれます。

到着するまでに逃げられていれば悔しいですが倒して後の処理を考えたら現場に到着までに逃げてくれ。と思います。

話が逸れましたが。更新手続の煩わしさは警察指定の精神病院の診断書を貰わねばなりません。その為に私の財布には精神病院の診察券も入っています。人には見せませんが。

その次にはボケ検査(認知機能検査)今年は運転免許の更新の年でもあるので両方使える京都府の運転免許試験場で受けました。

その結果を持って警察署に行き、今日の自宅での検査を受ける日を決めて今日8月8日午前10時に生活安全課の警察官二人が我が家においでになって銃と弾丸の保管場所の検分と同居者(妻)からの聞き取り、その後近所の住民からの聞き取りがあって一応手続きは終わりました。

日本の国で鉄砲を所持することは大変です。家族(妻)やご近所に日頃からゴマをすっておかなければなりませんから。

これで「高齢のために所持はできません」など言われたら?

3年先の更新時には火薬銃(散弾銃)は廃棄して上の写真の高性能空気銃で檻に入った獲物の止め刺しにします。

この厳しい銃所持免許の制度があるために最近アメリカで頻発する大量の殺傷事件の心配は日本ではないのです。

日本での銃による殺傷事件は正式な所持免許所持者ではほとんど起こっていません。

何処から何時銃弾が飛んでくるかわからんアメリカの銃社会は恐ろしい事だと思います。

永遠に自分の身の安全は自分で守らなければ生きてゆけない社会なんて経験したことのない日本人には考えらえません。

しかし、国単位で考える時、気狂い民族に囲まれた日本国は隣国から守る軍備は隣国以上に保持して鍛え、備えなければなりません。


自衛隊宇治駐屯地納涼盆踊り懇親会に出かける(8月7日)

2019年08月08日 | 自衛隊の応援団長

この時期京都各地の自衛隊の基地で住民たちとの盆踊りや花火大会が日をずらしながら開催されます。

私たちの「自衛隊の応援団長」京都府自衛隊家族会右京支部のメンバーも5名が大阪や奈良から参加しました。

前もって懇親会に参加を申し込んでおいた3名はテント張りの特設会場で「お届け料理・花満」の弁当を頂きながら

 太鼓や盆踊り

太鼓の演奏や盆踊りをみなから自衛官や他の支部のメンバーと懇親会を楽しみました。

一般参加者にも

屋台も沢山

戦車などもあり、何時もの催し会場でもおなじみの自衛官の制服など着て写真撮影できるコーナーもあります。

戦車(他にも数種類あり)

今回参加した宇治駐屯地は桂駐屯地に比べて規模が小さいので盆踊と太鼓などだけで花火大会などは無かった。

出来たら京都の駐屯地の夏祭りに全て見てまわりたかったがこの暑さでは年寄にはひと夏1ヶ所だけで十分です。

自衛隊と地域の人達との交流の場としてこの様な催しが年に2〜3度各駐屯地で催されています。

ぜひ参加して自衛隊との交流を広めて貰いたいと思います。自衛隊員の士気を高めるのは日本国民の声援が大切です。

車用のステッカー

追伸

「おとどけ料理・花満」のおいしいお弁当は足しない日本の防衛予算から出ているのではありませんから

参加者(申し込み済の)が懇親会費として払っていますので誤解のないように。


愛知トリエンナーレ・あまりの醜さに震えがとまらん!何時から愛知県は朝鮮の植民地に?

2019年08月06日 | 反日の皆様

写真朝鮮人の醜さを表現

あいちトリエンナーレの展示物のオゾマシサには日ごろ穏健な私でさえも怒りで震えが止まらん。

左後ろに見えるのはお馴染みの朝鮮最大の輸出品・売春婦の像(本国南朝鮮では慰安婦像)です。

手前の汚いドーム状のものは「特攻隊員の寄せ書きの日章旗(ドームの上に張り付けたもの)を使った

展示物の題名が「間抜けな日本人の墓」

この他にも昭和天皇のご真影に火をつけた写真などがあるそうですが載せる気にもなりません。

そのうえしめ縄にジデまで、神主の私としては絶対に許せません。

これを見て怒らない日本人が居ますか? 平気な奴は日本人ではない!

それにシートには星条旗。怒るアメリカ人は居ないのか?

こんな展示物を芸術品として展示する「あいちトリエンナーレ」で何なんだ?

それも愛知県の主催、愛知県知事が責任者? 

アーアー・とうとう愛知県も朝鮮人に乗っ取られたか?

外交問題で韓国も反日ムードが高まっている今我が国も一挙に反韓ムードを高めるチャンス。

わが国では相手国の国(政府)と国民を分けて考える人が多いのですが

相手国の政府は民主国家では国民の多数が選んだ政府なのですから違いはありません。

日本人の多くは韓国政府は悪いが韓国人一人一人は良い人が多いと言いますが。

朝鮮民族の本質を知らない人です。性善説を信じている我々日本人とは人種が違うのです。

「近攻遠交」の兵法の言葉通り近い隣国は敵国とみて日ごろから警戒してゆくべきです。

この言葉をしっかり守っている隣国が有るでしょう。

「中華人民共和国=中共」と「大韓民国=韓国」が立派にこの教えを守っています。

良いことはたとえ嫌な国からでも学び、良くないことは切り捨てていく。

これが日本人の昔からの教えでした、今こそ原点に立ち返るチャンスです。

追伸

それにしても胸糞悪い「あいちトリエンナーレ」ですね!

 

 


太平洋戦争(大東亜戦争)勃発のあと日系アメリカ人はどうしたか?

2019年08月04日 | 反日の皆様

戦前多くの人たちがアメリカに渡り日系アメリカ人として生活していました。

当然在アメリカ日本人でなくアメリカ人として生活してアメリカ人になるべく励んでいました。

ところが真珠湾攻撃から日米の戦争がはじまり不条理にも日系米人は強制収容所に収容されてしまいました。

それまでも優秀な日本人は多くの白人から差別を受けていましたが第二の祖国であるアメリカのために

軍隊に志願してヨーロッパ戦線で驚くべき死傷者を出しながら第二次世界大戦で最高の戦功を立てました。

戦後日系アメリカ人に対する偏見差別がこの多くのアメリカに対する献身的な犠牲によって少なくなりました。

当時の日系米人がどれほどの国家(アメリカ合衆国)に対する献身と犠牲を捧げたか?

私が書くよりユーチューブなりウイキペディアで検索してください。日本人の真摯な精神に涙が出ます。

二世部隊(日系人部隊)

「第442連隊戦闘団」と「第100歩兵大隊」で検索してください。

特に在日南北朝鮮人の人たちと反日左翼の人たちに見てもらいたい。

祖国を出て他国に移住、移民するということは移住先の国民、国家にお世話になるということです。

自分が住む国に貢献してこそ人としての道であるのです。

忘恩の民族は住むところが無くなります。

昔に日本にわたってきた朝鮮や中国人は日本人の中に溶け込んで日本人になりました。

戦後のどさくさに紛れて日本に入ってきた在日の人たちは何時まで経っても日本人にはなれずに

子供たちは差別の対しようとして苦しむことになるのです。

「郷に入っては郷に従え」ということわざがあります。日本人は優しい民族なのです。

やさしいが弱い民族ではありません。歴史が証明しています。

隣の国からはことあるごとに「歴史に学べ」と言われる通り今日本人は自虐史観から解放され

正しい歴史から学び始めました。

今の日韓外交を見ると韓国は今こそ反日教育や反日外交から脱却する時期だと考えます。

日本人ももちろん戦後のアメリカ軍から押し付けられた自虐史観からの脱皮のチャンスです。