京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

苦労して作ったホームビオトープの現状は。

2020年07月30日 | カントリーライフ

せっかくのメダカの池がオタマジャクシが4〜50匹がウジャウジャ、蛙になり始めている。

このカエルの卵がオタマジャクシに

メダカに餌をまくと底から出て来るは、出て来るは、これがみんなカエルに還ると池はカエルであふれかえる。

メダカがスイスイと泳ぐ池をイメージしていたのに、今や親ガエルが10数匹、オタマジャクシが4〜50匹、かえった小さなカエルが?匹。

池ができるまで一ヶ月も土方をやったのに、結果はカエルの楽園を作ってしまったのか?写真の卵の段階で他へ卵を移してしまったら良かったのですが。

さて、これからどうするか? ナマズを釣ってきて池に放してオタマジャクシを餌にするか?(オタマジャクシを食ったあとメダカまで食われそう)

それとも、オタマジャクシをすくって甥の飼っているナマズの餌に持ってゆくか?(池の底にメダカの隠れ場所を作っているのですくい切れない?)

水を抜いてオタマジャクシを駆除するか?(かえりたての小さなメダカを選り分けるのは難しい)

オタマジャクシは釣り針で釣れないものか?(餌を付けて小さな釣り針で釣れれば合鴨農法をやっている人の田んぼに放して合鴨に食わせることができるのだが)

最近は電撃殺虫器で捕った蛾や小さな虫を池にまいてオタマジャクシに食べさせているので少しはオタマジャクシに情が移っているのは感じますが。

カエルとオタマジャクシに加えてイモリ(アカハラ)まで住み付くようになり、まさにホームビオトープには近づいてきたのですが、悩ましい問題です。

メダカが泳ぎ、トンボが水面を飛びながら産卵する、周囲には水草が根付く、そんなイメージを思い浮かべて作った池なのに、どうなることか?

 追伸 (7月31日)

トンボ取りのアミですくって50匹 ほど取りました。バケツに入れて合鴨のいる田んぼに放してきました。そのうち見つけて食ってくれるでしょう。

その後池を見たらまだ10匹以上見えたので小さなアミで金魚すくいの要領で2度楽しみ、家の前を流れる農業用水に放してやりました。どこかの田んぼで育ち、蛙になることでしょう。
ところがまだいるのです。これからも見つけ次第すくって流します。
オタマジャクシをすくったら、メダカが生き生き泳いでいます。カエルはまだいますが。

 


今朝も草野球悔しい惨敗・お昼にドデカイ桃が山の仲間から届く

2020年07月22日 | 遠くの地方から

昨夜からの雨は早朝には上がり早朝野球は久しぶりに宮本武蔵と吉岡一門の決闘の地一乗寺公園でありました。

空は晴れて気温が上がり蒸し暑い

先週から少し投球フォームを変えたせいで得意のコントロールが乱れて四球のあと打たれて2点取られる。

1回裏2番打者でセンター前にポテンヒットと思ったがショートの好守に阻まれてアウト。残念!

今日は我チームのエースに託して1回でベンチへ、しかし、エースは大乱調で2回表に11点取られる。

3番手投手も含めて終わってみれば17対2、今季は武漢肺炎(新型コロナウイルス)の蔓延でリーグ戦のスタートが遅れ10試合の予定。

もう5試合消化しているのであと残る試合は5試合だけ、次の試合は30日でリーグは8月は夏休みになります。今季は10戦連敗で終わるのか?

私には草野球人生最後の年になるのかも?知れないのに。今日は1回裏表だけしか出場していないのでイジケて家でお昼に風呂に入っていたら宅配便。

ドデカイ桃が6個

500グラムまでの秤では計れん

送り主はいつも自家製のジャムを送ってくれる紀の川の山仲間から、妻と二人では1個でも食い切れん程の大きさです。まして6個も。

早速明日には息子と弟と義妹のところへ、うちの畑で取れたジャガイモ(メークインと男爵芋)と玉ねぎと一緒に持っていってやろうと思います。

若い頃はさほど嬉しく感じなかった贈り物もやたら嬉しく感じるようになったのは歳を取ったせいか?人さまの情けが身にしみる今日このごろです。

まず、神棚と祖霊舎にお供えして明日の朝に頂きます。

 

 


この長雨、神頼みしか無い。武漢肺炎蔓延と長雨が収まりますように二つも一緒に聞いてもらえるか?

2020年07月14日 | 自然災害復興祈願

これだけの雨、どこに流れてゆくのだろう? 

午前11時、雨風が強くなりだした

ここ数日雨が降り止まなかったが今(午前11時前)篠突く雨という表現がピッタリのすごい雨(熱帯のスコール?)が降ってきました。

我が家のある集落は高いところ(海抜450米前後)にある割に周囲は急な崖はないので直接の影響はないように思います。

ただ集落から国道162号線に出るまでの3キロの道は道路沿いに川があるので増水したり、倒木や土石流で出られなくなることが時々あります。

今日も朝から妻は市内に買い物に出かけたので昼飯は10キロほど離れた周山(京北町の中心地)の道の駅かレストランにでも出かけようか?強い雨も風も少しは収まってきた。

最近氏神様や神棚にお祭りしている神々に「武漢肺炎(新型コロナウイルス)の蔓延が収まりますように」と毎朝祈願していますが、その上に「この長雨が収まりますように」

と重ねて祈願しなければ、二つもいっぺんに願いを聞いてもらうのは厚かましいか? だけどこの降り続く雨は日が経つほどに危険度は増してきます。

「今神様に頼まなくて何時頼むのか?」氏神様はその地域に住む人達の願いを聞いてきたから今も祀られているのです。

と、都合の良い解釈をしながら「神様仏様ご先祖様」に「武漢肺炎(新型コロナウイルス)蔓延とこの長雨が収まりますように」お願いしてゆきます。

「困った時の神頼み」日本人は神様にお願いすることで危機を乗り越えさせてもらってきたのです、今二つの国難が迫っています。三つ目の国難が迫る前にお願いしましょう。

 


スポーツはやはりDO SPORTS・エンターテインメントとスポーツの取り違い

2020年07月13日 | 不合理なもの

今朝朝食を取りながらテレビを見ていたら東京の武漢肺炎(新型コロナウイルス)の患者がまた200人を越えたという。

その中でプロ野球の観客を入れた試合が始まり大声での声援や派手なパフォーマンスの制限についての発言があった。

近年大幅に変わったことは沢山あるがその中でもわたしの特に関心があるのはスポーツについてです。

言葉の意味も時代によって変わってゆくのは理解できますが、本質的な意味が変わってゆくのなら新しい言葉を作るべきだと思うのですが?

日本人には昔から新しい外来語を適切な日本語に変える才能はあったのですから、今のように横文字にさえすれば意味はウヤムヤでも何となく都合よく通る。

年寄りの頑なな屁理屈だと思われますが、私にとって一番の違和感を覚える言葉は「スポーツ」です。

運動具屋をやっていたせいか?昔からよく「スポーツは何が好きですか?」と聞かれることがありました。今この年になっても「野球です」と答えています。

すかさず次の質問は「どこのチームですか?」と尋ねられます。「プレイするのが好きなのです」と答えると話は殆ど終わってしまいます。

それでも「好きなチームはどこですか?」と「あんまり好きなチームはないが関西だから阪神は応援しています」ぐらいしか答えられません。

本当は阪神もあまり好きではないのです。あれほどフアンに甘えきったチームも稀ですから経営陣も含めて、アンチ巨人の裏返しですが。

余計なことですが私の嫌いなものは「左翼、創価学会、巨人」です。巨人嫌いですから勿論読売新聞も見ません。話がそれましたが。

敗戦でアメリカから3S政策なるものが押し付けられて日本人はスポーツに熱心に取り組むようになりその内スポーツとエンターテインメントの境がなくなりました。

野球然り、サッカー、ゴルフ、テニス、卓球、なんでも今やスポーツでなくてエンターテインメントです。娯楽や演技、余興なのです。マスゴミの商売のネタです。

ゴルフでさえあれだけの見物客があるのですから、いまスポーツと呼ばれているのは客が呼べる余興なのです。歌舞伎や落語や漫才と同じです。

「成駒屋!」など桟敷から声援をするのと同じで江戸時代からの観客からの応援ですが、今はスポーツと呼ばれる競技の応援に広がっただけです。

スポーツとはあくまでもDO SPORTS・行為こそがスポーツという原則を守って欲しいのは時代遅れでしょうか?(スポーツ=陸上競技、野球、テニス、水泳、ボートレース、などから登山、狩猟、などに至るまで遊戯、競技、肉体的鍛錬の要素を含む身体運動の総称(広辞苑より)

他人の行う行為を大声や太鼓、風船飛ばしでのパフォーマンスは競技者に対する応援であり、自身の日頃のストレス発散です、スポーツと応援は違うのです。

世の中の不合理を見過ごしているといつの間にか不合理が世の中を仕切ってゆく基準になってしまいます。日本人の願っていた幸せが近隣敵国の幸せに変わるように。

 

 

 


水防も国防も命が奪われてからではもう遅い。犠牲者が出る前に防いでこそ。

2020年07月09日 | 不合理なもの

大雨でまた162号線(周山街道)が高雄から杉坂口まで昨日から不通になってしまいました。

国道162号線(周山街道)土砂崩れ現場

この国道は我が家から京都市内への最短ルートですが度々土砂崩れで不通になります。今回は100メートルに渡って崩れる。

このあたりは保津川の左岸に沿って国道が走っていますが左岸は勾配が急で結構長い距離に渡ってずれているので復旧には時間がかかりそう。

国道にかかった土砂だけを取り除いて通行可能には簡単に出来そうにない。上部からの落下を防がなければならないので時間がかかりそうです。

京都市内に出る道はもう一つあるのですが、杉坂口から杉坂を通って京見峠を越えて鷹峰に出る道ですが道が細くて離合が困難な場所が沢山あります。

国道が不通のときは多くの車が押し寄せるので上下の車が2台以上鉢合わせになると全く動きが取れなくなってしまいます。

こうゆう非常事態の時こそ行政がガードマンを出して交通整理をするべきなのですが、関心がないのか? 当事者任せになっていることが多い。

私はこの道には非常の場合には近づかないようにしています。朝夕の通勤時間帯に通る人達はお互いに譲り合って早く通り過ぎる努力をしています。

しかし、今回のように国道が不通のときや夏の日曜日の夕方日本海(小浜方面)からの海水浴客で国道が渋滞するときなどはこの道も詰まります。

私のような高齢者は不要不急の用事もないので市内に出ることもありませんので事が収まるまでゆっくり、のんびり、復旧を待つことにします。

ほんらいなら日本の為政者の仕事も昔から治山治水が最大の要件でした。どの時代も普段の努力を重ねてきたものです。

ところが何時の頃からか?先の民主党政権の頃からか?努力を怠ってきたツケが今回ってきたのではないか?

自然災害、特に水害に関しては先を見越した治山治水対策が必要なのです。平時は無駄に見えても災害が起こってからの復興工事はかえって高くつきます。

何よりも人命が奪われてしまうのです。金では解決できないことが起こるのです。国防と同じなのです。攻められてからでは犠牲者が出るのです。

敵国から攻められないように相手より優れた戦力を持つことが国民の命を守ることなのです。専守防衛だけでは人命が奪われるのです。

水の勢いに打ち勝つ護岸工事や水をせき止めコントロールできるダム建設など普段の努力が大切です。そのうえでの救助体制の充実です。

国防も水防も国民の命を奪われないように防御することなのです。奪われてから取り返す愚は北朝鮮による拉致被害を見ればわかります。

戦後、特に最近は日本人の命(人の命)が粗末に扱われるようになってきたと思うのは戦前生まれの私だからでしょうか?


レジ袋問題は万引きの増大につながらないか? レジ袋の起源について。

2020年07月08日 | 不合理なもの

今月(7月)に入ってレジ袋の有料化が進んでいる。私のような古い人間にとって懸念することがあるので一言。

そもそもレジ袋と言われる販売店の名前の入ったビニール袋が一般的になってきたのは店舗(小売店)が大型化した頃からでした。

それまでは紙袋が主流でした。特にデパートや専門店は独自のデザインの各種の紙袋を作り店の宣伝も兼ねて利用していました。素材がビニール(ポリなどの石油原料なども)などを使った物も増え始めてはいました。

独自の紙袋を用意できない小さな小売店などは既製の生成りの紙袋が「袋屋」などで購入して使っていました。

スーパーやホームセンターなども大型化し始め、店員が接客することなくお客が勝手に選びレジで精算する方式に変わりつつある中で小売店は万引きの被害が多く出てきました。特にバーゲン会場などではマイバックの持ち込みは万引被害の温床でした。

そのために店内では店名の入った中身の見えるカゴに入れてレジに持ってきてもらい店名の入ったレジ袋に詰めてお持ち帰り願う店名入りのレジ袋が一般的になってきたのです。

レジ袋有料化は環境に優しいなどと理由づけしていますが私が思うには大型店の経費削減策を政治家や行政が環境問題に託つけて実施している面があるのでは?

「万引きは犯罪です」と表示してある店舗も見受けられます。現場では万引被害は切実な問題ですがこれだけ小売店が大型化してきてスタッフの人件費などの削減に熱心な経営陣には万引きの被害など眼中に無いのかもしれませんが「万引き=犯罪者」を作り出さないことも又、商売人の役割ではないのか?

それとも「万引き」などは犯罪でないという社会の風潮を意識して作り出しているのか? 微罪でも犯罪だということを知らしめなければ日本の良い社会は崩壊してしまいます。

微罪を無視して許して行けば重罪を犯すことにもつながります。監視カメラを増やすことのみが犯罪防止の策ではないと思うのですが。


民主主義の原点は多数決・日本人の一票が日本人の幸せを生む・明日は東京都知事選挙

2020年07月04日 | 不合理なもの

何とも不合理なものが日本社会にハビコッています。

敗戦後日本人がこれだけ頑張ってきたのに「幸せ感が実感として味わえない」

特に将来に対して希望が持てない若者が多いこと、(若者の投票率の低さで現れている)

原因は簡単なところにあるのです。日本の政治と経済が日本人を幸せにするために働いていないのです。

政治家、企業家の目標が日本国民優先(日本国民ファースト)で無くなってしまったのです。

株式公開や下請け制度の廃止、終身雇用の廃止など独特の日本人としての特性をアメリカを中心にしたグローバル化で潰されてしまいました。

グローバル化などというものは日本人にとっては奴隷化に過ぎません。非正規雇用(パート、アルバイトなど)が増えたことが現れです。

戦後復興が軌道に乗り始めた頃から日本の政治は与党も野党も狂い出しました。政治家が家業になり始めたのです。

政治が国民のためでなく家の職業(家業)になってしまったのです。利権がらみの取り巻きと共に。

利権の最たるものは近隣敵国の言いなりになる与野党議員の今の姿です。アメリカ、南北朝鮮、中国、ロシアの利権に絡め取られた議員の姿が物語っています。

明日東京都知事選挙は国政選挙ではありませんし「コロナ対策」を争点にしていますが各候補者が日頃、何に争点を置いているかを見ることが大切です。

遠くから見ていて二人の候補が日頃の主張が際立っていますね。「在日ファーストの山本太郎氏」と「日本国民ファーストの桜井誠氏」の日頃の主張が。

目先の「コロナファースト」で争っていますがコロナ問題は知事だけの力ではどうすることも出来ません。国の力、医療関係の努力でしか解決できません。

日本国民しか選挙権を行使して日本の将来を決めることは出来ません。今は「在日ファースト」の候補者が多くの得票を得て政治力を行使することは止めなければなりません。

次には在日に選挙権を与えて日本人の子供や孫達が奴隷になることは防がねばなりません。今、防げるのは近い将来我が国を担う日本人の若者だけです。

私は東京都民ではありませんから投票は出来ません。しかし、自分の一票ぐらいで政治が変わることはないと無関心な若い人たちにお願いしたい。

民主主義の原点は選挙の一票だということをもう一度考え起こしてほしい。無関心の行く末が独裁政治に飲み込まれる香港のようになる日本を想像してほしい。

あのようになってからではもう遅いのです。政治を綺麗にすることも企業にモラルを取り戻さすことも日本国民の1票から始まるのです。

日曜日には明日の日本の国民のために我が子、我が孫の将来の日本のために貴重な1票を投じてください。

有権者が変わらなければ日本は変わりません。日本の将来は政治家が変えてくれるのではありません。デモや署名では変わりません。

 


朝野球リーグ・今季初得点するがまた負ける

2020年07月02日 | 野球

最終回追いつけずまた負ける

今日も先発投手で二番バッター・我が方は先攻で私はランナー無しでサードゴロでアウト。

投げては1回裏内野安打で一人出塁を許すがあとは無難に0点で抑える、2回は3人で終わり、2回無失点でベンチ入り、我が方は4点入れて好調。

今日は継投策で行くという監督の方針で打撃は1回だけ、今季3試合目で初得点、今日は勝てそう?(と思ったのですが)

3回から代わった若手ピッチャー、コントロールが乱れて連続四球、2点で終わったが1回で降板、昨年終わりに好調だった3番手も2点取られる。

6回今のところのエース登板するが2点取られて逆転、結局今日も6対4でまた負けました。

7月に入ったのに今日は涼しかった。曇っていたが雨もふらず、武漢肺炎(新型コロナウイルス)蔓延も気にせずつかの間の幸せを楽しみました。

いつも装着している「さとう式リンパケア」のスパッツはアーム、ロングソックス、ヒザの3種類つけましたが投球で2回、打席で1回しか出てませんので次回に書きます。

確かにこのフレクサー何とかというサポーターをつけると軽く感じます。特にヒザに関しては走っても痛さは感じません。7回フル出場したら違いがわかると思います。

今季は全試合10試合で終わりですからフル出場する機会はあるか? 出来たら出てみたいと思います。まだ気力はあります。(体力は無いかも?)

草野球は楽しいですね。アマチュアスポーツの醍醐味は参加することに意義があるのですね。

アマチュアスポーツの最高峰であったオリンピック競技の堕落を見るに付けスポーツの意味を問い直す時ですね。

クーベルタン男爵も愛想を尽かしておられることでしょう。(オリンピックに関しては又その内に愚痴ります)