本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

彼岸の風景

2017-03-20 20:51:57 | 住職の活動日記

曇り空、

お彼岸の法要が終わる頃より

雨が落ちてきました。

 

 

準備もできて、

 

 

本堂も荘厳が出来ています。

 

 

外では宗良さんが庭のお浄め

今、ちょっと電話が入ったようです

 

 

庭のもみじも若々しい新芽を

膨らませはじめています。

 

庫裏の方では

 

 

お接待のバラ寿司、護摩豆腐

菜の花のお浸し、人参の和え物

着々と準備が整っています。

 

 

牡丹餅のお供えも、

春は牡丹餅、夏は夜船、

秋はおはぎ、冬は北窓と

同じものでも季節によって

呼び方が違うと、

宗良さんから教えていただきました。

 

法要も終り

衣をたたんでいると

そういえば、

五条袈裟の重たさに気がつきました

 

 

この袈裟年期ものです。

私が東寺を去る時に頂いた

もうかれこれ30年は使い込んでいる

それで修理をしながらということで

修理の度に布を重ねていくせいか

段々と重くなってきたようです

 

 

結ぶ紐のところが繰り返し使うので

一番痛んでくるところです

 

 

そこで新調した五条袈裟

しなやかで軽く扱いやすい

 

 

やはり手織り本金製とあるように

本金は衣になじむ感じで

とても着やすいものです。

 

衣大事に使うと、

今きている衣は祖父の衣

おおかた100年も使っています

洗い張りをして染め直し

仕立て直すとやはり使えるものです

古いものは大事に使うと

なんだかとてもシックリくるようです

 

木造建築でも

色々な修理の仕方があって

古い木材は何百年も持つものです。

しかし、

段々と修理する技術も

廃れていくようで、

やはり、

残すべきものは残す

新調するものは新調する

そのメリハリも大切なようです。

 

お寺も行事が続き

28日はお不動さま

30日は加藤神社・阿蘇神社に

植樹した醍醐の桜の花見

4月2.3日は梵鐘の開眼法要と

なかなか休まる時がないようです。

 

ガンバレ!!

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春彼岸 菩提の種をまく日かな

2017-03-20 08:26:57 | 住職の活動日記

お彼岸のお中日

曇り空、少し肌寒い空気

 

昔から、

「春彼岸 菩提の種をまく日かな」

という歌があります。

 

菩提の種をまくという

私たち迷っている人間には

菩提そのものを蒔くことはできない

しかし、

その菩提の種となる、

なにか、因になる要素は

蒔けるのではないか

ということではないでしょうか。

 

「お彼岸」

「彼の岸」と書きます。

私たちがいるこの世界

迷い悩んでいる苦しんでいる

この世界を「此岸」(しがん)

此の岸(このきし)といったのです。

 

彼岸への憧憬と言いますか

やはり苦しいこの世界から

仏様のいらっしゃる彼の岸を

憧れの世界と見たのでしょう。

 

暑からず寒からず

ちょうどいい気候のこの時期を

お浄土の世界に見立てたのでしょう

寒かった冬からやっと

温かくなってくるこの時期

待ち望んだ春の温かさを

お浄土と感じとったのでしょう。

 

彼の岸という「彼岸」がある

ということではなく

心境の世界だと思います。

 

此の岸、

私たちはどうかというと

自分本位で自分勝手で

自分の都合しか考えない

それが私たちのあり方です。

反対に、彼の岸というと

相手のことを考える

他人の立場に立って物事を考える

他人の喜ぶことを自分の喜びと

感じるような

そういう心境

そこに彼岸の世界が開けてくる

ように思います。

 

「忘己利他」(もうこりた)

『己を忘れ他を利するは

慈悲の極みなり』

ということを伝教大師は

仰っておられます。

 

私よりもあなた

此れよりも彼のことを

考えるのが(思いやるのが)

お彼岸の意味ではないでしょうか。

そこには、ただ思うのではなく

一つの行として実践すると

六波羅蜜の行になってきます。

 

布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧

という、

どの一つを取ってみても

自分本位の心を克服する

他のために尽くすという

行になってきます。

 

お墓参りもそういう意味があり

お寺へ先祖供養へ行くのも

そのことの一つの実践になるのです

 

長いことついて付いてきた

癖というものは

一気には直りません

他人のことを先にといっても

なかなかすぐにできることでは

ありませんが、

薄皮を剥ぐように

何か一つでも

身近なことから始めるのが

行(実践)の

肝心要なところです。

 

一歩を踏み出すことが

お彼岸の大切な意味では

ないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする