折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

同い年の人

2022年08月30日 | 果物

ぶどう「紅伊豆」




パソコンの動きが悪くなったころから時間がかかり過ぎてチェックしなくなったFacebook、新しいパソコンになったら今度は様子が変わってしまいそれを直す気も起らないままほとんど見ないでいました。でも、スマホにお知らせは来るのでスマホで見ればよいのにそれもしないままでした。ところが今朝は「富士山登頂しました」と同級生のY君がFacebookアップのお知らせがスマホに届いて、えっ~~!

Y さんはいつも若い方のグループとボランティアや登山もして、お元気だとは思っていました。今回は富士登山とお鉢巡りに続いて滝行にも参加されたとのこと。Yさんは同級生なので80歳、で、富士山登頂!…すごいことだと思ったら「今年登頂した最高齢は98歳」とあって80歳はまだまだなのだそうです。

月に2回、5階である集まりにも階段を上って来られるし、帰りにはエレベーターを待っている私たちに「お先に」と言って階段を下りて行かれる。体力は人によって違うとは思うけれど、この違い。
この先富士登山は無理でもとりあえず平地は歩けるように、早朝散歩と自分なりのストレッチは続けなければと思った朝でした。

バスツアーは天気を選べない(2)

2022年08月27日 | 北陸の旅

マキノ メタセコイア並木



雨の敦賀を後にバスは山道を走って琵琶湖の西岸、滋賀県マキノへ。
一度は見たかったマキノのメタセコイア並木をバスはあっけなく通り抜け、並木の横にある果樹園でブドウ狩り。
バスを降りて、帰りのバスに乗るまでなんとか雨は降らずにいてくれました。

ブドウ狩りは60分間採って食べ放題。お土産用にも切り取れば1キロ1600円で持ち帰れます。1キロは大きな房なら2房、中くらいなら3房のようです。今ブドウ狩りに解放されていたのは「紅伊豆」「竜宝」の2品種、どちらも大粒な薄緑から熟すと紅がかった紫へ、甘い中に少し酸味があるのが美味しかった。どちらも似た感じでしたが「竜宝」に少し酸味があったかなとは思いますが、房に掛けられた袋の下から覗いて初めて見たブドウ。どれが良いやら早いのかもわからずに切り取ったので、酸味を感じたのは早すぎたのかもしれません。ブドウ園のベンチで採ったばかりのブドウの房ごと抱えてパクパク・・・超贅沢!2種類とも食べたいので私は小ぶりの房を選んで食べました。大きな房を抱えた方は、2種類食べられたかしら。




ブドウ「紅伊豆」


ブドウ園


早めにブドウ園を出て少しでもメタセコイア並木のスケッチがしたいと思っていました。
農業公園マキノピックランドを走る県道沿いに植えられたメタセコイア、真っ直ぐな道に2・4キロにわたって並ぶ500本は壮観です。他の方のブログにも四季折々の姿が紹介されていて、いつか私も行ってみたいと思っていた風景を目の前にしてどう描いたらよいのか戸惑ってばかりの私。頭上では今年初めてのツクツクボウシ。この頃は家の近くで聞くことはないので懐かしい鳴き声です。そしてぽつりと雨、2枚目は早めに切り上げてバスに戻りました。
またいつか違った季節に是非と思っています。が、JR東海道線、JR北陸本線、JR湖西線と乗り継いでマキノから高島市のコミニティバスに乗れば行けないことはないけれど・・・これはなかなか大変そう。でも、いつか!




メタセコイア並木の向こうはブルーベリー園

マキノを出発して後は名古屋へ。
琵琶湖畔の色づき始めた水田、山に湧き上がる雲、雲の間から時々現れる伊吹山と車窓からは魅力的な風景が続きます。が、隣の席の女性はおしゃべりが好き。「だまっているなんてつまらないでしょう」とお菓子を取り出しては勧めながらおしゃべり。返事に疲れて寝たふりしていれば本当に眠くなってしまうし・・・。コロナ禍だからと断っても勧められて家まで持って帰ったお菓子はチョコレート、せんべい、するめ、ジャーキーといろいろありました。ツアーの目的はそれぞれ違うのでこれも仕方がないと思うより仕方がない。
途中休憩の養老SAから猛烈な雨と稲光、その雨も名古屋駅に着いた頃には止んでいて、無事濡れずに帰宅できました。

ツアーは日にちが決まっているのでお天気は選べないし、行く場所も行った先の時間も選べない。それでもツアーを選ぶのは自分では行くことが難しい場所だったり、料金がお値打ちだったりするからです。今回の参加費は5千円。ブドウ狩りも含んだ料金なので、いろいろ思うに任せないことはあってもまたツアーに参加したくなるのです。

帰ってから3日間くらいは、コロナに感染していないかちょっと不安でもあります。27日現在まだ何ともありませんが・・・。

「ツアーは天気を選べない」はこれで終わります。




バスツアーは天気を選べない(1)

2022年08月26日 | 北陸の旅



日本海さかな街




8月25日にバスツアーに参加しました。20年近く前、1万円で葬儀会館の会員になり会報が送られてきていましたが、ほとんど見ることも無かったのになぜか目についた旅行のお知らせ、敦賀レンガ倉庫、マキノのメタセコイア並木とあり以前から行きたい場所だったので申し込んだのです。それもすっかり忘れていましたが・・・。申し込みの第1希望日は26日でしたが、なぜか第2希望の25日になりました。

25日は朝からどんより曇って予報は降ったりやんだり。行った先でも予報通り強い雨、時々はやんだりと。帰りの名神高速から名古屋へ向かう道中は豪雨となって雷鳴がとどろく中をノロノロ進み、でも無事名古屋駅で解散するころには雨がやんでいたのは大助かりでした。私が行くツアーは雨が多い気がします。今回も第一希望の26日なら敦賀もマキノも晴なのですから、なんだかねぇなのです。


名古屋駅7:30分発・・・岐阜で毛皮工房見学(販売所)・・・日本さかな街(昼食)・・・敦賀赤レンガ倉庫・・・マキノ(ブドウ狩りとメタセコイア並木)・・・名古屋駅6時過ぎ解散

名古屋駅を出発して先ず岐阜県の毛皮工房へ、ツアーならこれも仕方のない事。高価な毛皮や絨毯、十数万円の健康ネックレス、こうした高額商品をツアー中に買うかしら?と思っていたら、磁気ネックレスを買っている方があったので買う方はいるのです。バスの隣席の方も以前買ったとか。「効果ありました?」と聞くと「効果はね~。すぐ落としてしまってね」ですって。






昼食は福井県敦賀にある「日本海さかな街」で自由昼食。何度も来ているという方は「個々の店舗が少なくなって活気がなくなったね」と。長いコロナの影響は広くて深いようです。カニやホッケ、甘えびなど同じような品が並ぶ店、名物の焼き鯖や焼き鯖寿司の店、これみんな売れるのかしらと思うほど、時間が早いとはいえお客さんは少ない。
私はバスで配られたチラシにある「バス旅限定」ランチ1000円にしました。観光地でこのお値段なら、お値打ちかもです。食べ終わっても時間はあるし、お土産も買う気がないしで空き店舗の椅子でちょっとスケッチしたのが見出しの絵です。




「うにいくらのせ豪快丼」味噌汁もありました、写ってませんが・・・


お昼を食べてからバスで港へ。
いつか敦賀港とレンガ倉庫を見たいと思っていました。昼食の時からの強い雨が降る中レンガ倉庫を外から眺めて港へ(皆さんは中のお土産屋さんやジオラマ見学)。立ち止まってスケッチもままならないほどの雨でした。できれば少し離れた「敦賀ムゼウム」へも行きたかったのですが、自由時間内に戻って来る自信がなくてやめました。1920年敦賀港から上陸したポーランド孤児や、1940年「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の「人道の港」の歴史を伝える資料館です。



敦賀港

歩道の印

レンガ倉庫(思っていたより小さかった)





また次回に続きます。

孫ちゃんと公園の猫

2022年08月24日 | 孫ちゃん


孫ちゃんと野良猫 (1)

孫ちゃんは猫が大好き、でも事情があって家では飼ってもらえません。
「おばあちゃんが猫飼えばいつでも来て遊べるのに」と言われても私のこの先を考えると無理。猫の寿命は長くなってます。
「名城公園にはたくさん野良猫が住んでいてね」と話すと「見たい みたーい!」「でもね、朝早くにはご飯をもらうために集まって来るけど、そのあとは茂みに隠れちゃうよ」「それならおばあちゃんの散歩の時間に一緒に行く」となりました。
私の早朝散歩に一緒に行くために前の日から泊まって、目覚ましかけて・・・目覚ましが鳴る前の4:20分には自分で起きてきました。明るくなるまで待って5時出発!2人とも自転車です。

名古屋城の大手二之門の近くには毎朝餌を持ってくる方がいて猫が集まっていたはず、まずはそこへ。
着いてみるといつもの男性は来ているのに猫は1匹だけ。
「おはようございます。ここに猫が沢山いると思って来たのですけど」と言えば「この頃だいぶ少なくなってね。それにもう朝ご飯を食べて解散したところだ」と言われたのは5:10ごろのこと。「今は名古屋城の正門近くには集まっとる頃だよ」ならばと正門近くへ。
確かにここには2匹いました。餌をやっている女性に「おはようございます。この子(孫)が猫を見たいというので来たのですが」というと、この方も「この頃は捨てる人が減ったのかね。野良が少なくなるのはいいことなんですけどねぇ」と。「猫にも好みがあるからね、いろいろ持ってきてあげるのよ」「あぁ この子は子猫の時から世話しているから15歳くらいだわね」と。15年も前から餌をを運んでいるのだそうです。
どの子も毛並みはつやつやして健康そうで、避妊手術済みの印に片耳にちょっぴりV字の切込みがありました。
最初に出会った男性もやってきて「猫が好きかね?猫の好きな人に悪い人はおらんでね」「中には棒で猫に乱暴する人もいてね。いろいろな人がいるの」と女の人。この方は「カラスにつつかれていた子猫を連れて帰って飼ってるのよ。ほっとけないでしょ」とも。

孫ちゃんがそっと手を出すと甘えて寄ってくる猫、逃げる猫。
ここの野良猫の中ではグレーの毛皮の15歳の猫が孫ちゃんのお気に入りになりました。

そこから名城公園へ移動しましたが、食事の時間は終わったらしくほとんど解散して出会えたのは5匹ほど。
一匹だけ広場にいた茶トラ猫は餌をもらえていなかったらしく寄ってきて撫でさせてくれました。


楽しそうに撫でている孫ちゃん、すり寄ってくる猫ちゃん、ほほえましい情景なのですが「野良猫は不衛生」と言われていることが気になります。引っかかれたり嚙みつかれたりすればもちろん大変なことになります。私も以前にご近所さんの飼い猫に噛みつかれて腕が腫れあがりお医者にかかりました。飼い猫だって・・・。
孫ちゃんは見るだけではなくきっと触るだろうと思い、抱いたり掴んだり嫌がることはしないように言って、除菌シートを持参し、公園の水道で手洗いして、帰宅した後も家に入る前に庭の水道でもう一度ジャブジャブ。それでもやっぱり、危険には近づかないほうが良いのかしら?
「楽しかった~ また行きたい」という孫ちゃん。私にも良い思い出ができましたが、これはまずい事だったのかなぁ。




孫ちゃんと野良猫(2)




私の子供のころ、出入り自由の猫と暮らしていましたし、8年ほど前まで飼っていた猫も14・5歳までは出入り自由猫。体が弱ってから家の中だけになりましたが、いつだって一緒に炬燵に入ったり食卓にも自分の場所で参加したりしてました。不衛生なんて思ったことも無かったですが、孫ちゃんのこととなれば話は別。
心配になって娘に聞いてみると「後で手を洗えばいいよ」とあっさり。孫が生まれたばかりの時には、哺乳瓶の消毒にもいちいち厳しいことを言ってたのに、変われば変わるもの。娘の婿殿は子供のころから猫と暮らしていた人なので撫でるくらいは気にしないとか。両親の許可が出て孫ちゃんはそれ以後も前泊しては私と一緒に自転車で早朝の公園に出かけています。夜明けが遅くなってきたので公園に着いた頃には食事時間が終わっていて、集まっている猫には会えませんが1匹ずつゆったりくつろいでいる猫は嫌がらずに撫でさせてくれて、孫ちゃんは大満足。

こんなことができる夏休みももうすぐ終わります。




孫ちゃんと野良猫(3)

夏の白川郷へ(3)

2022年08月22日 | 白川郷

現地でペンだけで描いて後で色付けしたハガキくらいの絵




白川郷の高低差のある曲がった道が好きです。花が咲き水が流れてゆるくカーブした道。そんな道をブラブラ テクテクすれば時間も忘れます。高速バス利用で自由時間は5時間、もう1便遅らせれば6時間でしたが、暑さの中で疲れすぎるのもよくないかと3時半出発のバスにしました。それで正解!帰りのバスは高速道路が渋滞して一部一般道路利用となり45分遅れの到着でしたから、あまり欲張れるほど体力もありません。この日歩いたのは6,600歩あまり、座ってばかりの5時間でした。
もし空いていたらどこかでお蕎麦でもと思ったのですがどこも行列、いつものように持参のお握りとアンパンでお昼となりました。帰りがけにおやつにしようと買った五平餅は今までにないほど残念なもの。白川郷の思い出点数が下がってしまいそうでした。
往復の高速バスはがら空きでしたが、高速道路のサービスエリアの駐車場は車でいっぱい。皆さんコロナ感染防止もあってご自分の車で移動されておられるのでしょうか。白川郷では思ったより観光客がいましたから。

今回はスケッチ中にはどなたも話しかけてこられなかったので、旅の間で話したのは駅でチケットを買ったとき、五平餅を買ったとき、コロナ禍の中では何よりのだんまりの一人旅でもありました。ただトイレのペーパーホルダーの上で忘れ物のスマホがあるのを見つけた時にはどうしようかと、どうしようもないので掃除の方にお知らせしました。あとは・・・早く持ち主のもとに帰っていますように。そして私も気をつけねば。


スイレン池 
スイレンと水に移った合掌家屋は難しすぎて・・・


歩くのが楽しくなる道


どっちに行こうか? どちらに行っても素敵な風景に出会えます




白川郷を流れる荘川は日本海へ向かう


今回利用した高速バスは、10年?ほど前までは東海北陸道を途中で降りて国道156号線を走りました。御母衣(みほろ)ダムに沿って走るとダムの水没から救われ移植された荘川桜の公園や埋蔵金伝説の帰雲城などがあり、集落を繋ぐドライブは楽しい道中でした。それがいつからか白川郷ICまで高速で走るようになり、時間は短縮されましたが見どころをトンネルで通過するのは寂しい。外国人観光客でにぎわった頃、余計な時間を使わない移動が求められたのかもしれません。

高速道路が渋滞して国道22号線を走ったりと7時に帰宅予定が8時になりましたが、楽しくて充実した日帰り旅になりました。

これで「夏の白川郷へ」はおわります

夏の白川郷へ(2)

2022年08月21日 | 白川郷





タイトルを「夏の白川郷へ」としたのは夏に白川郷へ行くのは初めてだと思ったからです。今までは雪景色期待しての冬、紅葉の秋、早春でした。



小さなお社の陰でスケッチしているとだんだん観光客が増えてきました。人の多いメインストリートは避けて裏道やあぜ道へ。
重要文化財「和田家」の裏の木陰に座る・・・移動したのはほんの少しだけ。大きな合掌造りの二階か三階の窓からは観光客の姿が絶えませんし、反対側の荻町城跡展望台にも多くの人の姿が見えました。有難い事に私の座る日陰はほとんど人が通らない。時々すぐそばにトンボが来てくれる。スマホで写そうと構えたらスケッチブックに止まるので、私の方が慌ててしまい結局写し損ない残念!群れて飛ぶトンボは何枚も撮ったはずなのにスマホの画面ではタダノテ・ン・テ・ン。スマホはすごいと思っていましたが、ちゃんとトンボを認識できる私の眼はスマホより上のようだわなどと、変なところで安心しました。




暗い建物をバックにトンボが飛んでいるはずなのですが・・・


私の横で休憩中のトンボ




通る人がしきりに用水を覗いているので行ってみるとカルガモ?の子供が一羽水藻の中に頭を突っ込んで何かを食べていました。水の流れが速くて時々流されては戻るの繰り返し。応援しながらついみとれていました。一羽だけなんて、あとは・・・。周りにはいませんでした。





夫が元気なころ友人と宿泊して良かったと言っていた民宿「孫右衛門」
私も…とは思っても膝が悪くては囲炉裏端に座れないのは悲しいので行けないままです



「孫右衛門」正面

☆明日まで続きます


夏の白川郷へ(1)

2022年08月20日 | 白川郷

最初の1枚目
バスターミナルを出てすぐの小さなお社の日陰から



今年の夏はお天気が定まらず、白馬の旅をキャンセルして、次に計画した富山も気温予報が連日37度。歩き回るのが目的の私には危険な温度で、中止しました。お盆も過ぎてどこかへ行きたいと気分はモヤモヤしていたら、テレビの天気予報が「19日はカラッとした晴れ」といいます。それも1日だけ。それは出かけなければと、すぐ行けそうで暑くない所と思いついたのが岐阜県白川郷。早速高速バスセンターに電話すると往復とも希望の時間が取れました。名古屋から白川郷までの高速路線バス、往復6,000円。

名鉄バスセンター発7:50→白川郷10:32着
帰りは 白川郷発15:30→名鉄バスセンター18:16着
白川郷で5時間の自由時間です。





途中で10分間のトイレ休憩



夏休みの白川郷行き、混んでいるだろうと覚悟して駅に行ってみると大型バスに乗客は10人、途中の駅で数人が乗り降りしても最後まで10人でした。コロナ前はほぼ満席で7~8割は外国人。静かな日本人は前の方の席に小さくなっていた感じでした。今回は・・・7人が外国人(中国語と?語を話す人たち)私を含めて後3人が日本人(多分)。割合は以前と変わらないのに驚きました。
帰りのバスは乗客4名で出発して、途中で乗ったり降りたりがあって名古屋駅に着いたときには5名とずーっとガラガラ、それぞれ離れた席でした。

バスはすいていましたが、白川郷は結構多くの人でにぎわっていました。ソフトクリーム屋さん、飛騨牛コロッケ屋さんには行列ができてお土産屋さんも人が入っていました。でも、地図やスマホを見ながら歩くルートは皆さんほぼ同じらしく少し脇道に入ればとても静かですし、日陰は涼しい。何度目かの白川郷なので特に行くところは決めず、気の向いた日陰を探して座り込んでスケッチしました。
久しぶりに合掌造りの建物を前にすると気分ばかり盛り上がって、スケッチは、う~ん・・・仕方がないことです。
リュックに入れていったパイプ椅子に座ってあたりを眺めているだけで幸せな気分になれました。
澄んだ青空と白い雲、穂を垂れ始めた水田の上を飛ぶたくさんのトンボ、ミーンミーン とセミの声。草むらには虫さえ鳴いていました。涼しい風と水田のにおい、田んぼにはオタマジャクシがいるし、用水を流れる清らかな水の音。村の中を歩くとあちこちに勢いよく流れる水があって、立ち止まっては流れを見つめてしまいました。




合掌造りの建物に圧倒されたあと、山と空にホッとしました

スケッチの出来はともかく、「夏の白川郷」少し続きます。


精霊おくり

2022年08月17日 | 孫ちゃん

精霊牛と精霊馬できた!



昨夜のテレビで三年ぶりで行われた「五山送り火」を見ました。7月の山鉾巡行もそうでしたが、街中の人々で伝統を支えている京都人ってすごいなと思います。

私の子供のころ、おしょろい様はお迎えしても、迎え火も送り火も焚きませんでした。きっと食べるに精いっぱいの時代でそんな余裕などなかったのかもしれません。結婚してからもそのやり方をそのままなぞっていたのでお盆の迎え火を焚くことはなかったのにこの頃になって、焚いてみようと思うようになりました。夫の霊を迎えるころからだと思います(ひどい方向音痴でしたから)。

名古屋のお盆は一般的には8月13日から15日。
15日夜には真菰のむしろに精霊馬と牛、お供えとお団子を包んでお寺でお焚き上げしていただきます。
丁寧に供養して頂けるので今年も自転車で十数分の徳興山建中寺さんまで孫ちゃんも一緒に自転車で走りました。
建中寺さんの精霊送り万灯会、昨年はコロナで中止でしたが今年は例年通り、と言ってもコロナ前よりは参拝する方は少ないように思えました。山門前で塔婆を申し込み「〇〇家先祖代々」と書いていただき、ご住職様と多くのお坊様の読経が流れる本堂に置いて手を合わせました。持参した真菰は境内の大きな焚火でお焚き上げ、赤々と燃える炎と高く上ってゆく煙はご先祖様が帰って行かれる道・・・などと思いながら見上げました。




本堂


お焚き上げの煙は山門を超えて


火が大きくなりすぎると時々水をかけて落ちつかせる


このお寺は尾張徳川家初代藩主義直(家康の9男)の菩提を弔うために尾張徳川家の菩提寺として二代藩主が1651年に建立したものと言われています。由緒あるお寺で供養して頂けるのは特別有難い事のように思えて何年か前からこちらに参拝しています。



孫ちゃんと花火をするのも15日の恒例に

毎日歩けば・・・

2022年08月14日 | 

やっと咲いたメダカの鉢のホテイアオイ




お盆のお墓参り、13日は台風8号が近づく予報でしたので12日の早朝に行きました。地下鉄駅まで自転車で、後は乗り換えなしの30分で目的の八事駅に到着。ここからお寺まで1キロ弱のゆるい下り坂。お寺は斜面に建っているので山門は石段の上、境内を進んでまた石段を上がって本堂へ。お参りを済ませてお墓に行くには下る。お花の水を汲みに上がる。お墓の掃除をして枯れた花や雑草をまとめて階段降りた先の焼却場へ。お墓に戻って線香をあげて手を合わせ、同じ墓地にある実家のお墓へ。実家のお墓は石段を上った先なのでまた上る。お参りを済ませて帰るにはまた下りる。といっても京都のお寺のように広い境内ではないので大した階段ではないのですが、水を汲んだ手桶を下げて上ったり下ったりは膝に負担がかかります。お寺を出て駅までの帰り道は往きに下った分だらだらと上り坂。
以前はこの道中で途中休憩していましたが、今回はゆっくりゆっくりでも休憩なし。早朝散歩の効果が出てきた気がします。

早朝散歩を始めて2ヵ月あまり、歩かない日もありましたから、50日として1日3キロ歩いて合計すれば150キロ歩いたことになります。
JR東海道線ならおよそ名古屋から京都まで・・・毎日毎日歩くってすごい事ですし、反対にごろごろ暮らしていたら体の衰えは加速度がつきそう。この先は日本一周するくらいのつもりで歩かねば・・・続くといいなと思っています。





正面地蔵堂の右手の石段を登ると本堂



8/14    5:30
今朝は雨が止んでいたので名城公園へ 散歩の最後に広場の丘に登ると東の空は重なった黒い雲
急いで帰る途中から強い雨に降られて・・・帰宅してシャワーを浴びてほっとした6時半には青空がのぞいています(#^^#)



あの日も暑かった

2022年08月10日 | 果物

義母の好きだったブドウ




2015年の8月は連日の猛暑、夫の入院中も通夜も葬儀も暑かった。あれからずいぶん経ったような、ほんの数年前のことだったような・・・。暑がりで汗かきで、ビールを飲むときの一番幸せそうな顔。夏は高校野球と巨人戦に夢中(地元は中日なのに)。今ではいろいろ思い出しては言いたいことを愚痴っても涙もこぼれず、お供えのスイカもさっさと下げてパクパク食べる。7年の時間は気持ちを落ち着かせてくれました。

もうすぐお盆。13日の夜にははるか十万億土の彼方から帰ってこられるのは「おしょろいさん・お精霊さん」。30歳で戦死された軍服姿の義父、64歳だった小柄な義母、夫は髪も薄くなった77歳とだれが親だか子供だかわからないような3人がそろって・・・などと思いながらお迎えする準備を始めます。
真菰(まこも)で編んだ茣蓙、お供え物を乗せる経木(木の皿)、箸にするおがら(皮をはいだ麻の茎)おがらは迎え火にも使いますが火が付きにくいのが難点。13日夜のお迎え団子から15日夜の送り団子までの間にお供えするものは本当は決まっていますが、わが家は私流。私の実家風と我流と両方混ざったお迎えの仕方ですが、夫の育った九州ではどんなだったのか・・・聞かないままでした。これでバチが当たることも無く過ごしてこられたので、おしょろいさんたちも納得して頂けているのだろうと勝手に思っています。義母さんには「よかたい そいでよかろうもん」て言ってもらえているかな、なんて。





命日10日の朝散歩、公園を行くお二人に、あんな日もあったなと
8/10 5:10


ジョギングする人も多い外周道路 5:38


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