折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

ブログの春休み

2019年03月31日 | 風景
  図書館5階からの新緑

毎年4月初めは娘の都合で孫ちゃんを預かることになっています。
去年までは娘も一緒に泊まっていましたが今年は1人で泊まりたいという希望で明日から
週末までおばあちゃんと過ごします。

今年は二年生、大抵のことは自分で出来るようになっているしお手伝いも沢山してもらおうと
思っています。
鬼ごっこや縄跳びなどで一緒に遊ぶのは今の私にはちょっと無理。
さて、何しましょうか・・・
とりあえず図書館で司書さんお薦めの本を借りてきました。
一緒の時間を持てるのはあと何年?大事に大事にしたいと思います。


 
  

図書館前の桜
今日の絵はA5サイズ少し黄色の用紙で。


と、いうことで今週はブログ更新する余裕はないかもしれません。
しばらく「ブログの春休み」の予定です  (-_-)zzz

桜が見頃に

2019年03月30日 | 名古屋城
  能楽殿前の桜 F3

名古屋の桜も満開まであと少し。
場所によっては見頃になってきました。

29日午後から自転車で出かけたついでに名古屋城近くを見てまわりました。
名城公園の桜はまだ5分咲位だったでしょうか。でもたくさんの人が楽しんでいました。
出店のイカ焼きやお好み焼きのニオイが流れてきてすっかりお花見気分です。

毎年、名古屋城の南西にある能楽殿前の桜の姿が好きなので行ってみました。
ここは太い幹から地面につきそうなほど枝が伸びて近くで見ることが出来る桜です。
いつもは静かなこの場所も賑わっていました。といってもいくつかのグループがいるだけで
時折何人かが通るくらいです。なのでちょっとスケッチ。

しばらくは桜が気になってここへも度々出かけてくることになりそうです。




希望の春に

2019年03月29日 | 
  ネギボウズ


三月も終わりに近づくと受験シーズンも終わる。
我が家はしばらく試験に悩むことから遠ざかっていますが、身近にはそれぞれの話が聞こえてきて
笑顔だったり涙だったりと。
四月をどんな気持ちで迎えられるのか、自分の子供のように思えてしまいます。
みんなが希望の春を過ごして欲しいと願います。


今朝から統一地方選挙が始まって、朝からマイクの音が流れてきます。
支持する候補者の声が聞こえれば家から飛び出して手を振って握手して「応援してますよ!」と。
こちらは賑やかな春です。



 リキュウバイ 利休梅

土筆を摘みに

2019年03月26日 | 風景


子供の頃には春になるとおにぎりを持って河原へ土筆摘みに行くのが楽しみでした。
大人になって子供の手が離れた頃から夫と郊外へ土筆摘みに出かけました。
ツクシやヨモギ、ワラビやイタドリの若芽なども見つけると嬉しくて袋いっぱいになるまで
欲張って摘んだものです。

夫が亡くなる4か月前にも電車に乗って郊外へ出かけました。
その先は駅からタクシーに乗って田んぼへ。
摘むことはできませんでしたが「ほらあそこにあるぞ…」などと私に指図して・・・
その日の夕食は土筆の卵とじにヨモギやイタドリの天ぷらでお酒がすすみました。




その後は毎年、私の想い出の場所へ友人が誘ってくます。
今年も名古屋駅から電車を乗り継いで稲沢まで行き友人の車でおしゃべりとランチと土筆摘みを
楽しんできました。
ツクシの時期には少し遅くてほうけたツクシが多いのですがまだまだ若いツクシも出ています。 
腰と足を労わりながらほどほどに摘んできました。もう以前のように袋いっぱい採ろうなどとは
思わなくなりました。





郊外の広々とした風景に
「なんにもないところでしょう」と友人。
「それがいいの 空が広~い!」と私。
花曇りの空、遠くには養老山脈が霞んで足元には野の花とツクシこれが最高!でした。


 



今年も孫のコンツェルトへ

2019年03月25日 | 孫ちゃん
  指揮者の方と




日曜日、ピアノを習っている孫が昨年に続いて参加する「コンツェルトの夕べ」に行きました。
昨秋にこの地区であったコンクールの受賞者記念コンサートだそうです。

幼稚園から中学生まで27名がベルソンオーケストラ(21名)をバックにプロのように華やかな
衣装で演奏です。
「海の風景」を弾く方はブルーのドレス、「スパニッシュダンサー」の曲には真っ赤なドレス。
孫ちゃんの曲は「メキシコの祭り」華やかな髪飾りと大きな花柄のドレスです。
その出番は後半なのでそれまでは私も落ち着きませんでした。


やっと登場の孫ちゃんはニッコニコでお辞儀をして演奏開始。
私はその姿にこんなに大きくなったんだと感激して見とれていました。
約3分半の演奏が終わると指揮者の方がにこやかに手を取って言葉をかけてくださり、とても
うれしそうでした。
「待っている時は震えていたのに、上手に弾けたね」と言っていただけたのだそうです。


   


練習は好きではなくても舞台の上でオーケストラをバックにドレスを着て演奏するのは
とても楽しいことのようです。今回も良い想い出になったと思います。
ピアニストを目指すという訳ではなく音楽が好きでこれからの人生を楽しんでくれたらいいなと
思います。
私は娘からメールで送ってもらったビデオを繰り返し繰り返し見ています。

孫の通知表

2019年03月22日 | 
  何年か前の桜



名古屋の桜も22日開花と発表されました。


小学一年生の孫、初めての小学校生活一年間の通知表をいただいたと娘がLineで送ってくれた
通知表の写真とコメントに「うんうん、そう~・・・」と私。
これからまだ先の長い学校生活、元気で一年間通学できたことが何よりだと思えます。


子供たちが小中学生の頃、毎学期通知表を見る度に世の中の一大事なような気がして
一喜一憂していました。若かったと言えばそれまでですが、心に余裕がなかった気がします。
今だったら・・・「たら」はありませんね。


私が子供だった頃は毎学期末、気が重かった。
5歳上の姉、8歳上の兄と比べると私の成績はお粗末で母はいつもがっかりしていました。
特にひどいのが音楽と体育、音痴なのだから歌えないのだし、運動神経が悪いのも仕方がない。
と、私は思っていましたが、この2科目ははクラスメートの前でテストするので恥ずかしいこと
この上なしでした。
大人はテストも通知表もなくていいなぁと思ったものです。でもそれは中学までの事。
私が高校生になると母はすっかり諦めてしまったので、通知表を見せた記憶もなく学期末の
憂鬱もなくなりました。



今はテストや通知表とも無縁ですし、一番お気楽な時代でしょうかねぇ。

ご先祖様をたどれない

2019年03月21日 | 
   ミモザ(ギンヨウアカシア)


毎年、春と秋の彼岸にお寺で法要と法話があります。
今年の副住職さんの法話のなかに「ご先祖様をたどれますか」という話がありました。
家系図を上下逆に置いて一番上の自分から両親、その両親と名前をたどるのです。
膨大な数の人々が繋がって今の自分があることを再認識するものです。

両親の名前は分かります。
母方の祖父母の名前も分かります。曾祖父も分かります。曾祖母は?それ以上は無理。
父は婿養子だったので・・・父方の方はさっぱり知りません。
名前が書けたのはたった5人でした。名もない庶民はこんなものでしょうか。

末っ子の私が生まれた時にはどちらの祖父母も10年以上前に亡くなった後。
写真は全て戦災で焼けてありません。
軸装された肖像画が何点かあるだけなのでそれ以外の方ははどんなお顔の方達だったのかも
分からない。

子供に「自分のお祖父さんやお祖母さんの名前を知らないの?」と言われた事を思い出します。
だって知らないんです。度々あった年季法要の時には長い戒名なので覚えていられないし・・・

昔、アメリカの黒人が祖先をたどる「ルーツ」というドラマがありました。
その時ちょっと私も調べてみようとは思ったのですが、調べたところで「意外に凄~い!」などと
言うことはあるはずもなくそのままになりました。
ほんの数代前のことなのに、ずーっと知らないままで過ぎることになりそうです。




今年のムラサキハナナ

2019年03月19日 | 
  今年のムラサキハナナ


春になるとこぼれた種から芽生えたムラサキハナナが花壇や庭で咲き始めます。
咲き終わったあと枯れた枝を片付けるついでに振り回しておくと種が飛んで
あちこちから芽が出ます。踏まないような場所だけを残して後はまとめて植木鉢へ。

昨年の終り頃花壇の土を起こして腐葉土や鶏糞を入れておきました。
そこに飛んだ種から芽生えた株は今迄の楚々とした姿ではなく株も花もずいぶん逞しい。
花の色も濃くて別物のようです。
庭石の影に芽生えた株はヒョロヒョロして花が咲いても雨でも降れば倒れそう。
この優しい姿がこの花にあっている気がするのですが、本当の姿はどちらでしょうか。

これから5月の中頃まで脇芽が伸びては花をつけてずっと楽しませてくれます。

ムラサキハナナ(オオアラセイトウ、ショカツサイ、ハナダイコンなどとも)


今年は庭のスミレが見当たらない。
春蘭も花は数本だけ。鉢植えのサクランボやクンシランには…つぼみも無し。
冬に雨が少なかったせいか、肥料が足りなかったせいか・・・
ムラサキハナナがあんなに大きくなるのだから他の花もちょっと手をかけて来年は咲いて
もらえるようにがんばろうかな・・・と思っています。



  昨年のムラサキハナナ

オオカンザクラ満開

2019年03月18日 | 風景
藤棚

18日は朝から快晴、風もなく背筋も伸ばしたくなる陽気です。
元気なら電車に乗って出かけて行きたい春の日。
せめてもと自転車で近くの市政資料館へ行きました。

1922年建設の旧名古屋控訴院地方裁判所を利用して名古屋市市政資料館になりました。
煉瓦と鉄筋コンクリートの三階建、重要文化財。とても重厚な建物ですがスケッチするには
根気がいるし難しくて苦手です。桜で隠して少し隅の方だけ描きました。
その建物をスケッチされている男性は「建物を描くのが好き」なのだそうです。
「以前は東京に住んでいたので古い建物が沢山ありましたが名古屋は少ないですね」と。
定年後に始められたというスケッチ、細かく細かく・・・とてもかないません。



  


建物の周囲に植えられた桜は種類が多く3月初めから2ヶ月ほど咲き続けます。
今はオオカンザクラが満開。トウカイザクラはチラホラ。
多くのカメラマンと私も日陰でスケッチ。
しばらくするとお昼休みを楽しむお勤めの方が増えてきたので私は退散です。

今年は花を散らすヒヨドリばかりでメジロが少ない気がしました。
もう少ししたらウグイスの声も聴けるはずです。
こんなお天気の日にまた出かけたいと思います。

お姑さんの命日

2019年03月17日 | 
  マーガレット


昨日はお姑さんが亡くなって47年目の命日でした。
仏壇の供花を春らしいものに変えてお供えは草餅、私が手を合わせただけですませました。
3年後の五十回忌には法要と食事会で皆さんと思い出話でもして、などと思っています。
父も舅も五十回忌は過ぎました。このあと10年の間には母も姑も50年を迎えます。

昔、父がご先祖の五十回忌の法事のとき「子供が親の五十回忌が出来るのはなかなかないでな。
めでたい事だ」と言うのを聞いていました。「親が死んだ後も50年家が続いたと言う事だで、
子供も法事ができるだけの暮らしができとると言う事だ」と。

思えば私の子供は今50歳を超えているので、私の五十回忌の頃は・・・これはもう無理。
特にこうして欲しいと言う訳ではありませんし、どうなっているか今考えても分からない事。

私がお墓を作ろうと言い出した時姑さんは「入るところが決まって安心した」と言われました。
このお墓には戦死されたお舅さんのお骨は入っていませんが、墓石には夫の名前と並んでいます。
私が元気な間はお墓もお掃除してお参りをして、その後のことは・・・子供達に考えてもらいましょう。
とりあえず私はこのお墓に入れていただいて、お姑さんの昔話をちゃんと聞こうと思います。
その昔は私に心の余裕がなくてうわの空で聞いていた気がします。

小柄でおしゃべり好きなおばあちゃんでした。でも亡くなったのは64歳、今から思えばまだ若い。
今は川の向こうで皆さんと博多弁交じりのおしゃべりに花を咲かせておられるのではないかしら。
来週は春のお彼岸、またお墓参りに行ってきます。

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