
義母の好きだったブドウ
2015年の8月は連日の猛暑、夫の入院中も通夜も葬儀も暑かった。あれからずいぶん経ったような、ほんの数年前のことだったような・・・。暑がりで汗かきで、ビールを飲むときの一番幸せそうな顔。夏は高校野球と巨人戦に夢中(地元は中日なのに)。今ではいろいろ思い出しては言いたいことを愚痴っても涙もこぼれず、お供えのスイカもさっさと下げてパクパク食べる。7年の時間は気持ちを落ち着かせてくれました。
もうすぐお盆。13日の夜にははるか十万億土の彼方から帰ってこられるのは「おしょろいさん・お精霊さん」。30歳で戦死された軍服姿の義父、64歳だった小柄な義母、夫は髪も薄くなった77歳とだれが親だか子供だかわからないような3人がそろって・・・などと思いながらお迎えする準備を始めます。
真菰(まこも)で編んだ茣蓙、お供え物を乗せる経木(木の皿)、箸にするおがら(皮をはいだ麻の茎)おがらは迎え火にも使いますが火が付きにくいのが難点。13日夜のお迎え団子から15日夜の送り団子までの間にお供えするものは本当は決まっていますが、わが家は私流。私の実家風と我流と両方混ざったお迎えの仕方ですが、夫の育った九州ではどんなだったのか・・・聞かないままでした。これでバチが当たることも無く過ごしてこられたので、おしょろいさんたちも納得して頂けているのだろうと勝手に思っています。義母さんには「よかたい そいでよかろうもん」て言ってもらえているかな、なんて。

命日10日の朝散歩、公園を行くお二人に、あんな日もあったなと
8/10 5:10

ジョギングする人も多い外周道路 5:38
そういう時期ですよね。
終戦が重なる、厳かな真夏。
ふるさとでは、もう、それこその行事のオンパレードです。
子供は、ヒトが集まるだけで高揚するものですから、
楽しい記憶しかありません。
女系一族でしたから、いっそう華やかだったことも一因でしたね。
昼寝してると、わらわら寄ってきて、
顔やら、性格やらをネタにおしゃべりしてた(笑)。
少年のオーラは大好物♪
目が覚めても起きられず・・。
ずっと平和な国に感謝ですね。
お盆は、故人を偲び我家へお迎えして
送り火で再び冥土へ送る年に一度の行事・・・
ご主人をはじめ故人の想い出が走馬灯のようによみがえるようですね!
ひろさんが、元気に早朝から散策して
好きなスケッチで過ごされる姿に
ご先祖さんも安心しておられることでしょう・・・
いつだって夏は暑いもの。
そうは思っても暑いです!
子供のころ、人が集まるお盆は今よりもっと大きな行事でしたね。
嫁いだ姉や、日ごろ見かけない叔父や叔母がお参りに来たり・・・
チョッとウキウキしてました♪
あるていど歳を取っておしょろいさんになられた方はともかく
出征時の軍服姿が遺影になってはどうにも悲しい事。
・・・平和が続くことを祈っています。
京都のお盆行事のいろいろほどではないのですが、
それなりにお仏壇を整えて、私なりにお迎えし
ゆっくり故人を偲ぶ機会があることはいいことだと思っています。
夫は暑さが嫌いだった人でしたのに・・・。
義父が亡くなったのも7月、中国長江沿いの蒸し暑いところでした。
おせっかいな私が夫にすすめてご両親のお墓を建てて今に至ります。
気持ちが有れば我流でも何でも良いと思いますよ。
母から引き継いで私がやるように成ったら本当に我流でしか無くなるしね。
時代が変わればいろいろ変わっても仕方ないです。
私が元気な間は先祖の供養は私流で、その後は‥‥。
私の気がすむようにしてきたので、後は後の人のよいように
と、子供たちに言ってあります。