折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

鬼は外~・・・

2024年02月03日 | 人形

何年も前の節分に買った豆についていたおまけの面です




2月3日節分には私も豆を撒く・・・夕食前にいつものように「鬼は外~」と小さな声で撒くつもりです。玄関を開けて大きな声ではすぐ前の道を行く人になんか恥ずかしい。続いて裏庭に撒く時も隣のマンションのリビングがすぐそこなので小声です。鬼にだけ聞こえればいい。豆を撒いて追い払いたい鬼とは何かしら。眼には見えない邪悪なもの、疫病はもちろん、私の心に時々顔を出す後ろ向きの考えも追い出して欲しい。そしてすっきりと「福は~うち~~」です。

「ふく」と入力したら「服」と誤変換。そうだっ!2月は冬服のバーゲン真っ盛りのはずだった。コートが大分くたびれて来ているなぁと。欲しがり食べたがり出かけたがりの私、これも心の鬼・・・ではなくて活力の素だと都合よく解釈しています。

お店の宣伝に乗せられていると思うとシャクですが、食べないのも世の中に置いて行かれそうな気もする恵方巻、小さなものをコンビニで買ってお昼に食べます。食べにくいので切ってから。
夕食には鰯を焼いてのっぺい汁と白いご飯。これが子供の頃からの年越しの献立。私が子供の頃、明治生まれの父が「大晦日と節分は、お年越(おとしこし)だでな」と、ちゃぶ台で一合のお酒をちびちび飲みながら小言も含めて色々話してくれたことを思い出します。今になれば100年以上も前、父の育った田舎では鰯や白いご飯が食卓に上るのは数少ない晴れの日だったのだろうと思います。ただ、今では我が家もそれなりに豊かになって大晦日はちょっとご馳走を並べていますから鰯とのっぺい汁だけの夕飯は節分の日だけになりました。食生活が変わってもこんがり焼いた一塩鰯と白いご飯、今も大好きです。

※ わが家の「のっぺ汁」は、椎茸と油揚げと根菜類の澄まし汁。「い」は省略して「のっぺじる」と言ってます。




「柊鰯」庭の柊がまだ小さく枝を切るのも遠慮して形だけのミニ柊鰯に、これから玄関に結びます。



古びてしまったお雛さま

2023年03月03日 | 人形

陶器で手作りのお雛さま(1体10センチほど)


娘が嫁ぐときに置いて行ったままのお雛様、今では七段飾りを組んだり並べたりする元気はないのでお内裏様だけを2月の半ばに飾ります。お供は縫いぐるみの猫にピーターラビットにペンギンたち。それだけでも赤い敷物と金屏風で部屋が明るくなります。その一番正面に置くのは私のお雛さま。私が小学生の時に日曜学校の皆勤賞でいただいたものなのでもう70年、長い間には雑に扱った時期もあってすっかり古びていますが今では私の宝物。それなのにそれほど大切には思わなかった昔、取れてしまった橘をチョーク代わりにコンクリートでお絵かきしてしまいました。気が付いた時には橘の形も無くなっていて、それからは見るたびに悲しくて、ずいぶんたってから粘土で作って並べました。今思えばもう少し丁寧に作ればよかったとも思います。いろいろあっても70年過ぎたお雛様、今年も一緒に過ごせました。
これから草餅に桜餅を買って夜にはちらし寿司・・・ひな祭りです♪


汚れてしまったけれど・・・塗りなおさずに昔のままで
4日にはクルリと菱餅の中に納まってまた来年






鉢植えの小さな小さなサクランボがひな祭りに合わせて午後には開きそうです
実はついても数個、収穫はヒヨドリと競争


おひなさま

2022年03月02日 | 人形


おひなさま
(手作り木目込み 高 6センチくらい)



パソコンから離れてブログもお休みが続きました。
いつの間にか空気が暖かくなり春に一歩踏み出したようです。
気持ちも明るくなる春、ブログ再開しようと思います。
これからも休み休みになると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。






おひなさま(素焼き? 高 5センチくらい)



弥生三月雛祭り。
絵に描いた小さなお雛さまは知人から見せていただいたもの。家に飾ったのは嫁いだ娘が置いて行ったお雛様、もともとの段々飾りはやめてお内裏様だけ出して、お供はピーターラビットや猫の縫いぐるみたち。簡単な飾りだけでも金色の屏風に紅い敷物とで部屋がとても華やぎます。お供えは菓子と草餅と桜餅、いただくのは私です。





今年も豆まき

2022年02月03日 | 人形



豆についてきたオモチャのお面




今日は節分、忘れずに豆を撒きます。「鬼は外」は勢いよく、家の中へは後片付けを考えて気持ちだけパラパラ撒いておしまい。怖い鬼がいなくなれば良いのです。
整形外科に行った時、理学療法士の若い方が「豆まきしますか?」と。「しますよ」と私。「歳の数だけ食べるんですよね」と言われて「そうね・・・」と言いながら、この頃数えて食べたことは無いなと思っていました。で、改めて歳の数だけ数えてみたら小さな升に山盛りになりました。結構な量ですが、まだ歯もお腹も大丈夫。食べられるのは幸せです。



歳の数だけミニ升に入れてみました


NHKで京都の旧家の行事を紹介していた中に「ごもっとも ごもっとも」と言いながら家の中を廻る節分の行事がありました。今年も「ごもっとも ごもっとも」続いているのでしょうね。
※ 昨年2月2日の節分記事をここに貼りつけたかったのですが、失敗!
  まだまだできないことが多くて・・・

小さなお雛さま

2021年02月24日 | 人形


私のお雛様
小さなお雛様をハガキサイズに描いたら、ますます小さくなりました



もうすぐ雛祭り、だからといって特別なことは何もせず、娘のお内裏様だけを飾ります。「飾る時は早く出し、お節句が過ぎたら早く片付けないと娘が片付かないよ」などと言われていました。その昔、娘は片づけるものでした。急いで片付けたおかげか娘はさっさと嫁に行き、わが家に残されたお雛様。もう段飾りを出す元気は無いので長いこと内裏様だけのお出ましです。雪洞も桜橘さえ仕舞ったままになりました。
はがれかけた所はボンドで修理して、よく見ればお雛様のお顔の少し煤けた感じも娘の歳を思えば頷けます。


スケッチした菱餅に乗ったお雛様は、屏風までの高さが11㎝、横幅は16㎝と小さくて蓋を返せばそのまま菱餅の中に納まります。
昭和20年代終わり頃、日曜学校の皆勤賞として賞状と一緒に頂いたものです。戦災で全て焼けてしまい何もなかった私に初めてのお雛様でした。玄関に大事に飾っていました。それなのに何年か過ぎた時、橘がとれて転がったのを使ってコンクリートにこすりつけて絵を描いてしまったのです。すり減った橘を見てからやっと取り返しがつかない事をしたととても後悔したことを覚えています。それからずっと橘が無いままのお雛様。今頃になって粘土で作ってみる気になりました。どうせならもう少し丁寧に作ればよかったと思いますが、70年近くたって菱餅の上に揃ったお雛様は、色は褪せていても昔のままのいいお顔です。

この他にも小学生の時に自分で作った姉様人形のようなお雛様があったのですが、いつの間にか無くなって・・・
戦災の焼け跡から掘り出した着物の焼け焦げた所を切り捨てて、紅絹裏を姫様用に、地味な柄は殿様用とそれなりに工夫して、飾っていたら近所の方に褒めてもらえて嬉しかった・・・おぼろな記憶です。
焼けて水をかぶった着物の燃え残りを捨てきれずにいた母、チョキチョキと楽しそうな私、見ていた母親はどんな気持ちだったろうかと今頃になって思います。
その母が私の娘に買ってくれたお雛様、今年も飾ることが出来ました。




娘のお雛様と私のお雛様

私のクリスマスツリー

2019年12月24日 | 人形



24日はクリスマスイブ、といっても特に予定なし。
日曜日に孫とクリスマス会はしてしまったし、ケーキも食べたし、キリスト教徒ではないし。


子供の頃は職人の家だったので納期に追われる12月は31日夕方まで大忙し。
クリスマスなんて言ったら叱られます。家業の戦力にはならない私は邪魔にならない庭の掃除かひとり遊びくらいしか仕方なかった。


昭和20年代中頃の事、マキの木の枝を切ってもらい、父の煙草の銀紙をためて飾りを作り、木綿糸でくくりつけ綿をのせて一人でクリスマスツリーを作りました。
通った幼稚園はカトリックでしたし小学校に入ってからは近くの教会の日曜学校に行くこともあったのでクリスマスツリーがどんな形かは知っていました。自分では良くできたと思って花瓶に入れて玄関に置きました。ここならだれかが見てくれると思った気がします。
そしてそのあと「末の子が作ってなぁ~」と父が来客に話しているのが聞こえて、とてもうれしかったことを覚えています。銀紙細工がいっそうキラキラ光った思い出のツリーです。







今では、棚にクリスマスグッズを並べ夜はグラスに赤ワイン♪
ひとり遊びを楽しんでいます。







※ コメント欄 年末お休み中です(^-^)

100均・クリスマス小物たち

2019年12月12日 | 人形

    


11月に入ると100円ショップにクリスマスグッズが並びます。
私がよく利用する「ダイソー」では100円ばかりではなく200円、300円の商品が増えました。
その分可愛いいものや手の込んだものがあるのでつい買ってしまいます。

絵のモデルにといくつか買っては年々増えてゆきます。
蝋燭のサンタやスノーマン、空っぽの長靴はは100円、電池を入れれば灯りが点滅する汽車やツリーは200円。どれも中国製。近くに並んでいる100円の注連縄も中国製で、どう見ても100円には見えません。欲しいものを気軽に籠に入れれば支払う時に千円近くなって「アラ、マァ」と。ここで実感するのは消費税が10%になったこと。

昨日は絵の仲間と好きな組み合わせで並べては描きました。
堅苦しく写生などとは言わずに楽しいクリスマス気分になれれば上等の時間です。







子供も巣立ってシニアさんだけだったり、独り暮らしの部屋に自作の可愛いサンタの絵で少しは暖かい空間ができるのではと思います。
我が家の棚にもいくつものサンタやスノーマンとトナカイが並んでそこだけクリスマス。
奥の部屋には仏壇を祀り、神社のお札も貼る。何でも広く受け入れる日本っていいなと思います。





お酒が飲めたら・・・

2019年12月09日 | 人形




寒くなると「熱燗!」と言っていた夫、夏は「ビール!」暑い、寒い、嬉しい、悔しいと何でも
理由になって毎日幸せそうに飲んでいました。
「酒が飲めんようになったら終わりだな」なんて冗談のように言ってましたが「ちょっと今日は止めとく」と言い出してから50日でしたから、自分でも何か感じるところがあったようでした。
今思えば50日前まで晩酌を楽しめたのだから幸せだったと思います。


あれから4年、台所の棚に残ったお酒のうち日本酒やブランデーは料理に使ってしまい、梅酒はもらわれて行き残ったのは焼酎とウイスキー。私は晩酌に付き合っていた頃にもコップ1杯か2杯のビールが精いっぱい。その後は眠れなかった頃に赤ワインをちょっぴり舐めたくらいでいつもはアルコール無しの食事です。

ブロ友さんの記事に熟した柿にウイスキーを垂らすと美味しいという記事がありました。
棚の奥には瓶に三分の一ほどウイスキーが残っています。ほこりを拭って蓋を取ると4年ぶりに空気に触れてパッと飛び出してきた何とも豊かな薫り。柔らかくなってしまった柿にちょっぴり垂らしてみると「美味しい~」普通の柿なのに高級フルーツのようで、お皿に垂れた汁までなめたくなるほどでした。また柿を買ってこようと思っています。

私の実家は母以外は揃って呑み助、親戚も同じで集まりがあればたらふく飲んで酔っ払ってと言うのがお決まりでお酒を飲む人は好きでは有りませんでした。結婚するならお酒を飲まない人と決めていたのに見合いの席で「週に一度くらいの晩酌と付き合い程度」と言う言葉にのせられて結婚。その翌年から年末年始を家で義兄家族と過ごすことになると、年末には1升瓶を10本注文し、正月の4日には7本目の蓋が開いているような飲みっぷり。でもそんなことはそれぞれの家庭の都合もあって10年ほどで終わり。それからは夫の酒と肴の用意をしてなどと今頃になって古い事を思い出しウイスキーを揺らしてはブツブツと。私もお酒を楽しめたらもっとみんなで楽しかっただろうなと残念な気持ちにもなっています。

おだいりさまを飾って

2019年03月03日 | 人形

  立ちびな


2月半ばを過ぎるとおひな様を飾ります。
とても手抜きな飾りつけで赤い風呂敷を敷いたテーブルにお内裏様だけ、お供は縫いぐるみの
動物たちが総出で務めています。

おひな様を早く出さないと娘をお嫁に出せないとか、早く片付けないと娘が片付かないとか、そんな
言い伝えを気にしたのも昔の事。せっかく出したのだから月後れの4月3日までは飾っておこうかしら
とも思います。
娘が置いて行った七段飾りは納戸に入れたまま。
いつかもう一度飾ってみたい気もしますが、それは、いつか、いつか・・・






「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」実感として月日が駆け足で過ぎてまだ余裕があったと思って
いるのにもう3月。ほとんどすることは決まっているので予定を立てて動けば楽々できるはず。
なのにそうはいかないのが私です。

3月に入ると5月の教室展覧会の準備開始。
会場の予約は昨年の6月に済んでいるので、会場の稼働壁の枚数や位置、備品の打ち合わせをすませ、
昨日は案内ハガキの作製と搬入の時のお手伝いも依頼してきました。案内ハガキを飾るのはお洒落れな
絵にしたいと思いながら今回もあまり変わり映えしない絵になりました。進歩がない。
これから2ヶ月の間に出品する絵を選んだり案内状を出したり・・・忘れ物がないかハラハラするのも
頭の体操にいいだろうと思います。
案内ハガキを発注すると一区切り、一区切りのご褒美にイチゴを買ってささやかな幸せ。


  ご褒美のイチゴ

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