食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

堺屋太一氏

2011-07-26 05:48:10 | 日記
 堺屋太一の著書、「 文明を解く Ⅰ、Ⅱ 」をいっきに読み終えた。


 10年前に記述されたものだが、全く色あせていないし、今を鋭く言い当てている。


 そして、いつも圧倒されるのは、氏の膨大な知識量と深い時代洞察力である。


 力説される内容は、知価革命という言葉で表現された産業構造の根本的な改革と、地域主権、である。


 気になったのは、「 日本という国は首都機能が移らない限り、改革は成功したためしがありません 」 という一節。


 堺屋太一氏といえば、橋下大阪府知事の後見人としても有名。


 橋下知事が言う、現在の二重行政を廃止するための大阪都構想も、東京から大阪に遷都するべきという堺屋氏の真意のカモフラージュかもしれない、などと勝手に深読みしながら読ませてもらった。


 実際、10年ほど前の参議院特別委員会で、堺屋氏と石原都知事は、それに関して激論を交わしているようだ。


 そして、地域主権が目指す、道州制。


 今後、自然エネルギーへの移行に際して、地域ごとの自然環境に見合った、いわば地産地消的なシステムを念頭に置くべきではなかろうか。


 今回、福島第一原発で発電された電力は、東北ではなく首都圏の電力管内で使われていた。 


 それにもかかわらず、福島の人々の生活は大きく狂わされた。しかし、それに対して我々首都圏の需要家の意識は低いと感じる。


 特定地域に設置する大規模な集中型のエネルギー生産・供給システムから、地域ごとでまかなう分散型のシステムへの移行。


  過不足が生じた場合は、地域間で補い合う。


 真の地域主権、我々は道州制をめざすべきだ。


 

9時のニュース

2011-07-19 06:14:31 | 日記
 昨晩の、9時のニュースは政局や原発関連など、通常の烈風ふきすさぶ報道から一転して、ひと時の安らぎ、というか小気味よい内容だった。


 なでしこジャパン、 小澤征二氏、


 何度観ても胸の鼓動が高鳴り、頭の芯がビリビリとし、涙がこみ上げてくる。


 累積する疲労により血の気が失せていた我々日本人を、久しぶりに自信過剰にしてくれる快挙だった。 


 女子の向上というような言葉が、常時耳に入るが、、、、、、、、、


 江戸時代、石田梅岩が「心学」で、世界で初めて男女平等教育を教えたように、


 我が国は、ジェンダー先進国だったのだ。


 小澤征二氏の復活。  今、世界の○○と呼称されうるのは小澤氏しかいない。


 無理はなさらぬように。


 10時からの特集「 上を向いて歩こう 」もよかったが、、、、、、、


 55年体制を掘り返し、旧社会党を懐かしむような、最近のNHKに良くみられる懐古趣味的構成だったことは否めない。


  なでしこジャパンおめでとう。  上を向いて歩こう!!!


 

ホリエモン

2011-07-12 05:54:48 | 日記
 数年ぶりに、映画「 タクシードライバー 」を観返した。


 好きな映画はいつ観ても心地よいものだ。


 後半、ロバート・デ・ニーロ演じる主人公が突如、モヒカン姿で現れる有名なシーンがある。


 ふと、3週間ほど前のあの場面がフラッシュバックした。


 どこか不健康そうにふてぶてしいモヒカン姿で、テレビに映し出されたホリエモンの収監中継である。


 粉飾決算をした大企業名が書かれたTシャツ。ご本人も含め、取り巻く方々に悲壮感や後ろめたさは微塵も感じられず、ある種、お祭り状態の中で行われた収監中継。


 ホリエモンに対して、僕は、何の思いいれもないが特に嫌いなわけでもない。


 ただ、引きずりおろされる結果となったが、既成秩序に挑戦し、ある時期、社会に自由な空気を植え込んだという事実は多少なりとも評価したい。


 不況が慢性化し、震災のダメージが色濃くのこるなかで、あの収監中継は、僕の中で空虚な輝きを放っていた。


 

市橋被告

2011-07-05 06:41:22 | 日記
 数年前、入間市図書館で市橋被告らしき人物を目撃し、狭山警察署に通報したことがある。


 今でも、あのがりがりにやせて帽子を深々とかぶった浮浪者風の男は、やはり市橋被告だったような気がする。


 昨日、千葉地裁で、殺人や強姦致死などの罪に問われている無職市橋達也の初公判が開かれた。


 法律のイロハもわからない素人だが、判決は、最高で無期懲役になるような気がする。


 
 素朴な感情は、不謹慎な発言を生み出すが、誤解を恐れずにあえて言うなら、、、、


 ニュースで件の事件に触れるたび、この男のもつ、一種異常な静謐と自己の生に対する執着心が、僕の内に累積してはやがて消え去り、彼に対する憎しみや社会不安のようなものは何故か生まれてこないのである。


 ( ご遺族の感情に関してはあえて触れない )



 僕は死刑存続論者であるがゆえにあえて言う。



 刑罰の目的は、犯罪者をいかに更生させるかということにもある。


 更生という言葉が適当かどうかは別として、市橋被告には、自身の一生を独房の中で犯罪学の勉強・研究にささげていただきたいと思う。


 それが彼に与えられた使命だと感じる。