お寺さんぽ Ver.03

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更新を無期延期します

2011年10月16日 | ネタ
どうも。
こちらのブログ「お寺さんぽ」ですが、更新ストップすることとしました。

開始は2006年でしたか。
毎日更新していたのが週二、週一ペースとなりつつも書いていたものの、最近は日常がさらにまた忙しく。
いっぱい・いっぱいになってしまいました。
まだネタはいっぱいあるんですけどねー。

そう多くはないでしょうけど、見てくれてた方、またコメントいただいていた方、ありがとうございました。
また時間が出来た頃に再開したいと思います。
その頃また宜しくお願い致します。

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金龍寺 (群馬県・太田市)

2011年10月09日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はこないだ紹介した「金山城跡」、そして「太田市立史跡金山城址ガイダンス施設」…へ、行った後にそのまま立ち寄りたい、「新田義貞」ゆかりのお寺「金龍寺」です。
徒歩で「金山城跡」から十分可能な距離だったので、ぜひこちらも攻略しておきましょう。
ひでるさんはガイダンス施設の方に近道(ちょっとね)を聞いていきましたよ。

上州太田七福神では「毘沙門天」、秋の七草寺では「桔梗」が担当というこちら「金龍寺」
正式名称は、「大田山義貞院金龍寺」でした。
「新田義貞」の法名は「金龍寺殿眞山良悟大禅定門」であり、そのお名前にちなんで命名されたことが伺えます。


※駅前の「新田義貞」さまです。

時代は、まだ「後醍醐天皇」がブイブイ言わせていた頃。
元亨元年(1321)
こちらのお寺はもともと、「新田義貞」が精神道場としてお寺を開いていたとも言われております。
確かではなく、そんな感じだったらしいのよ。
南北朝の動乱で敗れた義貞は北陸へ逃れ、延元三年(1338)に越前で戦死してしまうのです。

その菩提を弔うため、新田一族の「岩松満純(いわまつ・みつずみ)」はこの地に諸堂を建立。
応永五年(1398)には、「金龍寺」を開いたのでした。
義貞の開山が真実なら、それを中興したというところでしょう。
そんな祖先思いの岩松氏でしたが、新田荘横瀬郷を本領としていた横瀬氏(※戦国時代には由良氏と改名)に下剋上そのまま取って代わられることとなるのです。

応永二十四年(1417)
新たに金山城主となったのが、岩松氏の重臣だった横瀬氏。
越前から義貞の遺骨をこの境内まで移し、「大見和尚」を招いて開山したのは初代とされる「横瀬貞氏」
(※あまりハッキリしてない様子)
義貞の廟所と定めて、その木像を安置しました。
その後、横瀬氏は主家と対立・圧倒し、実権を握っていくのです。
周辺地域を併合して、自らの勢力を拡大。
その菩提寺となった「金龍寺」も、共に栄えていったのでした。


※五輪塔・供養塔

しかし、「由良(横瀬)国繁」の代に「豊臣秀吉」の小田原征伐が勃発。
国繁は北条氏に加担したものの、祖母、息子は前田勢に参加したため、どうにか滅亡の危機を回避しております。
戦後は上総国牛久へ移封。
それと共に寺・僧なども移り、建物や木像、墓のみが残されたこの地は荒廃してしまうのです。
上野国・館林城主となっていた徳川四天王の一人「榊原康政」はこれを惜しみ、寺領を整備し再興させ、現在に至るのでした。
康政は”田畑八町余りを寄進”したそうですよ。


※看板の七福神です。漫画ちっくなのね。

本堂の裏手には歴代金山城主となった横瀬氏(由良氏)の五輪塔は九基ほど。
また、最上段には寛永十四年(1637)に造立されたという「新田義貞」の供養塔もありました。


[住所]
 金龍寺 群馬県太田市金山町40-1

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  時代背景[   
  「赤坂城籠城戦」[ 
  「天王寺合戦」[
  信濃源氏・村上親子の奮戦[
  「千早城籠城戦」[ 10
  天皇親政[11 12 13 14
  「湊川合戦」[15 16
⇒ 南北朝時代の若き英雄 「北畠顕家」(    
⇒ 父の背中を追う英雄 「楠木正行」(前編 中編 後編
⇒ ”六分の一殿”の名門・山名一族 [   
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[     



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松本城 (長野県・松本市)

2011年10月02日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、新潟からの帰りに立ち寄った、国宝「松本城」です。

そう、帰り道にあったので、ふと軽い気持ちで行ってきました。
さーっと写真撮って、登って見てこよう、みたいな。

なんだか人がいっぱいいたんですよ。
ああ、連休も最終日だからねー。
そんな事を思いつつ、城に至ると…なんとびっくり、人、人、人……
あの「松本城」が、大量の人でずらりと埋め尽くされていたのです。
びっくりしました。
床が抜け落ちてしまいそうです。
最上階まで八十分だってよ
ウソか本当か、そんな噂まで城内にありました。

さすがにそこまでは耐えられず、泣く泣く城外へ。
せめてグッズでも~と、立ち寄ったお土産にて、今回の原因が分かりました。
NHK・連続テレビ小説「おひさま」

こ、これかー!!

確か川越へ行った時も同じ目に遭いましたが、みなさんお好きですね。
最上階はまたの機会にしますよ。


※逆さ「松本城」ですよ。

さて、そんなこんなで国宝「松本城」です。
趣たっぷりな深い濃いめな色彩の五重な城と、たっぷりな堀が素敵なこちら。
文禄二年から三年頃(1593~94)の築城が残っているんだって。

もともとこちらは守護大名である、清和源氏の名門小笠原家のお城でした。
築城はだいたい戦国時代の初期である、永正年間(1504~1520)のこと。
えっと、永正七年(1510)は「織田信秀」とか、「松永久秀」が生まれてますね。
だいたいそうした頃。

松本平の井川あたりに館を構えていた、小笠原氏。
しかし、同族争いは激しく、戦国の世となると、防御に適した林地区へ館を移しました。
この「松本城」は、そちらを守る支城の一つだったのです。
この当時は「深志城」という名称でした。

さて、クーデターによって当主となった甲斐「武田晴信」は、信濃へと侵攻。
こちらの小笠原氏とも激しく争い、当主「小笠原長時」は敗れて逃亡。
付近は、武田氏の治める土地となったのでした。
武田氏は林城を破棄し、この「深志城」を拠点としたようです。

それから、時は天正十年(1582)
この年に、武田家滅亡と共に、京都では「本能寺の変」が勃発しています。
配布しているパンフレットには、再興を目指す「小笠原貞慶(おがさわら・さだよし)」が混乱に乗じて挙兵し、「深志城」を占領した、という雰囲気でしたが。
(※「小笠原長時」の三男です)
実際のところは、織田家に属して武田氏の対策をしていた貞慶が功を認められて与えられた、あるいはその後信濃を占拠した徳川氏によって与えられた、というのが正しいようです。
ともかく、徳川氏の家臣となった貞慶が、城主として返り咲いたのでした。
「松本城」と命名したのも彼でいいのかな。


※裏側はこうした風情になってます。

その後、歴史の主役は「豊臣秀吉」に。
徳川氏が関東へ移封されると、この地は「石川数正」が入っています。
城と城下町の整備ほとんどを行ったのは、数正のようです。
秀吉にそそのかされ、徳川氏より出奔したという経緯もあってか、石落・矢狭間・鉄砲狭間などを無数に備えた、戦闘城という風情になってますね。
大久保長安事件に連座し、数正の子「石川康長」は改易。
その後は戸田氏、松平氏、堀田氏などが藩主となっていったのでした。

城内には展示があり、鉄砲とか城の歴史が見れます。
だいたい城はそうですが、かなり階段が急で段の高さもあったので、お年寄りは特に注意。


[住所]
 松本城 長野県松本市丸の内4-1

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※コレですね。
 いやはや、凄い集客力でした。

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そばソフト (長野県・善光寺)

2011年09月25日 | ネタ
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は長野県は「善光寺」付近にありました、「そばソフト」です。

さすがに有名なお寺さん。
参道にはずらり店がならび、賑わっておりました。
人もいっぱいです。
こっちが商売したくなりますねー。

お約束の雨にもあわず(※次の日にはしっかり振りました)、ギラギラと日の照らす中に食べたいのは…やっぱりアイスですよね。
そんな訳で付近をぐるり見渡してみると、結構あちこちに色々ソフトクリームが販売されているのでした。
さて、どうする??




抹茶とかフルーツ系は特に目新しさなく。
うーん、どうしようかと、迷っていたところでコレを見つけました。


人気一番! そばソフト

なるほど、信州信濃と言えば貴方の傍…でなくて、蕎麦ですもんね。
コレにしましょう。
ざっと見てきましたが、たぶん販売しているのは「菓心美和 善光寺仲見世店」さんだけだと思います
(※菓心美和さん HP




暑さもあってウッカリ現物写真は撮り損ねてしまいましたが…きました。
店員さんのお話だと、そばの実が入っているんだとか。

なるほど、その風味が…なんとなく。
ぶっちゃけ、はじめに言われてたから、かもしれませんが。
うん、どことなく蕎麦味、かな。
甘さは控え目で後味にも優れ、美味いです
暑さでとろとろ溶け、食べるになかなか大変でしたが、オススメ。




【おすすめ★メーター】 『 そばソフト 』
■■■■■ 5Point …あっさりしていておいしいです。

いかがでしょう?
当日は店頭で食べていたので、にわか宣伝ボーイと化していました。
数名御案内できた(本当)ので、そこそこの効果があったかと。




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※そんなこんなで、蕎麦です。
 DVDなんてあるんですね。
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海津城(松代城)跡 (長野)

2011年09月18日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は信濃の重要拠点として有名な「海津城(松代城)跡 (長野)」です。

行ってきました、川中島。
関ヶ原と並び、戦国ファンならば一度は訪れたい場所ですよね。
こちらへは車で行ってきましたが、道路看板に”川中島古戦場”とか見えただけで…自然とテンションが上がります。
付近のメインは八幡原史跡公園ですが、とりあえずは「海津城址」から。


※見下ろした城内の風景 こぢんまりとした風情

「海津城」が文献に確認できるようになるのは、なんと永禄三年(1560)のことでした。
意外でしたが、結構こっち側なんですねー。
永禄三年は、ゲーム「信長の野望」でもよく開始年になっている、戦国時代の節目ともいうべき年。
三大奇襲戦でもダントツに有名な「桶狭間合戦」、そして「長宗我部元親」の初陣である「長浜合戦」がズバリそちらです。
ちなみに、どちらも5月頃のことでした。

後継者となった甲斐「武田晴信」は、信濃へと侵攻。
北信濃を追われた諸将らに助けを求められたことで、越後「上杉謙信」は武田勢に決戦を挑むこととなったのです。
戦国を代表する両雄が衝突する場所こそが、古来から交通の要衝だった川中島。
そして、付近に位置していた海津城は、北信濃の制圧(統治)・防衛のため、大変に重要な拠点となったのでした。

「川中島合戦」では、しばしば名前が登場しています。
その関係もあって有名なこちらですが、実際の築城年は不明とのこと。
よく分かっていないそうです。
機能・役割から、合戦の前後にはおそらく存在していたと思われるので…第一次合戦の天文二十二年(1553)くらいなのかな。

合戦後も重要な役割であったこちら。
武田氏滅亡後は、その討伐戦や高遠城攻略で活躍していた「森長可(もり・ながよし)」の居城となりました。
付近の四群を合わせて、二十万石だったそうです。
信長死後の混乱期を経て、江戸時代では松代藩。
真田家の居城となったのです。
城名が松代城と変更されたのも、その頃みたい。


※海津城・門 まだキレイです。

国指定の文化財。
城跡は整備され、門や城郭が復元されています。
平成になってからのことらしく、まだ真新しいですね。
本丸内で最も大きさのある太鼓門は、時を告げる太鼓を備えていたことからの命名。
その前には橋が掛かっていたことが判明しており、どちらも復元されていました。
城内は資料館などなく、まだこれからというところでしたが、逆にそんなんが良い風情でした。


[住所]
 海津城(松代城)跡 長野県長野市松代町松代44


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※やっぱりこうも漢字が並ぶとかっちょえーですよね。

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御神山・三輪山 登山について (奈良・大神神社)

2011年09月11日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は…とても”のんびり”とは言っていられない、「三輪山」の登山について、です。


最古の神社という「大神神社(おおみわ・じんじゃ)」
こちらが崇めているのは、なんと「三輪山」と、お山そのものなのでした。
そのために本殿はなく、奥に三ツ鳥居があって、それを通してお山を拝するという原初の信仰形態です。
(※いちおう御祭神は「大物主大神(おおものぬし・のおおかみ)」)
ちなみに三ツ鳥居は勤番所から神主さんを呼び、横から参拝できます。

…でね、その神様そのものな「三輪山」に直接登れるということで、このたび行ってきました。
ぶっちゃけひでるさんは普段座り仕事でスポーツも特にしないため体力はなく、行ったのも真夏の真っ只中であったため…あまり気乗りはしなかったんです。
そのため、事前に色々と調べてみました。
神体山ということで写真・飲食などが禁止されているなど”入山心得十箇条”があり、いまいち期待するような情報は得れませんでした。
そのため、今回のブログでは、実際のところどんなもんか、について書いてみます。
登山できない日付とか、一般的な事柄などについては、他ブログを参照下さい。



※こちらが狭井神社です。

●所要時間について
 ちょうど往復二時間でした。(12:33~14:33 ←マジでぴったり二時間)
 神社左奥の「狭井神社(さい・じんじゃ)」から入ります。
 パンフには二~三時間と書いてありましたが、なるほどそんな感じでしょうか。
 登りでは立ったまま休憩、どっかり座って休憩と、ちらほら休みを挟みつつ、頂上「奥津磐座(おきつ・いわくら)」も数分程度の滞在。
 降りは一度休憩をしただけでした。
 
●装備について
 番号のふられた「三輪山参拝証」のたすきを首にかけて進みます。
 コロコロとした鈴の音が良く、邪魔には感じません。
 また、竹の杖を持っていくよう言われますが、なるほど行き・帰り共にある・ないでは大違い。
 いくつかありましたので、持ちやすいのをチョイスしてください。
 特に降りは足元危険なので、あった方が良いと思います。

 服装はやはり動き易いものがオススメ。
 食べ物はNGですがいちおう飲み物はOKなので、ペットボトルがあるといいでしょう。
 一本だけだとやや少ないかな
 ただ、ガブガブ飲んだとしても、三本は必要ありません。たぶん。
 神社には御神水ありますが、頂上までは何もありませんでした。

 後述しますが木陰多く、帽子は必要ないと思います。
 汗っかきでなくとも、タオルっぽいものはあった方が便利。
 また、ひでるさんはギャッツビーのボディペーパー(ひんやりする濡れティッシュみたいなやつ)とウェアデオドラントスプレー(冷却スプレー)を持って行きましたが、これらがなかなか爽快。
 特にボディペーパーはよく持続し、ちょっとした風も爽やかに感じました。
 オススメ。
 ただ、ゴミはきっちり持ち帰るように
 そのほか、余計な荷物は持っていかない方がいいでしょう。
 神社に無料のコインロッカーがあったので、御利用下さい。


※三輪山・入口 かなりの急坂なので注意。
 
●道について
 木々が高く木陰も多くあり、八月の炎天下でもそう気温は高くありません
 たまに風も吹いていました。(※冬は寒いと思う)
 ただ、道はかなりの急坂で、見上げると進む気がなくなるほど
 まれに進みにくい場所があったものの丸太による階段などで、さして問題ないでしょう。

 狭井神社(80m)
  ↓
  ↓ いきなり結構な急坂。
  ↓ ある程度進むと、なだらかになります。
  ↓
 水呑谷
  ↓ ※そのうち小川が見え、その脇を進みます。
  ↓
 三光の滝・休舎(270m)
  ↓ ※とりあえずここを目指して進むのがいいかと。
  ↓  飲めませんが顔は洗えます。
  ↓   
  ↓ 付近は急坂多く、根もあるので足ひっかけないよう注意。
  ↓ ひでるさんは三回くらいひっかかりました。
  ↓
 中津磐座[なかついわくら](364.5m)
  ↓ ※しめ縄のある岩・木の場所です。
  ↓  アブがぐるぐる飛んでいて威嚇され、休み辛かったです。
  ↓
  ↓ このあたりも急坂です。   
  ↓ たまに分岐がありますが、どちらもそう変化しません。
  ↓ 浮石も注意。たまにカパカパなってるのがありました。
  ↓
 高宮神社(446.7m)
  ↓ ※やや平たくなり、建物が見えれば頂上は間近です。
  ↓
 奥津磐座[おきついわくら](467.1m)
    ※ごつごつとした岩があります。
     奥は行き止まりでしたが、ちらと裏側が見えました。 
 


※杖と御神水 杖は必須です。しっくりくるのを選びましょう。

受付の神主さんに、厳しい調子で説明を受けました。
気が引き締まります。
登山目的、ハイキング目的では困ります、あくまでも参拝目的で登るようにして下さい。
また高さではそれほどでもないですが急坂が続くため、生半可な気持ちでは危険だと思います。
しっかり装備をして進むのがいいかと。



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三輪山と卑弥呼・神武天皇
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忍城・行田市郷土資料館 (埼玉県・行田市)

2011年09月04日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日もこないだ行ってきました、「忍城」と「行田市郷土資料館」です。

そこで一つアドバイスから。
ひでるさんはJR高崎線で行田駅を下車し、”行田市観光案内所”に立ち寄ってから忍城に向かいました。
歩いて十五分程度と聞いていたので、歩いていったんですが…これが、なぜかなかなか着かない。
なんでだろう。
よくよく周辺を確認して驚き。
その時の現在地は吹上駅をさらに越したあたりだったんですが、最寄駅は「行田駅」でなく、秩父線の「行田市駅」だったのです(本当)
行田市駅だと思って歩いていたんですねー。
皆さんは間違えぬよう、くれぐれもご注意。
ちなみに、行田駅からは車でも十五分以上くらいかかりますよー。


さて、そんな訳で現在の「忍城」について。
現在の場所はかつての本丸跡地だそうです。

十五世紀後半あたりに、「成田顕泰」によって築城されたという「忍城(おしじょう)」
天正十八年(1590)の小田原征伐によって開城した後は、「徳川家康」の四男「松平忠吉」が入城。
十万石ほどだったみたい。
その後は「松平信綱」、「阿部忠秋」、そして文政六年(1823)には桑名より奥平松平氏が入り、明治を迎えました。
明治六年には残念ながら取り壊されてしまうのでした。
そんな訳で、現在の忍城址公園と博物館は昭和六十三年(1988)頃にオープンしたもの。
阿部氏の時代に築かれたものを模したそうでした。



まずは「行田市郷土資料館」です。
メインだろう忍城の水攻めを頭に、行田市の歴史について紹介されてます。
古墳とか埴輪もあり、もともとメッカだった足袋製造と、その工程なども詳細に紹介されていました。
外観で特徴的な三階ほどの櫓は、その博物館からの連絡通路を経由して向かいます。
こちらもにも絵や写真などの展示がありました。
上からの眺望は…まぁ、それなり。
やっぱり外から見たほうが楽しいかなー。

資料も多く、外からの城も格好良く、楽しいですね。
くれぐれも下車駅を間違えぬように(笑)


[住所]
 忍城・行田市郷土博物館 埼玉県行田市本丸17-23


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戦国エプロンシリーズ信長の手料理
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コモライフ

※こんなんを発見。
 エプロンにもなってるんですねー。どんな手料理だろ。
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笹団子風味ソフトクリーム (新潟・黒崎パーキングエリア)

2011年08月28日 | ネタ
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本日は、「黒崎サービスエリア」での、「笹団子風味ソフトクリーム」です。

やっぱり旅行へ行ったなら、コレでしょう。
特に今年は色々な要素もあってか、あちこちで目につきました。
本当は真冬に食べるのがネタ的に楽しいんですけどね。

いちおう観光地での、”御当地ソフトクリーム”というのがしばりではあるんですが。
せっかく食べて写真も撮ったので…サービスエリアでのソフトクリームについて簡単に。
こちらでもそのうちやりますが、信濃・川中島経由で、越後まで行ってきました。
モロに「上杉謙信」コースですね。



まず山梨は諏訪。(※↑上の写真はサービスエリアからの諏訪湖です)
諏訪湖サービスエリアでの「ブルベリー・ソフトクリーム」ですね。
これは、もうマズい訳ないという組み合わせですね。
既に巨峰ソフトを食べていますが、だいたいそんなん。
期待通りな甘酸っぱさ。
それもしつこくなく、適度な味わいでした。
果実系は、やっぱりソレが好きな人のがいいかと思いますけどね。



で、今回のメインはこちら、新潟。
黒崎パーキングエリアでの、「笹団子風味ソフトクリーム」です。
”新潟御当地の味”ということで、食べてきました。
期間限定だって。
ただ、何故だか…あんまり大々的にピックアップされてなかったですねー。



そんなんこなで「笹団子風味ソフトクリーム」
明るい薄黄緑な色具合がイイ感じです。
食べてみると…ああ、甘さ控えめで爽やか。
後味が、なるほど笹団子な風情でした。
冗談でなく、団子の緑っぽい感覚がやんわり舌に残ります。
要素となっているのがお菓子でそう個性の強さもないためか、良い組み合わせでした。



【おすすめ★メーター】 『 笹団子風味ソフトクリーム 』
■■■■■ 5Point …どっちかというと大人のがしっくり合うのでは。

いかがでしょう?
たまには車で長距離出掛けるというのも、いいですねー。


[住所]
 黒埼PA(上) 新潟県新潟市西区板井字浦田1807

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守れ忍城・リアルなんちゃら無双 「忍城攻防戦」後編

2011年08月21日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
先週は突然おやすみして、すみませんでした。
本日も、こないだ行ってきた関東七名城の一つ「忍城」の攻防戦について、です。


天正十八年(1590) [小田原征伐]
関白「豊臣秀吉」は、北条・真田の事件を切っ掛けに、北条征伐を決断。
武蔵国忍城へは「石田三成」ら二万三千という軍勢が進軍するのです。
城主「成田氏長」らは小田原城へ入ったため、忍城には残った氏長の正室と城代「成田長親」を中心に、籠城の準備を進めるのでした。


豊臣勢によって忍城が攻囲されたのは、同年の六月頃から。
沼や深田で囲まれた忍城は、”忍の浮き城”と言われる、天然の要害。
(※実際には合戦後に言われたんですけどね)
攻め手となった三成は、ここで水攻めをしております。

彼の失敗として有名で、”戦の才がない”と言われる発端となった、こちらの作戦。
しかし、水攻めを指示したのは秀吉で、実際にそうした文献もしっかり残っています。
周囲に何もない忍城を水没させるのは困難なことで、現地の三成はもともと水攻めに反対でした。
”緒将が(水攻めだと判断し)攻める気がない”と、書き送っています。
落城には、もっと激しい戦術が必要であると考えていたようです。

そうした中、秀吉からは明確に水攻めを指示した書状が届き、また”ともかく水攻めをしろ”という内容の書状もあり、それに従うこととなったのです。
さらに秀吉は”後に視察に行く”ということも書いており、どうやら小田原城包囲と共に、こちらの水攻めをパフォーマンスとして考えていた様子がありました。
上杉隊、前田隊にも、堤の完成を手伝うよう指示を出していますね。

ともかく、こうして丸墓山を本陣とした三成は、城の周囲に堤を築き始めました。
七日から開始し、十三日頃には総延長二十八キロという堤(石田堤)が完成。
さっそく、利根川・荒川の水を引き入れ、城の周囲には順調に水がたまっていたんですが…十八日。
この地方に激しい豪雨があり、あっさり堤は決壊。
溢れた水は逆に豊臣勢を襲い、二百七十名ほどが溺死してしまうこととなるのです。
堤を築く際には周辺の住民を動員しておりますが、成田氏に心を寄せる彼らがひそかに手抜き工事をしていた、とも言われております。

こうして、城周辺はいっそうの沼地と化し、足を取られて城へ近づくことすらできないという有様になってしまったのです。
後に「浅野長政」、「真田昌幸」らが参加した一斉攻撃でも連携の乱れから城兵の反撃を受け、寄せ手は多数の犠牲が出し、撤退するのでした。

この際に、武蔵国忍城主「成田氏長(なりた・うじなが)」の妹、あるいは娘と言われる「甲斐姫」も活躍。
武芸に秀でた彼女は水攻めを逆手に取った戦術を仕掛け、さらに乱戦では自らも敵中に飛び込み、槍を振るって奮戦したと言われております。
反乱者を斬り伏せたという逸話もあり、このお姫様は「巴御前」と違って実際に強かったみたいですよ。



そんなこんなで、元々の城の守備力に、城兵の団結、寄せ手の中途半端さから天候などもあって忍城は落城することなく、七月五日に小田原城が開城した後も抵抗を続けるのでした。
小田原にあった氏長の説得により、ようやく十六日に開城するのです。

戦後、黄金九百枚、武具などを献上し、秀吉に許されることとなった氏長。
なお、この際に「甲斐姫」を側室へ献上したとも、後に武勇を愛でられて側室になったとも言われています。
戦後氏長は弟と共に「蒲生氏郷」に仕え、城代であった長親は忍城へ入った「松平忠吉」に仕えました。

天正十九年(1591)
氏長はこの際に「那須資晴」の旧領である下野国烏山城主となり、三万七千石を得て大名に取り立てられてました。
これは「甲斐姫」が秀吉に懇願して、実現したと伝えられています。
彼女は大坂の陣を生き延び、”駆け込み寺”として知られる東慶寺に入ったのでした。




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守れ忍城・リアルなんちゃら無双 「忍城攻防戦」前編

2011年08月08日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、こないだ行ってきました、関東七名城の一つ「忍城」の攻防戦について、です。

天正十八年(1590) [小田原征伐]
関白「豊臣秀吉」は、北条・真田の事件を切っ掛けに、北条征伐を決断。
東山道、東海道、そして海路から、数十万という大軍勢を小田原へ向かわせたのでした。
小田原城を囲む一方、北条方の支城を次々と攻略していった豊臣勢。
しかし、武蔵国の忍城は頑固に抵抗を続け、容易に落城しなかったのです…。


もともと、付近には忍一族という豪族がおりました。
関東管領・山内上杉氏に仕えていた成田氏はそれを攻め滅ぼし、城を築いたのが始まりとされています。
戦国期、「成田長泰(なりた・ながやす)」は関東管領・山内「上杉憲政」に属していましたが、主家の衰えと共に生き残りを模索。
上杉氏から離れ、当時勢いのあった北条氏、上杉(長尾)氏の間を、いったりきたりすることとなったのです。
天文十五年(1546)の川越夜戦後には、「北条氏康」に包囲され、北条方へ。
後の永禄三年(1560)に小田原へ「上杉謙信」が出陣した際には、そちらに従っております。
しかし、ここでは謙信と対立。
今度は上杉勢から攻囲されることとなるのでした。

永禄九年(1566)
嫡男「成田氏長」が家督を相続。
父・長泰としては、もともと次男である「成田長忠(なりた・おさただ)」に家督を譲ろうとしていたらしく、親子で揉めています。
(※家臣の反対や長忠が譲ったことで結局断念し、長泰は出家)
また、上杉・北条の同盟もあり、最終的には北条方に属することとなったのでした。
こうして、北条氏のもとで勢力を拡大させていた氏長でしたが、「織田信長」の後継者となった「豊臣秀吉」の軍勢が襲ってきたのです。

天正十八年(1590) 
秀吉の大軍が小田原へと迫ると、氏長は弟の長忠と共に五百あまりの兵を率い、小田原城へ入りました。
城主が留守となった忍城。
残ったのは、城代「成田長親(※氏長の従弟)」、そして名将「太田道灌」の曾孫「太田資正」の娘という、氏長の正室でした。

長親ほか主だった武将らを集めた氏長の妻は、
上方勢が来攻したなら、士卒が心を一つにして城を枕に討死するまで
そう言って、守りを固め、籠城の準備を進めるのでした。
成田氏ら守備側は、約二千という兵力。
さらに、農民や僧侶、工商、婦女子らを含めた非戦闘員の約千名ほどが参加しています。

一方、支城の攻略を進めていた豊臣勢。
上野国館林城を攻略(※)した「石田三成」、「大谷吉継」らは、常陸「佐竹義宣」、下野「宇都宮国綱」らと合流し、二万三千という軍勢で武蔵国忍城へ進軍するのでした。
(※こちらは十三日ほどで開城)




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水の城―いまだ落城せず (祥伝社文庫)
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※ドラマチックですよね。
 いろいろと小説などを見つけることができます。
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縁起達磨 (縁起物・仏像)

2011年07月31日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はこないだ行った「少林山達磨寺」が発祥地という「縁起達磨」についてです。

誰もが一度は目にしたことがあるだろう、達磨さまの置きもの。
実在の人物がモデルだってーのは、皆さん知ってますよね。
意外と知られてないかな、どうかな。


中国禅宗の開祖。
もともとはインドの王族です。
後に出家して洛陽に入り、そちらにて禅の思想を広めたのでした。
伝えられるアレコレ伝説はぶっちゃけ怪しいようですが、仏教を信仰する梁・武帝との問答、「嵩山少林寺(すうざん・しょうりんじ)」では壁に向かって九年もの間座禅したとか…ともかく凄い方なのです。

禅宗が日本に伝わったのは室町時代の頃。
「達磨大師」を重要視することから、掛け軸・お札には達磨さまが描かれているのです。
やっぱりイメージ的に座禅らしく、先の「少林山達磨寺」にて「一了居士(いちりょう・こじ)」の彫った「達磨大師」も座禅のポーズでした。

天明二年(1782)
江戸時代中期頃に「天明の大飢饉」が発生しました。
「達磨寺」では”一筆だるま”という、お正月に配布する一筆書きの「達磨大師」のお札があったんですが、九代「東嶽和尚」はその図を手本に立体化。
木型に和紙を張ったそれを救済のため祭で販売したところ、これまたえらく評判が良かったのでした。
作るうち次第に繭の形に似てきて、「繭型だるま」となって農家・商家に広まり…それがだんだん丸くなっていき、現在の形になったのでした。
「達磨大師」の七転八起な不屈の精神も受けたみたい。


※「少林山達磨寺」で買った達磨です。
 大きさ分かるよう、コーヒー缶を置いてみました。

考えてみると。
コトの発端は「一了さん」の夢(※少林山達磨寺の記事参照)なんですが…
私の姿を彫りなさい
そう告げたらしい「達磨大師」さまさまですねー。


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⇒ イケてる仏師「運慶」(※金沢文庫で48年ぶり真作)
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⇒ 踊り念仏「空也上人」(京都・六波羅蜜寺)
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エコソーラーシリーズ 縁起もの ダルマ 学業成就
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タカラトミー

※こんなんもあるんですね。
 ミュージアムには入っていくんでしょうか。
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少林山達磨寺 (群馬県高崎市)

2011年07月24日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はダルマの発祥地として有名な、「少林山達磨寺(しょうりんざん・だるまじ)」です。

縁起モノとして今でもよく使われる、「縁起達磨」発祥のお寺です。
当然のように、お寺でも「縁起達磨」は購入でき、大きいものから小さいものまで様々ありました。
とりあえず、机における程度のものを買ってきましたよー。
なかなかいい風情です。
なんらか願いが叶った際に目を入れるようにしましょうかね。


※絵馬も達磨でした。なかなか可愛いですね。


さて、そんな訳で「達磨寺」です。
HPを見たところ細かく歴史が残っておりましたが、ごく簡単に。
三百年ほど前、とあったので、だいたい江戸時代頃でしょう。

昔、碓氷川のほとりに観音堂がありました。
「行基菩薩(ぎょうき・ぼさつ)」作の、十一面観音だそうです。
延宝年(1673~80)に大きな洪水があり、碓氷川も氾濫したんですが…その後、川の中に何やら光る物を見つけたのでした。
不審に思って引き上げたところ、それは古木だったのです。
なんで光ってたんでしょうね!?

ともかく、それがたいそう良い香りだということで、霊木としてお堂に安置しておいたのです。
古木は香木だったんですよ。

それから時は過ぎて、延宝八年(1680)のこと。
「達磨大師(だるま・たいし)」から夢でお告げを受けた、と「一了居士(いちりょう・こじ)」という行者が訪ねてきました。
お告げの内容から、おそらくは安置した霊木だろう~ということで、彼はそちらに「達磨大師」の像を彫ったのでした。

”ひと彫りするごとに拝礼を三度する”という、一刀三礼(いっとうさんれい)なんて彫り方をしたようです。
それだけ気持ちがこもるということなんですが…時間かかりそうねー。
聞いたところ、「一了さん」はさほど若くないようなので心配。

まぁ、ひでるさんの心配をよそに、無事座禅している「達磨大師」像を完成させ、ここにお祀りしたのでした。
それがなかなか素晴らしい出来栄えだったらしく、
「ウチのお堂にすげぇ達磨大師像があってさぁー」
みたいに村人が言いふらしたことから(たぶん)、たちまち周辺の噂となり、”達磨大師出現の霊地”となっていったのでした。
山号が「少林山」となったのもその頃。

その話題はやがて藩主「酒井忠拳(さかい・ただたか)」の耳に入り、彼はここにお寺を建てることとしたのです。
「水戸光圀(みと・みつくに)」に進言し、僧「天湫(てんしゅう)」が「達磨寺」を開創するのでした。

その観音堂は、創建当時のまま現在も残る最古の建物。
さらに境内には達磨堂という、”ダルマ・ミュージアム”というべき施設もありました。
色々な達磨、そのグッズが集合しているという、注目のスポットです
日本地図と共に全国の達磨が並べられており、その変化を見比べたりもできます。
そう大きな施設でないのは良し悪しかなー。


※達磨堂 だいたいこんな感じのサイズ

年末年始には、階段にずらーっと参拝客が並び、そりゃー大変な賑わいになるんだとか。
入場制限されるんですよ、と運転手さんが教えてくれました。


[住所]
 少林山達磨寺 群馬県高崎市鼻高町296

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ぐれダルマ [ 貯金箱 オブジェ ]
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DETAIL

※こんなんを見つけました。
 ミュージアムには入れるかなぁ。

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「高崎城」と「群馬県立歴史博物館」 (群馬県高崎市)

2011年07月17日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は「高崎城」と「群馬県立歴史博物館」です。

高崎市に行った一番のメインは、「白衣大観音」を見るためでした。
ただ、お城の名前もあったため、どうせならそっちも見たいよねーということで行ってきたのです。

「群馬県立歴史博物館」は美術館などもある、”群馬の森”の施設。
高崎駅からは、バスでだいたい二十分くらいという距離でした。
駅近くに城があるのだし、どうせなら付近に作ればいいと思うんですが…そちら県立で、お城の管理とかは市なのかな。
そういった系統の、ややこしい問題があるのだ、とかタクシーの方が言っておりました。
そんなんかー。
実際、高崎市の本庁舎は高崎城の本丸あたりに位置しているそうです。
どかーんとデカイ、そりゃー立派な建物(地上二十一階なのだとか)で、見た目にも大変感じ悪いですよ。


※群馬県立歴史博物館 …お洒落な建物です

話逸れましたが、「群馬県立歴史博物館」
原始から近代までの歴史展示物があり、入ってすぐは「昭和のくらしコーナー」という、昭和な家庭風景から学校までが再現されています。
狩猟風景ジオラマから埴輪群などがあった後は、注目の中世です。
上野国であった頃の武士団についても資料が色々とあるんですが…「新田義貞」も「長野業正」の支配は刹那的で、争奪戦の中心地みたいな感じだったためか、コレというポイントは弱め。
博物館内の「ミュージアム・ショップ」も残念ながら戦国っぽさありませんでした。
結構期待していたんですけどねー。
ただ、企画展示は「親鸞と妙心寺」ということで、仏像など見れて良かったですが。

ちなみに”群馬の森”は芝生の広がるイイ感じな広場が多く、休日ともあって家族連れでいっぱいでしたよ。


※昭和のくらしコーナー …テレビがいいよね。

続いて駅から歩いて五分くらいの「高崎城」
いきなりなんですが、ぶっちゃけ…コレを目指して訪れるタイプな施設ではありません。

もともと高崎城は、慶長三年(1598)に徳川四天王の一人「井伊直政」によって着手されています。
(※直政が入ったのは、箕輪城です)
交通の要所として重視したんですね。
結局直政は関ヶ原の功によって近江(滋賀)に入ったため、実際に整備・完成をさせたのは三代ほど続いた安藤氏だった様子。
最終的に名は農家に払い下げられ、納屋として利用されていたところ、文化財の指定を受けて復元されたみたい。

現在残っているのは、土塁と水堀、乾櫓に東門がある程度。
櫓に上がることもできず、ざらりと外観を眺めるくらい。
何かのついでに立ち寄るのがイイでしょう。
(※ちなみに、高崎観音は反対側ですが)


※高崎城 …こう見るとかっちょえーですが。

過去には豪族・和田氏が居城とした「和田城」が付近にあったようで、こちらの通称もそのまま「和田城」
それを高崎とした切っ掛けも直政にあるみたい。
箕輪から和田へと移る際、下野から招いていた「白庵和尚」に地名を改めることについて相談したところ、”成功高大”の意味から「高崎」としたのだとか。
ほほー。
調べてみなきゃ分からないものですね。



[住所]
 高崎城 群馬県高崎市高松町
 群馬県立歴史博物館 群馬県高崎市綿貫町992-1

[関連記事] 【歴史・その他】
⇒ 「両・分・朱」の貨幣制度
⇒ 「軍師」について
⇒ 海賊大将・藤原純友「承平・天慶の乱」[   
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超オススメ”天下の霊場”洞窟観音 (群馬県高崎市)

2011年07月10日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は群馬県高崎市のオススメスポット「洞窟観音」です。

高崎市と言えば、やはりすらりと背の高い「白衣大観音」でしょう。
良かったです。
やっぱり大きいってのはいいもんですね。
ただ、実はそちらよりひでるさんに刺さったのは、その前に行った「洞窟観音」でした。


①洞窟内です。入ってすぐはこうした感じ。


正式には「洞窟観音・山徳記念館」ですかね。
「白衣大観音」まで向かう途中、同じ観音山にあるこちらの施設。

ことの起こりは昭和二年のこと。
呉服店の豪商「山田徳蔵」さんは信仰心深く、ある日観音霊場の建設を思い立ちました。
これが三十歳くらいというのだから、凄いですね。
それから私財と情熱を傾け、八十歳で亡くなるまで工事をすすめていたようです。


②洞窟内です。進むとこうした感じになってます。


一人の情熱が作りだした そこは心の深淵。

そんな言葉がパンフレットにありました。
かっちょえーですね。
豪商とか工事という言葉で惑わされますが、当時はまだ土木機械などない時代。
そんな訳で、ツルハシ・スコップを駆使するという、かなり地道で大変な作業だったようです。


③奥へ進むとこうした感じのところもありました。雰囲気たっぷりです。

洞窟内は所々に照明があり、ローソクなどを片手に進むタイプではありません。
あたり見渡せる程度で、基本的には薄暗い感じ。
その中に彫刻された観音像が安置されています。

洞窟内には百体ほどの石仏がおられるんだとか。
一体づつおられるコーナー(全部で三十六体)ほか、最奥の「観音滝」などジオラマっぽく岩の中に安置されているパターンもあり。
ぞくぞくっとするほど、神秘的な雰囲気がありました。

凄いです。

ちょっぴり怖いくらい。
中はヒンヤリと涼しく、特に夏などはいいでしょう。


④石仏群です。かっちょえーですよー。

日本庭園「徳明園」や風俗・風刺原画の「山徳記念館」も付近にあります。
高崎駅からはそこそこあるので、やはりバスかタクシーがオススメ。


[住所]
洞窟観音 群馬県高崎市石原町2857

[関連記事] 【石仏っていいよねー】
⇒ 仏像の種類 (お父さんのための仏像講座) [前編] [後編]
⇒ 石仏っていいね (石仏・入門編)
⇒ 石仏の種類について (石仏・基本編)
⇒ 長安寺・五百羅漢像 (石仏・応用編1)
⇒ 箱根石仏群① (石仏・応用編2)
⇒ 箱根石仏群② (石仏・応用編3)
⇒ 徳明地蔵尊 (石仏・応用編4)
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⇒ 阿弥陀如来 (真正極楽寺)
⇒ 五智如来石像 (葛飾区・真勝院)
⇒ 地蔵菩薩・半跏坐像 清涼寺(京都)
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⇒ 双体道祖神 (京都:道祖神社)
⇒ 岩面大佛 (岩手・達谷窟毘沙門堂)
⇒ オススメ!地下遍照金剛殿 (東京都世田谷区・玉川大師)



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東京地下迷宮の謎 (実録コミック)
秋庭 俊
イースト・プレス

※地下っていいですよね。
 タモリ倶楽部とかでもたまに紹介されてますが、プチ”あなたの知らない世界”みたいな。


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広島城 (広島)

2011年07月03日 | 歴史
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本日は広島県の広島城です。

広島と言えば、やっぱり地元の英雄「毛利元就」でしょう。
ただ、実際に行った感覚では、武田一色だった山梨県と違って毛利・毛利はしておらず、なんとなくがっかり。
あれだけの戦国大名、もう少しそれ押しでもいいのではないかなー、ってのは単に歴史好きな意見ですかね。

そんなこんなで、市内で行き易い「広島城」
こちらを築城したのが、「毛利元就」の孫、「関ヶ原合戦」では西軍の総大将となった「毛利輝元(もうり・てるもと)」でした。
毛利氏の居城と言えば、「吉田郡山城(よしだこおりやまじょう:安芸高田市)」のイメージが強いんですが、”山”の漢字が示すそちらは山間部にあり、いわゆる戦闘城でした。
旅行中、できればそっちにも行きたかったんですが…遠いとのことだったので、諦めました。
歴史ファンの方は、きっちり時間を割り振ったほうがいいかも。
なお、天文十年(1541)では、囲んだ尼子氏の大軍を撃退してたりします。
ただし、豊臣政権下で大坂城などを見学した輝元は、時代の流れを痛感。
政治・経済に適した、新しい城づくりを決意したのです。
これが天正十七年(1589)のこと。


※木の感じがステキです。

祖父元就も注目していたという、瀬戸内海に面した太田川河口の三角州に築城を開始。
元就の四男「穂井田元清(ほいだ・もときよ)」、元就の子という「二宮就辰(にのみや・なりとき)」らが普請奉行として進められ、ある程度完成した二年後に輝元が入城したようです。
なお、当時「五箇(ごか)」「五ヶ村」などと呼ばれていたこの地を「広島」としたのは、この際であったとも言われています。
諸説あるようで、パンフレットによると…
①地形を示した「広い島」という意味。
②毛利氏の祖先「大江広元」、案内役「福島元長」から命名された。
③もともと現地の人が呼んでいた地名。
…など諸説あり、はっきりとしていないのです。

慶長五年(1600)は「関ヶ原合戦」がありました。
前述したそのまま、西軍の総大将となった輝元は改易され、安芸・備後両国四十九万石は「豊臣秀吉」の子飼い「福島正則(ふくしま・まさのり)」に与えられました。
築城を引き継ぎ、外堀・外郭などを進めて広島城を完成させたのは、この正則です。
また、検地を実施したほか、身分制度の確立、街道の整備を進めて城下町を発展させていたんですが…城の普請に関して咎められた彼は、改易されてしまったのでした。


※左から、「石田三成・花押ハンドタオル」、「関ヶ原合戦トランプ」、「もとにゃり絵はがき」

こうして広島城へ入ったのが秀吉股肱の臣「浅野長政」の次男「浅野長晟(あさの・ながあきら)」です。
それから二百五十年ほど、浅野氏がこちらを治めることとなるのです。

廃藩置県以後には陸軍の施設が設けられました。
次第に広島城の建造物はなくなっていきましたが、史跡として評価を受け、天守閣は国宝に指定されています。
しかし、明治七年の出火で本丸、三の丸が焼失し、さらに原爆によって建造物は全て壊滅してしまったのでした。
内部は歴史博物館となっている現在の広島城は、昭和三十三年(1958)の再建なのです。



※もとにゃり…実に良い雰囲気です。


前述したように付近は毛利・毛利しておらず、城内グッズもそんな感じ。
ぶっちゃけ、あまり関係ない武将のがずらりと並んでいました。
そんな中光っていたのが、「もとにゃり絵はがき」
猫キャラをかぶせるのは彦根城からセオリーですが、”三本の矢”と重ねたこちらは震える手、ぽかんとした三匹の猫が良く、可愛らしいものでした。
もっといろいろグッズ化してほしいですね。



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※元就ということで。
 今ではゲームポーチにもなっちゃってます。
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