のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は四天王シリーズ(そんなんない)、妖怪退治で有名な平安期の英雄「源頼光と四天王」についてです。
…どうすか、この方々のこと知ってますか?
なーんて書きだしをすると、ひでるさんはさも詳しく詳しく知っていそうですが、ほぼ知識ありません。
毎度のことながら。
時が戦国なら多少は詳しい(つもり)んですけどねぇ。
さて、なにゆえこんな方々をむりくり題材にしたかというと、彼らを題材にしたゲームとか漫画とかが昔あった訳ですよ。詳しく書きませんが。
それにはー、と関心したひでる青年は、実際はどんなもんかいな?と、ちょっとだけこの方々調べたことがあるんです。
だから多少程度の知識があったりします。
これを読んでいる子を持つ親の皆様。(←またかい、という声も聞こえてきそうですが)
毎回この場を借りて涙ながらに訴えていますが、漫画・ゲームに罪はありません。それどころか、何かを掴む・知る切っ掛けになるかもしれないのです。(…それが良い悪いは別ですけど)子供にはどんどん買い与えましょう!
きっとこんな(↑↓)微妙な大人になるでしょうから。
うふふ…。
と、話戻しまして、源頼光主従の話。
…まあ、ごく簡潔にさらっと書きますんで、軽い気持ちで読んで下さい。
詳しく知りたくなった方は専門サイトへ行くように(笑)
時代はまだ鎌倉よりさらに前、平安時代…。
いわゆる天皇家からの枝分かれとして、源氏や平氏といった武士が出現し、なんとなく定着しかけた頃のこと。
後の「今昔物語」「御伽草子」などの読み物で頻繁に登場することとなる、英雄がおりました。
そのヒーローこそが、魑魅魍魎・妖怪退治の専門家「源頼光と四天王」です。
これが怪獣退治の専門家だとウルトラマンなんですけどね。
と、そんなお伽話はさておき、今回は実際の頼光さまについて。
源頼光(みなもとのよりみつ、あるいは「らいこう」)は清和源氏からの流れ、源満仲の嫡男として生まれます。
幼名は「文殊丸」
ひゃー、賢そうな名前ですね。
ちなみに、彼の弟は藤原道長に仕えて四天王の一角と称された源義信で、孫に八幡太郎で名高い義家と続く源家・武闘派となっていきます。
(※あとでやりますんで、こうご期待!)
さて、この頼光さまは清和源氏の嫡流(三代目)で摂津武士団を引き継ぎ、華々しく戦場へ……赴いたかどうか実際微妙なようです。
なにしろ、弟には武勇に優れる河内源氏の義信や大和源氏の頼親がおりました。
頼光は国司として地方へ赴任もしておりますが、基本的には名ばかりのものが多く、ほとんどはそのまま京都にいたようです。また、彼自身が出張らないといけないような戦もなく、もっぱら摂関藤原道長の腹心として、お家の繁栄に努めたというのが実像みたいですね。
中級貴族というイメージよ。
各所に贈り物をしたりして、官職を得ているなんて記述も残っております。
…と、そんな具合で比較的順当に出世街道を進み、最終的には昇殿を許されるまでに出世してます。
なかなかやりますね。
当時権勢をふるう道長の傍らにあり、「朝家の守護」なーんて呼ばれていました。
どうですか、英雄譚ばかり聞いてた人はなんだかがっかりしたでしょ?
しかし、考えようによっては、鎮守府将軍として遠方に赴く弟らのバックアップを自らの地位(あるいは源家)を上げることによっておこなっていたとも考えられます。(←ひでる案)
ほら、有能な総大将っていうのは、自身はひっそりと目立たずに配下の者たちを華々しく活躍させ、有事の際にひょっこり現われて解決していくみたいなのが理想なんですよ。
戦国時代の「島津義久」みたいな。
実際はどうであったか分かりませんが、そんな風に思いました。考えすぎかな。
そんな彼がなにゆえ源・ゴーストバスターズの頭目とされたのか??
次回「虚像の頼光さま」をご期待下さい。
[関連記事]
⇒ 武家の名門「清和源氏」とは?
[住所] 羅城門跡 南区唐橋羅城門町花園児童 公園内
※今回写真は鬼と対決した「羅城門跡」です。今はこんなんなっちゃった。
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※うふふ…「手天童子」です。
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本日は四天王シリーズ(そんなんない)、妖怪退治で有名な平安期の英雄「源頼光と四天王」についてです。
…どうすか、この方々のこと知ってますか?
なーんて書きだしをすると、ひでるさんはさも詳しく詳しく知っていそうですが、ほぼ知識ありません。
毎度のことながら。
時が戦国なら多少は詳しい(つもり)んですけどねぇ。
さて、なにゆえこんな方々をむりくり題材にしたかというと、彼らを題材にしたゲームとか漫画とかが昔あった訳ですよ。詳しく書きませんが。
それにはー、と関心したひでる青年は、実際はどんなもんかいな?と、ちょっとだけこの方々調べたことがあるんです。
だから多少程度の知識があったりします。
これを読んでいる子を持つ親の皆様。(←またかい、という声も聞こえてきそうですが)
毎回この場を借りて涙ながらに訴えていますが、漫画・ゲームに罪はありません。それどころか、何かを掴む・知る切っ掛けになるかもしれないのです。(…それが良い悪いは別ですけど)子供にはどんどん買い与えましょう!
きっとこんな(↑↓)微妙な大人になるでしょうから。
うふふ…。
と、話戻しまして、源頼光主従の話。
…まあ、ごく簡潔にさらっと書きますんで、軽い気持ちで読んで下さい。
詳しく知りたくなった方は専門サイトへ行くように(笑)
時代はまだ鎌倉よりさらに前、平安時代…。
いわゆる天皇家からの枝分かれとして、源氏や平氏といった武士が出現し、なんとなく定着しかけた頃のこと。
後の「今昔物語」「御伽草子」などの読み物で頻繁に登場することとなる、英雄がおりました。
そのヒーローこそが、魑魅魍魎・妖怪退治の専門家「源頼光と四天王」です。
これが怪獣退治の専門家だとウルトラマンなんですけどね。
と、そんなお伽話はさておき、今回は実際の頼光さまについて。
源頼光(みなもとのよりみつ、あるいは「らいこう」)は清和源氏からの流れ、源満仲の嫡男として生まれます。
幼名は「文殊丸」
ひゃー、賢そうな名前ですね。
ちなみに、彼の弟は藤原道長に仕えて四天王の一角と称された源義信で、孫に八幡太郎で名高い義家と続く源家・武闘派となっていきます。
(※あとでやりますんで、こうご期待!)
さて、この頼光さまは清和源氏の嫡流(三代目)で摂津武士団を引き継ぎ、華々しく戦場へ……赴いたかどうか実際微妙なようです。
なにしろ、弟には武勇に優れる河内源氏の義信や大和源氏の頼親がおりました。
頼光は国司として地方へ赴任もしておりますが、基本的には名ばかりのものが多く、ほとんどはそのまま京都にいたようです。また、彼自身が出張らないといけないような戦もなく、もっぱら摂関藤原道長の腹心として、お家の繁栄に努めたというのが実像みたいですね。
中級貴族というイメージよ。
各所に贈り物をしたりして、官職を得ているなんて記述も残っております。
…と、そんな具合で比較的順当に出世街道を進み、最終的には昇殿を許されるまでに出世してます。
なかなかやりますね。
当時権勢をふるう道長の傍らにあり、「朝家の守護」なーんて呼ばれていました。
どうですか、英雄譚ばかり聞いてた人はなんだかがっかりしたでしょ?
しかし、考えようによっては、鎮守府将軍として遠方に赴く弟らのバックアップを自らの地位(あるいは源家)を上げることによっておこなっていたとも考えられます。(←ひでる案)
ほら、有能な総大将っていうのは、自身はひっそりと目立たずに配下の者たちを華々しく活躍させ、有事の際にひょっこり現われて解決していくみたいなのが理想なんですよ。
戦国時代の「島津義久」みたいな。
実際はどうであったか分かりませんが、そんな風に思いました。考えすぎかな。
そんな彼がなにゆえ源・ゴーストバスターズの頭目とされたのか??
次回「虚像の頼光さま」をご期待下さい。
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※今回写真は鬼と対決した「羅城門跡」です。今はこんなんなっちゃった。
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