響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

ところで日本の「卓上ピアノ」はどうなったのか?

2008-08-19 | ピアノ
実はこの話はもっと前に書き始めていたのだが、おやっ、と思う穴蔵がぼこぼこあって、気になり始めると、やっぱり気にはなる。そうこうしているうちに浜松の──そのためにわざわざ浜松へ行ったわけじゃないんだけれど──城北図書館というたいへんITな図書館へ行ったり、やっぱり地元の図書館へ舞い戻ったりして、すっかりさまよってしまったのであった。

そもそも、卓上ピアノについて書くはずだったのに、日本の卓上ピアノというのは、いったいどう誕生して、どう興隆して、どう消滅したのか、結局今に至るまで当響けブログはとんと解明していない。申し訳ない。

このうち、どう興隆してというところは、いかにも産業史なので、なかなか難関であることが予想される。最も多くの卓上ピアノを生産していたのではないかと思われる名古屋の図書館にも、郷土資料を含めそのものずばりの資料はないそうだ。(と、おおかたはこのように、比較的簡単に引き下がってしまいもしたのである。)

一方消滅のほうは、80年代に東京新聞に記事があり、ということで一応決着しているのだが、これもよくよく考えると、カワイのミニピアノはいったいいつから製造が始まったのだろうという問題がある。(あるいは、卓上ピアノとミニピアノは違いますということなのだろうか?)

というわけでどれも中途半端なんだけど、誕生の話へ移る。

ここでひもとくのはもう一度日本楽器製造(現・ヤマハ株式会社)の社史である。

「大正4年に木琴、卓上ピアノ、卓上オルガンなど玩具用楽器の製造を開始」

おそらく日本で最初に卓上ピアノを作ったのは、河合小市であろう。(偉そーに、ではあるが、それなりにこの話は長い) ちなみに、この河合小市氏とは、日本で初めてピアノのアクションを作り、のちにヤマハを辞し、現・河合楽器製作所の創業者となった人物である。

詳しく言うと、河合小市は、大正3年に「アクション部長」(鍵盤工場部長、みたいなものだろうか)になり、大正4年に「卓上ピアノを考案、開発」し、大正5年の山葉寅楠(ヤマハの創業者)の逝去を機に海外へ視察旅行へ出かけたらしい。従って、小市さんが1872年に誕生したSchoenhut社のトイピアノを現地で見聞したとすれば、彼自身が開発した後である。──だが卓上ピアノはほんとうに河合小市が、アメリカのトイピアノとは別に、発明したのだろうか?

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