最近学生さんと話す機会があって、それはそれでたいへん貴重な体験でもあって、なるほどなあと思ったことのひとつが、○○がわからない、ということを気軽に言うことだった。
ふりかえるに、私は学生時代は「社会学」というものを専攻していたのだが、たとえばその「社会学」というものが「わからない」とすれば
ググれば?
wikiを見てみれば?
と思うわけなのだが、まあそりゃそうですよね、と言うとは思うが、まあ要するに、そうはしないというわけだ。
私が学生の時は図書館はまだ紙の図書カードで、「社会学」というぐらいに基本的な事項──つまりテーマとして細かくないわけですよね、もう大学内で「学部」というものを成すぐらいに大きいカテゴリーであるわけなのだから──の場合は、図書カードでひいて、主な社会科学系・学術系の出版社の目録を取り寄せてひいて、何を読めばどこに書いてあるぐらいのことはつきとめることができたし、そうしてもいた。……その中から何冊を読むかどうかはべつとして、なんだけれども、でもそうすることによって、知ろうとすれば、どこまで知ることが出来るか、を俯瞰するところまでは行けたわけだ。
今や、である。
ウィキペディアで概要を読むこともできれば、関連書籍の一覧を出すこともできれば、一部を読むこともできれば、最寄りの図書館に書籍を配車ならぬ「配本(?)」することもできれば──それらがほとんどすべてタダで、しかも簡単に、短時間にできる。
すばらしい。
と、私たちの世代は思うかもしれないが、最初からある世代は思わないのかもしれない。要するに調べられるかどうか、というのはたいして問題じゃないのだ、ということを私は知ったのだった。そうなのだ、調べようと思うか、知ろうと思うか、がすべてなのだ。
ウェブというのは、私たち自身を知る機会でもある。