響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

ヒビキ、原朋直レッスンの外で自主練

2008-01-31 | ドラム・パーカッション

仕事で実家に泊まっていて寒い思いをしているバカ親父である。
先日ヤマハ銀座アネックスに月に一度のジャズトランペットのレッスンに行ったとき、響を連れて行った。
というのも妻の機嫌が非常に悪く連れて行って面倒を見ろということだった。
ただ、こちらにも勝算があって、あそこには自由に叩けるサイレントドラムがある。
あれさえあれば一時間ぐらいは平気で叩きまくっているのは楽器屋で実証済み。
俺がレッスン室に入っている間(一時間強)ぐらいは、叩いているだろうと踏んだのだ。

そしてレッスンが始まり、響をおいて教室に入る、ちょうどそのドラムが教室のガラス越しに見えたのだが、ま、見事に叩いてましたね。30分ぐらいしたところで、自主的に休みを入れてその間はお気に入りのマンガ「ドラえもん」を読んだりして、あ、さすがに飽きたかと思ったら、またその後も叩いて正味ホントに一時間、サイレントドラムを叩いていた。
レッスンが終わって教室から出てきたら、今度はヘッドフォンを差し出して聴けと言う。サイレントドラムの音源には大抵練習用のバッキングミュージックが入っていて、ドラムのカラオケのような状況になる、これを片っ端から叩いてみせるのだった。

子どもは好奇心の塊であって、すぐに何にでも興味を持つのが特徴だが、飽きやすいのも特徴で、気が多い。しかし、小学校一年生で飽きることなく一時間以上ドラムを叩く、というのは、かなり自分に適性があると自覚している証拠だろうなー。いきなり最終楽器に出逢ったのだろうか。きっとドラムとは長いつきあいになるぞ、響。奥深いぞーたぶん。楽しみだね。

*親バカ父のブログ*
[ほぼ週刊イケヤ新聞・編集長日記ブログ]

シンコペーションの先にあるもの

2008-01-30 | ドラム・パーカッション
親バカ父である。
昨日の続き、シンコペについて。
シンコペーションは、リズムに緊張と弛緩をもたらすのであって、とても気持ちいわけです。

なぜなら突っ込んだ(食った)あとには通常のアクセントがあって安心できる。「ここはどこ? わたしはだれ?」から、だから落ち着いた場所に帰ってくる。それがわかれば、食いも怖くない。絶対安全剃刀、安全ジェットコースターですわ。

が、以前、ジョアン・ジルベルトを国際フォーラムで見た時のこと。あまりに繊細で美しい声とギターに心の底から感動したが、その時ジョアンは時折、歌でシンコペートしていた、(これはシンコペートではなく、なんとか、という名前があるのだが)どうしたのかというと、歌が八部食いになったとき、そのままそのフレーズのすべてのメロディが八分ずつ前にずれている、つまりうたそのものが伴奏の八分前につっこんだまま進んでいく唄法には驚いた。

これがどういう効果を出すかというと、慣れ親しんだメロディと和声の再構築であって、あれよあれよと知らない道をひた走ることになる。まさにジェットコースターだ。
あれはすごかった。



シンコペーションのかなたにはジョアンの境地があるぞ、響。
育ちのいい、かっこいいシンコペーションをめざしてくれ。

*親バカ父のブログ*
[ほぼ週刊イケヤ新聞・編集長日記ブログ]

響け、シンコペーション

2008-01-28 | ドラム・パーカッション
親バカ父です。
響のドラムレッスンに、できる限り一緒に行ってるんですが
ここのところ忙しくて、先週のレッスンが、バカ父にとっては今年初めてのレッスンでした。



いま、響がやっているのはシンコペーションで、
小節線をまたいで突っ込む、バンド屋的に言うと八分で食う、というヤツです。

これはリズムに疾走感を与えるんですが、メトロノームのように正確に食えばいいというものではない。もし正確に食っていると、これは詰まんないし、疾走しないです。
勢いあまって食ったって感じが重要で、その度合いは、極端にいえばその人の人柄である。
たとえば、おっとりしてるやつは遅れ気味に食うでしょうし、
攻撃的なやつは、やや早いタイミングで食うでしょう。

音量、タイミングそのいずれもが、シンコペーションの肝であって、
これがさ、響は、いいんだな思い切り良くて。
シンバルをたたいて振りぬくスティックの軌跡がいいよ。
こういうのは、教えられるものじゃないよな、もともと持っている人柄だと思う。



あまり激走しすぎずに、じっくり腰を据えつつ、しなやかに突っ込む、
粋で優しいバカでいてほしいと思う今日このごろの、バカ親父でした。

*親バカ父のブログ*
[ほぼ週刊イケヤ新聞・編集長日記ブログ]

ヒビキのいないお正月。4

2008-01-25 | コレクション


病院の入口に、門松を飾っているのが見える。結局、主治医は年内退院をしぶしぶ許可してくれ、このために一気に酸素流量が減らされることになった。まるでここで逆戻りしては元も子もない、という主治医の意志そのもののように、看護婦さんが入れ替わり立ち替わり酸素濃度を調べにやって来た。

「お薬、間違えちゃったんですって?」と、酸素濃度を測りながら、看護婦さんが言う。この病院は情報の共有化に努めているのだ。看護婦さんは大きく息を吸う真似をして「こうすると値が上がりますよ」と教えてくれる。そこで私は自分の呼吸の音を聴きながら、おそるおそる深呼吸をしてみる。

そういえばすっかり忘れていたけれど、大晦日にあられが降った。私のいた病室はついにほかに誰もいなくなり、夫が持ってきてくれたペンで年賀状を書いていると、ばちばちと派手な音がして、何か降ってきたのである。窓を薄く開けると、なかなか大きな氷あられが、窓のさんでかちかちと音を鳴らしながら飛び込んできた。アスファルト一面にあられが撥ね、青や黄色のビニールの傘を差した小学生たちや傘を持たない大人たちが、蜘蛛の子を散らしたようになっている。建物の外はしばらく騒然としていたが、あっと言う間に、あられはやんでいった。

いつでも酸素吸入ができるようになっている病棟のベッドの上には、乾かそうと広げた年賀状の宛名が、徐々に面積を占めていった。すると少しは外の世界が現実味を帯びてきて、確かに、あんなに冷たいものに降られたらひとたまりもないだろうと思う。要するに、そういうタイプの無理はできないということだ。でも──もちろん考え方によってはということだけれど──逆のことだって言えなくもない。たとえば、そんなふうに可能性がひとつ消えたおかげで、残りものに福があるのだというふうに。

お正月は富士山、うぐいす、と縁起のよいものを2つも見て、なかなか気分がよかった。年々、出した数に比べるとだいぶ薄い年賀状の束を読み、2、3枚、意外な便りの返事を書いて近くのポストへ出しに行く。その程度なら用は足りる。まあ、さしずめそのくらいのことならば、である。

雲を見ながら、部屋の模様替えをしようと思った。

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ヒビキのいないお正月。3

2008-01-24 | コレクション
ところで現実の主治医は、私が書くことで印象づけている人物とは、実はだいぶ異なる。この話はフィクションというわけではないけれども、何かについて書くということは、もちろんその何かとまったく同じということはあり得ない。本当の先生が出てきて、文章の中でいきいきと動いてくれればいいのかもしれないけれど、この話を書くうえで、先生のその実際の姿は必要ないと私は考えたわけだ。ただ、もし同一あるいは同一に近い部分があるとしたら、医師としての芯のようなものだと思う。それ以外は省いてしまったから、申し訳ないけれど、豊かで魅力的な部分はぜんぜん描かれていない。

それにどのみち、医師としての部分にしたところで、私が思うことは、彼女──そう、主治医は実は女性なのだ──が考えていることとぜんぜんイコールではない。イコールどころか、医師は病状への専門的な理解を基に、重要であるものとそうでないものを選り分け、次の手を決め、指令を出し、ついでに患者やスタッフのエラーとそのリカバーにまで責任を負っている。私は頼んでレントゲンの写真を見せてもらう。だが、それを見たところでいったい何がわかるだろう。厳密に言えば、どれほど悪い状態になっていたかを私が知ることはないし、わかることもないのだ。

「振り返ってみると、具合が悪かったという人が多いんです」
と彼女は言った。さしずめそんなところだった。今思えば完全に間違っているとわかるが、まだ悪い状態にいるときはそれほど悪くはないと思っている。そして悪い状態から脱して始めて、あの時はひどかったと感じ始める。

つまり、悪いものは悪い。そして、至言は耳にさからう。

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ヒビキのいないお正月。2

2008-01-23 | コレクション


入院中はどこへ行くにもカートに載ったボンベを引き、チューブで鼻から酸素を入れていたが、それをもぎ取るようにして退院してきてしまったので、何事も石橋を叩いてからと心がけている。疲れる午後の時間にはおとなしくベッドに横になってうとうととしていると、金色に見える元旦の雲が西から東へゆっくりと流れていく。

それにヒビキがいないと、部屋の中に、およそ音というものがなかった。まるで自分だけまだ酸素のチューブをつけていて、真空のカプセルの中にいるみたいだった。

「とっても悪い状態になっていたんですよ」
と、主治医は強調したものだ。にもかかわらず、私は自分で勝手に薬を調節したりして無理し続けることで、測ればあちこち正常ではない状態へ進んでいってしまったらしい。自分で悪いと認めていなかったこともまたよくない点だった。さらにまずいことに──これは断じてわざとじゃないのだけれど──私は入院中、最も大事な薬を誤って2度飲んでしまうという失敗をやってしまった。騒ぎを聞いてやってきた主治医は悪夢を振り払うように、音のないため息をついた。

そういうわけで言い訳のできる筋ではないのだけれど、そんなに具合が悪かったかなあという気は実はあんまり去らなかった。転ばぬ先の杖とは言うが、羹に懲りて膾を吹くということもある。産むが易しで体を動かしてみることで、調子が戻ることだってないでもないのだ。それによくよく考えてみると、自分の状態をさほど憶えているわけでもなく、それこそが最大の理由かもしれなかった。しかし検査の結果が次々とあがってくるにつれ、主治医はそれらをくっきりとした線で結び、進むべき方向を示した。まさに闇夜の月だ。

自宅で新年を迎えようと一時退院する人も多く、病院は次第にがらんとしていった。そういうと看護婦さんが「急患がくれば、またすぐ忙しくなります」と言う。筋道に無駄があると、助かる命が助からないということもあるだろう。ここが真空カプセルなら、病院は文字通り不夜城だった。医師たちは患者たちが身に帯びている危険な可能性をひとつひとつ、ものすごいスピードで潰しているのだった。

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ヒビキのいないお正月。1

2008-01-22 | コレクション
暮れも押し迫った12月31日、自分にしては珍しいことに、新しい年にかからないようにと縁起を担いで、無理に退院してしまった。ヒビキが大喜びで祖父母の家へ泊まりに出かけてしまったあと、夫も帰省して、私は病院からがらんとした家へ帰ってきた。喉元過ぎれば熱さ忘れるに違いないと、自分自身でさえ思ったけれども、誰もいないのだから無理するようなことも特にない。入院していた時と同じ10時に就寝し、目覚めると年が明けていた。

「がんばりすぎだったんですよ」
と主治医が言う根拠は、血中酸素濃度というものの数値が、私の場合95%しかなかったことによる。
「平常値は98%ぐらい。95ではふつう歩けません」
本来は歩けないものを、体というのはだんだん自分を馴らしてしまい、できることにしてしまうのだそうだ。確かに、かなりゆっくりした速さでしか歩けなくはなっていた。それで暮れの26日に、診察を受けたその場で、入院するよう言われたのだ。

よく「入院を勧められた」という表現があるけれども、そういうよりは「血中酸素濃度が95で、好酸球が33ですから入院です」という、かなりはっきりしたものだった。なにか都合の悪いことはないかとも訊かれなかったように思う。だから、きっとそれらの数値が彼らのガイドラインにとって、すなわち入院を意味するものなのだろうと私は思った。今にして思えば、──つまり、それは酸素が十分でなかったせいだと思うのだけれど──自分にはさして都合が悪いこともない、とさえ漠然と考えていた。

そもそも12月にはいってからというもの咳が続き、夜は夜で、体を起こした状態にしておかないと咳を収めることができない。そのうえ熱も39度を超えるようになり、持っていた薬を増やしたりもしたが、次第に策が尽きてきた。しかたがないので7日に病院へ行ったのだがあまりに混んでいたのであきらめ、23日に応急外来で診てもらって、その時の医師が後日の予約をとってくれた。

もちろん、その診察でまさか入院と言われるとは思わなかった。

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ヒビキのクリスマス。6

2008-01-21 | コレクション
そこで私は、改めて目の前のサンタさんを見た。こちらのサンタクロースの服は厚いウールでできていて、どっしりとした風合いのフェルトのようになっている。しかも使い込まれたものらしく、ところどころてかって、多少の雪なら弾き返しそうな頑強さを備えている。ボタンの部分には白い大きなふさがついていて、風の侵入を防ぐようになっており、革のウェストベルトは胴体にぴったりと合って、具合よく腰を支えていた。もちろん私だって絵本でしか見たことはないけれど、これは本物のサンタさんに違いなかった。

「それです、ヒビキがお願いしていたのは」
と、私は、本物のサンタクロースに言った。
「サンタさんも大変ですね、今日はお忙しくって」
サンタさんは描いたように赤い頬をうごめかして、いかにもというしたり顔をした。
「ほう、ほう、ほう」

サンタさんは右手を上げてさよならの仕草をし、底の厚いゴアテックスの踵を返して、マンションのエレベータのほうへ去っていった。通路から正面に見える向かいの棟を見上げると、驚いたことに屋上に人影がある。なんと別のサンタさんが、マンションの屋上に煙突のように立っている共有排気口をのぞき込んでいるのだった。階下から立ち昇るように、クリスマス・キャロルの「もろびとこぞりて」が響いていた。

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翌朝、ヒビキが目を覚ますと、クリスマス・ツリーの下には、もちろんキックボードが置いてあった。ところがその隣に、なんと「サンタクロースからだよ」と書かれた別のおもちゃも置いてあったのだ。
「最初におもちゃを見つけたんだ」とヒビキは言う。
「でもよく見たら……別のプレゼントがあった」
そしてそれはヒビキの好きなオレンジ色のキックボードだった。
「あのさ、もうキックボード、キックボード、キックボードって言わなくてもいいんだけどさ……。次は何もらおうかなあ」

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ヒビキのクリスマス。5

2008-01-18 | コレクション
サンタさんは宅配便のように玄関からやって来て、通販で注文した品物を置いていくようにはいどうぞ、と私にプレゼントを手渡した。
「ヒビキのですか?」
サンタさんはちょっと慌てて
「キックボード、でしたかな」と言った。
私はふと、これと似たことが少し前にもあったような気がした。

玄関ドアのところで、サンタクロースと話すこと。──そうだ、たしか1週間ほど前に、いつも食品などを届けてくれる宅配のドライバーがサンタクロースのいでたちでドア口に現れたのだ。このドライバー氏、実はセールスも兼ねていて、キャンペーン中の防寒衣類などは着用してその効果を訴えるといった仕事もこなす。その日のドライバー氏は、赤い帽子から黒いゴムの靴先までサンタクロースのいでたちなのだから、それを話題にするのが、この際最もあり得べきことのように私には思われた。

「着ない人もいるんですけどね、僕は毎年着てるんです」と彼は言う。「これを着てるとね、配達中にコドモがわっと集まってきて、追いかけられたりするんですよ」
住宅地の中を運転しなくちゃならないは、コドモには追いかけられるはでは、大変そうだなと私は思った。それに、そのサンタさんのいでたちは、先週の「冬でもこれ一枚であったかいオススメ防寒衣類」よりはずいぶん寒そうだった。
「風が吹くと、確かにちょっと寒いですね」と彼は笑った。

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ヒビキのクリスマス。4

2008-01-17 | コレクション
2007年のクリスマス・イブ、東京地方は西南西の風が平均0.5m、日照時間は8.1と平年値を大幅に上回り、最高気温も12.8度と並外れて穏やかな日であったようだ。私は宅配で購入しておいた骨付きチキンをフライパンでローストし、シーフードとシェル型のマカロニを和えたものとベビーリーフのサラダを作り、クリスマスのケーキとキャンドルを並べた。

「ねえ、開けて読んでもいい?」
ヒビキは今日開けることになっていたカードを読むと、22歳の男の子のように口の筋肉をほんのちょっとだけ収縮させ、にやっとした。
「いいよ」

食事が終わると、ヒビキはさっそくバイオリンを取り出して、ジングルベルや赤鼻のトナカイやサイレント・ナイトなどを次々と弾いてくれた。分数バイオリンが1/2にアップしてから、ヒビキのバイオリンは、メロディがよく歌うようになった。構えや弓の持ち方など細かいところではまだまだ不完全なところが目につくのだが、全体的に音楽がぐんと大きくなった。私はヒビキがクリスマス・キャロルで弾いたら素晴らしいのに、とちょっと思った。

やがてキャロルが来る時間になると、ヒビキはさっとバイオリンを片付けて、すずが縫いつけてあるトナカイの角をかぶって、父親と一緒に飛び出していった。私は肺が悪くてとてもキャロルへは行けなかったので、家で留守番をしていることにした。

だが、実はその間に、サンタさんが来たのである。

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ヒビキのクリスマス。3

2008-01-16 | コレクション

ところで私たちは都内のマンションの一室に住んでいるのだが、このマンションそのものにもクリスマス恒例の習慣のようなものがある。というより、何もクリスマスだけじゃなくて、何かと恒例の多いマンションなのだ。マンション棟は4つあり、2棟ずつ並んだ合い間に、細長い中庭がある。感じのいい植え込みはいつも掃き清められていて、庭の真ん中には高い杉の木が一本聳えている。住人たちは何かとここに集まっては恒例の催しを楽しんでいる。たとえば雪のように花びらが降ってくる中でお花見をしたり、ちょっと本格的な防災訓練に勤しんだり、ビンゴゲームをしたりというように。建物そのものも、かなり古い。その前は、敷地全体が神学校だったのだそうだ。

私たちは引っ越してきた最初の冬にクリスマス・キャロルに参加し、そこで初めて、このマンションが神学校の跡地に建てられたものだということを知った。神学校はそのまま廃校になり、しかし、何人かは名残惜しくマンションの住人として留まったという。そして神学校の中にあった教会は、ここから100メートルほどのところにある現在の場所へ移転していった。そんなわけで毎年クリスマスになると、私たちはここへ帰ってきて、みなさんとこの日を祝うのです、と神父さんは言った。

そのためというばかりではないかもしれないけど、クリスマスが近づくと、やはり毎年恒例の植木職人の人たちがやってきて、中庭の高い杉の木のてっぺんまで登って、電飾を飾る。杉の木の近くにはわざわざそのための配電盤が設置されており、クリスマスの季節以外は、鉄の扉が閉じられ、鍵がかけられている。余談だが、私とヒビキはこの杉の電飾のことを「ピーナッツ」と呼んでいる──もちろん親しみをこめて。というのも、木の頂から縦に幾筋も降りた電飾は、おそらくその配電盤に接続しなければならない都合で一番低い枝の下できゅっとひとつにまとめられており、遠くからみると巨大なピーナッツが地面に突き刺さっているように見えるからだ。

そんなわけで、クリスマス・イブの夜が深まると、マンションの住人たちはぞろぞろと中庭の、特に“ピーナッツ”のところに集まり始める。教会の人たちがやってきて、銀紙にくるんだロウソクと賛美歌の楽譜を配り、文字通り老若男女混成となってみんなでコーラスを楽しむ。なぜかフルートを吹く人が加わっているのも、毎年のことだ。そして神父さんが、初めて参加される方のためにと、かつてあった神学校について話す。

そういえば今年、私は思い立ってヒビキへのクリスマスカードを書き、封筒に入れて、クリスマスツリーに飾っておいた。そこにはこう書いておいたのだった。
「聖なる夜、素敵なバイオリンをきかせてね。」

そのようにして、聖なる夜はやってきた。

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ヒビキのクリスマス。2

2008-01-15 | コレクション
ところが飾り付けが完璧に見えれば見えるほど、じゃあ、そこに本当にプレゼントがやってくるのだろうか? ということがたちまち不安になってくる。

「ねえ、サンタさんは本当は煙突から来るんだよね」
と、ヒビキは考える。
「でも煙突ないし」
だったら、宅配便のように玄関から来るんじゃないだろうか?

「“そり”で来るのに、玄関じゃまずいんじゃない?」
と私は言った。
「マンションの廊下では、滑らないもの」

ところが、この“そり”っていうのが、意外に問題であった。東京でそりで遊べるほど雪が積もることなんか、滅多に、たぶん10年に一回だってない。しかも冷たい空気が苦手な私は、コドモをスキーに連れて行ったこともない。そこでヒビキは、絵本で形は知っていても、それがどんなところを、どんなふうに走る乗り物なのか、どちらかというとちょっとごつごつとしたその手応えをまるで知らなかったからだ。──でも、大丈夫、サンタさんのは、空を翔る“そり”だから。

そういう“そり”なら──と、ヒビキは考える。サンタさんはベランダから来るに違いない。そこでヒビキは、電飾のパターンをいろいろ変えて、なるべくベランダから目につきやすいように工夫する。そんなふうに考えを巡らせていくと、ヒビキの耳にはふと、そりに結びつけられた「すず」の音色が舞い込んできてしまう。
「ほら、いま“すず”の音がしたよ」
そう言って、すずの音をリアルに再現してみせる。それはどことなく、ヤヒロトモヒロさんのアンクレットの音に似ていた。まさか──それだとアフリカのパーカッションということになるけれど?

何はともあれサンタさんは無事到着できそうだとなれば、いよいよ肝心なのは、今度は自分が欲しい物をサンタさんがちゃんとわかってくれているかどうかである。そこでヒビキは最近、友達に聞いたというおまじないを、毎晩欠かさず唱えている。
「キックボード、キックボード、キックボード」

これにはやり方があって、寝る前に前後ろにパジャマを着て、サンタさんにお願いするものを3回唱えてからもう一度脱いでちゃんと着る。これを毎晩やると願いが届くというのである。

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ヒビキのクリスマス。1

2008-01-14 | コレクション

日本の家庭だけに限ってみても、もちろんいろんなクリスマスの過ごし方がある。でもコドモ時代にいったい何度、わくわくするようなクリスマスが迎えられたかは、その後の人生の幸せの数パーセントぐらい左右するんじゃないだろうか、と私は思う。

もちろんその後もっとすごく楽しいことがどんどん起こって、クリスマスの思い出なんか色あせてしまうとしたら、それはそれで、あるいはいいことなのかも知れない。だがクリスマスの思い出がなんといっても特別なのは、いつか気づいた時、つまり少し大人になった時には、そこへアクセスする通路がぴたりと閉じてしまっていて、もう出し入れしたり、他の何かと取り替えたりすることはできないというところにある。そしてその代わりに、胸のポケットからスワロフスキーを取り出すみたいに、いつでも完全な光景をそっと眺めることができるのだ。

だけどなぜ、そんなにもわくわくしたのかと言えば、そりゃ、なんといってもサンタクロースが自分のところまでわざわざプレゼントを持ってやってきてくれるからに違いない。

サンタさんからプレゼントをもらうには、まず──ヒビキはこの点、実はちっとも心配していないのだが──「いい子」でいなければならない。それにサンタさんがプレゼントを置いていけるように、クリスマスツリーを──できれば盛大に──飾らなければいけない。そうしないと、一夜のうちにいろいろ回らなければならないサンタさんに、僕は、私は、ここですよ、ということが見逃されてしまうかもしれないからだ。

もちろんクリスマスツリーの飾り付けというのは、それ自体がきれいで楽しいし、いかにもクリスマスがやってくるぞという感じがする。まずプラスチックのツリーが入っている箱を開け、木に見えるように組み立てる(ほんとうの樹木であればいい香りがして、もっと素晴らしいかもしれない)。別の箱には飾り付けに使う星やリボンや何かがいろいろ詰め込んであり、その中からクリスマスオーナメントをつまみ上げては、何個かに一度は決まってそういえばこんなのがあったっけ、と忘れていて、そうやってひとつずつ木に吊していくのだ。ヒビキは、まず最初にツリーのてっぺんに飾るスターを見つけ出して、踏み台に上ってピンと直立した頂の枝にぎゅっとはめ込む。そしてオーナメントの箱が空っぽになったところで、いよいよパチッと電飾のスイッチを入れる。

「いいんじゃない?」と、しばし見上げる。
「夜になると、光ってもっときれいだよ、きっと」

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佛坂咲千生・原朋直『WHP』@新宿ピットイン

2008-01-11 | ブラスと笛
さて、すっかり番外編という感じなのですが、佛坂さんのジャズとの関わりは、もちろん「J'z Craze」だけというわけではない。なかでもジャズトランペッター原朋直氏との「クロスティーチング」な交流がこれ↓

みゅーじんFile.~ 第15回 ~ 2006.01.21 Sat
トランペッター 佛坂咲千生 原 朋直


『PIPERS パイパース 2005年12月号』
トランペット対談
ジャズとクラシックのクロスティーチング
原朋直(ジャズトランペット奏者)×佛坂咲千生(N響トランペット奏者)

動画もありました
**佛坂咲千生インタビュー
**原朋直インタビュー

そして、来る2008年2月22日(金)、新宿ピットインにて行われる『原朋直 3days』の初日に、佛坂咲千生氏との15人編成ユニット『WHP』が登場するそうだ。詳細はこちら↓

news
『原朋直 3days』@ 新宿ピットイン 開催決定

2月22日(金)、23日(土)、24日(日)に新宿ピットインにて『原朋直 3days』を行います。
22日(金)は、佛坂咲千生氏との15人編成ユニット『WHP』
23日(土)は、岡田治郎(e-b)、則竹裕之(ds)とのスペシャルセッション
24日(日)は、ユキ・アリマサ(p)を迎えてのDuo演奏をお届けします。

原朋直氏の音と、佛坂咲千生氏の音を同時に聴くというだけで、かなりスリリングなんじゃないか思うけど、いかがでしょうか。

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佛坂さんのJ'z Craze@野方WIZ 4

2008-01-10 | ブラスと笛
思い返すと、すべての曲間にそんな他愛もないと言えば他愛もない、でもほこっとした暖かみのあるお話が挟まっていたような気がする。口火を切るのはたいがい佛坂さんで、あとは安部さんが自在に引き継いでいく役目だ。ほぼ満席だった会場も、3人のやりとりを──まるでそれを聴きに来たかのように──すごく楽しんでいるようだった。

「このお二人は素晴らしいことができる。僕には絶対できないことなんです──それは作曲です」
と佛坂さんが言うと、
「僕らだって、書いた曲をまず佛坂さんに演奏してもらえるんですから、本当にすごくラッキーなことです」
と安部さんが言う。

そういえば楽器の話というコーナーもあった。佛坂さんはふつうのトランペットのほかに、ピッコロトランペットとフリューゲルホルンの持ち替えがあり、それらの楽器について説明したのだ。それからこれは演奏とは直接関係ないのだけれど、この「楽器の話」の頃にはPA(音響)がずいぶんよくなっており、ベースの音がぐっと鮮明になり、安部さんのギターの澄んだ音色が十全に再現されるようになっていた。

パンフレットには「一夜にしてクラシックとジャズが楽しめる」と書かれている。確かにそうなのだが、実は曲目の三分の一ぐらいがギターの安部さんまたはベースの浅井さんのオリジナルであり、つまり現代音楽なのである。残りの曲目もいかにもクリスマス・メドレーという選曲ではなくて、ジャズといってもチック・コリアのラテンものを取り上げていたり、バッハの「主よ人の望みの喜びを」は変わったイントロのアレンジになっていたりする。

ギターとベースのアンサンブルは、たぶん佛坂さんが気ままに吹いてもフォローしていくだろうが、演奏はアドリブで進行するのではない。佛坂さんにはひとつひとつ丁寧な曲の解釈があり、まるでプロコフィエフの譜面かなにかを吟味するように、演奏中は両眼が楽譜に突き刺さっている。

そういえば佛坂さんと安部さんは練馬区在住なのだそうである。
「僕は車で来たんだけど、安部さんは歩ける距離なんですよね」
と佛坂さん。
「えーッ、帰りも送ってくださいよ」
と安部さんは言った。

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