漢和辞典は稀少だ、などと書いたら、自分でもこのただならさに目覚めてしまい、もう一冊、入手してしまいました。いや、そういうわけでもなくて、実際版元が品切れだったので、これはもう、新しく出ることはないか、あるいはとても違ったものになるだろう、と思ったんですね。漢和辞典ばかりは私にとっては古いほうがよくて、つまり古いが新しいを兼ねる気がします。
投資額は、送料等含めても1,000円ほど。漢和辞典って、一般の家庭の中ではそれほど使われていないんですね、きっと。もしも1年に1度も出番がないならば、私だってヤフオクに出すかもしれません。もともと古いもの(私のが1965年、きれいなほうが1967年版です)だから、どれがどうしてついたんだかわからないシミというものはあるんですが、新しく今回入手したほうは、中の紙がきれいなんですよね。そのうえ、私の漢和辞典にはない、本体カバーがついて、ケースがついて、そうそう、確かにこういうカバーとかケースがあったのは憶えています。懐かしいなあ。
まだいっぱい出てますよ、オークションに。
ただ逆向きのことを言いますと、現代のコドモが、こういうものを使うかというと、やっぱり使わない気がします。必要性が薄い(前から薄かったのにさらに薄い)から。そういうところへ言っても説得力ないかもしれないけど、漢字にはイマジネーションが広がる要素がある。具体的でかつ抽象的でかつ体系的で、おおがかりで伸縮自在で。そう考えると、漢和(中)辞典は、アンチ漢字ポスターですね。できれば書などとも組み合わせて、コドモたちには、おおいに遊んで欲しいなあ。