YouTubeという便利なもんがあるために、しかし、ずいぶんいろんな古いことやちょっと古いことを知ることができるようになった。こういうものが、コドモの頃からあるのと、大人になって、もうなにもかも「過去」っていう意味合いで見るのとではぜんぜん違うだろう。
たとえば、小学3年生のヒビキは、みのもんたナレーションのプロ野球珍プレイ好プレイという番組を見て、ナレーションが野村監督や、古田や、いろんな選手がほんとうに言っていることだと思っていた。選手はプレーしながらそんなことは言わないよ。「外野」だから、そういう勝手なことを言うんだ。
そう言って教えても、いったんそう思って、それをすごーく面白がってみている回路には、なかなかストップがきかない。
コドモが残した履歴の中に、巨人のピッチャーとして活躍し、しかも長い選手生活を送り、かつ最後には米メジャーリーグにも挑戦して、引退したと思ったら大学(院)へ行くという……あの、桑田投手のクリップがざくざくあった。高校時代のピッチングと、巨人のエースとしてのピッチング。その背中があまりにも同じで、高校一年の甲子園の勝利投手のインタビューと、ついこないだの桑田氏がほとんど同じしゃべり方で、ああ、この人はこういう人なんだ、と「どういう」人なのかは判然としないのだけれども、その人の「質」のようなものがそれなりに伝わってきたのであった。
すごーく彩度の低い、灰色なイメージだったんだけどね、全体的には、これまで。
しかしその「どういう」というところがまだ直観に過ぎず、判然としないために、やっぱりどこかで気になっていて、桑田投手のスペシャル番組のようなものまで見てしまった。見てしまって、その「どういう」がまったく当たっていたことに驚いた。
特殊なケースにすぎないかもしれないけど、やはり映像の力はすごい。でも皮肉なことにあまりにテレビに慣れていると、きっと(テレビを見ない)私のようには思わなかっただろう。少なくとも、たまにテレビを見ると、映像がことばならぬものを伝える方法であるのに、ことばに頼り過ぎていると感じる。