響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

すしの勘太のランチ寿司画像をアップ。

2009-02-28 | コレクション
竹橋・すし勘太のランチ

「寿司屋のBGM、「勘太」の場合」で、どういう寿司かわからないではないか、という指摘をいただいたので、撮影してきました。お寿司屋さんで撮影というのもなんかね。それでいつもはカウンター席なのだが、卓のほうに座って、1,000円のを撮りました。

全部で19席あるそうです。

TENORI-ONは鍵盤楽器の最新型、かも。

2009-02-27 | ピアノ
渋谷スクランブル交差点

一般に、平均律というものが攻撃されると、がぜん、ピアノというものの旗色が悪くなるわけなんだけれども、ピアノという楽器が特に、歴史的に作曲にあずかってきただろうことは、間違いないだろう。もちろんツィゴイネルワイゼンのサラサーテもいれば、ギターで作曲するロックミュージシャンだっているわけだが、現代だけで考えても、商業的な音楽のほとんどは鍵盤楽器で作られているだろう。CMソングからちょっとした映像ビデオにつける音楽まで、その数は売れている音楽とは比較にならない数のすそ野を形作っているはずだ。

その鍵盤楽器というのが、シンセを経て、いまやコンピュータ・ミュージックへと変遷してきているだろうことが容易に想像できるのは、コンピュータ・ミュージックをやるための資金というものが、劇的に安くなったことは本当だからだ。

で、よくよく考えると、なんらかのスイッチで音楽制作・演奏が可能になるという考えは、やはり──それが当初はいかにアナログなものであったにしても──ピアノ、特に平均律のピアノから始まったと思うし、するとピアノ、シンセ、コンピュータ・ミュージックへというのはひとつづきのツールであるように思われる。

そこで特にアナログにフィーチャーしたり、人間に別の記憶を呼び覚まさせたりするものとして、トイピアノとか、フェンダーとか──響けブログでは「亜ピアノ」などと呼んでおりますが──があるわけだが、これらは同時に作曲ツールとしては一歩さがって、むしろライブ演奏に輝きを与えるようなフィールドで活躍しているように思われる。

これとは反対に、作曲ツールとしての鍵盤楽器としてはまさに王道というフィールドで、楽器の形が、いわゆる鍵盤楽器というかたちから逸脱していく、という現象が起こっているように思う。つまり古い世代があんなものでちゃんとした作曲ができるのか、と思うようなツールから、新しい音楽が生まれてきても不思議じゃない感じになってきている。

ただし、ツールだから使い心地がよろしくないと、生き残らない。TENORI-ONは、そんな試金石を生きるファンタスティックなツールのように、見えるのであった。

シンセ育ち、コンピュータミュージック育ち、ケータイ育ち。

2009-02-27 | 音楽制作


着メロのダウンロードがこれほどさかんになる前は、自分の好きなメロディを作って、効果音をカスタマイズして、というアソビがあったように思うのだけれど、あっという間に終わってしまったように見えるがどうなんだろうか。

ウチでは「ひと昔前のケータイ」というのが、通信を切ることで消費電力もおさえることができるので(アンテナを探すための電力消費がないようにしておくわけである)、これを音楽コドモのヒビキにあげたところ、ごく簡単な作曲ツールとして熱心に使っている。

もともとは、いろいろな有名曲が、(同時発音数と音源の種類の関係で)やたらとおもしろいアレンジになっているのをヒビキが大いに喜んで、いつも話の種にしていた……かと思ったら、そのうち効果音を変えたり、自分で電話の番号キーを使った打ち込みで、曲を作ったりして、目覚ましの音色に使ったり……とやり始めたのである。

逆に言うと、今のケータイにはこういう機能は付いているのだろうか?

なんというか、風俗的に古くて恐縮なのだが、音楽といっても宴会芸もあれば、カラオケでウケる何かというのもあるし、楽器はまったくだめで歌う人もあれば、英語の歌とかコーラスとか独自の背景をプレゼンテーションする人もいるわけで、……要はいろいろな使い方をするのだとすると、そのうちケータイに音楽ができる機能が載ってくる、という考えは実にリアリティがある。

実際、2009年新春のApple Store kids workshopでも、特に音楽的なものを作っているというわけではなくても、子供たちのほとんど全員が「つくる」ことを楽しんでいた。

少し以前にSuikaペンギンが、ギターやなんかを弾くようなビジュアルで登場したのだが、あの時ははっとしたものだ。(ちょっとバブルっぽかったけど)

ひとくちに作曲といっても、どんな音楽ニーズ──ジャンルじゃなくて、たとえばヒット歌謡曲と着メロでは形式というか長さというか語りうること・聴きたいことが違う──があるのか、時代によってさまざまなものだ。

新しい世代は、どんなふうに「作曲」するんだろう?
(つづく)

いま一番ホットな作曲ツール、TENORI-ON

2009-02-26 | 音楽制作
TENORI-ON@文化庁メディア芸術祭

先日、文化庁メディア芸術祭@国立新美術館へ行った。 (行った話は「科学と広告のブログ」の方へ書いてしまったので、よかったらこちらをご覧ください。)

そこで大人気だったもののひとつが、岩井俊雄デザインの直感的音楽制作・演奏ツール、ヤマハ「TENORI-ON」だ。TENORI-ONには16×16の丸いボタンがついていて、持ちやすいような“へり”がある。これは何かを思い出させる、……そうだそうだ、オセロです。ちなみにオセロは8行8列。ということは64個の格子であるのに対して、TENORI-ONの丸いボタンは256ということになりますね。

文化庁メディア芸術祭のTENORI-ONブースはやたらと混んでいたので、実は私はまだTENORI-ONを触ったことはない。だけど、現在は購入もできる。ちなみにこちら↓

販売中
TENORI-ON 「TNR-W」Web Shop
121,000円


いつか別の機会にプログラミングと民生用シンセについて浅~く考えてみたいと思うけれども、とにかく、TENORI-ONはこのボタンを使って演奏する。これが鍵盤楽器の最新形だと考えると、ピアノのようにボタンのひとつひとつがある「音程・音色だけ」を担っているのではなく、選んだモードによって何らかの役割を果たす「ファンクションキー」なのだと思えばいいのだろう。じゃあ自由にファンクションを割り当てられるのかというと、プリペイドですよということなのかと、説明を見たかぎりでは、クラシックイタチは想像する。触ったことのある夫の話では、もっと感覚的に、たとえばぐる~んと円を描くとかいった感じで演奏したりするんだそうだ。

ところで上掲の文化庁メディア芸術祭での展示の様子は、あれはあくまでもディスプレイで、↓のような投写機で流しているだけ。実物は「てのり」サイズで、「ルミン」のような(ミブリというのもあったが)人の身体的な動きで演奏でき、「ON-OFF」の液晶で操作する。すばらしいネーミングである。
TENORI-ON@文化庁メディア芸術祭、投写機

寿司屋のBGM、「勘太」の場合

2009-02-25 | コレクション
竹橋

東京メトロ東西線・竹橋駅から2、3分のところにとってもちゃんとした、ちゃんと仕事するお寿司屋さんがある。ご主人と若い者の2人体勢というのもよいし、店の大きさもよいし、清潔であるし、親切であるし、大将はちょっと頑固かもしれないが、みかけとはちがってやさしいし、客とだって話をするのである。なんたって神田エリアのお寿司屋さんなのである。

でもって、この「勘太」というお寿司屋さん、案の定ウェブにまったく情報が載っていない。それに実は、表の看板もやたらと見にくいし、店の中も見えないのだ。近所のオフィスから店へ来る人もいるが、場所柄接待とか会議とかいうのもなさそうだし、部署ひとつ、といった集まりには狭い。

というわけで、ときどき、ランチタイムなどに行っても、かなり空いていたりする。空いていてラッキーだなあ、と思っていたのだけれど……そういうものでもないだろう、と思うようになってきた。

「勘太」のBGMは──だいたい想像がつくと思うのだけれど──ない。静かだ。

「勘太」
東京都千代田区神田錦町3丁目17
03-3295-9085

なんというか、クラシックイタチだって、そうそうお寿司屋さんなんて勧めない。新鮮なネタ、清潔な台所、シャリ、汁、かつおだし系のしょうゆ、巻物までついてランチタイム1,000円から。私が知っている限り、原価率を下げるなど含めて適当な仕事をしたことはなし。おすすめです。

栗コーダーカルテットとリコーダー工場見学!?

2009-02-24 | ブラスと笛
あまりに関係ない画像ではありますが。

栗コーダーカルテットは、癒し系などと言われているけれども、リコーダーのようなプリミティブな楽器の持つ根源的な力というか、自然なもの(超人工的なもの)との交流感といったものが、なんらか、人々に訴えている、そんな流れを感じる。

その笛を──今気づいたのだが、ディジュリドゥだって、要するに笛ですよね?──プリミティブまんまじゃなく聴かせてくれるのが、栗コーダーカルテットのすてきなところだ。

というわけで、今日はこんなクリップみつけましたという動画の紹介。

栗コーダーカルテットのみなさんが、リコーダー工場見学へ行ったのだそうである。

リコーダー工場見学
「ヤマハ豊岡工場でリコーダーが作られる様子を
 栗コーダーカルテットと一緒に見学してみよう!」
http://www.yamaha.co.jp/product/recorder/factory/index.html?yomm=2009114_07


栗コーダーカルテットのみなさんが行くのだから、ただ見て帰ってくるわけはない。それどころかオリジナル曲までついて、またリコーダー工場の方がやたらと笛が、板に(というか「くちびるに」というか)ついていて演奏がうまいのにも舌を巻くのであります。

ところでこのクリップを見てあとから少々気になるのは、以前楽器店の方と話していて話が出たことがあるのだけれども

「木管楽器って、どうして分解できるんですか?」

つまりリコーダー型の楽器はなぜ組み立て式なのか?──というギモンだ。ピッコロなんてさ、あんな小さいんだから、わざわざ分解できなくたっていいような気がするのですけれども。実際、プラのリコーダーなんか、みんな組み立てたまま使ってるし。木工作業の製造工程上、お手入れの都合上、といろいろ理由は思い当たるのだけど、やっぱり、なんとなく伝統的にそのように作ってきた蓄積上、という理由が最も重いようにも思えるのである。

……どうなんでしょうねえ?

ディジュリドゥつながり@プロジェクト和豪&菅沼孝三ライブ

2009-02-23 | ドラム・パーカッション
オーストラリアqueens land state

ディジュリドゥとは何か?──といいますと、オーストラリアの先住民・アボリジニの民族楽器。コアラが主食とするユーカリの木──とても背の高い、すぐ大きくなる、いい香りがする、葉っぱは柳みたいな──あのユーカリの木から出来ているのだそうです。私はオーストラリアのクイーンズランド州というところへ行ったことがあるのですが、クイーンズランドでは、このユーカリの木、よく見かけました。上掲の画像はそんな一枚。

ところで、クラシックイタチが、このディジュリドゥを知ったのは、高円寺jirokichiという活気ある(仙波師匠もよく来られる)ライブハウスのオーナーが、これを演奏するので、もう何年も前に知ったのだった。しかし、民族楽器というものが往々にしてそうであるように、それが本来どのような楽器かというのは、外国で誰か一人が演奏するのを聴いたぐらいではなかなか想像出来かねるものである。

というわけで、どういう楽器かよくわかんないけど、大地に響き渡るような、スケールの大きい、それに実際に何メートルもあるような、ほんとにでかい楽器だと長年思っていたわけなのだが、ある日、菅沼孝三氏がレッスンに持ってきていて、まるで太鼓と同じリズム楽器のように吹きこなすのをちらっと見て、これは使い手によってまったく違った楽器にもなるのだということを知った。

と思っていたら、プロジェクト和豪というディジュリドゥつながりのライブがあるというわけで、出かけていったのである。(昨日の記事をご参照ください)

あー、もー今日はなんてキレの悪い文章なんでしょ。
もう少しご辛抱を。

とにかくこのディジュリドゥという珍しい楽器が2本で競演などという機会は滅多にないに違いない。ただ受け入れ側というか観客のほうは──自分を振り返って言うのだが──アジア・アフリカものは、大体かなり「和」なものへ収束させて楽しむような気がする。どうしても「クライマックス」というほうへもっていきたがり、それは「日本の祭り」のアナロジーなのだ。強い頭拍の、エイサエイサ、という感じの。

リーダーの哲J氏が、前回のライブはオーストラリアで、観客が裏拍で合いの手を入れるのでこっちがわけわかんなくなった、というトークで会場を笑わせたのだったが、いやはやいろいろ起こるものである。

一方、以前横浜で聴いた、ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ・パーカッション・オーケストラ@関内ホールが彷彿とする瞬間もあって、リズムのつながりというのはタダならず、ひとすじならず、ひとや音楽の根源のほうをみるみる目指していくようにも思われる。

いやはや、リズムの海は、つながってるのかも。

このプロジェクト和豪、次のライブは沖縄だそうです。
行ってみたい方はぜひホームページをチェック↓

Project Wa-GO Official Site


プロジェクト和豪&菅沼孝三ライブへGO!

2009-02-22 | ライブハウスへ行こう!
右奥に見えるのが菅沼孝三氏

プロジェクト和豪スペシャルライブfeaturing菅沼孝三 というライブへ行ってきました。今日は遅ればせながらのその第一報。

いつもレッスンではお目にかかる菅沼孝三先生ですが、このようなライブ、打合せなしのセッションなどを聴くのは初めて。なんとでもなりようの幅広さ、音色の多彩さ、駿足ぶり、音楽をまとめるマエストロぶりに、プロジェクト和豪めあてのお客さんも、やんやの喝采でございました。

「プロジェクト和豪」
哲J(プロジェクト・リーダー、ディジュリドゥ)
小林弌(パーカッション)
ピエール小野(ギターのような津軽三味線)
いちろうた(ベース)

Project WA-GO Official SIte
http://www.dinkum-j.com/WA-GO/


後半は踊りまくっていた(!?)とも言える親にひきかえ、ヒビキが、ほんとによく聴いていたのも印象的(対照的?)でした。

「佐世保バーガー」へ行ってみました。

2009-02-21 | コレクション
前回は、で、どーしたんだよ、というような終わり方をしてしまった。クラシックイタチ(私のことです)には、少しテーマが重すぎたようだ。

そこで今朝は、先だって行ったハンバーガー屋さんの話。
佐世保バーガー、ポテト

ザッツの佐世保バーガー
http://sasebo-burger.jp/sasebo-burger/


「佐世保バーガー」というのは、たしか中野にあって、佐世保といえば村上龍というか基地の街、だからハンバーガーってものがもしかしたらとってもアメリカな感じで生きていて……というふうに、もうその名前を聞くだけで、なんだかイメージができてしまう。

しかしながら、結局はまあ、そういう元の何かを、いかに全国的な展開と時代の変遷の中で活かしていくか、というところであろう。

それとは逆に、クラシックイタチは多摩丘陵育ちで、まったく不熱心にしか情報誌を読んでこなかったので、(しかも中野の一号店は意外にも2003年オープンというからさして古くはない)実は「佐世保バーガー」のことはさほど知らなかった。

だから、というか、ドラムレッスンの流れでというか、気軽にコドモ連れででかけたのだが、よかったです。たいへんいい雰囲気の店内。コドモどころかイヌ連れ、ベビーカー連れ、とみなさん自由にハンバーガーを楽しんでましたよ。私がオーダーしたのはアボカド入りのハンバーガーと、このポテト。ポテトはですね、スウィートチリ&サワークリームとのカップリング。

うゎ、それ、自分のテイスト突いてるわ、という方。カリモクの店内も落ち着いてGOODでしたよ。

生きるべきか、死ぬべきか。

2009-02-20 | 科学と科学者
生きるべきか死ぬべきか
2009/4/9発売、予約受付中
ユニバーサル

amazon該当頁へ


冒頭は、クラシックイタチこと私が大好きな、エルンスト・ルビッチのスプラスティック・コメディ「To be or not to be」のDVD。映画では、レジスタンスの役者夫妻が主人公で、夫が舞台の上でシェイクスピアの有名な長台詞「To be or not to be」と独白し始めると、客席にいる不倫の相手が……というナチ戦時下ながらの痛快コメディである。アニメがもの足りなくなるほどのテンポ感が身上。おすすめであります。

春来たりなば

なんでその話がでてきたのかというと、昨年の暮れのNHKの紅白で、森山直太朗さんの曲紹介の時に、中居くんが歌詞「いっそ小さく死ねばいい」の解釈について、複雑さをたたえた表情で、しかしとても穏やかに注意を喚起した。そのことを最近ときどき思い出すのである。

その時はそこまで言わないとならないのかなあ、と正直なところ思ったのだけれど、今振り返ると、あれは──中居氏がすばらしかったこともあって──いいことだったなあと思い出される。

ニコラ・モーガンさんが紹介しているように、ティーンエイジャーの脳は、迷いやすいのである。実行しないにしても「死」へ気持ちが振れることもあろう。ぜんぜん現実的じゃないんだけど、気持ち的には振れるわけだ。──私の場合(突然思い出したのだが)立川談志師匠の噺にあった「死ぬ死ぬって言って死んだヤツはいなんだよ」というのが、インパクトがあったなあ。それが、かなり年齢差のある談志という人の落語の中で、さしたる脅かしというのでもなく、つまりはある程度はルーティンなセリフとして出てきた時のこと。高校生ぐらいの自分は、そう言われてはじめて、自分がそのくらいの年齢らしく「死」というものを身近に考えたりしていることに気づき、そのようだからしてやっぱり死なないんだ、ということをよく理解したのである。救われたと言ってもいい。

むずかしいことを伝えようという大人の努力は、そのように報われることがある。

くまさんのユーラシアとロシア民謡

2009-02-19 | おんがく
polarbear at zoolasia

というわけで、ふたたび舞い戻るようにして、サーカスのお話。

少し前にニクーリンサーカスへ行ったという話を書いたのだけれども、隣に座って、私とヒビキが間違った番号に座っている、と主張していた二人連れのおばさんがいて(結局は案内員の間違いだった)、そのうちの一人がサーカスの途中でどうかしたのかというくらい笑い続けていて、それが動物芸の演し物だった。

私たちが見たのはイヌとクマの芸だった。その毛並みのあまりよくないクマを見て、そういえば「ボリショイサーカス」といえばこのクマだったなあと思い出した。そのクマがこんな目の前に「日常感覚」でいるなんて信じられないよなー、と思ったのだ。

そのおばさんももしかしたら、長い間潜在的に抱いていた、つまりクマを見たいという夢が叶ったのかもしれない。(ほんとうにクマなのだろうか、と私たちは思ったものだ!)でもそれにしても、そんなふうにいつまでも笑ったら、そこで生命の火が消えてしまうのではないか。そのくらい必死に、おばさんは笑っていた。

ロシアのサーカスでは動物は目玉のひとつだが、シルク・ド・ソレイユは動物を使わない。

だが、私にとっても、思った以上に動物芸はいいものだった。動物たちは淡々と仕事をしていて、それは動物園における動物ショーの流れと軌を一にしているように思われた。動物たちは自分たちがある役割を果たしていることを知っている。池袋サンシャインのアシカショーも、旭山の餌タイムも、人間のように意味をやりとりしているのではないとはいえ、コミュニケーションがとれている感じを、人は持つ。サーカスのクマもイヌも──調教師と猛獣という役回りではなく──そういう関係性に見えた。

それと、やはり動物の動きは目新しい。どんなに活発に動いても人間の動きは予想可能な範囲にあり、すごいアクロバットも次第に見慣れてしまう。そういう動きのテンポが、動物はまったく違うのが──つまり寄席で言えば色物みたいに──面白いのだと思う。考えてみれば、サーカスというのは、もともと、こういったことを見せるものだったのだろう。より大きな構成や展開や演出やテーマではなくて、身体性や見ることや、なぜおかしいと思うかや、なぜびっくりするか、といったことだ。

でももちろんだからといって、大きな構成や展開や演出やテーマがあればあったほうがいいかもしれない。なにしろ初めてニクーリンサーカスを一度見たというだけだから、わからない。

さて、なぜロシアのサーカスを「ボリショイサーカス」と呼ぶようになったのか、について答えが見つかった、その本を紹介いたします。これによれば、ある世代の日本人には同じように懐かしい!?「ロシア民謡」も、1956年に本格的なブームとして渡ってきたそうである。

ボリショイサーカス (ユーラシア・ブックレット)
大島 幹雄
東洋書店
amazonの該当頁へ


こちらからも買えるそうです↓
『ボリショイサーカス』発刊のお知らせ
http://homepage2.nifty.com/deracine/circus/circus/bolishoi.htm

美しい朝に。

2009-02-18 | コレクション
sunset

昨日はいろんなニュースがあっていろいろとニュースサイトを見た日であった。村上春樹氏のイスラエル賞の受賞スピーチもいろんなところに掲載されていて、いろいろ読みに行った。で、はたと、その英語のある箇所を、私は読み間違っていたことに気がついた。 I'm told.を、I'd told. だと思っていたのだ。

ひどいまちがいだ。

というわけで昨日の記事の一部を削除しています。誠に失礼いたしました。

一方のヒビキは昨日は、ちゃんとバイオリンを練習して、「鉄道新聞」というものを計20枚も書き上げ(見習わなくっちゃな、である)、今朝は本日のダンスクラスの用意をして出かけていった。

というわけで画像は、昨日の夕焼け。このところ寒いんだけれども、朝焼けも美しいですね。


村上春樹氏がイスラエル賞を受賞された、というニュース

2009-02-17 | コレクション


朝日新聞で村上春樹氏がイスラエル賞を受賞されたというニュースを知りました。ウェブ上のニュースの状況を見ると、その掲載はすごく速かったみたいです。

イスラエル賞って、Jerusalem Prize for the Freedom of the Individual in Societyというものなんだそう。Freedom of the Individual in Societyを表彰する活動、そしてこれはJerusalem International Book Fair という機会に授与されるそうなのですが、このような意義を明確にしたブックフェアの活動、といったものが綿々と行われているのですね。

各国のニュースリンク
The Jewish Daily FORWARD
Published January 29, 2009, issue of February 06, 2009
Japanese Author Honored in Israel
http://www.forward.com/articles/15034/


THE JERUSALEM POST
Feb 15, 2009 23:57 | Updated Feb 16, 2009 3:48
Murakami, in trademark obscurity, explains why he accepted Jerusalem award
http://www.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1233304788868&pagename=JPost%2FJPArticle%2FShowFull


英国
guardian.co.uk
Alison Flood
guardian.co.uk, Monday 16 February 2009 11.36 GMT
Murakami defies protests to accept Jerusalem prize
http://www.guardian.co.uk/books/2009/feb/16/haruki-murakami-jerusalem-prize


フランス
Monday, February 16, 2009 - 10:00
AFP News Briefs List
Japanese author Murakami wins Jerusalem prize
http://www.france24.com/en/20090216-japanese-author-murakami-wins-jerusalem-prize


香港
Murakami wins Jerusalem Prize
(02-16 16:14)
http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=12622&icid=4&d_str=20090216


その他、私には書いてあることがまったく想像もできなかった北欧や中国など英語圏以外のニュースでも報じられていました。

で、これらのニュースで、私が何を読みたかったかというと、朝日新聞にも載っていた村上春樹氏のスピーチの内容。これらのニュースには、なぜ受賞したか(イスラエルがガザ侵攻しているのに)という問いへの村上氏の答えが掲載されている。朝日新聞では割愛されていて、メッセージの内容が中心に。ちなみにフランスと香港のニュースではメッセージの内容がぐっと圧縮されていて、答えがメイン。

その部分は──I gave it some thought.  で始まり  I chose to speak here rather than say nothing. で終わる。ので、こちらなどのニュースサイトでご確認ください。

受賞おめでとうございます。

いい曲は、いい曲から生まれる。!?

2009-02-17 | おんがく
本

エピソード1:
このところすっかりはまっているサタデードラムレッスンの「テキスト」であるが、そのうちなにやらヒビキ、五線譜に新しい曲を一生懸命書いている。まあ、そりゃそうだ。毎日テキストの曲ばかりやっていれば、新しいことを考えたくなるのであろう。……何やってんの?

ヒビキ「いい曲は、いい曲から生まれる。」
わたし「???」

エピソード2:
先週「原研哉デザイン展 『本』 友人、原田宗典がモノ書きだったおかげで」@武蔵野市立吉祥寺美術館へ行ってきた。非常にこじんまりとしたブースなのだが、閲覧可の書籍は常に誰かが手にとっているという具合で、思った以上の盛況だった。

そうしたら昨日、あの「いい曲は、いい曲から生まれる。」と言って、テキストの譜面をいろいろ参考にしながら自作曲を構築していたヒビキが、

ヒビキ「そうだ!」
パパ「どうしたの?」

と言って、夜になってから突然ちらしを作り、展覧会を始めたのである。というのが上掲のちらし。会場の「古や」というのはヒビキの部屋で、ヒビキ・ライブハウスの名前ということに(ウチでは)なっているのである。照明も工夫されていたり、展示物の説明プレートもついていたりと、なかなか充実した展示でした。

ヒビキの展開を見てあらためて原研哉氏のちらしを眺めてみると、その完成度の高さにはっとします。こういう仕事が、コドモたちに影響を与えていくんですねえ。(多謝)

トリルで重音、ヒビキのバイオリンレッスン帳

2009-02-16 | バイオリン・レッスン
アンナ・マクダレーナの音楽帳
amazonの該当ページへ

さて、小学生もいよいよ中盤にさしかかってくると、いろいろと技術的な、具体的な課題が、音楽でも勉強でも、いろいろと出てくるものである。そこはそれなりに難しいものなので、メソッドとか、上達法とかいったものが活躍する場面でもある。そしてそれらは決してコドモだけでなく、初級者一般に必要なスキルでもある。

気がつくと、バイオリンがまさにそういったプロセスに入っていた。現在ヒビキが取り組んでいるのは、鈴木バイオリン第3巻最終曲「ブーレ」。重音をどう響かせるのか、トリルの練習、トリルで重音というケース。「4」「4」の指をスライドさせて1つのフレーズに。ポジション移動……。

こういったこと一つ一つを、先生がどう教えてくださったおかげで、ヒビキがわかるようになったのか。バイオリンの場合は機構が複雑で、楽器の操り方も多くのポイントがあるため(左右対称でもないし)、先生の、その音楽的な教え方、というのがこれまでにも増して、たいへん貴重なものに思えてきたのである。

いや、もしかしたらこれまでのほうが影響力大であったのだとは思う。しかし、これまでのは、受け手であるヒビキという個性に対しての方法であり、受け手の違いには個人差があるから、メソッドが万能には使えないように思うのだ。そこへいくとこのように、音楽と向き合うというよりは、ステップアップの課題というのは、誰もが程度の差こそあれ越えなければならない。そこに、やや大げさに言うと普遍的な価値があるように思えてきたのである。

というわけで、これからはヒビキの音楽的なリアクションというよりは、先生の教え方にフォーカスした、ヒビキのバイオリンレッスン帳のようなのも、記録していきたいと思うこの頃であった。