響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

「笑って終わろうよ」2008年!?

2008-12-31 | コレクション
秋の桐

「よい子は夢枕に、マレーバクと眠る。」というタイトルの投稿を考えていたのだが、ヒビキがさかんに

「片付けなさい」
「笑って終わろうよ~」

「指をおくちに入れないの」
「笑って終わろうよ~」

「早く食べなさい」
「笑って終わろうよ~」

と連発するので、2008年の暮れはこんなんだったな、と思い出すのにふさわしいことだし、「笑って終わろうよ~」の話を書くことにした。

どこかで聞いたようなこういうセリフを言う時は、オトナはなんとなく「どこかで聞いたの?」「誰かが言ってたの? それともヒビキのオリジナル?」と訊いてしまうわけだが、「お背中ながしま茂雄」は違うけど、こんどのはオリジナル、と言っていた。

それで気付いたのだが、コドモはしかられた後、オトナが怒り続けていると思っているらしい。私はもう別に怒ってもいないのだが「笑え」と言われるは、目的の注意は効果が薄れるはで、なんだか落ち着く先がないのであった。

で、笑って終わってさ、来年は何をするのよ、ヒビキくん?

クラシックイタチの年の瀬、2008年。

2008-12-30 | コレクション
backwall

今年の年末はどうも、私ことクラシックイタチの考え方が変化しつつあるのを感じる。しかもかなり、ドラスティックに。

ひとつには、明らかにこれはやっぱり歳のせい、なのである。いろんな興味へ向けてさまざまな細い枝を伸ばしていた青年期から、要らないもの、使う頻度の少ないものは刈り込んで、よく使うものは、ちょっとやそっとでは間違えない、“目をつぶってでもできる”というように、その枝を強く太く成長させる。太くするには、要らない枝を刈り込まなければならないのは、樹木の剪定と同じだ──というのは、よく脳の発達の説明に使われる図式だが、このイメージこそ、まさにぴったりとリアリティを持って当て嵌めることができる。

・私の場合であれば、この「クラシックイタチ的」に刈り込まれた「個性」を使って仕事していくこと、が大切である

と同時に、それだけではどうも間に合わない、そんな状況に置かれているという気も大いにする。作り上がった木は、自分の過去を反映している。剪定する過程はすなわち、過去の状況から自分が体験として選んだ道だからだ。ここへどう未来を持ち込み、新しい状況に対応していけばいいのだろうか? しかもいろんな意味で──たとえばちょっと考えても経済の状況とか(詳しくないけど)技術の発達とか──新しい状況というのはこれからどんどん来そうではないですか。

・細い枝も大切である。じゃんじゃん伸ばしてしまえ。

そうなのだ、シロウトの逆襲というものも、なかなか捨てがたいパワーを秘めているのである。もちろん、どれだけ新しいことができたのか、またそれになんか意味があるのか、という点では、やはりはなはだギモンなことも多い。しかし昔から「年寄りの手習い」などと言って、新しいことを始めるのを推奨するコトバがあるのも、何かの縁であろう。

今までの私だったら、そんなのあまりにめんどくさい、と思った、と思う。

ところで夫のアマチュアリズムというのは、実際に経験として、いったんプロフェッショナルを経由して回帰したものであるので、今日の私の話と軌道は合っている。それはそれで貴重な教訓だと思う。だが体験から機能を抽出して「ツール化」するというのは重要な技法であって、応用範囲が広いといった利点もあるんですよ、これが。

読んでいない本を巡る音楽

2008-12-29 | コレクション


いやはや。前回はなんだかぐちっぽいことを書いてしまったが、気分と空気を入れ換えてみると、そもそもそんなふうな気分になった引き金は、案外この(若干ふるった)一冊であったかもしれない。

読んでいない本について堂々と語る方法
ピエール・バイヤール
筑摩書房

amazonへ


以前から私は常々座右の銘ってことで「良書を読むための条件は悪書を読まぬことである」を掲げていたんですが、これが実に不評でして、たとえば夫から「読んでみなくちゃ悪書かどうかわからないのでは?」というような質問が寄せられたりして、切り返しに窮していたりしたものだ。(ちなみにこれはショーペンハウエルという人の箴言なのでございます)

その後も作家の金井美恵子さんのエッセイに、1ページ読めば本はだいたいわかる、という主旨の記述があって、ほらほら、と言っても、「読んでない人に何が言える」派のひとは、あなたは金井美恵子さんではないでしょうと言ったりして、私には歯がたたなかったのである。

逆に言うと、要するに、読んでなくても大丈夫ですよ、という話は時折現れるテーマであって、今回のもそのバリエーションのひとつというのに違いない。私もこの『読んでいない本について堂々と語る方法』という本については(つまり、ささっと読んだこともあって)それ以上のことを言うつもりもないのだが、しかし読み手の私のほうが、今回ばかりは、以前とは違っている。なぜかというと、年をとったせいだろう。

堂々巡りな言い方で逃げようというわけじゃないのだけれど、つまり、読んだ本と読んでいない本との違いは何か、そして読んだか読んでいないかについて明言する必要がなぜないのか(あるいはそれがなぜ、かなり無意味なのか)が、著者の力を借りて、ボートがぐいっと岸を離れるように、するりと理解できたのである。

著者が、あるいは私たちが、そんなふうに近道するのは何故かというと、それは私たちが(あるいは著者が)自分自身の仕事をするためという理由に他ならない。いかに巨大なものを受け止めたとしても、受け止めただけでは、滅多に仕事にはならないからである。私たちは私たちなりに新しい「仕事」をしなければならない。仕事ができるだけじゃなく、それで暮らしていけるだけじゃなく、今までにないものでなくてはいけない……

そう考えていて、そうか当たり前だ、音楽だって同じはずである、と気付いたのである。いつのまにか、出来ればすごい、受け止められればすごいになってしまっていて、そのように自分がアマチュアを謳歌するなかからしか、プロを眺めることができなくなってしまっていたのだ。なぜか音楽に限って顕著に、そのように変わってしまっていたのである。やれやれ。

年末の片付けはどこまで進むのだろう。

2008-12-28 | コレクション


クリスマスツリーを片付けると、やはり少しばかりは部屋が広くなったように感じる。しかしよく片付いた部屋にポンと一本、クリスマスツリーを立てたかった。そのように立てれば、プラスチックでできたもみの木も、少しはかぐわしかったかもしれない。

それでなくとも、今年は電飾をさほど美しいと思わなかった。イケアで立体ダイヤのような形の(ジュエリーのように輝く?)新しい電飾も仕入れてきたのに、それでもあまりに感動がないので、どうしたものだろう、来年はオーナメントを全部入れ替えたりしなければいけないのだろうか、と思ったりした。それもこれも、その周りの、部屋が片付いていなかったせいだろう。

昨年はちょうどいまごろ入院になってしまって、年賀状も病院のベッドであわてて書いたのだったが、今年は今のところ入院というような事態はないように思われる。そうはいっても私の持っている「大人のぜんそく」という症状は、おおむね、病院のような生活をしているのが安全だ。すなわち、静かに暖かくして、でもってアレルゲンを少なくして、そのうえに空気清浄機をかけて、という方向に向かうことになる。ただ、こういうことを何度夫に言ってもわからない。その代わりに夫からは、今はホコリがスゴイから「外出しろ」、「空気を入れ換えろ」という緊急の指示が飛ぶばかりなのである。

いまどき、悪いものを外へ出そうという発想では、都会暮らしは難しい。たとえば冷房、たとえば高い煙突の焼却炉。外へ出せば、どこかにつけが回ってくる。私のように過敏でない人も、最近は次々に花粉症を発症し始めている。

私がいいたいのは、応急処置よりも抜本的解決を、ということだ。ばたばたホコリを出しておいて換気するより(外部にアレルゲンがゼロだという考えも早計だ)、そおっと水拭きするほうがいいに決まっている。そういう生活の積み重ねが、生活のクオリティだろう。夫にはいつも緊急の用事がつまっていて、大事な仕事が成せないのだ。

ということを考えていて、突然、音楽を職業とすることについて、それがどういうことなのかというのが、遅ればせながら、わかってきた。坂本龍一氏のこどもとコンサートについての文章が引き金となっていたのかもしれない、あるいは、最近なぜか作家が音楽を推薦するというような企画を多く見かけるのだが、それへの違和感なども、関係あるかもしれない。たしか、とあるピアニストが夜のコンサートを1本やるとしてギャラはいくらか、という話の途中で、そうか、と気がついたのだ。なんでそんなことわかんなかったんだろう、つまり、単純にこう考えればよかったのだ──もし私が音楽家になるとしたら、何を目指すだろうか? と。ところが、それがまさに想像できないことだったのである。まあ、致し方のないことだけれど。

2008年、今年グッと来た音楽アイテムって?

2008-12-27 | ピアノ
今朝の東の空

以前アンデスを購入したネットの楽器店からDMのメールが届いたのだが、まあ定石通り「ジャンクメール」に振り分けられていたのだが、タイトルが少し気になって開いてみた。

楽器店による「今年、グッときたアイテム総覧」
http://www.rakuten.ne.jp/gold/reckb/contents/best_2008/best_2008.htm


この「楽器店で話題である」という話は、楽器好きの方にはお馴染みの通り、なかなかスジのいい情報であったりする。

たとえばパチカというけん玉じゃなくてなんていうんだろう、振り子の実験装置みたいな玉がふたつひもでつながっていて、かちかちならす楽器があるでしょう? ああいったものが売れたりするということと、何らかの音楽ジャンルが流行るということは、きちんとつながっているし、ヒットする商品が演奏のなんらかのツボを押さえていたりするということも多いものだ。

しかし、楽器屋さんのチョイスはそんななまゆるいものではなかった。たとえば鍵盤楽器で推されているのは、マイク内蔵鍵盤ハーモニカ(ハモンド製)、電子チェンバロなど。なんでしょ一体。値段が高いものばかりがラインアップされているわけではなくて、レコーディングアイテムではギターを弾いてMIDIを出すという不思議なツールも載っていたり。そこで私もあれっと思ったのですが、このお店は鍵盤とレコーディングアイテムしか置いていないんですね。

楽器店の話題といえば、商品情報だけでなく、メンテ情報、楽器のお手入れ情報なんかもたいへん役に立つ。そのことならば、このサイトがおすすめ↓ ときどき私も書かせていただいております。
ヤマハサイト「音遊人」
楽器のお手入れ道|バックナンバー


今朝の西の空
こういう風景に立ち会うと、クラシックイタチ、つい、ペールギュントの「朝」がどこからか流れてきて、そのメロディに満たされてしまう。小学校の時に「登校の音楽」だったんですよね。。

ライブは終わっていた。残念!

2008-12-26 | ライブハウスへ行こう!
メトロポリタン

池袋のメトロポリタンプラザの特設会場で、高田エージさんのライブがあるからというんで駆けつけたのだが、遅かった! もう終わっていました。

高田エージさんは、夫がすばらしいというので、聴いてみると、たいへん説得力のあるすばらしい歌声で、特に「永遠だったらいいな」という曲が夫は気に入って、さっそくヒビキにも聴かせるわけだが、するとコドモもさらりと覚えて、スタジオなんかに入って「やってみる?」という話になれば、さっと叩いてくれたりするのである。

こういう小さなことの積み重ねが、夫のシアワセなのかもねえ。

いやもうかなりシンプルな曲なのに、そのコード進行さえようわからんままおいてかれる、クラシックイタチなのでしたが。

さてさて、2008年も秒読みになってきました。ところで、来春新刊で発売される『ロボットのおへそ』の告知記事が、今日、オンライン書店のbk1にアップされました。『ようこそ量子』に続く2冊目の共著の新書です。1月末には書店に並びますので、ぜひお手にとってみてください。

高田エージさんは全国でライブ活動をされているので、またそのうち機会があるはず。その時は、こんどこそ、定刻に駆けつけたいと思います。

高田エージさんの記事がここに載っています。池袋では、ぽつんと1本、ステージに残されたギターが、まだそこらに彼がいそうな感じを漂わせていたのでした。↓
旅するシンガーソングライター高田エージさんの記事

清水ミチコに憧れて。

2008-12-25 | ピアノ
ミニピアノ

なんでまたクリスマスに清水ミチコに憧れるかというと、クリスマスとなると、クリスマスらしい幼年期の思い出がないらしい夫は、幼年期を飛ばして「恋人がサンタクロース」のモードへ入り、するとプレゼントにはさてギターを取り出してと(ぃよっ、伴奏楽器!)、うちのリビングは「ウクレレクリスマス」ならぬギターの弾き語りによるクリスマスソング歌いまくり大会、と言う様相になり、しかも夫がやるとなんとなくフォークな色彩が濃くなっていくという次第なのである。(あ、そっち違いますから。)

というわけでみんな元気に歌う(階下にはなんと合唱隊もくるのである)のだが、クラシックイタチが歌うとこれがどうも、ものまねを帯びてくるという困った問題があるのである。

「それが、音楽性のなさを露呈しているのだ」

と夫は言うのだが、本当だろう。

さて、ここからが応戦である。表現といえば「にのせん!」一本道な夫とちがって、私はコメディアンが好きなのである。ピーター・セラーズに始まり、ラビットならぬ関根勤、コロッケという芸人さんも好きである(徳川家康のまねまでしてしまうことによって時代考証してしまうというすごさ)。でもって女性のぴかいちが清水ミチコさんというわけなのだ。

音楽性のなきゆえ、と夫は言うのだが、私は歌おうとするとものまね、というより、より正確に言うと、「清水ミチコさんのものまね」になってしまうのである。

お笑い性(なもんありましたっけ)のない夫は、「それやれば、おもしろいかもよ」などと言っているのであるが、面白いわけないでしょう。

マレーバクとタンバリン

2008-12-24 | ドラム・パーカッション
マレーバクの枕

マレーバクとタンバリンがどういう関係にあるかというと、上の画像にある通り。前からヒビキが欲しいといってたアフタヌーン・ティーの人気商品動物枕シリーズのかなり先行商品だったマレーバク(「枕」といえば、やっぱりマレーバクだよね)、アフタヌーン・ティーの袋を見るなり、ヒビキ

「わかった! 僕のほしかったマレーバクでしょ」

はい正解。ばくは悪夢を食べてくれる、お釈迦様を乗せた偉い動物なんですよ、お釈迦様といえば仏教、一方今日はキリスト教最大の祭日で、キリスト教の人は「ミサ」というのをやるんだけど、最も格式高い、曲数の手を抜かない(長い)ミサなんですよ……と蘊蓄をひとたれ。その中にあるのが、サイモンとガーファンクルの歌でも有名な「キリエ」ですね──。

さて、続いてはジャズうさぎこと(今日はすっかりフォークギターおやじですが)夫が、ヒビキにタンバリンをプレゼント。仙波さんがDVDでやってる「あれ」がこのタンバリンならできるかもしれない、というんで、買ってきたのだそう。「あれ」というのは皮の面を親指で擦るだけで、連続した音が出るという不思議な奏法。現に見たこともあるけれど、どうしてなるのかはよくわからない。

というわけで、今日はぜひとも、不思議なタンバリンの音がする、長い夢を見てください。

みなさまも、メリークリスマス。

クリスマスがやってくる。

2008-12-23 | コレクション
クリスマスウィッシュ

「いやあ、今年ももうすぐ終わりだなあ~」

こういうのってコドモに言われると、「そーお?」となんとなく反論したくなるから不思議である。

ヒビキの今年のサンタさんへのお願いはタイムマシン、じゃなくってピッチングマシンとノックマシンという、これがドラベースというマンガの中に描かれている機械だというので
「ノックマシンなんてものはないよ」
と夫が、こうやって書くといかにも「とーさん」な発言で一蹴。そういうわけでノックマシンは断念することにして、ピッチングマシンに専念してお願いすることになったのであった。

「くつしたがないとだめなんじゃない?」
と言ったら、見てください、「くつした」と書いてある。こんなんで大丈夫かなあ。

しかし今年は音楽コドモとしてはなかなか大収穫な一年であった、のではないだろうか(親バカ呑気炸裂)。ドラムの発表会ではドラムだけでなく、バイオリンも弾かせてもらったし、ビッキーズは浜松デビューしたし、自由演奏会は叩かせてもらったし(しかしヒビキ、考えてみると自由演奏会のキャリア6年である)、うーんほかにもいろいろあったような気がするぞ。年末クリスマス大騒ぎライブみたいのもそのうちやりたいねえ。

あっという間に、コドモは大きくなるのでありました。

そういえば、バイオリンはどうなったのか?

2008-12-22 | バイオリン・レッスン
トミカばっかり

大人のレッスンの場合は、ちょっと話を聞かなかったりすると、すぐにも具合だの都合だので休んでいたということが多いわけだけれども、子供はその点、けっこう着々と進んでいたりして、頼もしい。またそういう健康状態にあることはたいへん有難い。

ヒビキのクラスメイトの女の子にも2人バイオリンを習っている子がいて、たまに話を聞くと、(常に!)ヒビキより進んでいたりする。クラシックイタチこと私は、小さいときに妹がバイオリンを習っていて、そこそこ小さいときから始めたんだけど、そんなに早くうまくなるものだったかな、と記憶を巡らしている。

鈴木バイオリンの教本も、妹のをおさがりで使っているので、いろいろ書き込みがしてあるところをみると、それほど年長向けに書いてあるようにも思えないので、やっぱりこのくらいだったのかなあ、とも思う。たとえば小学校1年で1巻と思えば、小学校6年で6巻目突入ということになる。

ふむふむ。そんなテンポだったかもしれん。
でもそれじゃ、全日本学生音楽コンクールの予選曲は弾けないけどね。

ヒビキが現在取り組んでいるのは鈴木バイオリン教本第3巻の1番目、3番目の曲と、最後にあるバッハのブーレである。このブーレはいい曲、すばらしい曲で、バイオリンって楽器はほんとに説得力あるなあ、とクラシックイタチなんぞは感嘆してしまうのだが、ちょっと言ったら、ヒビキが取り組んでくれたのである。ふむふむ、ほんとにいい曲だよこれ。(ピアノ譜がまたやる気がない、付け加えるものはないってくらい簡単だし)

分数バイオリンは1/2になってからかなり経つが、今が一番弾きやすい頃合いかもしれない。

いずれにしても年末年始は(受験勉強のみなさんはきっと大変だよね)ぽっかりレッスンがお休みだから、せいぜい精進してくれたまえよ。(中耳炎もだいぶ治ってきました)

というわけで、なんだかとりとめもなかったのですが、年の瀬だなあ、という気分にもなってきております。

どうする? 菅沼孝三氏のハイパーテク「ドラム道場」

2008-12-21 | ドラム・パーカッション
ドラム道場

(前回のつづき)
やはりクラシックイタチが曲がりなりに印象深かったのは、菅沼氏の目を洗われるようなスティックの軌道の正確さと、なんといっても生徒さんのレベルが高い!というこの事実。

最初はゆっくり打ち方を確認しながら叩いていくのだが、途中からテンポアップしたり、今スネアで学んだことを即ドラムセットで足もタムも付けて、となると、なんというかドラム的翻訳基礎技能のようなものもまず身についていなければならない。それもたいへんな速さだから、およそそういった一連の動きが「身になって」いなければ、思っていたからって、わかっていたからって、できないのだ。

これを情報処理かな、と一瞬思ったのだけれども、というよりは、自動処理と言うべきかもしれない。こういう譜面があって、こう叩く、ということが見た瞬間にぱっとできる、できた瞬間に倍速でできる、できたらドラムセットでもすぐできる、というように自動的に変換できなければならない。

こういう難易度を、ヒビキは体験したことがなかった。もちろん生徒さんたちだって、みんなそう易々とできるわけではないし、考え考え進んでいるし、というよりもむしろ、全員がこりゃできん、というような位置まで見せてくれる、という感じだ。

菅沼孝三氏は、いやもうほんとに、どれだけうまいのか、というくらいで、音も美しい。そしてスティックのまったく無駄のない動き。

ヒビキくん、どうします? このレッスン、続けてみます? と訊いてみたところ、たっぷり1週間かけて、今のレッスンは続けるという約束で、通ってみることになった。ところがその直後に中耳炎を発症して、年内はお休み。やれやれ、というわけで、話は2009年へとお預けである。

キッズドラマーの登竜門、菅沼孝三氏のレッスンを体験

2008-12-20 | ドラム・パーカッション
ドラム道場

ご縁あって、菅沼孝三氏のレッスンを体験。菅沼氏がご自身がキッズドラマーであったこともあり、いろんな場所でレッスンの場を開いているとのことで、その名も「ドラム道場」というのである。別にご縁などなくても、ドラムが好きな人、うまくなりたい人、プロを目指したい人などを対象に体験レッスンを受け付けているのだそうだ。詳しくはこちら↓

菅沼孝三オフィシャルサイト
http://www.kozosuganuma.com/


して、ヒビキが体験したのは、12月の渋谷でのことであった。

のだが……。いやはや、難しいです。譜面があるのですが、音符が細かくてテンポが速い。先生が叩くとああそうか、ここにこうリズムがあるのかと感じられるが、それっきり、で何したらいいんだろうと、見ているだけで途方に暮れます。

ところが、そのスゴイ道場にですよ、キッズがいろいろ混じっているんですね。彼らはもう、おにいちゃんたちと一緒に、遜色なく叩く。いやもう、かなりすごいです。うーん、ハイレベル・ショックというか、ただこの驚きの大きさで言えばカルチャーショックと言ってもよいのかも。

うーん、ヒビキ、大ピンチ!

HASYMOのライブに出てくる卓上ピアノ

2008-12-19 | ピアノ
卓上ピアノ・ミニピアノ

YoutubeにアップされているHASYMOのライブで、坂本龍一氏がミニピアノを弾いているよ、と聞いて、見てみたら、確かに弾いていた。「RYDEEN 79/07」という曲である。だがおそらく著作権の問題がありそうなので、ということは、Youtubeの映像を指定してもすぐリンク切れになることが予想される。そこで、これが入っているアルバムというかCDを紹介しておこう。ウチではダウンロードで購入し、最近よく聞いている。(近景についてはこちらのポスト「SFは音楽に限る。」をご覧ください)

GIJONYMO-YELLOW MAGIC ORCHESTRA LIVE IN GIJON 19/6 08-

commmons

amazonへ(視聴もできます)

しかしこのミニピアノは、一見したところ、ウチにあるKAWAIのミニピアノによく似ている。天板を開くと、フタのようなのがネジ留めされていて、中には音源にあたる金属のパイプが、おそらく入っているはずだ。ところがこのネジが案外頑丈にとまっていてうまく外れない。

坂本龍一氏は、このピアノのフタをしめたまま使っているが、ウチのピアノで弾いてみると、決定的な違いが1つある。それは、電子ピアノなどでも若干同様なのだが、鍵盤を上げ下げするカタカタした音がバカにならないほど大きいということだ。CDを聴いてみればわかるように、YMOの録音ではその音が入っていない。だからヒビキがライディーンを聴いて「トイピアノだ」と看破したときも、大人はシンセだろうと思っていた。音だけがきれいに入っているからだ。Youtubeの粗い画像ではとてもわからないが、もしかしたらトイピアノの中にうまくマイクを仕込んであるのかもしれない。カタカタはアクションが本物のピアノほどうまくできていないために起こるから、打鍵によって発音した音だけをうまく拾えばいいわけである(理屈からすれば、ですが)。

Youtubeのその他の映像でも、トイピアノを録音したものは、紛れもなくそのカタカタした音が入っていて、速弾きのトイピアノが聴きずらいのは、そのためでもある。なんとも優雅じゃないし、かえって神経質な感じがしてしまう。あれだけたくさんの映像がみんなカタカタ鳴っているのだから、音だけをとりだす、というのは案外たいへんなことのように思えるのである。またジョン・ケージのトイピアノのための作品でも、そのノイズを活かそうというわけだろうから、きっとカタカタするに違いない。なんというか、静寂の水面の上を、カタカタという「環境音」を含めたピアノが鳴る、というのが、トイピアノの独擅場といったところなのではないだろうか。

いやあ、あのトイピアノはどうなっているんだろうなあ、と思いながら聴く「RYDEEN 79/07」なのである。

RESCUE/RYDEEN 79/07
SHIHO SHIBAOKA,HARUOMI HOSONO,YUKIHIRO TAKAHASHI,HASYMO,YELLOW MAGIC ORCHESTRA
commmons

amazonへ(視聴もできます)

大人の立場、コドモの立場。

2008-12-18 | コレクション


先日、近所の小学校が学校公開だったので、少しだけ見に行った。帰りがけに玄関のほうでコドモの泣く声がしていて、見ると体が大きい子が上がり口のところで、寝た体勢で顔をタオルで覆って泣いている。この学校には特殊学級があるのを思い出した。2人の先生がついていて、早く起き上がるようにと言っている。そして早くみんなのほうへ戻れと言っている。先生たちの話し方は優しい。でもコドモが泣き続けるので、しまいに「1、2,3……」と数え始めた。

それまでの経緯は、私にはまったくわからないのだが、なんとなく釈然としないものを感じたのは、私自身が小学校の時に、そういった集団行動や道徳の指導で納得がいかず、そのコドモのような立場を体験することが多かったからだと思う。私はよく給食を食べないからといって食べるまで残されたり、今思うとマンガのようだがバケツを持って廊下に立たされたりした。現在はこういう指導はしていないと思う。

そのコドモの立場に立ってみると、要するに彼は戻りたくないのだと思う。それはたぶん何かあって、それがこわかったからもう戻りたくないのだ。それだけだ。だから戻らなくていい、と言えば、たぶん起き上がるだろうし、泣くこともやめるだろう。

つまり、この場合、コドモにはまったく選択肢が与えられていない。それはひとつには、先生と生徒の間であれ、話し合いの仕方として問題があるだろう。それともうひとつには、先生方がそうすることが正しい、そうするべきだ、という考えに立ちすぎていると思う。いやだという子がひとりいて、その子だけ見ている授業があってもよい。先生方はたぶんそういう子がいてはかわいそうだ、戻してやるのがこの子のためだ、と考えているだろう。ただよく見てほしい、この子は本気で、今は戻りたくない。そのことを一生懸命表現しているだけではないのか。

今は逆に大人になった私は、ほんとうは先生方の気持ちのほうがよくわかるのだ。どうしたら、この子を、できれば何事もなかったように、早く戻してやることができるだろう。それに、そんなに大げさに泣くほどのことはなかったじゃないか、今戻ればそれで大丈夫なのにと、その立場に立てば、私も思うかもしれない。しかしそれは大人の立場に立ちすぎている。その子に何も教えない。

戻らなくていいよ、と言われたコドモは、即時に問題解決だ。問題が解決した頭で次のことを考えることができる。それは脅しか?とちょっと思うかも知れない。でもできればそういう雰囲気ではなく、そうしたっていいんだ、というところで考えてもらったほうがいい。ひとりではさびしい、みんなと一緒のほうがいい、と自分で思って戻ってくることで、コドモは学ぶだろう。コドモはこうするのがいい、という大人の思いこみはかくアブナイのである。

サカモト教授の、コドモとコンサートについて。

2008-12-17 | おんがく
卓上ピアノ

「JOURNALSAKAMOTO+」(じゃーなるさかもとプラス)というメールマガジン──「日本語ニュースレター」だそうだ──を購読している。坂本龍一氏のコンサート、レコーディング、CD発売、メディア出演等の情報が、坂本龍一氏からのメッセージとともに受け取れるメルマガで、最近はオーディオスポンジなどの情報もついてくるから、教授ファンの方には必携である。

で、この「JOURNALSAKAMOTO+」の今号(vol. 083)は、これから始まるツアー「Ryuichi Sakamoto Playing the Piano 2009」の情報で、このツアーに先立ち、坂本龍一氏が「コンサートと子供」と題したメッセージを寄せている。

ところでこのコンサートにコドモをどう連れて行くか、というのは、これまた、まさに響けブログ的な話題である。ただ振り返ると、ヒビキは(断じて少なくともこの点だけは、という意味で)優等生であったので、実際にはあまり参考にならなかったかもしれない。

坂本龍一氏は、3歳の息子に「2001年宇宙の旅」を見せようとして、失敗したそうである。(原文を引用したいが、「ご遠慮ください」とのことなので、私ことクラシックイタチは遠慮してしまったのである。)

また、坂本龍一氏のコンサートでは、通常、入場制限を設けていないのだそうである。そもそもはここから話が興り、子供にもいい音楽を聴かせたいという親の気持ち、子供の泣き声は「うるさい」という大人の気持ち、はたまた泣いているコドモの気持ち、というふうにやさしく説きながら、どうしたら一番ナチュラルに、みんながコンサートを楽しめるのか、へと導いていく文章だ。音楽家、そしてステージの上から、そして一人の親と、視点も自在に操りながら、「いろんな立場」を表現している。


残念ながらニュースレターはバックナンバーが公開されていないのだそうだが(ほんとに残念)、ツアー等について詳しくは、坂本龍一氏のサイトに載っていると思う。
siteSakamoto.com
http://www.sitesakamoto.com/