今日から皐月、早八十八夜、
新緑のまぶしい季節となりました。
今日の陽気も歩くと汗ばむくらいで半そで姿も多く見られました。
先月23日も同じような暑さを感じながら、
多摩めぐり30で三鷹市の南側から府中市まで、
約14キロ2万歩以上歩いてきました。
ガイドはタマケン合格者の方々で、
詳しい資料の基に見どころ聞き所が多い三鷹市の名の由来から始まり、
「古墳時代から江戸・明治・大正・昭和の鼓動を感じる三鷹市を歩く」をテーマに、
三鷹駅→中央通り→禅林寺→鷹場標石→国立天文台→ハケ上散策路→、
水車(しんぐるま)→出山横穴墓群→龍厳寺→多摩駅というコースですが、
内容は濃く三鷹市ゆかりの文人墨客のお墓や家なども見て回りました。
玉川上水
三鷹駅の直下を上水は流れているが、甲武鉄道が敷設される際に、
線路をくぐる部分については、
直交するように流路を変えている。
今もその様子は南側からうかがわれる。
中央通りの文学碑
三木露風
昭和3年(1928)から昭和39年(1964)まで牟礼に居住
露風の作詞の童謡「赤とんぼ」を記念して昭和52年(1977)に設置
武者小路実篤
昭和7年(1932)から昭和15年(1940)まで井の頭に居住
地球を支える手と「人間万歳」のプレートが平成5年(1993)に設置
山本有三
昭和11年(1936)から昭和21年(1946)まで下連雀に居住
「生きとし生けるもの」の言葉が刻まれていて、平成5年(1993)設置
太宰治・亀井勝一郎
太宰治は昭和14年(1939)から昭和23年(1948)まで下連雀に居住
亀井勝一郎は昭和9年(1934)から昭和11年(1936)まで下連雀に居住
禅林寺
開拓農民として移住してきた神田連雀町の人々によって、
宗旨改めの必要から、江戸築地本願寺の松乃坊を迎えて創建
森林太郎(森鴎外)の墓
森林太郎遺言碑
太宰治の墓
綺麗な藤棚がありました
八幡大神社
創建は寛文年間(1661~72)頃といわれ 、下連雀の鎮守
八幡大神社御由緒
神輿が飾られていました
ここまで来る間にも三鷹市産業プラザ、下連雀の説明などがありました。
まだ続きますので次回にします。
内容はガイドさんの資料を参考にさせていただきました。
新緑のまぶしい季節となりました。
今日の陽気も歩くと汗ばむくらいで半そで姿も多く見られました。
先月23日も同じような暑さを感じながら、
多摩めぐり30で三鷹市の南側から府中市まで、
約14キロ2万歩以上歩いてきました。
ガイドはタマケン合格者の方々で、
詳しい資料の基に見どころ聞き所が多い三鷹市の名の由来から始まり、
「古墳時代から江戸・明治・大正・昭和の鼓動を感じる三鷹市を歩く」をテーマに、
三鷹駅→中央通り→禅林寺→鷹場標石→国立天文台→ハケ上散策路→、
水車(しんぐるま)→出山横穴墓群→龍厳寺→多摩駅というコースですが、
内容は濃く三鷹市ゆかりの文人墨客のお墓や家なども見て回りました。
玉川上水
三鷹駅の直下を上水は流れているが、甲武鉄道が敷設される際に、
線路をくぐる部分については、
直交するように流路を変えている。
今もその様子は南側からうかがわれる。
中央通りの文学碑
三木露風
昭和3年(1928)から昭和39年(1964)まで牟礼に居住
露風の作詞の童謡「赤とんぼ」を記念して昭和52年(1977)に設置
武者小路実篤
昭和7年(1932)から昭和15年(1940)まで井の頭に居住
地球を支える手と「人間万歳」のプレートが平成5年(1993)に設置
山本有三
昭和11年(1936)から昭和21年(1946)まで下連雀に居住
「生きとし生けるもの」の言葉が刻まれていて、平成5年(1993)設置
太宰治・亀井勝一郎
太宰治は昭和14年(1939)から昭和23年(1948)まで下連雀に居住
亀井勝一郎は昭和9年(1934)から昭和11年(1936)まで下連雀に居住
禅林寺
開拓農民として移住してきた神田連雀町の人々によって、
宗旨改めの必要から、江戸築地本願寺の松乃坊を迎えて創建
森林太郎(森鴎外)の墓
森林太郎遺言碑
太宰治の墓
綺麗な藤棚がありました
八幡大神社
創建は寛文年間(1661~72)頃といわれ 、下連雀の鎮守
八幡大神社御由緒
神輿が飾られていました
ここまで来る間にも三鷹市産業プラザ、下連雀の説明などがありました。
まだ続きますので次回にします。
内容はガイドさんの資料を参考にさせていただきました。
「多摩めぐり30~三鷹」に誘っていただき
ありがとうございました。
禅林寺の森鴎外、太宰治のお墓に参拝できて
本当に良かったです。
藤の花がとてもきれいでした。
ありがとうございました。
Stsuko
まだ最後まで紹介していませんが、
道中長かったですね。
著名人の歴史を探る散策も楽しいものでしたね。
ご覧頂きありがとうございました。