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小林重予さんのこと・続き (追記あり)

2017年12月02日 18時38分01秒 | 情報・おしらせ
(承前)

 goo blog の不調で、途中から文章が消えてしまいます。
 これまで2度書いた文章をもう一度書き直します。

 小林重予さんの経歴で、三つほど付け加えたいことがあります。

 ひとつは、1980年代から21世紀初頭にかけて札幌を代表するオルタナティブスペースだった「FREE SPACE PRAHA (フリースペースプラハ)」の初期メンバーだったことです。
 プラハは1988年に建築家の柳田良造さんにより開設されますが、89年に共同アトリエとして本格的に出発した際のメンバーが、小林さん、柳田さんのほか、端聡さん(美術作家)、柴田尚さん(アートディレクター)、植村桂弘さん(写真家)などでした。これに、小室治夫さんや露口啓二さんも加わります。
 この顔ぶれをみても、プラハが北海道美術史に重要な足跡を残してきたことがわかると思います。

 二つ目は、道立旭川美術館が2000年に開いた「インドネシアの新しい美術」展で、中心的な役割を担ったことです。
 小林重予さんは何度もインドネシアで発表しており、このときは、同国の古都ジョグジャカルタの若い美術シーンを旭川で紹介するにあたって、力を尽くしました。
 この展覧会については、日本語のカタログがなく、管見ではそもそも日本語テキストがほとんど見当たりません。どなたか記録をお持ちであればいいのですが。

 三つ目。
 個人的には2001年3月、彼女が「初めてのヨーロッパ 5カ国35日間滞在記」と題したスライドショーを、地下鉄南北線自衛隊前駅のすぐ近くにあった「まるバ会館」(初代のほう)で開いたことが印象に残っています。
 アムステルダム、パリ、フィレンツェ、バーゼル(スイス)などに滞在し、パリでは個展も開いた体験を、写真をまじえて軽妙な語り口で紹介していました。

 演劇スペース「スタジオZOO」(中央区南10西1)のこけら落としを記念して「小林重予、八子直子、レスリー・タナヒル3人展」が始まったのはこの数日後のことでした。


 ブログの不調も手伝って、とっちらかった文章になってしまいすみません。
 ご冥福をお祈りします。


※追記。北海道新聞2017年12月7日夕刊文化面に、同面に随時掲載されていた「心の庭の植物図鑑」の未掲載分(文章付き4点、絵のみ3点)が一挙にカラーで掲載され、追悼特集を兼ねた紙面となっています。


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