(承前)
選炭所跡から、火力発電所に移動。
ここの建物は、とにかく巨大で、圧倒される。
この手の産業遺構(といっても、いまも東亜建材工業によって現役で使用されているのだが)は、とかく建物自身の持つ力が前面に出て、肝心の作品がかすんでしまいがちである。
しかし、さすがにこの手のプロジェクトも回数を重ねると、古く大きな建物の持つパワーに作品が拮抗するようになってくる。
単に作品をでかくするというだけでなく、さまざまな工夫で、廃墟パワーに埋もれないような提示の仕方ができるようになっていると、言ったほうがいいかもしれない。
そのひとつの「解」は、映像作品だ。
考えてみれば、炭鉱遺産の中は暗いのだから、映像の上映に適している。
今回、この建物の1階と地下部分は、映像の展示にあてられている。
まず、1階。
東亜建材がいまも使用している部分の手前には、スクリーンが置かれ、北川陽稔「Unknown Flame」が映し出されていた。
巨大な空間だが、映像作品であれば、大きさではない存在感を示すことができている。
めらめらと燃え上がる火は、石炭を思い出させる。
その意味では、あまりひねりのないコンセプトといえなくもないが、火というのは、それだけで強い。いつまで見ていても、飽きることがないのだ。
地下の暗いフロアには3人が、映像作品、もしくは映像を用いたインスタレーションを展示している。
Kevin Gaffney 「水の面に油の虹がはっきりと泛んでくる」
ケビン・ガフニーは先ごろCAI02で、電話機を風呂場で処分する映像作品を上映していた作家なので、記憶にある人もいるだろう。
タイトルは、三島由紀夫「春の雪」(「豊饒の海」の一部)からの引用。
アイルランドの旧産炭地で撮影が行われたとのこと。
荒涼とした風景の中を進む人。
恐ろしい、フランケンシュタインを思わせる風貌をした男が、ゆっくりと垂直におりていく姿。
なにを意味しているのかは明確ではないが、生と死、動と静が、鮮やかに描き出されているように思う。
7月にトオンカフェ(札幌)で映像個展を開いていたホリー・ワーバートン(Holly Warburton)にも共通する、どこか神話にも似た、北方的、ゴシック的なものを感じさせるのだ。
スクリーンの手前に、自然に水がたまっていて、映像を反射させるのが美しい。
伊藤隆介「清水沢山」
基本的には、送電線網のミニチュアがないだけで昨年と同趣旨の作品だと感じた。
ちょっと人工的な青空のイメージと、下の方にうつる、炭鉱労働者らのモノクロ映像の対比。
それは、地下のつらい労働を強調するのかもしれないし、高度成長の時代が持っていた一種の希望(そんなものが昭和時代にあったと思ってしまうのは、人間が悪いことを忘れてしまう動物だからにすぎないのだが)の暗喩かもしれない。
端聡「過去は今によって変わり、未来は今によって 2014」
札幌国際芸術祭の実行委で大忙しだったはずの端さんがこうして作品を出していること自体、奇跡的に思える。
作品は、循環している液体がメーンになっており、上から垂れ落ちてくる水は、永遠に尽きることがない。
上部に流れる数字は、出炭量や発電量などのデータだそうだ。
鮮烈でスタイリッシュなイメージが先行する端さんの作品のなかでも、いつになくサイトスペシフィックで、北海道の歴史と現実を反映した作品になっているように思う。
見た順番と逆になるが、入り口附近を紹介したい。
これは作品ではなく、配電盤。
元からあるものだが、作品と見間違えそうになるほど、美しい。
グループの「ミメノン」による立体「永続」。
「時代や環境の変化にとらわれず、力強くしなやかに伸びる芽。夕張の炭鉱で働く人々の功績は、枯れることのない芽となり、今もこの地に生き続けています」
と、会場で配布しているリーフレットにあった。
北川陽捻「The Opened Window」
写真作品。
2階については、次のエントリで紹介する。
□そらち炭鉱(やま)の記憶アートプロジェクト http://sora-coal-art.info/
■夕張清水沢アートプロジェクト(2011年)
(この項続く)
選炭所跡から、火力発電所に移動。
ここの建物は、とにかく巨大で、圧倒される。
この手の産業遺構(といっても、いまも東亜建材工業によって現役で使用されているのだが)は、とかく建物自身の持つ力が前面に出て、肝心の作品がかすんでしまいがちである。
しかし、さすがにこの手のプロジェクトも回数を重ねると、古く大きな建物の持つパワーに作品が拮抗するようになってくる。
単に作品をでかくするというだけでなく、さまざまな工夫で、廃墟パワーに埋もれないような提示の仕方ができるようになっていると、言ったほうがいいかもしれない。
そのひとつの「解」は、映像作品だ。
考えてみれば、炭鉱遺産の中は暗いのだから、映像の上映に適している。
今回、この建物の1階と地下部分は、映像の展示にあてられている。
まず、1階。
東亜建材がいまも使用している部分の手前には、スクリーンが置かれ、北川陽稔「Unknown Flame」が映し出されていた。
巨大な空間だが、映像作品であれば、大きさではない存在感を示すことができている。
めらめらと燃え上がる火は、石炭を思い出させる。
その意味では、あまりひねりのないコンセプトといえなくもないが、火というのは、それだけで強い。いつまで見ていても、飽きることがないのだ。
地下の暗いフロアには3人が、映像作品、もしくは映像を用いたインスタレーションを展示している。
Kevin Gaffney 「水の面に油の虹がはっきりと泛んでくる」
ケビン・ガフニーは先ごろCAI02で、電話機を風呂場で処分する映像作品を上映していた作家なので、記憶にある人もいるだろう。
タイトルは、三島由紀夫「春の雪」(「豊饒の海」の一部)からの引用。
アイルランドの旧産炭地で撮影が行われたとのこと。
荒涼とした風景の中を進む人。
恐ろしい、フランケンシュタインを思わせる風貌をした男が、ゆっくりと垂直におりていく姿。
なにを意味しているのかは明確ではないが、生と死、動と静が、鮮やかに描き出されているように思う。
7月にトオンカフェ(札幌)で映像個展を開いていたホリー・ワーバートン(Holly Warburton)にも共通する、どこか神話にも似た、北方的、ゴシック的なものを感じさせるのだ。
スクリーンの手前に、自然に水がたまっていて、映像を反射させるのが美しい。
伊藤隆介「清水沢山」
基本的には、送電線網のミニチュアがないだけで昨年と同趣旨の作品だと感じた。
ちょっと人工的な青空のイメージと、下の方にうつる、炭鉱労働者らのモノクロ映像の対比。
それは、地下のつらい労働を強調するのかもしれないし、高度成長の時代が持っていた一種の希望(そんなものが昭和時代にあったと思ってしまうのは、人間が悪いことを忘れてしまう動物だからにすぎないのだが)の暗喩かもしれない。
端聡「過去は今によって変わり、未来は今によって 2014」
札幌国際芸術祭の実行委で大忙しだったはずの端さんがこうして作品を出していること自体、奇跡的に思える。
作品は、循環している液体がメーンになっており、上から垂れ落ちてくる水は、永遠に尽きることがない。
上部に流れる数字は、出炭量や発電量などのデータだそうだ。
鮮烈でスタイリッシュなイメージが先行する端さんの作品のなかでも、いつになくサイトスペシフィックで、北海道の歴史と現実を反映した作品になっているように思う。
見た順番と逆になるが、入り口附近を紹介したい。
これは作品ではなく、配電盤。
元からあるものだが、作品と見間違えそうになるほど、美しい。
グループの「ミメノン」による立体「永続」。
「時代や環境の変化にとらわれず、力強くしなやかに伸びる芽。夕張の炭鉱で働く人々の功績は、枯れることのない芽となり、今もこの地に生き続けています」
と、会場で配布しているリーフレットにあった。
北川陽捻「The Opened Window」
写真作品。
2階については、次のエントリで紹介する。
□そらち炭鉱(やま)の記憶アートプロジェクト http://sora-coal-art.info/
■夕張清水沢アートプロジェクト(2011年)
(この項続く)