(長文です)
毎年おなじような書き出しで申し訳ないが、日本画の世界の三大団体公募展といえば
日展
院展
創画展
と、きまっている。
このうち「院展」は、秋に東京都美術館で開く本式の展覧会のほかに、「春の院展」という、サイズのやや小さい作品展を開催し、札幌を含む全国を巡回する。
道内で、全国の日本画の動向を知ることのできる唯一の機会でもあり、毎年楽しみにしている人も多いはずだ。
もっとも、近年は、美術館学芸員や評論家の間でもっぱら
「日本画の最前線」
として語られるのは、創画展か、無所属の画家(昨年の「アミューズランド」に出品されていた岡村圭三郎ら)がほとんど。
院展は、保守的な傾向が強い-という目で見られているのかもしれない。
しかし、ことしの「春の院展」を見て、実に多様な方法論的試行が繰り広げられていることを知り、いささか安心した。
その試行ぶりを見るだけでも、じつにおもしろかったのだ。
機織りという道具立てを生かして、粗い織り目の布地と、白い線の密集の向こうに坐す人物を描いた実験作である、宮廻正明「聞糸(ききいと)」。
ガーゼを重ね張りして茫漠としたマティエールを表現した小谷津雅美「花うたげ」。
厚塗りした絵の具を引っかいてクラゲなどを線描であらわした吉村誠司「水中の虚構」。
同人でも、これほど意欲的な試みをしている作家がいるのだ。
武部雅子「鈴音(すずね)」もおもしろい。
女性を斜め後ろからとらえていて、周辺の地はほぼ抽象画のおもむきなのだが、彼女が手にしている「飛び出す絵本」が、画面に凹凸をつけて立体的に描かれているのだ。いうまでもなく、飛び出す絵本は平面であり、立体が平らに、平面が立体的に描写されているという倒錯がこの絵では実現している。しかも、その凹凸は、絵本から周辺の空間へとはみ出しているのだ。
涌井欣也「とれるかな」は奨励賞。
テレビの走査線を思わせる白い横線が画面すべてを覆い、ふしぎな光の感覚を再現している。
画題的に昨年と似すぎているのがちょっと惜しいと思ったけれど、目が離せない。
田中宗舟「白光」も、リヒターの作品を踏まえた処理をしているような、実験的作品といえる。
以上書いたようなことは、図録を見ていてはほとんど気がつかない。
その意味でも、実物と対話できるのはすばらしいことだと思う。
これはほとんど抽象だろう!-といいたくなるような思い切った画面で勝負している作品もひとつ、ふたつではない。
水面の反射だけを描いた川瀬伊人「水ぬるむ」や清水操「命めぐる」もそうだし、樋田礼子「流星雨」は、ガラス窓に滴り落ちる雨水のしずくを描いているのだろう。それだけで絵にしてしまう力技に驚嘆する。
長原勲「a・クローバー」も、草地を、絵の具の濃淡だけで表現しきっている。題がなければ、抽象画としか思えないであろう。いいぞ、いいぞ。
ほかに気になった作品について。
前田力「灰の空」。
春季展賞。斜めの梁(はり)が強調されたモダンな建築の中、男の子が横向きにぽつねんと立っている。天井からは万国旗がたれさがり、床面には折り鶴が散らばっているさまが、モノトーンで描かれている。明示こそされていないが、平和の祈りを踏みにじる国々と世界に対する作者の静かな怒りがそこに込められていると見るべきではないだろうか。考えさせられる作品。
廣藤良樹「夕暮」。
外務大臣賞。モティーフになっている廃屋が日本家屋ではなく、どちらかというとモダンな西洋風の小さな家であることに、時代の変遷を感じる。
石村雅幸「杜穀(とこく)」。
巨木を描き続ける石村さん。ことしは葉が減り、平面性が強調されているようだ。おもしろいのは、小さく描かれた黒猫3匹。猫が画面に入ると絵を通俗的なものに陥らせる危険性があるのだが、この大きさだとスケール感をアップさせるうまい働きをしていると思う。
劉煐〓「鐘華(しょうか)」。
〓は「日」の下に「木」。高層ビルに反射した、はなやかな打ちあげ花火を、あえて白と黒だけで表現している。勇気あるなあ。
村岡貴美男「窓の白い手」。
奨励賞、春の足立美術館賞。
こういう世界は理屈ぬきで好き。見ているだけで脳裏に情景が浮かんできてどんどん暴走してしまう。12月の寒い日。葉をすっかり落とした木々。しゅうしゅうという音をたててやかんの湯がわくと、カフェオレを入れてくれる髪の長い女性。彼女は両手に息を吹きかけると、ふたたび厚いチェックのひざ掛けを載せてロッキングチェアにすわり、小説の続きを読み始める。テーブルの上には、古い岩波文庫の赤帯。ふと、掛け時計が、寝ぼけたような音で3時を告げる。
…際限がないので、ここらへんでやめておこう。
ほかに、縦構図で水鳥をうまく配した小川国亜起「曙光」、石積みの壁に存在感が豊かな岩村冨美「機関庫」、入浴する女性を格子がなかば遮るような木下千春「睡響」、古い木造校舎の教室のような空間を叙情性ゆたかに描いた高木かおり「日向の刻(こく)」=初入選・北海道出身、シルクペインティングのような発色で裸婦を描いた高島圭史「きいろいひと」、化粧をする女性をわざわざ右側に寄せるというむつかしい構図に挑んだ岡田眞治「光の中で」などが印象に残った。
なお、道内からは、泉谷文代「北の枯木(こぼく)」、高幣佳代「冬の街」、中野邦明「白樺の向こう」が入選。
「北の…」は、野付半島のトドワラが題材のようだ。適度に直線的な処理がなされ、すっきりした描法になっている。
東京に転居したばかりの小島和夫さんも「わたる風」で入選。めずらしく横位置で、骨董品店とおぼしきところの人物を描いている。
2009年5月26日(火)-31日(日)10:00-19:00
札幌三越(中央区南1西4)
■第63回 春の院展 ■その2 ■その3(2008年)
■第61回
■第59回
■第58回
■第57回
毎年おなじような書き出しで申し訳ないが、日本画の世界の三大団体公募展といえば
日展
院展
創画展
と、きまっている。
このうち「院展」は、秋に東京都美術館で開く本式の展覧会のほかに、「春の院展」という、サイズのやや小さい作品展を開催し、札幌を含む全国を巡回する。
道内で、全国の日本画の動向を知ることのできる唯一の機会でもあり、毎年楽しみにしている人も多いはずだ。
もっとも、近年は、美術館学芸員や評論家の間でもっぱら
「日本画の最前線」
として語られるのは、創画展か、無所属の画家(昨年の「アミューズランド」に出品されていた岡村圭三郎ら)がほとんど。
院展は、保守的な傾向が強い-という目で見られているのかもしれない。
しかし、ことしの「春の院展」を見て、実に多様な方法論的試行が繰り広げられていることを知り、いささか安心した。
その試行ぶりを見るだけでも、じつにおもしろかったのだ。
機織りという道具立てを生かして、粗い織り目の布地と、白い線の密集の向こうに坐す人物を描いた実験作である、宮廻正明「聞糸(ききいと)」。
ガーゼを重ね張りして茫漠としたマティエールを表現した小谷津雅美「花うたげ」。
厚塗りした絵の具を引っかいてクラゲなどを線描であらわした吉村誠司「水中の虚構」。
同人でも、これほど意欲的な試みをしている作家がいるのだ。
武部雅子「鈴音(すずね)」もおもしろい。
女性を斜め後ろからとらえていて、周辺の地はほぼ抽象画のおもむきなのだが、彼女が手にしている「飛び出す絵本」が、画面に凹凸をつけて立体的に描かれているのだ。いうまでもなく、飛び出す絵本は平面であり、立体が平らに、平面が立体的に描写されているという倒錯がこの絵では実現している。しかも、その凹凸は、絵本から周辺の空間へとはみ出しているのだ。
涌井欣也「とれるかな」は奨励賞。
テレビの走査線を思わせる白い横線が画面すべてを覆い、ふしぎな光の感覚を再現している。
画題的に昨年と似すぎているのがちょっと惜しいと思ったけれど、目が離せない。
田中宗舟「白光」も、リヒターの作品を踏まえた処理をしているような、実験的作品といえる。
以上書いたようなことは、図録を見ていてはほとんど気がつかない。
その意味でも、実物と対話できるのはすばらしいことだと思う。
これはほとんど抽象だろう!-といいたくなるような思い切った画面で勝負している作品もひとつ、ふたつではない。
水面の反射だけを描いた川瀬伊人「水ぬるむ」や清水操「命めぐる」もそうだし、樋田礼子「流星雨」は、ガラス窓に滴り落ちる雨水のしずくを描いているのだろう。それだけで絵にしてしまう力技に驚嘆する。
長原勲「a・クローバー」も、草地を、絵の具の濃淡だけで表現しきっている。題がなければ、抽象画としか思えないであろう。いいぞ、いいぞ。
ほかに気になった作品について。
前田力「灰の空」。
春季展賞。斜めの梁(はり)が強調されたモダンな建築の中、男の子が横向きにぽつねんと立っている。天井からは万国旗がたれさがり、床面には折り鶴が散らばっているさまが、モノトーンで描かれている。明示こそされていないが、平和の祈りを踏みにじる国々と世界に対する作者の静かな怒りがそこに込められていると見るべきではないだろうか。考えさせられる作品。
廣藤良樹「夕暮」。
外務大臣賞。モティーフになっている廃屋が日本家屋ではなく、どちらかというとモダンな西洋風の小さな家であることに、時代の変遷を感じる。
石村雅幸「杜穀(とこく)」。
巨木を描き続ける石村さん。ことしは葉が減り、平面性が強調されているようだ。おもしろいのは、小さく描かれた黒猫3匹。猫が画面に入ると絵を通俗的なものに陥らせる危険性があるのだが、この大きさだとスケール感をアップさせるうまい働きをしていると思う。
劉煐〓「鐘華(しょうか)」。
〓は「日」の下に「木」。高層ビルに反射した、はなやかな打ちあげ花火を、あえて白と黒だけで表現している。勇気あるなあ。
村岡貴美男「窓の白い手」。
奨励賞、春の足立美術館賞。
こういう世界は理屈ぬきで好き。見ているだけで脳裏に情景が浮かんできてどんどん暴走してしまう。12月の寒い日。葉をすっかり落とした木々。しゅうしゅうという音をたててやかんの湯がわくと、カフェオレを入れてくれる髪の長い女性。彼女は両手に息を吹きかけると、ふたたび厚いチェックのひざ掛けを載せてロッキングチェアにすわり、小説の続きを読み始める。テーブルの上には、古い岩波文庫の赤帯。ふと、掛け時計が、寝ぼけたような音で3時を告げる。
…際限がないので、ここらへんでやめておこう。
ほかに、縦構図で水鳥をうまく配した小川国亜起「曙光」、石積みの壁に存在感が豊かな岩村冨美「機関庫」、入浴する女性を格子がなかば遮るような木下千春「睡響」、古い木造校舎の教室のような空間を叙情性ゆたかに描いた高木かおり「日向の刻(こく)」=初入選・北海道出身、シルクペインティングのような発色で裸婦を描いた高島圭史「きいろいひと」、化粧をする女性をわざわざ右側に寄せるというむつかしい構図に挑んだ岡田眞治「光の中で」などが印象に残った。
なお、道内からは、泉谷文代「北の枯木(こぼく)」、高幣佳代「冬の街」、中野邦明「白樺の向こう」が入選。
「北の…」は、野付半島のトドワラが題材のようだ。適度に直線的な処理がなされ、すっきりした描法になっている。
東京に転居したばかりの小島和夫さんも「わたる風」で入選。めずらしく横位置で、骨董品店とおぼしきところの人物を描いている。
2009年5月26日(火)-31日(日)10:00-19:00
札幌三越(中央区南1西4)
■第63回 春の院展 ■その2 ■その3(2008年)
■第61回
■第59回
■第58回
■第57回
絵は、なかなか変われませんねー。
何か、転機があれば・・・。
年に1度、石村様の絵を見るのが楽しみのひとつです。
秋の院展も北海道に巡回してこないかなあ。