田中咲さんは道都大の4年生。シルクスクリーンを中心に版画や染色に創り手を輩出している中島ゼミに属しているが、アクリル画のタブローを作る珍しい人だ。
モティーフは大半が人物で、制作のペースはものすごい。
…というところまで書いて、手が止まったまま、何日かが過ぎた。
今回の個展は新作が9点。ほか、今春のグループ展「ナカジプリンツ」に出した小品と、旧作のオリジナル絵本も並んでいる。
その新作はいずれも父親と娘の愛という近親相姦を題材にしたもので、見た瞬間、かなり驚かされた。
(いずれも題はついていない)
とくに、会場に入ってすぐの壁に掛かっている作品は、裸の男の膝の上で赤ん坊がフェラチオをしているというもので、いささかショッキングだ。
作者本人は「愛情に包まれた絵に見えませんか」とおだやかな口調で話していたが、少なくとも筆者にはそういうタイプの絵には見えない。
これらの作品群については、恩師である中島義博さんが、Facebook で
「執念と激情と妄想のエレクトラコンプレックス
万人にお勧めできる展示ではないが、これはまぎれもなく愛と純情の作品展である。」
と手短に評していて、これ以上、なにを語っても、よけいな冗語になるような気がする。
そして「エレクトラコンプレックス」という、的確な指摘があるがために、筆者の筆はストップしているのである。
「エレクトラコンプレックス」というのは精神分析の用語で、女児のエディプスコンプレックスを指す。幼い女の子が父親に寄せる欲望のことである。すごくおおざっぱに言うと
「わたし、大きくなったらパパと結婚する!」
というやつであろう。もちろん、ほとんどの少女はこの段階をほどなく卒業して、家族以外の男性に愛情を抱くようになっていく。
これまたむちゃくちゃおおざっぱな物言いだけど、田中さんは、エレクトラコンプレックスを、或る意味でこじらせてしまったということができなくもない。
アートの題材として、ヌードとか近親相姦といった、いまも世間一般ではタブーとされていることを取り上げれば、一定のインパクトを見る人に与えることができるだろう。しかし、彼女は、そういう計算ずくでこういう絵を描いているのではなくて、描かなくてはいられないから描いているのだろう。その気持ちが伝わってくるから、見ている人は作品の前から離れられなくなってしまうのだと思う。
「エレクトラコンプレックス」は、厳密には、フロイトの用語ではない。
とはいえ、フロイトが創始した精神分析が、20世紀後半以降の現代思想に、ひいては芸術学や美術評論に与えた影響は、きわめて大きいものがある。
とりわけ1990年代以降、現代美術で大きな潮流となった「不気味なもの(アブジェクシオン)」など、精神分析抜きでは成り立たない概念だろう。
もちろん「エレクトラコンプレックス」のひと言でもって、芸術作品を分かったような気になることは、慎みたいと思う。
そこには、まぎれもなく愛と純情があるからだ。
あらゆるすぐれたアートは、批評や理論のことばから、必ずはみ出していく。そのはみ出した、剰余の部分こそが、私たちを引きつけるのだとさえ言える。
家族の問題がむずかしいのは、愛情の多寡というのはきわめて主観的な問題であって、親がいくら愛情を注いだつもりでも子は孤独を募らせていることもある(もちろん、その逆もありうる)。
だから、第三者は、いちがいに親に対して「もっと子どもを愛しなさい」と責めることはできない。
ただ、おそらく田中さんは、小さいときに愛情に飢えていた部分があって、その欠落が、創作の原動力のひとつになっているのではないだろうか。
そんなことを考えたのは、7月にSTV北二条ビルなどで開催された道都大中島ゼミ展に田中さんが出品していた大きな作品を思い出したからだ。
(なお、オフィスの入口には、さすがに性器を出した男性や、裸の男女が抱き合う絵を陳列するわけにもいかないのだろう、今回とは出品作は重なっていない)
この絵は、古い建物の一室に子どもたちが集められて、泣いている光景を描いている。
親から離されてどこかに預けられた、遠い日の記憶がよみがえるようである。
抑えた色調が、記憶のような感じをいっそう醸し出す。
受け取る愛情に「100%」ということはないだろう。
わたしたちは、心のどこかに絶えず欠落感を抱えて、それを埋めるピースを探しまわりながら、それでも日々を生きてゆいくだろう。
そして、自分の欠落感を表現しているにもかかわらず、それが多くの人の欠落感と共通するように思わせられる人が、芸術家と呼ばれるのだろう。
田中さんの絵から伝わってくる寂寥感、孤独感、さびしい感覚は、ときに自分とは縁遠いものと感じられるし、またときには自分のものだと感じられる。もっと「ああ、これは自分のことだ」という共感が広がる日は、来るのだろうか。
2016年8月17日(水)~29日(月)午後1時~10時30分、火曜休み
※9月5日(月)まで会期を延長
ギャラリー犬養(札幌市豊平区豊平3の1)
□ツイッターアカウント @me_rry__
■田中咲個展「いる」 (2015)
●ギャラリー犬養への道
・地下鉄東西線「菊水駅」から約700メートル、徒歩9分
・中央バス「豊平橋」から約180メートル、徒歩3分
・地下鉄東豊線「学園前駅」から約1キロ、徒歩13分
モティーフは大半が人物で、制作のペースはものすごい。
…というところまで書いて、手が止まったまま、何日かが過ぎた。
今回の個展は新作が9点。ほか、今春のグループ展「ナカジプリンツ」に出した小品と、旧作のオリジナル絵本も並んでいる。
その新作はいずれも父親と娘の愛という近親相姦を題材にしたもので、見た瞬間、かなり驚かされた。
(いずれも題はついていない)
とくに、会場に入ってすぐの壁に掛かっている作品は、裸の男の膝の上で赤ん坊がフェラチオをしているというもので、いささかショッキングだ。
作者本人は「愛情に包まれた絵に見えませんか」とおだやかな口調で話していたが、少なくとも筆者にはそういうタイプの絵には見えない。
これらの作品群については、恩師である中島義博さんが、Facebook で
「執念と激情と妄想のエレクトラコンプレックス
万人にお勧めできる展示ではないが、これはまぎれもなく愛と純情の作品展である。」
と手短に評していて、これ以上、なにを語っても、よけいな冗語になるような気がする。
そして「エレクトラコンプレックス」という、的確な指摘があるがために、筆者の筆はストップしているのである。
「エレクトラコンプレックス」というのは精神分析の用語で、女児のエディプスコンプレックスを指す。幼い女の子が父親に寄せる欲望のことである。すごくおおざっぱに言うと
「わたし、大きくなったらパパと結婚する!」
というやつであろう。もちろん、ほとんどの少女はこの段階をほどなく卒業して、家族以外の男性に愛情を抱くようになっていく。
これまたむちゃくちゃおおざっぱな物言いだけど、田中さんは、エレクトラコンプレックスを、或る意味でこじらせてしまったということができなくもない。
アートの題材として、ヌードとか近親相姦といった、いまも世間一般ではタブーとされていることを取り上げれば、一定のインパクトを見る人に与えることができるだろう。しかし、彼女は、そういう計算ずくでこういう絵を描いているのではなくて、描かなくてはいられないから描いているのだろう。その気持ちが伝わってくるから、見ている人は作品の前から離れられなくなってしまうのだと思う。
「エレクトラコンプレックス」は、厳密には、フロイトの用語ではない。
とはいえ、フロイトが創始した精神分析が、20世紀後半以降の現代思想に、ひいては芸術学や美術評論に与えた影響は、きわめて大きいものがある。
とりわけ1990年代以降、現代美術で大きな潮流となった「不気味なもの(アブジェクシオン)」など、精神分析抜きでは成り立たない概念だろう。
もちろん「エレクトラコンプレックス」のひと言でもって、芸術作品を分かったような気になることは、慎みたいと思う。
そこには、まぎれもなく愛と純情があるからだ。
あらゆるすぐれたアートは、批評や理論のことばから、必ずはみ出していく。そのはみ出した、剰余の部分こそが、私たちを引きつけるのだとさえ言える。
家族の問題がむずかしいのは、愛情の多寡というのはきわめて主観的な問題であって、親がいくら愛情を注いだつもりでも子は孤独を募らせていることもある(もちろん、その逆もありうる)。
だから、第三者は、いちがいに親に対して「もっと子どもを愛しなさい」と責めることはできない。
ただ、おそらく田中さんは、小さいときに愛情に飢えていた部分があって、その欠落が、創作の原動力のひとつになっているのではないだろうか。
そんなことを考えたのは、7月にSTV北二条ビルなどで開催された道都大中島ゼミ展に田中さんが出品していた大きな作品を思い出したからだ。
(なお、オフィスの入口には、さすがに性器を出した男性や、裸の男女が抱き合う絵を陳列するわけにもいかないのだろう、今回とは出品作は重なっていない)
この絵は、古い建物の一室に子どもたちが集められて、泣いている光景を描いている。
親から離されてどこかに預けられた、遠い日の記憶がよみがえるようである。
抑えた色調が、記憶のような感じをいっそう醸し出す。
受け取る愛情に「100%」ということはないだろう。
わたしたちは、心のどこかに絶えず欠落感を抱えて、それを埋めるピースを探しまわりながら、それでも日々を生きてゆいくだろう。
そして、自分の欠落感を表現しているにもかかわらず、それが多くの人の欠落感と共通するように思わせられる人が、芸術家と呼ばれるのだろう。
田中さんの絵から伝わってくる寂寥感、孤独感、さびしい感覚は、ときに自分とは縁遠いものと感じられるし、またときには自分のものだと感じられる。もっと「ああ、これは自分のことだ」という共感が広がる日は、来るのだろうか。
2016年8月17日(水)~29日(月)午後1時~10時30分、火曜休み
※9月5日(月)まで会期を延長
ギャラリー犬養(札幌市豊平区豊平3の1)
□ツイッターアカウント @me_rry__
■田中咲個展「いる」 (2015)
●ギャラリー犬養への道
・地下鉄東西線「菊水駅」から約700メートル、徒歩9分
・中央バス「豊平橋」から約180メートル、徒歩3分
・地下鉄東豊線「学園前駅」から約1キロ、徒歩13分