ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

原作読書7回目中その2

2009年09月09日 | 指輪物語&トールキン
今回に限ったことではないですが、原作を読んでいると、「あ、映画のあの台詞ここから取ってたんだ」と気づくことが多々あります。
一応原作を先に読んでましたが、やはり映画の方が回数観ているので、映画の台詞を原作を読んでいる時に発見する、というパターンが多いですね・・・
結構、全然違うシーンだったり、違う人の台詞だったりするのを引用していたりとかもして、上手く行っている時もあれば、「なんでそんな使い方するかな~(怒)」と思ってしまう時もあるのですが。
そういう意味では、やっぱり原作を読み込んではいるんですよね・・・少なくとも脚本の二人は。それがなぜあんな・・・と思ってしまうところも多々ありましたがね・・・
今「一行の離散」を読み終わったところですが、ボロミアの台詞で、映画でとても印象的な台詞になっていたな、という成功例を読みました。
原作ではアモン・ヘンでフロドに指輪を渡せと詰め寄る直前の、ちょっとおかしくなっている場面での台詞です。
指輪か! こんなちっぽけな物のためにわれわれがこれほどの恐怖と疑心に苦しまねばならぬとは不思議な運命ではありませぬか? こんなちっぽけな物なのに!
ここ、原文は映画の台詞と同じなのかなあと思いますが、映画ではカラズラスでボロミアがフロドが落とした指輪を拾ってみつめる、映画オリジナルのシーンで使われていましたね。
晴れ渡った青空をバックに、魅入られたように指輪を見つめながら、「こんなちっぽけな物(so small thing, such a little thing)に・・・」と繰り返すボロミア、映像の印象深さもあって、とても印象的な場面になってました。
原作ではここまでの印象はなかったので(訳でニュアンスが変わっているせいもあるかもしれませんが)、上手い抜き出し方だったなあと思います。「こんなちっぽけな物に」という言葉に、ボロミアが指輪に魅せられ、狂わされて行く悲劇が匂わされていて。このあたりはフィリッパさんのボロミアへの思い入れあってことかもしれませんが。
原作のあんないいシーンとか台詞がなんでこんなことに! な場面も多かったけど、アレンジが上手く行っているシーンもあったんだよなあ。
他にもいろいろありますが、今思いつくのは、原作ではガンダルフが療病院で言っていたエオウィンについての台詞を、グリマに言わせたシーンかな。ここはさすがに映画観た時に気がつかましたけど。
エオウィンを前にしてリアルタイムで語らせたことで、エオウィンの孤独と苦しみがリアルに感じられて、いいシーンになってたよなあ。思えばTTT前半までは良かったんだよね・・・
なんて自分で書いていて、映画久々に観てみたくなりましたが、ビデオ溜まってる今現在の状態ではしばらく無理だな・・・
そうそう、ガラドリエルがロリアンからの旅立ちの時に、「そなたたち一人一人の踏むべき道はすでにその足元から敷かれていましょう。」という台詞、映画ではアルウェンからアラゴルンへの台詞になってたんですよね・・・これも好きな台詞だったんで映画見た時にすぐ気がつきましたが。ま、いいんですけど、旅の仲間全員の話だったのに、アラゴルン一人の話にされてなんか釈然としなかったなー。
あと、映画でガラドリエルがフロドに「そなたにできなければ誰にもできはしない」と言っていた台詞、原作ではエルロンドが言ってましたよね。これはまあいいんですけど。映画の方が印象的な台詞にはなってたし。そもそもエルロンドの会議の結末、映画ではなんか明るくなってたからな・・・
そんな感じで、今回の原作再読、映画の台詞はこんなところから取っていた、というのにも注目しながら読んでみようかなと思います。(すでに読み終わってしまったところも結構ありますが(汗))
コメント
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