ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

GRAND PRIXベスト買いました

2005年05月31日 | 音楽(主に日本のHR?)
ようやく買いました、GRAND PRIXベスト。正式タイトル長くて覚えられんのですが・・・(汗)
このゴールデン・ベストというシリーズ、何社かのレコード会社が共同でやっているシリーズなんですね。なんでいきなりGRAND PRIXなのかはちょっと謎ですが、MAKE-UPはまだボックスセット売ってるし、ベストはまだなあ・・・という感じでGPになったのではという気がしないでもないです。コロムビアの担当の方ボックスセットと同じ方だし。
MAKE-UPの松澤さんセレクションのベストなんかも出たらいいなあとか思ったりしてしまいますが、今はMAKE-UPはボックスセットですよね、まずは(笑)
予約しなかったのですが、新宿のタワーレコードではたくさん店頭で売ってました。一緒に買おうかと思っていたURUGOMEのミニアルバムはなかったんですが(汗)
ジャケットは、ROCKの時のポスターではなかったですっけね。歌詞カードの中の写真はROCKの時のと同じですね。(って確認してないけど)
しかし、密かに初出しと思われる写真が出ていたのにはびっくり。歌詞カードの中の写真の元写真と思われるカラー写真がジャケット裏に出ていたり、帯の裏?あたりにSHOW ME THE WAYのジャケ写の時のものと思われる信夫さんの百面相写真(いやそんなにないですが(笑))があったり。(しかしやっぱり若いですね~。なんだかカワイイですもん(笑))
今更ベストを買っても聴かないのでは、と思ってたんですが、いざ手にとって曲順を見たら、なんだかそのままライヴできそうな曲順で(特に最初の3曲!)なんか色々と込み上げて来ましたね・・・
思えば1曲1曲に思い出があるなあと。時間があったらベストに入った曲一つ一つの思い出について書いてもいいかも(笑)あ、MY SWEETEST HEARTには特に思い出ないですが・・・(汗)
GRAND PRIXと過ごした4年間が、普段自分で意識しているよりもずっと深く自分の中に根付いているんだなあということに今更ながらに気がつきました。
というわけで、毎日寝る前に聴いているのですが・・・RISING SUNまでたどり着いたことがないです(笑)寝つきいいもんで(笑)
ああでもやっぱりいいバンドだったなあと。またライヴ観られる日が来たら嬉しいけれど・・・でもあの頃の自分とは随分変わってしまっているので(変わってないじゃん、と思う方もいらっしゃるでしょうが(笑))、あの頃と同じようには観られないかもしれないなあ。
それでもやっぱり、再会できる日が来たらいいなあと思ってしまいます。やっぱりライヴが一番、なバンドでしたから。
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原作のレゴラスのこと

2005年05月31日 | 指輪物語&トールキン
ちょっと中断していた原作読書をちょこっとだけ再開しましたが、まだエオメルたちが到着するのを座って待っているところです(笑)
でも、アラゴルン、ギムリ、レゴラスの3人の会話をここまで読んでいて、映画の印象が染み付いているのか、なんだかとても新鮮に感じました。
映画だとなんかアラゴルンとレゴラスが会話して、ギムリだけ仲間はずれの笑われ役、みたいな雰囲気がありますよね、どうも(汗)RotKで多少改善されたように思いますが、基本は変わらなかったかなあと。
原作だと、3人が対等に会話しているのがいいなあと思います。そして、3人3様の考え方で物事を捉えている様が面白いです。
ギムリがとにかく現実的で皮肉屋という感じなのですが、それでいて実はホビットを心配する気持ちはとても熱いところがいいですよね~、というのはおいといて(笑)今日はレゴラスの話です。
原作初読時は、とにかくギムリが好きだったものですから(笑)レゴラスは「ギムリの相方」くらいの感覚しかありませんでした(大汗)
それが何回か原作を読み返すうちに、原作のレゴラスの魅力にも気がつくようになって来ました。
原作のレゴラスは、現実的で皮肉屋なギムリとは対照的に、楽観的で物事に希望を見出すのが得意?なようです。様々な場面で、レゴラスの希望を感じさせる明るい台詞には救われますね。悲観的なギムリとの対比で語られているのがまた効いているのかもしれません。
特に好きなのが、ペラルギアからアンドゥインを遡っている場面で、「ドゥリンの息子よ、君の顎鬚を立てたまえ! こう言うではないか、全ての望みが底をついた時に新たな望みが生まれると」という台詞でしょうか。(原文確認してないので台詞違うかもです、あしからず)
レゴラスが希望を持っていられるのは、エルフの特性なのかもしれません。不死の生命を持ち、他の種族よりも遠くまで見通す視力を持つエルフならではの。
また、レゴラスは「上のエルフ」ではありませんが、かといって暗黒時代を知っているほどの年齢ではないようすで、そのあたりもあの明るさにつながっているような気がします。
トールキンはどういう意図でレゴラスというキャラクターを登場させたのかな、と思ったりします。
おそらく、エルフ代表の旅の仲間、ということではあると思うのですが、例えばグロールフィンデルのような有名な?エルフではなく、なぜレゴラスなのか、なんてことも考えてしまいます。
レゴラスが、裂け谷のエルフではなく、闇の森の王の息子というのも面白いというか不思議な気がします。
おそらく、闇の森の王の息子というのは、「ホビット」に登場した関連で、という以上の意味はないような気がします(汗)レゴラスに関しては出自の設定もあまり残っていないようで、レゴラスにはあまり思いいれはなかったのかなーと(汗)
それと、ギムリとのバランスかな。エルフとドワーフの友情というコンセプトをどのあたりで思いついたのかわかりませんが、ギムリとセットで扱うのなら、上のエルフでは吊り合わないでしょうしね。
それと、もしかしたらトールキンは、シルマリルリオンに出てくるような宿命的なエルフとはまた違う、エルフの本質的な姿?として、深刻な苦悩を知らない、いわばピュアな存在のエルフを描いたのかもしれないなあと思ったりもします。
まあ、所詮エルフ贔屓ではない私の予想ですので、きっと全然違うと思いますが・・・(笑)
とにかく、ギムリもそうなんですが、レゴラスの、物語の中心からはちょっと外れたところにいるバイプレイヤーとして、物語の真っ只中で一生懸命なホビットたちとは違う、少し醒めたような大人な?スタンスがいいなあと思うのでした。ホビットたちとはまた違う意味で物語に安らぎを与えてくれているように思います。
所詮はレゴラスファンとはほど遠い私ですが(汗)それでもぼちぼちレゴラスの魅力も理解できてきたかな、と思う今日この頃なのでした。
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レ・ミゼラブル2000回記念バージョン

2005年05月30日 | ミュージカル・演劇
一昨日観てきました。
ほんの2週間前にも一度普通バージョン?を観ているのですが、なんと言うか、久々にホンモノのレミゼを観たな~、という気がしました(大汗)
アンサンブルは変わってないんですけど・・・(いや私が見た回とは違う人たちでしたが)メインが違うだけでこんなに変わってくるものなんでしょうか。「一日の終わりに」で背筋がゾクゾクしたのなんて本当に久しぶりです。
メインキャストですが、まずは今井さん。実はまだ2回目だったのですが、以前始まったばかりの頃に見たときよりは随分良くなってたなあと思いました。以前は「なんだか偉そうなバルジャン・・・」という印象だったのですが(汗)今回はちゃんと今井さんらしい迷いや揺らぎ、優しさも感じられました。
でも、なんだか山口バルジャンの方が好きなんだよなあ・・・他の役はエキセントリックなのに、なんでバルジャンはあんなにオーソドックスな解釈なんでしょうか(笑)
今井さんの歌は完璧だし、最後の方は本当に泣いてましたが、私としてはまだまだなバルジャンでした。
特に、「彼を帰して」では、朗々と歌い上げちゃだめだよ~。山口バルジャンは綺麗に歌うことよりもマリウスのことしか考えてなかったぞ、と思ってしまいました。まあ、まだまだバルジャンやるでしょうから、今後に期待です。
鹿賀丈史さんのジャベールは、意外にもと言ったら失礼ですが(汗)今やってるジャベールさんたちの中では良いほうでした。やっぱりまだまだ皆さんジャベールやるには若いですね。
個人的には、2000回記念なんだから、今井さんか村井国夫さんのジャベールが良かったんですが・・・(汗)
ファンティーヌの岩崎宏美さんは、やっぱりいいですね~。他の返り咲きキャストはやっばりこれで最後かな、と思いましたが、岩崎宏美さんにはまだまだやって欲しい! 正直、あのレベルのファンティーヌを見ることは今後当分は難しそうに思います・・・
ああ、岩崎宏美さんとほのかさん、「ファンティーヌはどっちでもいいや」なんて言っていられた頃が懐かしい・・・(涙)今は「誰でもダメ」ですから・・・(マルシア見てないけど(汗))
高橋由美子さんとか基本的には好きなんですが、ファンティーヌとしては全然前のお二人のレベルには行ってませんでした。
しかし、岩崎宏美さんで見てもやっぱりファンティーヌの病床のシーンのカットはひどすぎました。100歩譲って他のシーンはいいとしても、あそこだけは削るべきじゃなかったと思う・・・
島田歌穂さんのエポニーヌは、本当にもう職人芸の域で(笑)素晴らしかったです。
でも、思い切って世代交代は必要だな、と思いました。歌穂さんとダブルでやったら誰だってかすんでしまうと思うから・・・(その意味では本田美奈子さんはすごかったなあと思います)
石川禅さんのマリウスも、さすがに年齢オーバーだなーと思いましたが(汗)記念バージョンだからいいでしょう(笑)マリウスに関しては、若い人も結構いいので、無理に禅さんでなくてもいいと思いました。
でも、なんだかすっかり大人なマリウスになっていたのが面白かったというか感慨深かったというか。ガヴローシュが死んだ後、昔は「砦の者よ良く聞け~」のところで叫んでいたりしましたが、今回は静かな決意を見せた表情だったのが印象的でした。
コゼットは・・・(汗)ん~、やっぱり演技力は大切だなと思いました(笑)
斉藤晴彦さんのテナルディエは、とにかく懐かしかったですね~! 正直、もっと歌える人がいいなあと思っていたこともありましたが(汗)久々に見て、やっぱり年季を感じました。ある意味職人芸というか。記念バージョンにふさわしい出演だったと思います。
岡幸二郎さんは声の調子がちょっと悪かったようですが、それにしても標準よりはるかに上手かった(笑)
ちょっと今小鈴アンジョルラスにハマっているので、そんなに「おおっ」と感動することもなかったのですが(汗)マリウスの「死んでもいいさ」を聞いてショックを受けた後姿はすばらしかったです。久々にあの場面で泣けました。あれは岡アンジョルラスの一番好きな場面ですね。
その後、弾を取りに行くというバルジャンを止めようとする姿からも、「誰も死なせたくない」という思いが伝わってきました。なのにガヴローシュが死んでどれだけショックだったか・・・とか色々考えて泣けてしまいましたね。
最後、ファンティーヌとエポニーヌが出てきたら、顔見ただけで泣けました。最近のキャストではそういうことなかったので・・・やっぱり前は良かったなあ、と思ってしまいました。先のことを考えたらそれではいけないんですけど・・・

このところ今ひとつ感動できない理由はキャストなのか短縮バージョンなのか、記念バージョンでわかるかな、と思ったのですが、結論。両方とも理由です(汗)
キャストの差はかなりあったのですが、短縮バージョンなこともやはり感動を減じるのには一役かってました(汗)
もうひとつ感じるのは、短縮バージョンだとアンサンブルの見せ場がなくなっちゃってるんですよね。短縮バージョンしか経験していないアンサンブルの人たちが、以前と同じだけの思いを持てるかというと、やっぱり難しいんじゃないかと思うんですよね・・・
今後を考えると不安な短縮バージョン。なんとか考え直して元に戻してくれるといいのですが。
そもそもブロードウェイでの人件費削減のために始まったらしい短縮バージョン、なんで全世界が右に倣えしなければならなかったのか、不思議です。日本だけでもいいから元に戻してくれないかなあ・・・

そうそう、12月の大阪のチラシができてました。やっぱり田中利花さんがテナルディエ夫人でした♪
多分来年また帝劇でやるでしょうから、その時に見られるのを楽しみにしていたいと思います! 駒田一さんとペアで見たいなあ。
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「指輪物語」の中の「神」

2005年05月30日 | 指輪物語&トールキン
前回書いた「われらが祖父トールキン」の中のマイクル・スワンウィック氏のエッセイの中に書かれていた内容で、「何かもうひとつ大事なことがあったような・・・」と思っていたのですが、後で思い出しました。トールキンの「神」の描き方についてです。
スワンウィック氏は、トールキンはC.S.ルイスが「ナルニア」で書いたような、神の存在について説得するような調子で書くのではなく、あくまでも自分が思ったとおりの世界観を描いただけだ、と書いていて、それが常々私が感じていたことと同じだったので、またまた「そうそう!」と思ってしまったのでした。
スワンウィック氏も書いていますが、ガンダルフの言葉の「この世には指輪を作った力とは別の力が働いている」と言う言葉の、「別の力」が神を表しているのでしょう。
神の存在(らしきもの)が言及されるのはここだけですが、作品中にはこの「別の力」を感じさせる場面がいくつかあります。
特に、モルドールでのフロドとサムの場面に強く感じます。それも、フロドが茫然自失して行き、サムがほとんど一人で頑張らなければならなくなった以降に最も感じるように思います。二人は「なにものか」に見守られているように感じるのですよね。
サムがフロドを助けることができたオークの塔の場面は、偶然が重なる幸運がありますが、それもまたサムが「なにものか」に助けられているように感じます。
絶望したサムの口からなぜか西の国を歌う希望に満ちた歌が出てくること。エアレンディルの光を見て安らぎに満たされてゆっくり眠れたこと。「水と光が欲しい」とガラドリエルに願ったら水も光も与えられたこと。
最後に指輪がゴクリによって葬られたこともまた「別の力」の働きによるものと言えるかもしれません。
「指輪物語」の良いなあと思うところは、この「別の力」を、トールキン自身は「神」として書いたかもしれませんが、けっして押し付けがましくなく、神の偉大さを表現する方法として書いたのでもない、というところです。
実際、「別の力」は、神ではなく単なる「運命」とか、その他のものに解釈することが可能です。私自身、トールキンが熱心なカトリックだと知る前はそういう風に解釈していました。
もし、ここで「神」の存在がはっきりとわかるような書き方、「神」としか解釈できなうような書き方だったら・・・非キリスト教徒なばかりか無宗教な私はかなりひいていたと思います(汗)私が「ナルニア」の一部の表現に拒絶反応を示したように・・・
けれど、「指輪物語」での「別の力」の描かれ方は、それが神を表すものかもしれないと悟った後でも、決して非キリスト教徒の私にも不快な気持ちは起こさせませんでした。
普通は決して人間の世界に介入してくることはない、けれどもどこかで見守っている。そんな「神」ならいても悪くないな、そんな風にすら思えました。
これって、「北風と太陽」ではないけれど(笑)神の存在を声高に説くルイスよりも、他人に押し付けようとはせずに、見えるか見えないか程度にその存在を書いたトールキンの方が異教徒に対して効果的に神の存在を伝えられている、ということになるような気がするのですが。
私は、「別の力」が神であろうが運命であろうが、ゴクリによる指輪棄却につながるその「力」のはたらきには感動したし、とても美しいと思いました。
けれど、指輪が棄てられるのがただ「運命」という偶然によるのでは説得力がない、と感じる人もいるようで、そういう人が、映画でフロドがゴクリに襲い掛かる、という展開を作ったわけですが・・・(汗)
やはり人によって読み取り方は様々なのだな、と思ったりします。
それでも、中にはやはり自分と同じような読み取り方をする人がいるのだな、と、スワンウィック氏のエッセイはそういう意味でもとても嬉しかったですね。
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キングダム・オブ・ヘブン(とってもネタバレ)

2005年05月28日 | 映画
来月観に行くつもりだったのですが、ふとスケジュールを確認したら、今観に行かないと行く暇がない・・・と気がついて、昨日突如駆け込みで観てまいりました。もちろん?レイトショーです。
事前にあらすじを聞いていた限りでは「つまらなさそう・・・」と思ったのですが(汗)思っていたのとはかなり違う話でした(汗)宣伝間違ってると思う・・・
でも面白いかというと、ちょっと微妙でしたが・・・(汗)
最初はいいかなあと思ったんですよね。自分の境遇への怒りを内に秘めて鉄を打ちまくるオーランド・ブルームはカッコよかった。鍛冶屋がこんなカッコよくていいのか、と思いました(笑)
でも一番カッコよかったのはその場面でしたが・・・(汗)
映像も、最初の方のフランスの田舎の光景が一番綺麗だったような気がします(汗)
不満と怒りを秘めて「聖地」に向かうことを決意した・・・と言っていいのかわかりませんが、とりあえずエルサレムに行くことにしたバリアンの姿は、「聖地」を求めるキリスト教圏の人々の心境を上手く表していたかもしれません。
そのバリアンが、聖地でも「神の赦し」を感じることができず、最後には「神は存在しない」(もしくは存在していても人間に直接赦しや助けを与える存在ではない)という結論に達する、という物語なんだと気がついたのは、最後の戦いの直前のバリアンの演説で、でした。
残念ながら、そこに至るまでのバリアンの気持ちはよくわからないです(汗)描かれてないのか、演技力不足なのかは不明ですが(大汗)まあ監督の責任でしょうね(汗)
物語がとんとんと進んで、レイトショーにも係わらず眠くなることもなかったのですが(いや戦闘シーンで寝ました(汗))、その分「もうちょっと余韻があってもいいのに」という場面が多々ありました。バリアンの心情もそんな感じでカットされていたような気がします。
じっくり描きすぎで長すぎた「アレキサンダー」と対照的ですが・・・(汗)個人的には「アレキサンダー」の方が好きです。映像の美しさもあっちの勝ち(汗)
結局のところ、ストーリーの進行を主人公を描くことよりも優先しているように思えました。それはそれでいいのですが、それにしてももうちょっとバリアンの行動に説得力が欲しかったです。
新聞の評などを読んで、「アメリカ人が喜ぶような結末でいいのか」みたいなことが書かれていて心配?していたのですが、それはなかったですね。確かにキリスト教徒がイスラム教徒と戦って一応勝利?しましたが、あの状態では戦うしかないでしょう。戦いの原因はエルサレム側にあったし。それに、結果的にはエルサレム開け渡してるんだし、全然「キリスト教徒がイスラム教徒に勝った」というシチュエーションじゃなかったし。
私は逆に、今このご時世に、キリスト教徒とイスラム教徒の友好という、あまりにストレートな題材を描いていることがなんだかむず痒かったです(汗)その描き方がまたストレートだったし。
過去の史実から教訓を導き出すのはいいんですが、あんまりストレートだとスマートじゃないと思いますね(汗)時代が違うんだから。どうもトールキンのおかげでアレゴリーアレルギーになりつつある私・・・(笑)
そういう意味ではあのエルサレム攻防戦で戦うのはいいんじゃないかと思いました。むしろサラセン人と友好を、と頑張るエルサレム王側の人々がなんだか白々しく思えてしまった・・・(汗)
エルサレム王側の人々が白々しく思えるのは、イスラム教徒を殺せ、という人々がまたあまりにストレートに悪人だったせいもありますが(汗)「トロイ」といい、戦う両国のどちらも悪ではない、という設定のために悪役を主人公の味方側の誰かにしてしまってるんですねえ。「戦うどちらも悪ではない」という設定自体はなかなか良いアイディアだと思いますが、やっぱりどうしても悪役は必要なのかしら、と考えてしまいます。(サラセン側にもそういう役回りの人たちは一応いましたが、悪役ではなかったからなあ)
まあ、一部で言われていたほどイスラム教徒を馬鹿にした作品ではなかったと思います、全く。実際にイスラム教徒の人たちから見たらまた違うかもしれませんが。サラディンは良き指導者として描かれてましたし、卑怯なことをしたのは全てエルサレム側だったし。かなりイスラムに配慮していたと思いますが。
でも、なんだか感動はできなかったです。やっぱりどこか白々しく思えたからでしょうか。バリアンの演説もなんですが・・・(汗)
ところどころ良いところもあったんですけどね。最後にエルサレムを明け渡す前にバリアンがサラディンに「ここに何の意味があるのか」というようなことを問い、サラディンが「無だ。そして全てだ」と言った言葉が印象的でした。
それから、イスラムの挨拶を、最初はサラディンがアラブ語(?)で、それに対してエルサレム王が英語で答えるのですが(両方アラブ語だったかな・・・)、その言葉を最後の方では、バリアンがアラブ語で言い、サラセン人の貴族(名前憶えてません(汗))が英語で答える、なんてあたりはちょっと良かったですね。
この挨拶の意味、私はたまたま観に行く前にcamelgirlのさやかさんが日記で書いていてくださったので、よくわかってとてもよかったです。もしかしたらプログラム買うと書いてあるのかもしれませんが、意味を知らないという方はぜひ読んでください! 5/25、26の日記に書いてらっしゃいます。

しかしどうしても疑問なのが、バリアンはなんで急に強くなったのか(汗)たったあれだけの剣の訓練であんなに強くなるの? ボロミアに稽古してもらったくらいでオークと戦っちゃうメリピピのようだ(汗)ウィル・ターナーはちゃんと密かにトレーニングしてたぞ(笑)
どこで戦略を憶えたのかも謎。エルサレム攻防戦ではあまりのひらめき様に「あんたは諸葛孔明かい!」とツッ込みたくなりました・・・(汗)
またバリアンの策略が皆上手く行ってしまうのも白々しいというか(汗)
そして、最後に生まれた村に帰っちゃってたけど、司祭殺ししたのにいいのか?(汗)エルサレムでの功績でチャラになったんでしょうか。うーん。
シビラはいらないと思いましたが(汗)まあとても綺麗だったので目の保養にはなりましたが。
そうそう、エルサレム王の仮面によそ行き用があったのがなんだかとてもウケてしまいました・・・(笑)
そういえば、ケレボルンのマートン・ソーカスが出ていると聞いていたのに、エンドロールで名前を見るまですっかり忘れてました・・・(汗)
必死で誰だっけ、と頭の中でモンタージュした結果、「あ、シビラの旦那か・・・」(名前覚えられてません(汗))
うーん、あんな濃い人をエルフにしようなんてよく考えたもんです・・・(笑)

という訳で、そんなに気に入る作品にはなりませんでしたが、色々と考えるところはあったので、見に行った甲斐はあったかなあと思います。
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「指輪物語」世界を読む-我らが祖父トールキン-

2005年05月28日 | 指輪物語&トールキン
以前から買おうとは思っていたのですがついつい後回しになっていたこの本をついに買いました。
今まで何度も手に取っては「またにしよ」と本棚に戻していて、置かれる場所もファンタジーコーナーから児童書の棚に移りましたが、多分何度も私が手に取ったのと同じ本を買ったと思います。
「結局買うんなら早く買えよ!」と本に思われてたりして・・・(笑)
読むのは後回しに、と思っていたのですが、読み始めたら面白くて、ちょっと読んでしまいました。
「指輪物語」について書かれた本というのはたくさんありますが、結構自分とは見方が違ったりしてあまり面白く感じないことがあったので、あまり手が伸びないのですが、この本についてはおもしろいらしいと聞いていたので、買おうかなと思った次第です。
以前読んだものといってもマーク・エディ・スミスの「指輪物語の真実」だけだったりするのですが(汗)あと今読んでいる「Unsung Heros of the Lord of the Rings」と。
前者は登場人物たちの行動からキリスト教の「美徳」を、後者は脇役?の「英雄性」を取り出して論じているのですが、どうもこじつけに思えてしまうと言うか・・・とにかく自分の感じ方とは「なんか違うなあ」というものだったのです。
でも、この本はなかなか面白いです。まだ最初の方ですけど・・・(汗)
この本が面白いのは、多分皆ファンタジー作家である、という点にあるのかもしれませんね。
まずは編者のカレン・ヘイバー氏、続くジョージ・R.R.マーティン氏、レイモンド・E・フィースト氏は、「面白いと思いつつもそんなにのめり込めなかった派」のようなのですが、それでも「指輪物語」の影響が大きいことを、ファンタジー作家の立場から書いています。
3人が語る内容にはダブる部分も多いのですが、ここで私ひとつ誤解していたことを発見(汗)「コナンシリーズ」に代表されるアメリカのヒロイック・ファンタジーって「指輪物語」の影響で生まれたのかと思っていたのですが、そうじゃなくて、「指輪物語」が売れたことによって、再評価されて売れるようになったのですね。
この中でレイモンド・E・フィースト氏が副題になっている「我らが祖父トールキン」というフレーズを使っています。ファンタジー作品を書く作家は、直接トールキンの影響を受けていなかったとしても、なんらかの形でトールキンの影響を受けている、ということを書いています。自分がファンタジーを書いて作家として成り立っていけるのも、トールキンがファンタジー小説への需要を目覚めさせたおかげなのだと。
そして、一人飛ばして(汗)マイケル・スワンウィック氏の書いたエッセイがとても良かったです。今まで読んだ中で一番「そうそう!」と思う評論でした。
例えば、サウロンをヒトラー、一つの指輪を原爆に例えるようなことは、作品を矮小化することだ、というのにはうんうん、と思いました。
もしこれを読んだ時点でまだトールキンが寓意を嫌ったことの意味を理解していなかったら、多分この文章を読んで「そうか!」と納得していたことだと思います。
サムとゴラムがフロドの善の面と悪の面を表す、というのには「ほう」と思いました。ゴラムはわかりますが、サムについてはそういう風に思ったことがなかったので・・・
「フロドなしのサム単独では、(善人すぎて)信用ならない」という説にもまた深くうなずいてしまったり。確かに、サムのフロドへの深い愛情がなかったら、善人すぎますよね・・・(それって映画のサム・・・(汗))
そう言えば、カレン・ヘイバー氏だったかが、「サムが鼻についた」と書いてました。それを読んだ時には「ええー?」と思ったのですが、スワンウィック氏のこの言葉を読んだらなんだか納得してしまいました。
原作のサムで鼻につくなら、映画のサムはどうなるんだろうか・・・(大汗)
その他にもとてもいいことを書いてたんですが、今すぐに出てこないです(汗)
スワンウィック氏は、このエッセイを書く少し前に息子に「指輪物語」を朗読してあげたそうですが、その時に息子が感じた物語と、大人である自分が感じた物語が全く違うものだったと書いていたのも興味深かったです。
私は残念ながら子供の頃に「指輪物語」に出会えませんでしたが、子供の時に読んでいたら、私にとって中つ国はどのように見えたでしょうか。
そして、最後を読み終わった時に、息子はショックを受けて「いやだ!」と叫んだのだそうです。素直な冒険物語として読んでいた子供にとって、あのラストは衝撃的ですよね・・・大人である私だってショックでしたから。
スワンウィック氏は、大人の自分にとってはあのラストはとても大事なことで、省略すべきではなかったから、子供が聞いたらどう思うかに気がつかなかった、子供のためには最後を変えて聞かせるべきだったかもしれないと後から思ったそうです。
スワンウィック氏は、灰色港での別れを、やはり「永遠の別れ=死」と重ねて受け取っているようでした。
私も同じように感じます。設定上では「死」ではないし、サムもいずれフロドに会えるかもしれないけれど、それでも物語を読む私たちにとっては「永遠の別れ」であると思います。
そういう意味で、もっとストレートに「西へ行く=死」と捉えたPJ映画は私は悪くないと思っているんですが。
そして、「省略すべきでない」あの灰色港のラストをちゃんと描いてくれたという点だけでも、PJ映画は評価に値すると思っています。戴冠式やホビット庄への帰還までで終わらせてしまうことは充分に考えられることだったのですから。本当に、あのラストには救われましたよ・・・

と色々書いてしまいましたが(汗)面白いのでまた読んだら感想書きたいと思います。
実は後の方でちょっと問題発言?している人がいるらしいんですよね~。実際どんな風に書いているのか、読むのが楽しみです(笑)
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続・ホビットに優しい人々

2005年05月24日 | 指輪物語&トールキン
指輪サイトはようやくRotK SEEのメリーのことをUPできたので、いよいよホビットに優しい人名鑑の模様替えに取り組もうとしています。
前にも書いたように、それぞれの「ホビットに優しい名台詞」を名前の後に載せようと思ってるのですが、人によって選択の余地のない人もいれば(笑)迷って困ってしまう人もありで、様々です。
中には書き抜いておいた好きな台詞の中に入ってなくて(笑)原作をひっくりかえして「この辺になんかなかったかな・・・」と探さないといけない人もいたりします(汗)
エオメルは、本編よりもHoMEシリーズのTHE END OF THE THIRD AGEの草稿の方に素敵な台詞があったので、それを訳して使おうかなーと思ってます。メリーに角笛を渡す前の台詞に入っていたのですが、なんでカットしちゃったかなあ。エオメルとメリーそんなに接触なかったのにいきなりあんな台詞では唐突だと思ったとか? そんなすごい台詞(?)でもないけど・・・
あと、ちょっと困ってるのがレゴラスです。いや、ホビットに優しい台詞ないことはないんですが、改めて抜き出してみると、並み居るホビットに優しい人々の中でこれじゃあなあ・・・という程度のものしかなくて(汗)でも旅の仲間でレゴラスだけはずすのもどうかと思うし・・・(笑)
そして、たくさんありすぎて迷っちゃうのはやっぱりガンダルフとアラゴルンですね。
何が迷うかというと、二人ともピピンやメリーに対しての優しい言葉というのが結構あって、それがまた良かったりするのですが、この二人に関しては、どうせならホビット全体、というか4人ともへの優しさを示している場面はないかなあ、とどうも欲張ってしまうんですよね(笑)
ピピンやメリーに対する言葉もいいんですが、どちらか選ばなければいけないならフロドやサムへの言葉がいいかな、とか。
でもやっぱりなんとかホビット全員への優しさを表す台詞とかないか、と悩んでしまいます。
逆に、ギムリやボロミアはメリピピに対する台詞が良かったりするのですが。このあたりに、ガンダルフとアラゴルンの人間的大きさを感じたりもします。
あと他の人たちは、たいていフロド・サム組かメリピピか、としか接触してないので、あんまり悩む必要ないんですよね。
とどうでも良いことを考えながら楽しみつつ作業しております。
これが終わったらサントラ考察のRotK SEE分やって、できたら楽器ごと考察もやって、それから指輪音楽に関しての新コンテンツ・・・とか言ってるうちに旅行記とかコンサートレポとか書かなきゃになったりしそうで(汗)当分区切りがつきそうにないですね・・・もう公開終了から1年だってのに・・・(笑)
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LotRシンフォニーは続くよ~

2005年05月23日 | 指輪物語&トールキン
昨日シネプレックスから帰ってきてネットめぐりをしていたら、TORnにLotRシンフォニーの情報がたくさん出ていました!
こちらに色々出ています。コンサートの日程は下の方にあります。
一応私の方でもこちらにまとめてますので、興味のある方はどうぞ。自分ではこういう情報がまとめてあったらいいなあ、と思って作り始めたのですが、最近自分以外にはほとんど需要がないことに気がつき始めてます(笑)
この記事を読んでショックだったこと・・・8月の8日、9日にアテネでもコンサートがあるんですよ! しかもソリストはシセル!!
シセルはギリシャと8/27のオスロと9/3のベルゲンで歌う、とか書いてあるので、8/13のドイツでは歌わないんですね・・・(涙)
いやしかし、この微妙な日程(汗)8、9のアテネもドイツと一緒に行ってしまえなくはないのですが、さすがに2週間も休めないので、そうすると観光できるフリーの日が中2日くらいになってしまいます(汗)アメリカならそれで全然OKですが(観光するとこないもん・・・)、欧州でそれは勿体無さすぎです(汗)せっかくまとめて休み取れる時期なのに。
アテネのコンサート会場のヘテロ・アティクス音楽堂って、古代遺跡を修復して実際にコンサートに使っている野外劇場なんですね~。こんな感じみたいです。5000人も入るのかあ。
うーん、古代遺跡の中でのコンサートなんて素敵ですが、音響は期待できなさそうだなあ・・・
オケがまた今ひとつ不明なのですが・・・STATE SYMPHONYとなってるんですが、検索してもそんなオケ出てこないよー。
それでも、NDPポップスオーケストラよりは良いオケかなあ。でも音響が悪いならどっちもどっちだし、うーん。
あと、ギリシアってどうも信用できないような気がするんですよね~。いい加減とかそういう意味で。行ったことはないんですが。
どうもスペインと同じような匂いがするんですよね(汗)
昨年11月にセビーリャであったLotRシンフォニーのチケット、発売されたの公演の1週間前切ってたんですよ! 公演自体は2月くらいから決まってたみたいなのに!
昔サッカーを観に行った時も、まあ田舎でマイナーチームを見たというのもあったんですが、前売りを買おうと思ってスタジアムの事務所に言っても「当日来い」とか言われたなあ(汗)
そして言われた時間よりも1時間以上遅れて空いた窓口で当日券を買ったら、メインスタンドのど真ん中最前列が買えたりとかしたんですよね・・・
とまあ、ギリシアにも似たような匂いを感じてならない私です(汗)
でも逆に言えば、当日ふらっと言ってもたいがい大丈夫でしょうけどね。5000人も入るわけないし。(ロイヤル・アルバート・ホールも国際フォーラムホールAも売り切れにはなりませんでしたからねえ)
と、心は揺れますが、ギリシアもドイツもゆっくり旅行できないのはもったいないし、アテネは諦めてドイツに絞ると思います。多分・・・もう少し考えますけど(汗)
ああでも、アテネで指揮がショアだったりしたらかなり迷ってしまいますよ~(汗)ショアじゃありませんように・・・(おいおい(汗))

そう言えば、ショアが韓国のWebsenというゲーム会社が今作っているSUNというオンラインゲームのサントラをやることが決まったそうですね。ちょっと前の情報ですけど・・・やるなあ韓国(笑)
オンラインゲームはやらないのですが、音楽ができたらサントラ盤を発売するようなことが書いてあったので、その時は買うかな。ファンタジーゲームってことはかなりLotRに近いアプローチになりそうだし、どんなものになるか楽しみです。
ショアもゲーム音楽は初めてらしいですが、LotRやってなかったら声がかかることもなかったでしょうね。「羊たちの沈黙」のサントラの人にゲーム音楽頼んだりとか、普通考えませんもんね(笑)
で、このSUNのサントラの録音は、日本にも昨年12月にLotRシンフォニーを演奏しに来た、ロシア・ナショナル管弦楽団(NPOR)とやるんだそうです!
東京のコンサートにNPORを、というのはショアの要請だったとかイープラスの公式サイトには書いてありましたが、本当に気に入ってたんだなあ、NPORのこと。
12月の東京のコンサートは、NPORと、多分ケイティ・ヌーナンもショアの推薦だったのではないかと思われるんですが(シセルの予定が合わなかったので、次に良かった人、ということで推薦したのではないかなあと想像。まあ、もしかしたら単にオーストラリアが日本に一番近かったのかもしれませんが・・・(汗))、8月がひどかった分、12月は結構ラッキーな組み合わせで聴けたのかもしれませんね、東京では。まあホールが良くなかったですけどね・・・(汗)

そうそう、前述のTORnの記事に、DOUG ADAMS氏のLotRサントラの本が近々発売、というようなことが書いてありました。すっかり音沙汰ないのでポシャったかと思ってましたよ(汗)
サントラボックスセットもどうなったんでしょうか。待ってるんだけどなあ。
まあ、LotRシンフォニーも来年5月のデンバーまで決まってるようだし、まだまだ道はつづくよ~、と言ったところでしょうか。
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シネプレックスFotR SEE鑑賞

2005年05月22日 | 指輪物語&トールキン
という訳でシネプレックス新座に行って来ました。
結局迷ったにも係わらず50分かからないで着いてしまいました(汗)思ったよりも近かった・・・東劇よりも近いです、ある意味(笑)
9時半からしかシアターが開かないので、仕方ないので柳瀬川(うーんローカル・・・)の河川敷でブラブラ時間つぶしてました(笑)
でもせっかく道を覚えたけれど、もう行くこともないような気が(汗)よっぽどいい音響で見たくなったら行くかもしれませんが・・・

売店ではLotRグッズが結構たくさん売ってました。さすがヘラルド系列?
そして、LotRの入場者は三角クジを引くことができました。またわかばでやってたみたいな全員プレゼントみたいなもの? と思ったら、二人ともハズレでした(汗)うーん、どんなプレゼントだったんでしょうか。幕張でもやってるかなあ。
しかし、朝一というのもあったかもしれませんが、人があまりにも入ってなくてびっくりでした。10人ちょっとしかいなかったのでは・・・ネット予約する必要全然なかったかも(汗)
全体的に人はあまりいなかったかもしれません。やっぱりかなり辺鄙な場所にありますからねえ・・・車か近所にでも住んでないとなかなか。そう言えばうちの近所のシネコンも連休とかお盆でない限り滅多に混んでることがありません。
あちこちにシネコンがたくさんできてますが、採算取れてるのかなあ、と余計な心配をしてしまいました(笑)

さて、待望のHDCSシアターでの鑑賞でしたが、やっぱり迫力が違いますね~。
ガンダルフの花火はもちろん(笑)プロローグのサウロンの足音とか、もちろんトロルとかバルログとか、その他もろもろのシーンで座席が震動しまくってました!
静かなシーンでも緊張感と臨場感のある音声が素晴らしかったです。根っこの下に隠れている時の黒の乗り手の馬の鼻息?とか・・・本当にすぐそばで聞えるようでした。
音楽もいろいろ細かいところが聴けました。特に打楽器関係がいい音でしたね~。バスドラムが「こんなところで叩いてたのか」と思ったり、あとティンパニがいい音でした! ちょっとホールで聞いているような響きで、カッコよかったです。ボドラン(アイリッシュ・フレームドラム)もいい感じで聞えましたし。
でも、シアターが良くてもフィルムの音が悪いと意味がないばかりか、かえってすごく気になりますね(汗)
終わりのほう、音が悪くなって、音楽がよれたり(汗)あげくの果てに「ポコン、ポコン」という妙な音がずーっと入ってしまっていて(「プチブチ」というよりは「ボコンポコン」と聞えました・・・)、全然集中できませんでした! もしかして普通の映画館だったらここまで気にならなかったのかも・・・!?

と音についてはそんな感じでしたが、久々のFotR、じっくりと楽しみました。
冒頭の、サブタイトルが出てくるところの「旅の仲間のテーマ」でなんだかじんわりしてしまったり(汗)「旅の仲間のテーマ」がしっかりと出てくるのってFotRだけ(TTT冒頭も少しありますが)なので、なんだか懐かしかったのかな。他でも「旅の仲間のテーマ」が流れるとほろりとしてしまいました。
輝くような笑顔のフロドがなんだか眩しかったです(汗)「ああ、こんな頃もあったんだよな」と、なんだかちょっと呆然として見てしまいました。
優しい灰色のガンダルフのまなざしにもほろり・・・
一番泣けたのは、フロドとサムが二人で旅を始めたところ~「ここから一歩踏み出せば行ったことのない土地になります」~エルフの一行を見るフロドとサム、でした。こことっても好きなんですよね。
ブリー村に入ったら、なぜか「いよいよアラゴルンが!」とワクワクしている自分に気がつきました(笑)最近原作の馳夫さんがマイブームなだからかも(笑)
アラゴルンと旅を始めたあたりもなんだかワクワクしました。これも原作の影響かな。「アラゴルンが感じが悪いか」という話をしているのを実は本人聞こえていて、というあたりも微笑ましくて好きですね(笑)
ガンダルフの墜落の後は、今日はそんなに泣きませんでしたが、音楽がヴォーカルから弦楽器に移って、アラゴルンが自分の悲しみを振り捨てて、リーダーとして皆に「立て」というあたりがグッと来ました。神聖な雰囲気のソロヴォーカルが消えて弦楽器に変わることで、残された者たちが歩いていかなければならないんだ、ということが感じられて・・・本当に音楽がいいよなあと思いますね。
「もう少し休ませてやれ」というボロミアの優しさもいいし。特に好きなのは、「Sam, on your feet」と言って立たせてやるところかな。アラゴルンの優しさを感じて好きなんです~(本当にホビットに優しい馳夫さんマイブーム到来中らしい(笑))
ロリアンでは、アラゴルンとガラドリエルの別れが相変わらず好きですねえ。ここ音楽もいいし。
結局予想通りアラゴルンとガラドリエルはここで永遠の別れになってしまったことを思うと余計に・・・それにしてもケイト・ブランシェットが素晴らしすぎです。
ギムリもガラドリエルとは中つ国での別れになってしまったんだなあと思うと、舟の中の言葉がしみじみと感じられます。映画でも原作のように西へ行って再会できたんだと思いたいですね。(どうもフロドたちの船が「エルフの最後の船」とか言われているのが気になるのですよね・・・)
そして、ガラドリエルがフロドにキスする場面を見ながら、灰色港でのフロドのサムへのキスを思い出して、なんとも言えない気持ちになりました・・・
アモン・ヘンは、音が悪くて集中できなかったのもあって今ひとつのめり込めなかったのですが(汗)ボロミアが最期に剣を取ろうとして手を伸ばすあたりはやっぱりウッと来ますね。
とまあそんなところですが・・・FotRってメリピピの影薄いなあとか改めて思ったりもしました。ギムリもだけど。
しかし、FotRはツッ込んだり文句いいたいところがほとんどないんですよね。全然なくはないけどこの程度なら許せるというか・・・(あ、アルウェンがあったか・・・でもあれも「些細なこと」と思えるくらいで(汗))
やっぱりいい映画だったなあ、ということと、このレベルであと2作やってくれてたら・・・という、言っても仕方ないことをやっぱり言いたくなってしまうのでした・・・
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世にも不幸なできごと4 残酷な材木工場(ネタバレ)

2005年05月21日 | 読書
昨日妹に図書館で借りてきてもらいました。4巻しかおいてなかったのですが、とりあえず映画で3巻までは見てるからいいか、ということで。
そしてもう読み終わってしまいました。薄いし、あっと言う間に読めちゃいますね。
以下感想を書きますが、映画のネタバレもちょっとだけあります。そして、「ハリーポッター」シリーズを引き合いに出して色々書いてるところがあります。「ハリポタ」の悪口読みたくない方は読まれない方がいいかも(汗)

読んでみて、意外に面白かったです。途中、工場でのひどい仕打ち?を描いているあたりは「つまんないかも(汗)」と思ったのですが、終盤のヴァイオレットとクラウスの(サニーもかな・・・)の活躍ぶりはなかなか面白かったです。
声を出して笑うほどではないですが、結構笑えるところもありました。
いきなりで出しから、「本というものは一行目を読むとだいたい内容がわかる」と書き出して、例としてありがちな児童文学の書き出しの例を3つほどあげていたのがすごく上手くて、これが一番笑えました(笑)
これを読んで、この作品は既成の児童文学にたいするアンチテーゼとして書かれているのかな、と思いました。映画を見てもちょっと思ったんですけど、やっぱりそういう感じか、と思いましたね。
そして、この書き出しだけ読んでも、この人上手いなあ、というか、頭いい人なんだなあと。
内容はとても子供向けで、大人にも耐えうる児童文学、というのとは激しく違いますが(汗)それは敢えてそういう風に書いているんだなあと、その書き出しのせいで思えました。
子供が楽しむように書かれている、或る意味真っ当?な「子供向け」の作品だなあと。
どうもこのシリーズは「ハリポタ」と比較されたりされがちなようですが、私も比較したくなってしまいます。やっぱり類似点があるので。
類似点としては、今までありがちだった、教訓を含んだ「大人にも耐えうる児童文学」とは一線を画して、あくまでも子供向けに書かれているということがあるかなあと。大人の立場で子供に「与えて」いるのではなく、子供の位置まで下りて、子供の視点に近いところで書かれているところが似ているかな、と私には思えました。だから、真っ当な大人は眉をひそめるような記述もあったりするのかなと。
しかし、私はどうも「ハリポタ」には好きになれない部分があるのですが、「世にも不幸な-」にはそういうのは感じませんでした。
その違いは、作者の視点にあるかなあ、なんて思いました。
「世にも不幸な-」では、大人たちは皆愚かで頼りになりませんが、その愚かな大人たちの描写は、現代社会の「大人たち」に対する痛烈な風刺と感じました。これは映画を見ても思ったのですが、原作でも同様に感じたので、あれはやはり原作どおりなのですね。
特に、悪い人ではないけれど頼りにならない大人たちが印象的でした。大人になるということは、社会のしがらみに捉われて、真実を見ることもできず、自らを縛ってしまうことなのだ、そんな風に読み取れました。原作でも映画でも。
で、「ハリポタ」との大きな違いは、おそらく作者は自分自身もその「愚かな大人」の一人と感じているな、と思えるところです。
「ハリポタ」でも視点がとても子供よりで、愚かな大人がたくさん出てくるのですが、どうも作者の視点が主人公の子供たちと同化しているように思えるのですよね。自分も子供時代に帰って、嫌いだった先生や大人たちのことを子供時代の視点から描いているように思えるんです。
子供に共感を呼ぶという点では良い書き方なのかもしれませんが、どうも私にはあまりにも作者が主人公に感情移入しすぎに思えてしまうんですよね。嫌いなキャラクターの執拗なまでに嫌~な描き方がどうしても好きになれないんです。
「世にも不幸な-」では、作者の視点が子供たちの寄り添いながらも、自分もそんな大人の一人なのだということを忘れていない、いわば自虐的な描写に思えるので、不快感がないのかな、と思いました。
作者がレモニー・スニケットという偽名を使って、実際の作者とは別人のキャラクターが書いている、という態度を取っているのも、もしかしたらそういう意図があるのかも、なんて考えすぎでしょうか・・・?
「何の教訓もない」と言っているのも、大人には本当は子供に教えられることなんて何もないんだ、というスタンスなのかもしれないなあ、なんて思ってしまったのでした。

そんなことを色々考えてしまったのですが(汗)終盤は素直に物語を楽しんでました。
ヴァイオレットがクラウスを救うために難しい本を苦労して読む様子は笑ってしまいました(笑)わからない単語を飛ばして読む様子がおかしくて。でも実は私が英文を読むときと同じだったりして・・・(大汗)
クラウスが何度も足をひっかけられて、そのたびに律儀に転んでしまうのも・・・(笑)
それにしても映画のクラウスはメガネかけてなかったですが、次の映画ではかけてないと話が繋がらないですよね。それともこの巻はカットかな。次につながらないような気がするので・・・望遠鏡の話もなかったし。
でも、オラフ伯爵の女装が出てこないのは残念だな(笑)文章で読んでいても、「女に見えるわけないじゃん!」なオラフ伯爵の登場は笑えたので、ぜひジム・キャリーで見てみたいものですが(笑)
この巻では、おそらく初めて、ヴァイオレットが本を読んで、クラウスがひらめきで発明?をして事態を解決したようなのですが、そうすると映画でクラウスが「ヴァイオレットだったらどんな発明をするだろう」と一生懸命考えて頑張ってたのはこの巻の話を取り入れてたんでしょうか? このあたりは原作の3巻までを読んでみないとわかりませんが・・・
(1巻の表紙を見る限りでは、サニーが塔から吊るされるのは1巻での内容みたいですから)
サニーが4本の歯で剣と戦ってしまうのは、「ありえない~」ともうナンセンスギャグの域だったので、全然ツッこむ気になりませんでした(笑)これも映画になったらどう表現するのやら。いくら歯が丈夫だってその前に口が切れるよね・・・(汗)
それにしても、映画でも思ったのですが、この末っ子サニーの存在が効いてるんですよね。かわいいし。
クラウスがいなくなってヴァイオレットとサニーだけになった場面を読んでつくづくと思ったのですが、サニーはまだ言葉も話せない赤ちゃんなのに、ヴァイオレットもクラウスもサニーをちゃんときょうだいの一員として一人前に扱ってるなあ、と。
一人で難しい本を読まなければならなくなったヴァイオレットが「サニーがもっと大きかったら良かったのにと思ったのはこれがはじめてだった」と思い、時々サニーを起こして意見を聞いたりしている様子がとてもかわいかったです。
映画でも、クラウスとサニーが仲良くなったエピソード?とかかわいかったし。結構この3きょうだいのキャラクターもいいなあ、などと思ったのでした。

って、結構気に入ってるみたいですねえ、私(汗)ハマりかけてるのかも? まあ、ストーリーにドキドキワクワク、というのはないんですが・・・
でも3人の両親の謎とかは気になりますが。そう言えば望遠鏡全然出てこなかった・・・あの謎が気になって原作読むことにしたのに(汗)
まあ、買って手元に置いておきたいほどの作品ではないので、図書館で読破したいと思ってますが。
そう言えば、AMAZONでも今は4巻の売れ行きが一番のようで。やっぱり皆映画の続きが知りたいのでしょうか。「指輪」もFotR公開後は文庫の5巻「二つの塔上1」が一番売れてて品切れ状態でしたもんねえ。
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