ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

バルドのテーマ、ギリオンのテーマのこと(ホビットサントラ語り)

2016年12月08日 | 指輪物語&トールキン
再びTolkien Wrightig Day参加の記事です。
またしてもサントラの話ですが…(ネタがない)

ホビット映画のサントラに出て来るテーマは、残念ながらLotRほど劇的に変化して成長したものはあまりなかったかなと思います。映画は同じ三部作ですが、そもそも原作がLotRよりもずっと短い物語で、登場人物も舞台となる土地もずっと少ないですから、仕方ないことなのですが。
そんな中で、唯一劇的な変化を遂げたのが、バルドのテーマとギリオンのテーマだと思います。
闇の森の王国のテーマ(Woodland Realm Theme)も色々と変化している点では面白いのですが、テーマとして物語の中で成長している、というのとはちょっと違いましたし。(LotRで言うとロリアンのテーマと同じような扱いかもしれません)
トーリンのテーマもそんなに変化はなかったし、ドワーフ関連のテーマは変化するというよりも新しいテーマが出て来るという感じでしたし。
ビルボの単独のテーマが残っていたらまた違ったかもしれないなあと思ったりするのですが…

さて、そもそもバルドのテーマとかギリオンのテーマって?と思う方も多いでしょう。
まずバルドのテーマですが、DoSではバルドが舟にドワーフたちを乗せて湖を進む場面などで流れています。正直ちょっと冴えないというか、地味なテーマで(^^;)私もDoSのデラックス版サントラCDのライナーノートに楽譜が出ていなかったら認識できなかったと思います…(汗)
このバルドのテーマについて、「悪役のテーマかと思った」とおっしゃった方がいて、なるほど、と思ったことが。映画のバルドは最初敵か味方かわからないような感じで出て来るので、敢えて不気味な感じにしたのかなあと。
それにしてもバルドにしては冴えないテーマだなあ、とDoSの時点では思っていた訳です。

一方ギリオンのテーマは、同じくDoSでバルドの家からギリオンの大弓を見たトーリンたちが、スマウグと戦うギリオンを回想する場面で流れます。ここではホルン(とトロンボーン?)、次いでヴィオラとチェロ(多分)でゆったりとどこか物悲しく流れています。

このバルドのテーマ、ギリオンのテーマが、BoFAでは劇的な変化を見せるのです。
まずスマウグの襲来に人々が逃げ惑う中、バルドが牢を抜け出す場面で、あのDoSでは冴えない感じだったバルドのテーマが、華やかで勇ましいメロディに変化して流れるのです! DoSでは後半部分が胡散臭げに(汗)半音上がっていたところ、4音(完全四度)上がって長調になっているのが、華やかな変身の肝かなあと思います。
そしてバインが黒い矢のことを思い出し、舟から飛び出す場面で、今度はギリオンのテーマが打って変わってテンポも速く、勇ましいアレンジで流れます。ここはギリオンが遺した黒い矢を表すのと同時に、ギリオンの子孫でもあるバインの勇気も示しているのかもしれません。
その後、バルドが物見の塔の上で黒い矢を手にスマウグと対峙する場面でも、朗々とギリオンのテーマが流れます。ギリオンのテーマはDoS EEの特典映像に映った楽譜には「Gilion/Bard」となっていましたから、ギリオンのテーマでありつつ、バルドも表しているテーマなのでしょう。
そしてバルドが折れた弓でスマウグに立ち向かうことを決める場面で、バルドのテーマが再び華やかに流れます。
ちょっと話が逸れますが、ここでバルドのテーマ、ギリオンのテーマが盛り上がってスマウグを倒すのではなく、バルドの家族のテーマ(仮)の少年合唱の優しいメロディに変わるところがまた良いなあと思います。

ギリオンのテーマのBoFAでの変化は、LotRでのゴンドールのテーマ(Realm of Gondor)を思い出させるところがあります。FotRのエルロンドの会議では物悲しくホルン1本で流れていたテーマが、RotKの予告で華やかに堂々と流れた時の驚きは忘れられない衝撃でした。
映画のバルドは色々とアラゴルンと被せているなあと思わせるところがあるのですが、このギリオンのテーマの使い方もその一つじゃないかなと思っています。
(他にも、バルドがトーリンとの交渉が決裂して馬で走って戻る場面で、アラゴルンのテーマと同じ三音のフレーズが使われているんですよね。ここ一ヶ所だけですけど。場面の絵面的にもアラゴルンが角笛城に到着する場面を彷彿とさせます)

そして、DoSで冴えないだとか悪役みたいだとか思われていた(^^;)バルドのテーマの華やかな変化は、そのまま映画のバルドの華やかな英雄への変化を表しているようで、そのテーマの使い方の妙に唸ってしまうのでした。

このスマウグ襲撃からバルドが倒すまでの一連の場面の音楽、サントラCDのトラック名だとFire and Waterは、スマウグのテーマが次第にテンポを上げて緊迫感を増して行くところをはじめ、情景描写としても、一連の場面の音楽としてのまとまりも、LotR、ホビット映画のサントラの中でも名曲と言って良いのではないかと思っています。ホビットサントラの中では一番好きかも…
(ちなみにエレボールの表門前でエルフ軍とダイン軍が一触即発、の場面の闇の森の王国のテーマとダインのテーマが絡み合うところのCDバージョン(The Clouds Burst2:39~)もすごく好きなのですが、映画本編では大ミミズが出て来るのが早すぎて一瞬しか流れないのが残念です…)

ただ、バルドのテーマもギリオンのテーマも、この場面が最高潮で、この後は発展して行かないのですよね…そのあたりがちょっと残念です。
やはりテーマの使い方はLotRサントラには敵わないかなあ、と思ってしまうところでもありますね…
とはいえ、もちろんホビットサントラも名曲がたくさんありますし、LotRと共通のテーマ・モチーフが使われているという楽しみもありますし、何と言ってもドワーフの音楽がたくさん出て来るし、名サントラだと思ってます。
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なぜ私はThe Journey Thereが好きなのか

2016年12月02日 | 指輪物語&トールキン
またしてもTolkien Wrighting Dayの参加記事で書いてます。珍しくお題に沿った内容で。

まず、「The Journey Thereって何?」と思う方が大半でしょう…(^^;)これはLotR映画のサントラのテーマの一つです。
一番わかりやすいのは、フロドとサムがガンダルフと別れて二人でホビット庄の中を旅し始める場面でしょう。ここでバウラン(アイリッシュフレームドラム)のリズムをバックに弦楽器で流れるのがThe Journey Thereです。(と言ってもサントラ完全版のライナーノートで名前が挙がるまでは名無しのテーマでしたけど…)
麦畑でサムが立ち止まり、「ここから先は行ったことのない場所です」というところで、オーボエとホルンの物悲しいメロディの掛け合いになり、やがてホビット庄のテーマから旅の仲間のテーマへと変わって行く、心温まる場面です。

この割と地味なテーマが、実は私がLotRサントラの中で一番好きなテーマなんです。
なぜこのテーマが一番好きなのか…それは遡ること14年前、何回目かの(多分10回目くらい)FotR鑑賞の時でした。
ガラドリエルの水鏡の場面で、奥方が「最も小さな者が世界の運命を変えるのです」とフロドに語りかける場面で、このテーマが使われていることに気が付いたのです。ここではホルンでより物悲しく流れています。
このことに気が付いた時、電撃に打たれたような衝撃を受けました。ああ、これ意図的に同じメロディが使われているんだ!と。
もちろん、ホビットのテーマや旅の仲間のテーマが繰り返し使われて、それぞれホビットや旅の仲間の場面で使われていることには気づいていました。でも、登場人物のテーマがサントラで出て来るのはよくあることで、そんなに重要視はしていなかったのです。
でも、このテーマが違う場面で違う楽器で使われていることに気が付いて、このサントラに出て来るテーマは、単に登場人物を表す表面的なものではなく、登場人物の心情も表しているんだ、クラシック音楽やオペラやミュージカルのテーマ、モチーフのように…!ということに気が付いたのです。

このことに気が付いて以来、「他にもテーマ、モチーフがいろいろあるはず…!」とサントラの中からテーマ、モチーフを探し出すのに夢中になりました。
当時はまだサントラについて触れられている媒体がほぼ全くなく、ファンの中でもほとんど話題になっていませんでしたから、一人黙々と作業していたようなものでしたが、でも楽しかったなあ。
いわば私がLotRサントラにのめりこむきっかけになり、LotRサントラの世界の扉を開いてくれたテーマでもあるのです。それでとても思い入れがあるのです。
サントラにテーマやモチーフを使うケースは他にもありますが、ここまで大がかりにテーマ、モチーフを組み込んだサントラは、今でも他に類を見ないのではないかと思います。

その後、TTTではThe Journey Thereは登場せず、もう出て来ないのかな…と思っていたところ、RotK冒頭、フロドとサムとゴラムが歩き出す場面で再び流れた時は感無量でしたね……。

そんな私が大好きなThe Journey There、サントラ完全版のライナーノートで初めてテーマ名が明らかになったものの、説明はほとんどなく、消化不良な状態でした。
そのライナーノートを書いたDoug Adams氏がサントラ解説本The Music of the Lord of the Rings Filmsを出版し、どんなことが書いてあるのか…と楽しみにしていたのですが…
本の中で書かれたいたのは、このテーマのWeakness and Redemptionという別のテーマ(裂け谷の音楽のバックで流れる短調のアルペジオと言えばわかるでしょうか?)との類似の指摘と、Weakness and Redemptionが音が上がって下がるのに対し、上がり続けることで不吉さが増幅されている、というような短い説明のみで、ええ~、と…
私にはあのテーマはそれだけのものとは思えないんですよね。思い入れがありすぎるからかもしれませんけど(^^;)

The Journey Thereがはっきりと出て来るのは、FotRの2回とRotKの1回です。
最初に出て来るフロドとサムが旅する場面では、初めての土地に踏み出すサムを勇気づけるようにフロドがビルボの言葉を話す場面で、静かにホルンでホビット庄のテーマに変わり、更に初めて流れる旅の仲間のテーマへと変わります。(SEEだとサブタイトルで先に流れちゃいますけど)
RotKでは、このテーマが流れたすぐ後にアイゼンガルドに向かうガンダルフたちの場面に変わり、旅の仲間のテーマの最初の三音の下がって戻るフレーズ(Back and Again)に繋がります。そしてサブタイトルが出るところで希望を感じさせるゴンドールのテーマにつながり、次第に明るくなってアイゼンガルドでの仲間たちの再会の場面に向かいます。フロドとサムと仲間たちの絆を示すように。
この二つの場面とも、不安な状況から、勇気や希望を見出す場面につながっているように思うのです。
水鏡の場面では、他のテーマにはつながりませんが、麦畑の場面と同じ物悲しいメロディをバックに語られる「もっとも小さな者が世界の運命を変えるのです」という言葉が、絶望的な状況の中の一筋の希望を感じさせます。
これは私の贔屓目すぎかもしれませんが、このテーマは、ただ不安を募らせるというだけのテーマではなく、不安の中から希望を見出すことを表しているテーマなのでないかと思うのですよね…。
確かに、他のフルで使われず前半部分だけ使われている場面では不安を表しているようですけれど、それならそれでそういう場面とフルで曲調が変わるところまで流れる場面の違いも書いて欲しかったなあと思ってしまうのでした。

というわけで、今までなかなか語る機会がなかった、The Journey Thereについて思う存分語らせていただきました(笑)
なぜThe Journey Thereが好きなのか、だけではなく、なぜLotRサントラが好きなのか、という話にもなったかなと思います。
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LotR in Concert(サントラ生演奏上映)のすすめ

2016年09月22日 | 指輪物語&トールキン
Tolkien Writing Dayの企画で記事を書いています。(最近企画参加でしか記事かいてませんが(^^;)

以前日本でも公演があった、Lord of the Rings Symphonyに代わって、最近ではLotR in Concertというのが世界各地で演奏されています。
in concertとなっていますが、実際のところは映画の画面に合わせてオーケストラの生演奏でサントラを演奏するというものです。最近は日本でも色々な映画で行われていますね。
(LotRもやればいいのに…と思うところですが、映画自体の上映権が切れているので難しいでしょうか…)

最初にサントラ生演奏上映があったのは、スイスのルツェルン。LotR SymphonyのCDの録音も行った21st Century OrchestraとLudwig Wicki氏の指揮で行われました。
女声ソリストはLotR Symphony後期から登場したKaitlyn Luskさん。未だにほとんど全てのコンサートのソリストを勤めています。
その後NYなどでも演奏されましたが、当時はまだ21st Century Orchestraが遠征しての演奏でした。そりゃ3時間超のサントラ演奏するの大変だよな…と思っていたのですが、最近は各地のオーケストラで演奏されるようになってきましたね。本家ロンドンシンフォニーでもありましたし、フランスやアメリカの一流オケによる演奏もあります。
指揮もLudwig Wicki氏がすることがほとんどですが、違う指揮者による指揮も増えています。3時間超のスコアを指揮するの準備から大変だよな…まあオペラもそんな感じかな?(いや3時間超のオペラはあまりないと思う…)
ドイツではここ数年毎年のように怒涛のコンサートラッシュがあります。ドイツ人LotRホント好きなんですねえ。

生演奏上映は、トップの写真のように、ステージ上に大きなスクリーンが出て演奏されます。オーケストラの段差は最低限なので、管楽器は客席からは全く見えません…(コーラスが更に上に控えてますからね…)
台詞が聞こえない場合にそなえてか、英語圏でも英語字幕つきの上映です。台詞が聞こえなかったことは私が聴いた範囲ではなかったですが。
指揮台に映画の画面が映るモニターがあり、音楽が始まる少し前、始まるタイミング、終わるタイミングに画面に太い線が流れて来て、それを合図に指揮していました。多分映画のサントラを録音する時と同じ方法だと思います。
これを生演奏でやるのってすごい技術ですよね…!Ludwig Wicki氏は映画のサントラの録音の仕事などもしているようなので慣れているのでしょうが。

このコンサートで特筆すべきは、映画本編で未使用の音楽が演奏されるということです。FotRでは多分ありませんが、TTT、RotKではかなり未使用音楽が演奏されますよ。
基本的にサントラ完全録音盤に準じていると思われます。ただ、完全録音盤はSEEバージョンですが、コンサートでは劇場版サイズという違いがありますが。
あと、劇場版ですが3作とも途中休憩があります。休憩後の開始時には間奏曲のようなサントラのダイジェスト演奏があって嬉しいです。

私は2013年からシカゴ、フィラデルフィアでそれぞれ2回のコンサートに行きました。
シカゴはシカゴ交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団というアメリカ屈指のオーケストラの演奏でしたので、これは行かねばと。指揮はどれもLudwig Wicki氏、女声ソロはKaitlyn
Luskさんでした。
フィラデルフィア管はLotRシンフォニーをやったことがあるのですが、シカゴ響はシンフォニーもやったことがなかったので、このコンサートをやると聞いた時はびっくりしたものです。
これでアメリカ5大オーケストラでシンフォニーもサントラ生演奏上映もやっていないのはボストン響とNYフィルということになりますが…ボストンはボストンポップスもあるのにLotRはやりませんねえ。ジョン・ウィリアムズと関係が深そうなのでそれでかなあとか(^^;)
シカゴもフィラデルフィアも素晴らしい演奏でしたが、特にフィラデルフィアのコーラスが素晴らしかったですね。よくオケは素晴らしいのにコーラスが今イチ、ということもあるので、両方揃っているのはなかなか貴重ですよ。

夏の時期のコンサートは、野外音楽場で行われることが多いです。オーケストラがシーズンオフということもありますが、野外のイベント的な扱いですね。
野外の音楽場は壁がありませんから、音響はかなりスピーカーに頼ることになるので、正直音響は今ひとつです…映画の音声と一緒の演奏なので、ホールでももしかしたらマイクに頼る部分も多いのかも知りませんが。一度ホールでの演奏を聴いてみたいなあと思っていますが。
野外の開放感からか、はたまたコンサートでなく映画を見に来ている気分なのか、観客は結構うるさいです…(汗)エンドロールの途中で帰ってしまったりも。(演奏続いてるのに!)
でも映画の場面に合わせて拍手が起きたり歓声が起きたりするのは楽しいとも言えます。私は正直もうちょっと落ち着いて演奏聴きたいですけど(^^;)

ちなみに来年はフィラデルフィアでRotKをやるのではないかと思われるので、万一行きたくなった人がいた時のためにフィラデルフィアの会場への行き方・帰り方について。
フィラデルフィアの会場であるMann Centerは、フィラデルフィアのダウンタウンからは比較的近い公園内にあるのですが、アメリカらしく交通機関がなかなかありません。車があればどうってことはないのですが…(でも駐車料金すごく高いらしいです(汗)
シャトルバスがダウンタウンから出ていますが、行きは到着が開演15分前とギリギリでちょっと心配…(渋滞もあるでしょうし)
ということで、私は路線バスで近くまで行って歩きました。38番のバスとかが会場の近くまで行きます。
しかし路線バスにありがちですがどこで下りるのかすごくわかりづらいです…昨年は運転手さんが教えてくれたので何とかなりましたが、親切でない人だと教えてくれないこともあり…
今年はgoogle mapのオフラインマップをDLして行ったので助かりました。オフラインでも現在位置表示されるんですよね。
帰りはシャトルバスで帰るのが楽ですが、こちらはバス停についてもどこのバス停だか全然教えてくれず…(汗)しかも行きの路線図と違う行き方するんですよね。昨年は乗客も軽くパニックでした(^^;)今年オフラインマップで確認しながら乗っていたところ、一旦行きの出発地点まで行って、そこから行きの順番に回っているようでした。(ただし一方通行もあるので全く同じではないという…)もしシャトルバスで帰る場合は、オフラインマップ必携かも(^^;)
(ところでこのサイトのシャトルバスのルートマップ、前よりわかりやすくなってる…評判悪かったのかな(^^;)

という訳で、サントラ生演奏上映のお勧めになったかわかりませんが(^^;)こんな感じですよ、というご紹介でした。
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PJ映画における17年ギャップ問題(?)について

2016年06月21日 | 指輪物語&トールキン
またしてもTolkien Writing Dayの参加で久々に記事を書いています…

PJ映画での大きな改変の一つとして、この「17年ギャップ問題」があると思います。(勝手に命名してます…)
原作ではビルボの111歳の誕生パーティーからフロドの旅立ちまで17年あるのですが、映画ではこの17年がすっ飛んでしまって、フロドが33歳のまま(多分)旅立ってしまっているので、17年のズレが生じてしまっているのです。
(ここではフロドがすぐに旅立ったと仮定して17年としていますが、実際には1年後とかだったりする可能性もありますね…面倒なのでここでは17年ということにします。)

この改変のおかげで色々ややこしいことになっていると思うのですが、映画ではそのあたりの設定し直しとか一切言及されてませんね…もう辻褄が合わなくなってしまうから敢えて触れてないのだと思いますが(汗)
ファンも、この17年ギャップのことは敢えて考えないようにしている方が多いのかなという印象です。
ホビットの映画化が決まった時に、「裂け谷にエステル10歳がいるのでは!」と言っている方が多かったのですが、私は「いや17年ズレてるから、アラゴルン27歳でもう野伏生活してるんじゃ…」と思ってました。
実際、BoFAの最後にスランドゥイルがレゴラスに、北のレンジャーの長に会うように、と言っているところから、やはりアラゴルンは既に野伏として活動しているようなので、やっぱり27歳だったんじゃないかな?と思いました。
このあたりをちょっと整理してみたいかな、と思って今回の記事を書いてみることにしました。
(別に映画の設定の改変をフォローするわけではないんですけど…(^^;)

年表にあてはめるととてもややこしくなるのですが、そうでもしないと説明のしようがないので、仮に年表を作る作業をしてみたいと思います。

まず、フロドの旅立ちを17年ずらすのですが、17年動かさなければならないものの方が少ないので、後ろにずらしてしまうと楽なのですが、そうするとさらにややこしくなってしまうことが判明したので、とりあえず17年前に動かすことにします。
ビルボの誕生パーティーが3001年、フロドの出発が原作だと3018年ですが、映画ではフロドの出発も3001年とします。
ここで「17年前に動かない=他のものと17年ずれて来る」のは、まずビルボとフロドの生年月日です。3001年にビルボ111歳、フロド33歳でなければならないからです。
そしてもう一つ、五軍の戦いも「動かない=17年ずれる」ものになります。なぜなら、映画でしっかりと「60年前」と字幕が出てしまってますので…ビルボ51歳の時でなければならないのです。
(ここでふと、もし映画のビルボをフロドみたいに若くしたら、年号いじらなくて良かったのではと思ってしまいました。いやマーティンビルボが絶対良かったですけど)

ほとんどのLotRに出て来る登場人物は、生年月日が17年前にずれます。アラゴルンはTTT SEEで87歳と明言していますから、五軍の戦いの時には-60歳で27歳ということになります。原作からは+17歳、生年月日も17年前にずれることになります。
メリピピ、サムは生年月日が17年早くなることで、誕生パーティーの時の年齢=出発時の年齢になります。(映画の彼らの年齢が原作と同じとして)

また、先日さやうぇんさんがおっしゃっていて気付いたのですが、原作では五軍の戦いの時のゴンドールの執政はトゥアゴンなのだそうですが、映画ではエクセリオンであることが明言されています。
原作では五軍の戦いは2941年、エクセリオン二世の治世は2953年からです。
五軍の戦いを基点にエクセリオンの治世を17年前にずらすと、2936年となり、エクセリオンの治世ということになるのではないでしょうか。映画でそこまで考えていたのかどうかはわかりませんけど…(汗)

余談ですが、アラゴルンがソロンギルとして活動?を始めたのが原作では2957年、17年ずらすと2940年となります。ということはもうこの頃にはソロンギルと名乗っていた?スランドゥイルの話しぶりではまだレンジャーとして活動していそうなので、このあたりは少し年数ずれるのかもしれません…またややこしいことに(汗)
しかし、いずれにしても映画では五軍の戦いの時点から近いうちにアラゴルンがソロンギルを名乗るのだとすると、やはり五軍の戦いの時点でエクセリオンの治世になっているというのは整合性があるかなと思います。


さらに余談ですが、映画ではセオデンがアラゴルンがセンゲルと戦ったことを覚えていて、アラゴルンがそれを「よく覚えておいでだ。まだほんの子どもだった」と言っています。
セオデンの生年月日を原作どおりにして17年前にずらすと、五軍の戦いの時点で11歳ということになります。11歳は「よく覚えておいでだ」と言われるほど子どもですかね…
原作だとセオデンはベレンノールの時点で71歳ということになっていますが、映画のセオデンはそこまでの年齢には見えませんでした。
セオデンに関しては、更に5、6年生年月日をずらして、ベレンノールの時点では60代とするのが妥当かな、と思っています。そうすると五軍の戦いの頃はティルダと同年代か少し下くらいかな、とか。

あと、五軍の戦いに出て来る登場人物は、五軍の戦いの時点の年齢を基点にするので、たいていは「生年月日が17年動かない」ことになると思います。
映画の年齢が原作と違いそうな人物は、映画の年齢を基点にすることになるでしょう。
ここで一つ例外が。ギムリの生年月日を17年前にずらすと、五軍の戦いの時点で79歳になります。キーリ(77歳)より年上になってしまいます。
これだと「若くて連れて行ってもらえなかった」という理由と合わなくなるので、ギムリの生年月日も「17年動かさない」方になるのかなと。ということはギムリはLotRの時点で17歳若い122歳になるわけですが、これはそんなに違和感ないかな?

そして「ホビット」に出て来る人間たち、バルドとバインについてです。
バルドもバインも原作で年齢は明らかにされていませんが、原作では指輪戦争の際にはバルドの孫のブランド王が谷間の国を治めていたことになります。
パインはホビット映画の時点で12、3歳かな?と仮定すると、60年後には72、3歳。まだ生きていてもおかしくないですね。まあもう少し若くして亡くなっているかもしれませんが。
バルド、パインについては、生年月日の調整よりも、在位年代が変わって来る感じかもしれませんね。映画では出て来ないから考えなくて良いかもしれませんが。

こうして考えると、エルフは17年くらいはどうとでもなるので楽ですね…(笑)

あと、原作ではフロドが灰色港から旅立つのは指輪棄却から2年後で、エラノールが生後半年ですが、映画ではエラノールが2、3歳、サムの第2子のフロドも生後数か月のようなので、4年後くらいですかね。ここでも年数ずれてきますね。
そして、トーリンの年齢が若くなったことで、スマウグのエレボール襲来が一体何年になったのか、というのは、もう説明つかないですね…

という訳で、映画の17年ギャップに整合性を持たせる試みでした(^_^;)
本当は年表を図にしたら少しはわかりやすいと思うのですが、技術的にも時間的にも間に合いませんでした…いつかこっそり年表添付するかもしれません…
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トールキンにとってのドワーフ(とホビット)

2016年04月06日 | 指輪物語&トールキン
Tolkien Writing Dayの企画参加で書いた記事です。(最近こんなことでもないとブログ更新しなくなってますが(汗))

ここ数年ずっと気になっていたことなんですが、ちょっとまだ私が書くのは早いかなと思いつつ、そんなこと言ってると永久に書けないので、見切り発車で書いてみることにしました。
ちょっと各方面で炎上しかねない内容かもしれませんが…(^^;)
しかも、この内容を考えている最中、昨年猪熊葉子辺見葉子先生の講座でトールキンのドワーフの変遷のような内容があったそうで…それ聞いてないでこんなもの書いていいのかというのもありますが(汗)
HoMEにもドワーフについて書かれたものあるみたいだし、本来なら原典にあたってよく調べてから書くべきところなんでしょうが、あちこちから入って来た情報の切れ端から思いついたことを書いてますので、そのあたりもお含みいただければと…(最初から逃げ口上(^^;))
あと、昨年参加させていただいた(というか用意していただいた訳文を読んでただけですが…)HoME読書会のアスラベスの回が今回の内容を考えるにあたって非常に参考になりましたので、申し添えさせていただきます。

トールキンのドワーフの扱いがひどい(?)ということは、ホビット映画公開以降、ドワーフ好きの方々からよく聞かれるようになったように思います。
私も、トールキンは指輪物語→ホビット→シルマリルの順で読んだので、特にシルマリルの第一紀のドワーフの扱いには「えっ?」と思ったものです。(シルマリルはエルフ視点で書かれているから、という意見もありますが…)
そもそも、ドワーフはアウレがこっそり作ってしまったというのがすごい設定だなと…。最初に読んだ時は「ふーん」と思った程度でしたが、トールキンについて、特に敬虔なカトリックであることを知ってからは、これひどいなと。だって「神の子」じゃないわけですよ……。
どうしてトールキンがドワーフにこんな仕打ち(汗)をしたのかと考えるに、ドワーフの性質のことが思い当たります。
金銀財宝に強い欲望を持ち、受けた仕打ちは決して忘れずに復讐心が強い。ドワーフのカッコいい部分でもありますが、キリスト教精神から言うと、あまり誉められた性質ではないなあと。(キリスト教について詳しく知っているわけではないのでイメージですが)
悪ではない、けれどその性質は必ずしも誉められたものではない、ということで、エルが作ったのでない、という設定にしたのではないかと…。
ではなぜわざわざそんな存在であるドワーフを登場させたのかということですが。
トールキンのドワーフの名前が古エッダから多く取られているのは良く知られています。私は北欧神話やケルト神話に詳しくはないですが、トールキンの描くドワーフの性質、黄金への渇望や激しい復讐心などは、そういう神話・古伝承によく出て来るモチーフだと認識しています。
これは全くの私の想像ですが、トールキンはキリスト教精神からは外れると思いつつも、そういう神話に出て来る粗野なモチーフに惹かれる部分もあったのではないでしょうか…。
私が初めてアザヌルビザールの戦いについて読んだ時、その凄絶さに絶句し、同時に、大きな犠牲を払いながらも鉄のように復讐を貫徹したドワーフたちに強く惹かれました。
そんなエピソードを考えたトールキン自身が、ドワーフの性質をただ神の御心に添わない良くないもの、とだけ考えていたとは思えないのですよね…。
トールキンが考える「ドワーフ的なもの」に魅力を感じつつも、キリスト教精神から言うと認められない、そんな葛藤から、ドワーフのあの設定が生まれたのではないかと。そして、初期のドワーフの扱いがひどいのもそのせいではないかなと。私は今のところそんな風に考えています。

ここでちょっと話が逸れますが、それではホビットは何なのか、ということですが。
ホビットについては謎が多く、はっきりエルが作ったという記述は残っていないようですが、まあ逆にエル以外が作ったというのは考えにくいので、エルが作った、と考えて良いのかなと。
ただ、理想の神の第一子であるエルフ、それを引き継ぐ運命を持った人間(このあたりアスラベスに出て来た内容から拝借しています)、というようなドラマチックな運命は、どうもホビットには与えられていないように思います。
ホビットと言えば、素朴で、賢くはないし、諍いもないわけではないけれど、基本盗みも殺人もない平和な世界に生きている種族です。
これも私の想像ですが、トールキンにとってのホビットは、キリスト教精神に照らして庶民レベルで理想的な存在、なのではないでしょうか。「神の存在を知る前の素朴な存在」という感じかもしれません。
そんなホビットの中から、西に向かうことを許された、ビルボ、フロド、サムは、ホビットの中から出た聖人のような存在なのではないかなと思います。

「ホビット」では、そんな存在であるホビットとドワーフが一緒に旅をします。ビルボは最初は理解できないと思っていたドワーフたちにいつしか親愛の情を抱くようになり、ドワーフたちも次第にドワーフとは全く違うホビットであるビルボを受け入れ、尊敬するようになって行きます。
その最高潮が、トーリンとビルボの別れの場面にあると思います。
スマウグの黄金に心乱されたトーリンは、最後の時になり、こう言います。
「わしはもう、ありとある金銀をすてて、そのようなものの役立たぬところへおもむくのじゃから、心をこめてあなたとわかれたいと思う。―もしわしらがみな、ためこまれた黄金以上に、よい食べものとよろこびの声と楽しい歌をたっとんでおったら、なんとこの世はたのしかったじゃろう。-」
キリスト教精神から離れた存在であったドワーフが、ホビットの存在によってキリスト教的な価値観に目覚める場面、とも言えるように思います。(異論のある方もいらっしゃると思いますが…(^^;)
五軍の戦い以降、ドワーフの間ではビルボは尊敬される存在となります。そしてそんな風にビルボが尊敬されるようになって以降成人した若いドワーフたちの中から、ギムリが登場する訳です。(ドワーフの成人何歳かよくわかりませんけど…)
ギムリはビルボの行いについては良く知っていて、ビルボに対してもホビットたちに対して既に敬意を持っていました。(フロドたちについては、尊敬というよりも護らねばならない存在と思っていたようですが。)
そんなギムリは、一人異種族の中で旅をするうち、奥方を崇拝し、レゴラスやアラゴルンと友情を結ぶなど、ドワーフとしては驚くほど開放的な存在となります。
そのギムリに、奥方はこんな預言をしています。「そなたの手には黄金が満ちあふれるでありましょう。しかもそなたは黄金に心を奪われることはありませぬ。」と。
確かに、「指輪物語」本編の中で、ギムリはドワーフの性質としての金銀財宝への欲望というものをほとんど見せません。最初に「指輪物語」を読んでいたので、その後「ホビット」やシルマリルのドワーフの性質を知って、逆にギムリの財宝に対する潔癖さ?に違和感というか不思議な気もしていました。
これは、ギムリが、自らの種族の殻を破り、他者を受け入れることによって、ドワーフの運命の呪縛から解き放たれた、ということにはならないでしょうか。
ギムリがドワーフとしては異例として西に渡ることを許されたのも、そのためということも考えられるんじゃないかなと思うのです。トールキンにとってのドワーフの完成形?がギムリなのではないかと。

というのが、今の時点で私が考えるトールキンにとってのドワーフ像とその変遷、です。
結局はギムリ最高、という結論になっているような気がしなくもないですが…(^^;)
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Courage and Wisdomのこと

2015年12月03日 | 指輪物語&トールキン
トールキン #束adv Advent Calendar 2015企画参加のために書いた記事です。
と言いつつ全然いつもの感じそのままですが…(汗)

Courage and Wisdom、BoFAでトーリンをビルボが看取る場面のサントラCDでのトラック名です。(でも今回はサントラの話ではないのですが)
この場面、原作ファンとしては「なんでビルボ一人だけなの」とか「西の国のけなげな子よ」がなかったとか色々あったのですよね。まあそんなことを考えつつも映画館でボロボロ泣いてましたけどね(笑)
ところが、DVDが出て、台詞を確認したくて英語字幕を見て、意外にも原作から取った台詞を使っていることに気が付きました。
トーリンに「危険な目に遭わせてすまなかった」と言われたビルボが、「みんなと一緒に冒険できて嬉しかった。どんなホビットにもできない冒険だ」と言う台詞です。
映画ではNo, I'm glad to have shared in your perils, Thorin. Each and every one of them. It is far more than any Baggins deserves.
原文ではYet I am glad that I have shared in your perils―that has been more than any Baggins deserves.
瀬田訳では「でもわたしは、命をかけてあなたと冒険をともにしたことが、うれしくてなりません。それだけは、わが家の誰もうけたことのないわたしのほこりです。」となっています。(瀬田訳格調高くてしかも優しくていいなあと改めて…)
瀬田訳と映画の日本語訳の雰囲気が違い過ぎて、同じ台詞だとは気づきにくいですね。英語ネイティブの原作ファンならすぐわかったのでしょうか…
この台詞の前に、トーリンが「危険な目に遭わせてすまなかった」と言う台詞が、少し唐突な気がしていたのですが、このビルボの台詞につなげるためのあの台詞だったんだなあとわかりました。

この少し前にも、原作から取った台詞がありました。トーリンが「友に見送られてあの世に行ける(字幕)(吹き替えだと「仲直りしてあの世に行ける」)と言う台詞です。
映画も原作もI wish to part in friendship from you.で同じでした。
瀬田訳だと「心をこめてあなたとわかれたいと思う。」です。(またしても瀬田訳の名訳ぶりに唸る…)
ここも正直原作と全く同じだとは思っていませんでした。
その直後のI would take back my words and my deeds at the Gate.も原作と全く同じです。

原作とは関係ないのですが、その後の台詞、日本語だと「そなたは真の友だ」というところ、英語ではYou did what only a true friend would do.となっていました。
ビルボがアーケン石を持ち出したあの行為が、真の友にしかできないことだったと言っているのですね…。
原作ではトーリンはビルボの人格を讃えていますが、映画では友情の話になってるんですよね。その善し悪しはともかくとして、トーリンがビルボのあの行為を素晴らしいことだと認めてくれていたのだな、ということがはっきりわかって嬉しかったです。(日本語訳が省略して「真の友だ」になってしまうのは仕方ないと思います…意味は間違ってないですし)

余談ですが、トーリンがビルボが来たときに言う「I'm glad you are here」は、LotRでフロドがサムに言う台詞と同じですね。FotRラストと、RotKの滅びの山とで。これは意図的なのかどうかわかりませんが。

さらに、サントラのトラックタイトルであるCourage and Wisdomですが、これも原作のトーリンの台詞から来ていることに気が付きました。
「Some courage and some wisdom, blended in measure.」瀬田訳だと「しかるべき勇気としかるべき智恵がほどよくまじっておる」というところです。(「西のくにのけなげな子よ」の後です)
映画で使わなかったこの台詞をなぜトラックタイトルに…?使わなかったけれどリスペクトしているということを示したかったのでしょうか。それとも元は入っていたけどカットしたとか。
色々と気になります…

この場面に限らず、ホビットもLotRも思わぬところで原作の台詞を使っているので気が抜けません。
ついこの間も、ガンダルフがビビンを連れてエドラスを出発する時の台詞が、原作の療病院でガンダルフがヨーレスに言った台詞から来ていることに気が付いたところです。
(映画 Run Shadowfax, show us meaning of haste. 原作 and Shadowfax shall show her meaning of haste.
映画「飛蔭よその俊足を示せ」原作「飛蔭に急ぎの意味を教えてもらうのじゃな」
これも日本語が違い過ぎて気づきにくい例ですね)
13年目にしてまだ発見があるとは…(汗)

さらに余談ですが、この場面、画面から切れてるんですが、トーリンとビルボの手の演技が気になります。
ビルボが来たときに、トーリンが右手でビルボの腕を掴むのですが、ビルボが上記の台詞を言う時に、両手でトーリンの右手を握りしめてるんですよね。トーリンも握り返しているように見えます。
このあたり、画面からほぼ外れてしまっていて映っていないのが残念…せっかくこんな演技してるのに!贅沢なカット割りですね…
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BoFAサントラ場面予想答え合わせ

2015年02月13日 | 指輪物語&トールキン
ホビットBoFAの公開、先週でだいたい終わったようですが、ピカデリーが今日までやってますね。
横浜ムービルなどで20日までやっているそうですが、残念ながら行けず…
そんな公開終盤ですが、ようやく指輪サイトにBoFAサントラ場面予想の答え合わせをupしました。
LotR TTTの時からやってきたサントラ場面予想もついにこれでおしまいなんだなあ、と思うと一抹の寂しさが…
いつもなんだかんだと10回鑑賞を越えたあたりから答え合わせ始めるのですが、意外とサントラ覚えきれてなくて、今回も結局うやむやなままになってしまった部分が多々あります(汗)
CD聴きなおしていて「ここ使われてなかったよなあ」と思ってまた映画見たら思いっきり使われてたりして…
戦闘シーンの音楽は特に覚えきれないのですが、今回2時間20分中45分戦闘シーンですからね…と言い訳(汗)
あ、今回デラックス版の入手が遅れたため、ライナーノート見ないまま予想したので、バルドの英雄のテーマとか家族のテーマとかしっかり誤解したまま書いてましたね。読んでびっくりという(汗)バルドの英雄のテーマはキーリ関連かと思ってましたし…
バルドの家族のテーマはビルボのテーマ(Dreamin of Bag End)の前半のバギンズの部分と勘違いしてたのですが、かなり似てるんですよね。これきっと、Homeというキーワードでつながっているんじゃないかなという気がしてます。
あと、ビルボのテーマのトゥックの部分が使われてる!と思った箇所がありましたが、やはり本編では使われず…(涙)
自分でも面白いなと思ったのは、CDだけ聞いてた時には気付いていたのに、本編観てたらすっかり忘れていて全く気が付かなかった、というところもいくつかありましたね。たとえばトーリンが刺される場面でトーリンのテーマが流れてたとか、ミスリルの胴着の場面でミスリルのテーマ(仮)の後に流れてたのトーリンのテーマだったとか。
終盤のサントラなど、映画観る前からしみじみといいなあと思ってましたが、映画観てから聴くと、映画で描かれている感情が映像以上に詰まっているように感じてしまって…いいですねえ。
やはり3作全てのサントラを聴くと、1作目に立ち返ってもう一度考えながら聴きたいなあと思いますね。
ホビットでは映画本編のサントラについての考察というか解析というか…はやっていなかったのですが、3作観終わった今、ちょっとやってみてもいいかな、と思うようになってきました。まあまだそんなことしてる時間全然ないですけどね…
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ホビットBoFA観ました…!(ネタバレ)

2014年12月23日 | 指輪物語&トールキン
ついにホビット最終章観ました! 旅行行く前になんとか感想書いておかねば、と無理無理で書いてます(汗)
DoSの時、かなり否定的な感想を書き、最終章に向けて不安要素も多く、テンションもすっかり下がっていたのですが、予告、そしてビリー・ボイド歌う主題歌The Last Goodbyeを聴くに至って、もしかして期待して大丈夫では? と心境が変化してきました。
試写会で観た方たちが皆号泣したと言っていて、でも自分は泣かないかもな…なんて思ってましたが、かなり泣きましたよ(笑)
実はAUJ EEの裂け谷の追加シーンで、トーリンが黄金病にかかる可能性がある、という設定を知って以来、ラストがどうなるのか心配でなりませんでした。
原作で一番好きな場面は、やはりトーリンとビルボの和解の場面でしたので…。あれはトーリンが自分と全く違う生き方のホビットであるビルボを認め、その生き方のすばらしさを認め、頑なな価値観から抜け出すことができた、というところが好きだったのですが、もしそれが病、もしくは狂気のためにトーリンがおかしくなっていた、ということだったら、最後の和解も全く違うものになってしまうのではないかと心配だったのです。
実際に観てみて、意外なくらいそこは杞憂でした。確かに原作の別れとは意味合いが違ってしまっていましたが、それはそれとして、映画は映画で素直に二人の別れに心打たれることができました。
原作のトーリンは、欲や名誉と言った価値観を捨てビルボの価値観を認めますが、映画のトーリンはまた違った方向でビルボの価値観を認めていました。AUJで、戦わないホビットは足手まといだ、と言い、ビルボが逃げて家に帰ったのだと怒っていたトーリンが、ビルボの生き方を認め、ビルボに家に帰って平和に暮らすように言うのです。こういう方向があったか!と思いましたね…
終盤のとても印象的な場面に、ビルボがどんぐりを大事に持ち歩いていたことを知ったトーリンが微笑む場面があります。いつの間にかトーリンも、ホビットに心和まされるようになっていたのか…!と衝撃ですらありました(笑)ついにトーリンもホビットに優しい人の殿堂入りか、と(笑)
心配したように、ただ病から目覚めて元に戻ったというだけになるのではなく、その間にトーリンもまた成長していたのですよね。疑心暗鬼になった時にビルボの素朴さに心を動かされた、そのことが、最後の別れの場面にも反映されていたと思います。
ビルボ一人がトーリンを看取ることに違和感もありました。原作では多分最後はドワーフたちに見送られたはずなので…バーリンやドワーリンが最後にそばにいられなかったのは寂しすぎる、と。
でも、ビルボが出発する時のバーリンの「トーリンは伝説になる」という言葉で、もしかしたらドワーフたちにとってはあの時のトーリンは偉大な王、英雄として見送るしかできなかったのかもしれない、と思うようになりました。多分、ビルボだけが素直にトーリンに「死んじゃダメだ(吹き替え版)、行かないで(字幕版)」と言えたのではないかと。
実は私は、このトーリンとビルボの別れの場面を、原作のセオデンとメリーの別れの場面と重ねています。セオデンも、最後はメリーだけに看取られてこの世を去ります。エオウィンには会えないまま。それもまた切なくて良いと思うのですが、映画ではエオウィンに見送らせてましたね…
余談ですが、AUJラストでビルボがトーリンを助けるために飛び出す場面も、エオウィンのために勇気を振り絞るメリーと重なるなあと思ってました。映画のビルボは私が映画のメリーで消化不良だった部分を肩代わりしてくれているような気がします…
トーリンからビルボへの言葉も、セオデンの言葉を思い起こさせました。セオデンの「パイプ草を吸う時には余を偲んでくれ!」と、トーリンの「どんぐりが育つのを見ろ」は同じなんじゃないかなと…。ホビットたちが幸せに暮らすことが、セオデンにしてもトーリンにしても、自分が戦って命を落とした意味だと思っていたのではないかと。
そう思うと、最後にアゾグと戦っていたトーリンは、もうAUJの時のように、復讐や名誉のために戦っていたのではないんだな、と思います。世界を守るために戦った…というと陳腐になってしまうけど(汗)ビルボが安全に家に帰って平和に暮らせる、そんな世界のために戦っていたんじゃないかなと。(それだけではないにしても)だから刺し違えてでも倒す、ということができたのではないかと思いました。
そうして戦ったことで、トーリンは真の意味で英雄になったのかな、と思います。だからドワーフたちは、親しいバーリンやドワーリンでさえ、静かに佇んで見送ることしかできなかったのかもしれない、なんて思ったりもします…
あと、ビルボ側からのことですが、DoSを見ていて「あれ?」と思い、DoS EEを観て確信したことがあるんですが、ビルボはトーリンがかなり好きですよね。というか、多分トーリンについて行きたくてここまで来たんだろうなと…
DoSで、ビルボがドワーフたちを牢から助けるとき、鍵を持ってきたビルボはまず当然トーリンのところに行きますが、鍵を見せてちょっと得意そうにするんですよね。トーリンに認めてもらいたくてやってるみたいに…
スマウグと会話している時も、スマウグに「トーリンに利用されてる」と言われた時、思わず嘘をつくのを忘れてしまい、「嘘だ」と言ってしまったり。ここ吹き替えだと「違うそんな人じゃない」とかなり意訳してるんですが、この意訳先の展開読んでのことか!?と後から思いましたね…
で、EEで、湖の町の人たちの前でトーリンの人物を保証するビルボ。このシーンを観て、ああビルボはトーリンのためにこの旅でここまでついて来たのだなあ、と思いました。
そんなビルボにとって、トーリンとの別れは、原作以上に辛いものになったはずで、それを思うとあの別れの場面はより辛いですね…

時間がないのでビルボとトーリンについての感想ばかりになってしまいますが、もう一つ。
今作でかなりバルドが好きになりました! DoSでも良いなあとは思ってたんですけど。
スマウグを倒す時、恐怖に震えるパインに向かって微笑んで「こっちを見てるんだ」というところなんかもいいんですが、一番良かったのは、ビルボがスランドゥイルの前で、ドワーフたちを逃がしたことを認めてばつが悪そうに謝る場面で微笑むんですよね。ああバルドいい人だ~ともうここでバルドの株急上昇です(笑)
ビルボが表門に出て来た時にも心配そうな顔してくれてたし、バルド優しいなあ~と。
アルフリドに対する態度も好きですね。最後に金貨を持って女装して逃げようとするアルフリドに、非難するでもなく「下着が出てるぞ」って、なんかいいなあ。
今回のバルドには、少しだけ原作の馳夫さんの匂いを感じました。映画のアラゴルンにちょっと足りなかった部分を補完してもらった気がしてます。

あと、フィーリが…かわいそうすぎて…
キーリもそうですが、ああいうボスキャラにやられる、的な死に方って好きじゃない、というのもありますが、フィーリは本当に不憫すぎる…優しいのに…
トーリンがビルボ投げ捨てようとする時も庇ってくれてたのに…トーリンがビルボにミスリルを渡す場面でもすごく優しい顔して観てました。AUJのラスト、トーリンがビルボのこと怒る?と思われるときも心配そうに観ててくれたし…
あの死に方には映画なりの意味があるのかもな、とも思うようにはなりましたが、やっぱりまだ消化するには時間がかかりそうです…

この他、本当に色々と感想はあるのですが、キリもないし時間もないので(汗)
色々とツイッターに書き散らしたものまとめてますので、万一興味のある方はそちらをご覧いただければ…

その1(公開前が中心) その2

また時間が取れたらゆっくり考察的なこと書けたらいいなあと思いますが、果たしてどうなるやら…
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BoFAサントラ場面予想&明日公開…!

2014年12月12日 | 指輪物語&トールキン
日付変わっちゃったので本当は今日ですが、いよいよホビット最終作が公開ですね…!
私はサントラCDを聞いて場面予想をするという、TTTの時からやっている恒例行事のため、試写会も応募せず、イッキミも行かず、ひたすらサントラを聴いてました…
LotRの時の、日本の公開日が遅くてサントラ発売から間があったという偶然のことがきっかけで、RotK、AUJ、DoSとサントラ場面予想をやってきましたが、それもついにこれで最後…
サントラ場面予想と言っていますが、要はどんなテーマ・モチーフがどこで出て来るかを拾う作業なんですよね。実際の画面を見ずに音だけで判断するので、面白かったんですよね。
一度聞いただけでは気が付かなくて、後で「あっあのテーマの変奏!」と気づくこともあったりして。
今までの思い出としては、「自然のテーマ」かなあ。FotRでガンダルフのところにきた蛾の場面や、TTTでエントの行進の場面で流れてますが、RotKでベレンノールで出て来て、「ああ鷲が来るところね」と思ってたら、確かに鷲も来たけど蛾も出て来たという(笑)
そしてAUJでもまた自然のテーマ出て来て、ここも鷲が出て来るんだろうな、と思ったら、なんとまた蛾も出て来て(笑)映画館で噴きそうになりましたね(笑)
BoFAでも自然のテーマ登場してるんですが、間違いなくまた鷲の場面でしょうけど、果たして蛾は出て来るのか!?(笑)少年ソロじゃなかったから出て来ないかもしれないけど、そんな楽しみもちょっとあります(笑)
あと、DoSのプロローグで、なんかブリー村の音楽が出て来るな、なんだろう…と思ってたら本当にブリー村だったのも笑ったなあ(笑)
そんなわけで、ようやくBoFAサントラの場面予想というか感想を指輪サイトにupしました!
相変わらずの読みにくさ満点ですけど…(汗)
今回、また公開が早くなり、しかもなぜかアメリカより早いという事態で、アメリカのCD発売が16日とかだったのでサントラ予想ピンチ!?と思いましたが、欧州に合わせて日本も早めに出てくれて良かったです…
とは言え、公開3日前の発売、iTunesの90秒試聴、そしてロンドンプレミアでなぜかBoFAサントラを流しまくっていたのがなかったら、もっと苦戦していたと思います。特にプレミアの映像はホント助かったなあ。でもあれよくよく聴いてるとすごいネタバレなんだけど大丈夫なのか(汗)とあるキャラクターの生死がわかってしまうところがあるんですよね~
今回のサントラの感想ですが、(ちょっとネタバレかも)
・スマウグは早い段階でいなくなるはずなのに、スマウグのテーマの存在感がすごい
・湖の町のテーマが意外に活躍
・バルドのテーマもカッコよくなってた(でも意外と出て来てない)
・ダインのテーマがすごくカッコイイ
・相変わらずタウリエルのサントラでの存在感がすごい
・ビルボのテーマがちょっと出て来てたんだけど今度こそ使われるのか!?
・ビルボのサントラにおける存在感は相変わらず今一つ。タウリエルに完全に負けている。
・ビヨルンのテーマ出て来なかったな…
というあたりでしょうか。ネタバレに直接つながりすぎる感想はとりあえず書いていません。

という訳で、ついに最終作の公開を迎えますね…
私も明日朝一で観に行くので、もう寝ないといけないんだけど(汗)
正直、終わってしまうのが寂しいので、早く観たいわけでは全然ないんだけど、ネタバレをいつまでも避けるわけにはいかないし、公開してるうちにできるだけ映画館で観たいというのがあるので、試写会は避けましたかけど、公開したらガンガン行きますよ。途中旅行入ってしまうけど…
ある程度ネタバレも知ってしまっているし、どの程度泣くかはわかりませんが…不安要素もあるしなあ。
でも、ビルボよければすべてよしで(笑)ビルボには期待して良いのではないかと。そう思ってます。
泣いても笑っても明日で最後…でも公開している間は映画館通うし、EEも来年には出るし、まだまだ終わりではないですけどね。
明日の今頃はどんな状態でいるかなあ…
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The Last Goodbye

2014年11月23日 | 指輪物語&トールキン



さて、本予告発表と同じ日に、BoFAサントラのプレビューも出ました。
まずは英amazonで30秒試聴、つづいて米iTunesで90秒試聴が出ました。90秒試聴はYoutubeでも聴けます。

サントラの話はまた別途書きたいと思ってますが、その前に。ビリー・ボイドが歌う主題歌The Last Googbyeがフルで試聴できるようになりました!こちらなどで聴けます!
PVはYouTubeの他、こちらなどでも見られます。

そして、早速歌詞を聴きとってupするファンも…こちらなどです。

The Last Goodbyeについては、以前の記事にも色々書いたのですが、結局のところ私が一番望む形の主題歌だったので、嬉しいというか…歌の内容は切ないものなんですけど。
本予告、そしてこの主題歌を聴いて、なんかもしかして期待しても大丈夫かな、という気持ちが高まって来ました…!
ちょっと勢いで訳してなんてみてしまったんですが…(汗)勢いなんで大目に見てください~(汗)
(一応白文字にしておきます…背景白じゃないから完全には隠れませんが(汗)


空から光が消えて行った
風の中にため息が聞こえる
雪が眠る仲間たちを覆うころ
僕は最後のさよならを言おう

夜の帳が下りる
一日が終わる
道が呼んでいるから
僕は行かなくちゃ

丘を越え 木々の下をくぐり
未だ光の差したことのない土地を通る
海へと流れる銀色の流れのほとりを

雲の下 星空の下
雪を越え冬霧を越え
とうとう家に続く道を辿るよ

道が何処へ連れて行くのか
僕は知らない
僕たちはずっと一緒にこの道を来たけど
この日が来た
君にさよならを言う時が

たくさんの場所を旅した
たくさんの悲しみを見た
でも後悔もしないし忘れもしないよ
僕と一緒にこの道を辿った全ての人たちを

丘を越え 木々の下をくぐり
未だ光の差したことのない土地を通る
海へと流れる銀色の流れのほとりを

この思い出を僕は忘れないよ
君の祝福とともに僕は行くよ
とうとう家に続く道を辿るよ

道が何処へ連れて行くのか
僕は知らない
僕たちはずっと一緒にこの道を来たけど
この日が来た
君にさよならを言う時が

心をこめて君にさよならを言うよ





3部作最後はビルボの歌であって欲しい、という願いが叶って感無量です…!
できればThe Road Goes Ever on でも口ずさんでくれれば…というのがありましたが、主題歌に少し入っていますね!それもじーん…(でも本編で歌ってくれても一向に構わない(笑))

この歌について、ホビットを締めくくる歌であるとともに6部作を締めくくる歌にもなる、と言っていましたが、実際そのとおりでびっくりしました!
これはビルボが帰還する歌であり、トーリン(たち)に別れを告げる歌であるとともに、ビルボが私たちファンにさよならを言っている歌でもあると感じました。ビルボとともにPJたちが、とも取れるかもしれない。
また逆に、私たちファンがビルボの立場にたって、PJ6部作に別れを告げる歌ともとれるかなと…
youをどう取るかで、色々に解釈できますね…まあ基本はビルボからトーリンへ、だと思ってますが。(訳もそのスタンスで訳しています)
そして、海って言葉が出てくるだけで、ビルボが西へ行ってしまう本当のラストも連想されるという…本当にお見事な歌詞だと思います!
PVを見ると、ファンへのお別れ、ファンからのお別れって部分が大きいのかなと思いますが…でもちゃんとビルボの歌にもなってると思いますから。
(そういう意味では、ビルボバージョンのPVもあっても良かったかななんて…)

また、これは個人的に思っただけですが、I See Fireにつながる部分もあるかなと…
I See Fireで一ヶ所だけ(繰り返しあるので2箇所ですが)youと呼びかけている箇所があります。
And I hope you'll remember meというところですね。
このyouが誰を差すか…私はビルボだと思ってました。We should all burn togetherの中にビルボが含まれているとは思えなかったんです…
まあ、最初に出て来るMisty eyes of mountain belowのことだとするのが妥当なのかもしれないけれど、私はビルボだと思いたかったのでそう思ってます。
あるいは、観ている私たち観客のことでもいいかなと。
The Last Goodbyeで、I don't regret nor will I forgetとビルボが言っている、そのことでI See Fireの「覚えていて欲しい」に応えていると思いたいんです…

ここでのyouがビルボでありトーリンであることについては、また別途書きたいと思ってます。書けるのかな…(^_^;)

そんな訳で、最後まで主題歌は期待を裏切らなかったなと…
後は本編を観るばかりですが、主題歌、サントラと聴いて、大丈夫かなと…。今は心静かに公開を待ちたいです。
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