豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2018年06月19日 07時52分21秒 | 日記
 ( Vol 2296 ) 大阪北部地震から見えてくるのは 地震の前には 何もできない ということであるが  できることは パニックにならないことである 


備えあれば 憂いなし という言葉があるが

地震の前には それは通用しないようだ

そこには 人間の 行動があるからではないか

いま を過ごすことに 必死で 生きている

それが 人間社会ではないだろうか


熊本地震は まだ記憶の新しい ところである

まさか 自分のところで 地震が起きるとは と思っていない

それが 普通なのではないだろうか


今回の 大阪北部地震において 公共の構造物に 違反があった ということに 注目したい


学校のブロック塀は 建築基準に違反していた 

これは 学校の施設に関しては 自治体が責任をもって 管理をしている


だからこそ 安心して 利用者 通行 


しかし その安全は 保証されず 悲しい事故を招いた

点検について 担当者は 業者任せ だったのではないだろうか


役所は 取り締まる という点においては 厳格であるが

自分達のこととなると とてもルーズになる

委託業務なども 丸投げで 検証をせず 放置状態


これは 役所の体質が そうさせている


まず 役所が 自らが責任をもって 自分の足下の 点検をして 市民の安全を図ることではないか


街にある 構造物は 民間 公共 が混在している

古い構造物 新しい構造物 と混在している


通行する人にとって その構造物が 安全であるのか 危険であるのか

その判断は できない


報道では 危険な箇所を 調べておく といい

といっていたが それは 無理なことである

知識のない人にとって 安全基準の情報がない

災害時に どう一人一人が 対応したらいいのか


一番大切なのは パニックに陥らないことではないだろうか

平常心を保ち この事態にたいして どう対処すべきか 考える ということが大切なのではないだろうか

それには 日頃から 災害時における 行動について 考えておくことではないか


一人ができることは 自分の安全を確保すること 

災害時には パニックにならず 冷静に行動することではないか


















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豊前善三つれづれ日記

2018年06月15日 15時04分11秒 | 日記
 ( Vol 2295 ) パワーハラスメントは 日本のどこにでも存在する  パワーハラスメントをなくすには 時代が変わったということを自覚する必要がある パワーハラスメントから いろいろな問題を生じさせてきた ということを 認識する必要がある


パワーハラスメント いじめ これは なかなか なくらない

なぜ なくならないのか 

簡単に言うのなら 

パワーハラスメント いじめ をする側は  パワーハラスメント いじめ と自覚していないからである


パワーハラスメントを 受けることによって

会社では サービス残業をさせられる 意見を言えない 反論できない という状況が生まれている
民間企業 官庁 学校 国会 どこにでも存在する

パワーハラスメントは いろいろなハラスメントへと エスカレートさせる


いままで 許されていた 

上司による 命令は それが コンプライアンスという点から 合法でないことも やらされた

上司の言葉が 法律 という状況を生んでいた

このような状況を 許してきた社会が 異常であった




国民全体が パワーハラスメントについての 定義について 再考しなければならない


コミュニケーション不足 という 言葉は パワーハラスメントには 合わない


パワーハラスメントとは  簡単に言うならば 力(権力)で 相手を  自分の言うように させる ということ である


そのためには いろいろな形で 実行


相手 受け取り手の 心理を 確認しない

相手側の立場になってみる ということを 考える ことが大切ではないか

自分が パワーハラスメントを受けたとき 嫌な思いをした ことを思い出してほしい


指導的立場にある者は 年齢に関係なく パワーハラスメント を行ってきた

誰でもが 上の立場になると 自分の思い通りに させようとする


見栄を張る 威張る 力を誇示

といった表現が パワーハラスメントを 生じさせる


典型的なのは 議員であろう

議員になる前には 一般市民で 低姿勢でものわかりの良さを見せていた

ところが 議員になると どういうわけか 

自分の立場を誇示したくなる


そこで パワーハラスメントを生じさせる


無理なこと 不合理なこと を させる ということが起きる



パワーハラスメントは 受けた側が訴えなければ パワーハラスメントにならない


そこが パワーハラスメントを なくせない状況にさせている


パワーハラスメントをやる側が 自覚を持たない限り 減らない


パワーハラスメントとは 何か


身近な事例をあげて 自覚させる必要がある


各組織が パワーハラスメントについて 除外なしに すべての人に  教育することである


残念なのは 指導的立場にある人たちが 問題意識なく パワーハラスメント を行い

パワーハラスメントの 自覚もなく 

パワーハラスメント を認めない


ということである


絶対的な力を持つ 立場にある者ほど パワーハラスメント をするという 事実である


時代が 変わった ということを ことあるごとに 自覚させる 機会をもうける必要がある

そして パワーハラスメント を行った場合の 罰則も 必要ではないか


まず 議員から その自覚を もってほしいものである




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豊前善三つれづれ日記

2018年06月14日 20時50分36秒 | 日記
 ( Vol 2294 ) なぜ 権力者は パワーハラスメントをした側として 素直に 認め 謝ることができないのか まるで いじめをした子供 と同じである


報道で アマチュア 女子レスリングの監督による パワーハラスメント について

パワーハラスメントをした監督の 謝罪会見が 報道された

その会見は 謝罪というよりも 弁解会見になっていた

当事者として パワーハラスメントをしたという 自覚のない 話をしていた

会見場所での 記者の パワーハラスメントしたということを認めますか という 質問の対して

認める と一言も言わず コミュニケーション不足であった という弁明

この事は パワーハラスメントをした ということは 認めたくない という意思表示に 捉えられる


このようなことは 日大アメリカンフットボールの問題における 監督の対応と同じである


なぜ 権力ある者は パワーハラスメントという 言葉を認めないのだろうか

いじめをする 子供と同じである


素直に 認める ということは 自分のプライドが許さないのだろうか

それとも その地位を 追われたくない 死守したい という 自分を守ろうとする 行動なのか

どちらにしても いじめについては いけない ということを 大人は 子供に言うのであるから

大の大人は ましてや 社会的に地位のある立場の 監督としては

自分を守る という 最優先行動ではなく 相手を思う気持ちを最優先にした 行動をとってもらいたい


日本女子 アマチュアレスリングの世界における 汚点 となるのではないか

また 至学館大学における 対処にも 疑問を抱く


勝つことを第一として 不問とする という大学側の処置に対しても 疑問を抱く


パワーハラスメント 対策について どう考えているのか

これから パワーハラスメントを生じさせないためには どのように対策をするのか


謝罪会見では その点についても 説明する必要があったのではないか


なんとも 自分勝手な 謝罪会見であった












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豊前善三つれづれ日記

2018年06月13日 20時39分04秒 | 日記
 ( Vol 2293 ) 成人の年齢を18歳にとする法律案が 可決された 情報過多の時代には 必然である

現代社会は 情報が溢れている

SNS という現代の通信機器も 社会に溢れる という状態にある


それゆえに 情報は 大人だけのものに 留まらず 子供たちにまで侵されている

子供は 子供らしさを 失い 大人へと背伸びするまでになっている

このような社会の中で 成人を20歳とする 現行法では 大人として十分に 責任をとれるまでに 成長した子供たちに 大人としての 自覚を持たせる という意味で 成人を 18歳 とするのは 時代であると思う

特に 18歳前後の 子供たちは 大人と同様の 思考を持つまでになっている

もっと拡大すれば もっとしたの年齢にも 大人ような思考をするものも出現している

しかし 総合的に見て 成人を18歳とした


今後の この法律を実行するためには 年齢変更に関わる 法律をどう変更するかが 課題になる

大人としての 意識を持つ そこには 責任が伴う

という ことを 考えさせる 教育も必要である


時代によって 社会は 大人の定義は 変更になる

現代では 成人式が 大人への儀式 

そのことで 大人の責任を 自覚する


このように 成人の儀式として 18歳で成人式をすることも 必要である

成人を 18歳からとする ことは 社会においても 対応を考えていく必要がある


政府は 政治家 国会議員は どう捉えようとしているのか

4年後には 法律が施行されるという

慎重に 対応してもらいたいものである







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豊前善三つれづれ日記

2018年06月13日 07時11分53秒 | 日記
 ( Vol 2292 ) 先日 某テレビ局で 炭酸水の効果を取り上げた後 スーパーの炭酸水の在庫は なくなっていた という現象が起きた これは情報社会の 弊害ではないか

いま 社会は 情報がたくさん 飛び交う社会になっている

特に 人の欲望を 助長させるような 情報が多い

人は 良いと言われれば うのみにしてしまう

それは 基本的な知識なく 情報を正しいと思ってしまうからである

その情報は 一方向からの視点から 述べている

一方向から 正しくとも 他の方向から見ると そうではないことがある

満足のいく 効果は得られるのだろうか

インターネット上でも トップニュースのように CMとして 取り上げられている

今回 報じられた 炭酸水の効果は 示されたような効果は見られるのだろうか


しかし すべての人に 効果があるのだろうか

また 炭酸水を 店で購入すると  購入に対する 支出が生じる

効果と購入資金との 釣り合いは どうか

費用対効果 という面で考えると 効果を生むまでの時間 費用 は 満足を得るだけの 払う価値はあるのか 疑問である


現実 報道されると すぐに乗ってしまう人は そこまで考えはしない のだろう

そこが 情報発信者側の意図なのだろう


情報に踊らされ それが 人

いかに 情報に踊らされないか

いま 求められる 情報社会ではないだろうか

自分の時間 自分の資産 を 情報によって 失ってはいないだろうか

もっと 自分を大切に してほしいものである

自分の欲望を どう有効に使うか


そこが 問題である







 







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