故山本夏彦さんの『完本 文語文』を読む。
文語文とは奈良時代から1000年続いた
漢文の読み下し文のこと。関東大震災の
あたりでほとんど使われなくなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/bc/74f9543056c6e2b41d2d1e34eb04bedb.jpg)
「口語文にもよいところはあると承知
している」と断りながら、失ったものは
モラルだと、語る。
「文語文のなかには共通のモラルが
流れている。それは芝居や講談落語にも
流れているのと同じもので、それを
私たちは失った」
芝居や落語を通じて生き方やものの道理が
身についたのは間違いない。
☆
江戸末期や明治初期に欧米へ行った使節が、
歓迎され尊敬されているのはなぜだか長年の
疑問なんだけど、山本夏彦さんは「人が尊敬
されるのは通俗のモラルによってである。」
と語る。
学問や芸術ではない、たしなみがあるから
「ホイットマンの詩中にその挙措進退を賛美
されたのである。」
震災の時といった生命の危機に遭遇するとその
モラルが回復するのではないか。底流に残され
ていると思う。
☆
「教育は前代の遺産を後代に伝えるもので、
だから本来保守的なもので、洋の東西を
問わず昔は古典を読むことだった。(中略)
極端に言えば十冊か二十冊である。」
文語文がわかれば1000年前まで戻れる。
源氏物語はじめ、古典がそのまま読めたのにね。
☆
思想家のシオランの言葉を引用していて
「私たちは、ある国に住むのではない。
ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/37/d4c3bfa1a26c1600f63e4fd39bb0f5c8.jpg)
Emile Michel Cioran(1911 - 1995)
ルーマニア人のシオランは1937年26歳にフランスに
渡ってずっと住み着く。なのに10年間1947年までは
フランス語で文章を書いていなかった。
文語文とは奈良時代から1000年続いた
漢文の読み下し文のこと。関東大震災の
あたりでほとんど使われなくなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/bc/74f9543056c6e2b41d2d1e34eb04bedb.jpg)
「口語文にもよいところはあると承知
している」と断りながら、失ったものは
モラルだと、語る。
「文語文のなかには共通のモラルが
流れている。それは芝居や講談落語にも
流れているのと同じもので、それを
私たちは失った」
芝居や落語を通じて生き方やものの道理が
身についたのは間違いない。
☆
江戸末期や明治初期に欧米へ行った使節が、
歓迎され尊敬されているのはなぜだか長年の
疑問なんだけど、山本夏彦さんは「人が尊敬
されるのは通俗のモラルによってである。」
と語る。
学問や芸術ではない、たしなみがあるから
「ホイットマンの詩中にその挙措進退を賛美
されたのである。」
震災の時といった生命の危機に遭遇するとその
モラルが回復するのではないか。底流に残され
ていると思う。
☆
「教育は前代の遺産を後代に伝えるもので、
だから本来保守的なもので、洋の東西を
問わず昔は古典を読むことだった。(中略)
極端に言えば十冊か二十冊である。」
文語文がわかれば1000年前まで戻れる。
源氏物語はじめ、古典がそのまま読めたのにね。
☆
思想家のシオランの言葉を引用していて
「私たちは、ある国に住むのではない。
ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/37/d4c3bfa1a26c1600f63e4fd39bb0f5c8.jpg)
Emile Michel Cioran(1911 - 1995)
ルーマニア人のシオランは1937年26歳にフランスに
渡ってずっと住み着く。なのに10年間1947年までは
フランス語で文章を書いていなかった。
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