まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

真の言論人と、堕した売文の輩と言論貴族  09 2 再

2017-09-20 08:25:43 | Weblog

 

 

知識人といわれる人々が一見良好と思われる生活の安定や地位保全に陥り、俗に売文の輩,言論貴族と嘲笑されるようになったのは何故だろうか。

あるいは架空な話題や、物珍しい題材を高邁な文書に仕上げるモノ書き職人や文化人の発する言葉によって教育者の如く世の先導者に疑せられる様相は、一過性の社会風潮とはかたづけられない問題であり、集積された社会や心の深層を融解しかねない状況でもある。

よく、戦後教育やGHQ政策をその因として論じるが、 ゛民族の考え゛ を表現する場所やシステムの選択は、その因として論じる処の阿諛迎合性もしくは他因逃避に視点を置かざるを得まい。

その言論出版なりを貫く伝統とか国民意識の発露の場を、どのように培い集積したか、また、それを支える気骨,気概を、どのように養ったかの縦軸思考に心を留め置かなくてはならないだろう。

よく誇りとか矜持が持ち出されるが、人間の言論という職分を超えた表現を観るためには、平板の一過性の情報交差や裏付けと称される一面的錯覚論ではなく、経論,緯論の交差点として人物なり事象を観察しなければ全体鳥瞰は望むべくも無く、また深層の国力と言うべき ゛なりわい゛を観るという下座視の涵養も必要だろう。


            




以前、笹川良一翁が喝破したという『人間,食って、寝て、糞して…・』だが、科学的根拠とか、枝葉末節的な検索議論に疲れると ゛そんなもんだ゛と、妙に開き直ってしまったり,心のご破算から出発点に回帰してしまうことがある。
すると、書くことも、言うことも無駄のように思えるような、まるで深呼吸の峠から吐息に似た落ち着きと鎮まりが訪れる時がある。

いろいろあるが、「皆おなじ」と言うべきだが、それぞれの脳味噌の違いは ゛食い方,寝方,糞の仕方゛に興味や観察が向き、その「仕方」の滑稽さが異物を生み、想像という,あくまで観察者の「想像する人間像」から逸脱すると「事件」という代物が発生する。

そこには哀れで,滑稽な,珍奇且つ偉大な人間像が言葉と書物で表現され、ここでも高邁な論理で『食い方、寝方、糞の仕方』が論じられるが、明々徳を学旨とする「大学」までが格調ある糞真面目な論争を繰り広げている。
そこに風潮というものが作用するとグルメ,インテリア,健康が各論風発され、もちろん手段としての銭論もそうだが,一巡すると゛そんなもんだ゛に振り戻るようだ。

神の子のハルマゲドンは無いが、まさに地球と同様の「自転循環」の生業(なりわい)ではあるが、循環のスタートラインに入れ込んでいる者とっては『食う,寝る,糞する』以前に『人間は…』という冠が痛烈な道筋として圧し掛かる言葉であろう。



           
皇居 御休み処


よく「話題にこと欠き」とはいうが、稀代の言論人といわれ,その世界では重鎮といわれている新聞記者あがりの言論の徒が、その ゛こと欠き゛での聞くに耐え難いエピソードがある。
浮世の人間にへばり付いた付属性価値に地位,名誉,財力,学歴の有無があるが,あるに越した事は無いが、何ら人格を代表するものでないことは、゛敬するに名利に恬淡゛という言葉がある通り、特に評点を押さえる座標軸の厳守には重要な問題でもある。

とくに下座視と鳥瞰視を交互に観察し、生産性社会の栄枯盛衰を賢察したうえで推論なり゛言、平なる゛評論を述べる立場の「貪らざる」重要な部分である。

その言論の徒が陛下にお目にかかりたいと望んだときのことである。
それは、陛下に関する著作の出版にかけての行為であった。
知り合いの侍従にその希望を伝えると、個別の希望では叶うものではないが、たとえば散歩の途中で偶然ということなら゛ ということで、皇居内に点在する御休み処で待つ事になった。

゛陛下 何々が居ります゛と図ったように陛下にお伝えする侍従、そして言論の徒との会話になったが、ここで、゛言うに事欠き゛何を狼狽したか
「陛下、侍従のシャツは私の友人の会社のものです」
日頃,明治の気慨と反骨を売り物にしている放談人だが、応答辞令の稚拙さは立場の異なる相手の威厳を大衆迎合の錯覚した基準によって退き降ろそうとしている所作である。

余談だが、今では当たり前のようになったが、氏が講演を依頼されると、゛人数は,場所は、講演料は゛との前提がつくが、明治生まれの言論人にしては寂しい気もするが、それは筆者が感ずる単なる明治の人間像への愛顧なのだろうか。

よく゛何が正義か゛との問答があるが,正義に正対する人間の姿を活写にするには相当の勇気がいるようだ。
言論出版の表現される範囲での取り組みに興味を示し、言の寸借ならまだしも、流行モノの風に正義が浮遊している状況は、まさに現代知識人の様相に似て言論に見え隠れする゛覚悟゛の欠如を見る思いがする。

商業出版と釜の蓋であるクライアントとの関係のように、覗きこむ飯の量が読者に対して見せる勇気の按配では、正義やそれを堅守するために時には起る肉体的衝撃を回避するような筆質しか望めない。



                



同様に、変化する時々の世界に投げかける勇気の姿は、事象の相関ではなく、自らの信ずるものや、己を知るものとの絶対関係になくてはならない事であると同時に,平常の覚悟の涵養と行動環境の整備に在るといえる。

また,公私の間にある動機は下座鳥瞰の観察のもとに不特定多数の利他や歴史の縦軸に見る特徴ある、゛いとなみ゛に心の道筋を置かなくてはならない。
なぜなら「やらなくてはできない。やればできる」という勇気の発生は、自利と利他に逡巡する欲望の質を信ずるものとの絶対関係のなかで内観するということです。
もちろん立ち止まる事も,進む事もあります。行動学といわれる陽明学も,その到達点は「狂」です。
 

゛言い切りの美学゛として肉体的衝撃や、生活という゛釜の蓋゛の開け具合を云々しない、という考え方がある。
言い切りの、゛切り゛は覚悟ですが、自らは克服と考えるべきでしょう。
 こと、食い扶持と多いか少ないかを維持する地位や学歴,今では触覚の鈍感さが人間観察の域まで錯覚を起こしている、゛組織゛という厄介な荷などは、個人とか個性にいう意味不明な「個」という共通語によって哀れみと排他のコロニーになっていることが多い。

己そのものの半知半解を組織内スタンスで表現しようとしても、あるいはその ゛世界゛特有の語嚢で分かり合えたとしても、釜の蓋とロマンの相関は葛藤、怨嗟,嫉妬の解消には程遠く、本来,組織の一部分を構成すべき特徴を添えた人間力の発露など及ぶべくもない。 



               

          門田隆将こと門脇氏の著書



仲吊り広告を賑わす週刊誌のなかで独特の雰囲気を持つ雑誌に「週刊新潮」がある。
他の雑誌の促販紙面である女性ヌードや漫画もなく、それでいて毎週50万部を売るというが、独特の取材から数々のスクープ記事を連発させ剛筆週刊誌の名を欲しいままにしている。 

とくに少年犯罪に関する精細な特集は神戸事件の被害者、土師淳くんの父,守さんの手記や、京都「てるくはのる」事件の当時小学校2年中村俊希くんの両親、聖志 唯子ご夫妻の手記。 あるいは光市の母子殺人事件の本村洋さんの手記などは、地を這う取材と人間を扱うという真摯な姿勢や意を委ねる人情の交換がければ到底,著わすことができない内容である。

たとえば各地には、それぞれ独特の地に培った気風や恩讐もあるだろう。
あるいは培ったものに似つかわしくない価値を導入した戸惑いは、今までの生き様そのものを異物として忌諱し、地域固有の子育てや金銭消費価値を無理した姿で平準同化させている。 異なるものとの忌諱や対立感情は、些細な出来事を増幅させ、ついには事件の対象を、゛弱き人゛に向けられる。
しかし、事件そのものをスポットとしてスクープしても一過性の紙面飾りにしかならないだろう。


                
                     


ここでは些細なものを、゛蟻の一穴゛として捉え、地を這うような取材によって地域特性や生き様を理解し、より深層の問題意識を検証したうえで、事件そのものを多面的,根本的、あるいは、その影響を考慮しなければ近親の慟哭した手記には辿りつかないだろう。

また、不磨の法のごとく、さまざまな関係者の意図によって動く事のなかった少年法の改正に、一石を投じるきっかけでもあつた記者の視点は、伴食売文とは異なる目的意志の明確を示すものであった。

自ら取材して,自らの責任で記事を書く完結手法は,時として身の危険や家庭生活の妨害に遇う事もある。
ときには永年にわたり夫にも秘匿していた秘密があからさまになったとき、訴訟に晒される被害者と記者の姿もある。
ときには記者自身が、尾行,ゴミ箱漁り,中傷、脅迫,迫害など恐ろしい行為を受けることもあるが、怯む事のない強固な気概で,全てを克服している。

出版界では、彼らを新潮軍団と呼び、その特長ある取材方法と完結手法は他に追従を許さない内容とともに、毎号50万と言う購読者を持続している。
世上,名物編集者としてもてはやされて世情評論をしたり顔で話す御仁もいるが、困難を超え真実を体感直視した記者の一言には敵うものではない。



週刊新潮の新年合併号に興味深い記事を見た。
「世田谷一家惨殺事件 急展開か。捜査本部が隠す犯人と指紋が一致した男」である。
一読して息を呑んだ。そこには地を這うような捜査官たちの戦いが描かれていた。不覚にも,新聞やテレビで大報道しているこの事件の捜査が、これほど熾烈なものであることを知らなかった。

 見落としそうな靴の表面剥離片 鎖を切る際に付着した超微量の金属片から割り出した凶器の種類など、これらは数ヶ月かかって辿りついた、まさに鬼気迫る鑑識捜査員の成果だった。
記事には,これらの驚くべき事実が淡々と記述されていた。



                  


逆取材だがこの記事の執筆者である編集部次長の門脇護氏にその意を伺った。
「取材は対象があるからできる事です。ですから被害者の無念なおもいに心を置き、あるいは日夜、捜査している警察官の頭の下がる努力は、伝達を役割としている週刊誌の記者と謂えど、一時,一語が生涯忘却できない事柄としてのこるものです。 それは終生付き添う人生の回顧なのです

この記事のもう一つの意味は、誰にも報われる事のない捜査員たちの驚愕に値する真摯な姿を表すことでした。
お父さんは頑張っている。家族も犠牲になっても、諦めず結果を出したお父さんの使命感は、おおぜいの人々に役立っていると、警察官の家族にも知ってもらいたい。
素餐を貪る一部のキャリア官僚や組織利権に明け暮れる実態は,多くの国民が知るところですが、その醜悪を、超然独立した気概で尊い仕事をするお父さんを尊敬してもらいたい。
たしかに週刊誌は人の暗部を暴くあまり近親縁者の怨嗟を発生させてしまうこともあるが、被害者の心情,加害者の環境を忖度しながら,真実を伝えることの意義は小さくないはずです。その上に立つての責務は、記者それぞれの人生観に照らしていることは言うまでもありません」

誌面や中吊りでは分らない「週刊新潮」の気概とその職人集団の取材方法は、゛しょせん週刊誌゛とは思えないような読者への教訓でもある。


            

             羯南の生地 岩木山

あの「名山のもとに名士あり」と詠った明治の言論人陸(くが)羯南は、あるとき記者を批評してこう述べている。
それは教師と女給の色恋を゛教育の荒廃゛と大書きしたことに点いてである。

カツ南は「教師と謂えど薄給の身 ときには女子の尻を触ったところで、これを教育の荒廃などと大仰に書くとは何事た゛」と,叱責している。
また,司馬遼太郎は「羯南がいなければ俳句など電池の切れた懐中電灯のようなもの・・」と書いている。また「子規や如是閑のような特異な人材は、いまの入社試験では到底,採用にならなかったであろう」と付け加え、明治言論人の人物観を綴っている。

弘前市在府町の羯南宅の真向かいは、あの辛亥革命に献身した山田良政,孫文の臨終に立ち会った弟、純三郎の生家である。
カツ南の教導がなければ異国の革命に挺身する事もなかったろう。
また、山田兄弟や朝野の有志の活躍がなければ,孫文の革命も成就しなかっただろう。
羯南も山田の義父である菊地九郎が維新の疲弊に打ちひしがれた民衆に向かって
人間がおるじゃないか」と、人間力こそ最大の力だと喝破した覚悟と矜持に影響されたに違いない。
あの伊藤博文もたじろかせた羯南の言辞は、言論人の鑑として語り継がれている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 輪ゴムで蟻を釣ると津軽を思... | トップ | 「五寒」 生じて国家無し ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事