おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
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KANO

2014-04-10 08:57:32 | 映画・ドラマ・本

1920年代、台湾代表として全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)へ出場するのは、きまって日本人のみで構成された台北商業であった。

一方、のんびりしたチームの嘉義農林学校野球部は当然連敗続きであったが、新任監督として迎えられた日本人の近藤兵太郎によるスパルタ式訓練により、部員たちの心には徐々に甲子園出場への夢が芽生えていった[3]

当時は台湾全島で1校のみしか代表として甲子園に行くことが出来ず、その為に台湾大会で優勝する必要があった。その厚い壁をなかなか突破できなかったが遂に1931年(昭和6年)、その夢を台湾南部の学校として初めて果たす。しかし、大会前の下馬評では弱すぎて本土のチームには相手にならないのではと危惧されたが、守備に長けた日本人、打撃に長けた漢人、韋駄天の如く足の速い高砂族の選手たちが 一致団結し抜群の結束力を見せて逆に相手を投打に圧倒し、快進撃を続け初出場で夏の甲子園大会決勝戦までたどり着く。

地元の嘉義市内ではラジオ中継に熱中し狂喜乱舞する市民たち。そして次第にその魂の篭もった姿勢と素晴らしい強さに本土の野球ファンをも魅了し、応援するファンも増え決勝戦では超満員の観衆が甲子園に詰め掛ける。そして決勝の相手は名門中の名門、中京商業。日本中だけでなく台湾でも大勢のファンが固唾を呑んで見守る中、その試合が始まる・・・。(ウィキペディアより抜粋)


二月から放映されていたのに、ずっと見に行く機会がなく、
やっと火曜日に観にいくことができました。
本屋さんでチケットをかうと165元、安いです。笑

日本統治下の台湾、
嘉義農林高校の野球部が甲子園を目指す話し。
使われている言語は90パーセントは日本語。
学校での使われる公用語は、日本語だったんですよね、その当時。
でも家に帰るとみんな台湾語だったり、アミ族語だったり、
当時の様子がよく再現されていると思います。

最近の日本の傾向、
日台関係が良好なことを笠にして、
日本が戦時中にしたことはいいことだった、
日本の台湾統治は成功だった、
いろいろ貢献したんだと、
負の面を忘れての論調には同意できませんが、
それでも、民間レベルでの交流には心温まる場面もあります。
特に野球だしね。
スポーツだしね。
国際間のいろんなしがらみを忘れて楽しめます。
何度も泣ける場面もあり、感動的な映画でした。
日本で放映されることがあったら、是非!


 


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