学生時代に出会ったヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」
テレビの番組でも取り上げられたのをきっかけに、久しぶりに開いてみる。
「人間は、人生から問われている存在である。人間は、生きる意味を求めて人生に問いを発するのでなく、人生からの問いに答えなければならない。そしてその答えは、人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない。」
人生から問われるとは、何を意味するのだろう。
自分自身の気持ちや想いとかけ離れたところにあっても、人生の中での生きる意味や自分の使命は、もともと自分を超えた所から与えられているものだとフランクルは言う。
固有の使命(ミッション)を全うするという人間本来のあり方へと立ち戻り、日々直面する人生の状況から発せられる問いかけに精いっぱい答えることが大事だと。
行うべきことやなすべきことが見つからず、悩むことはない。もはやその答えは足元に与えられているのだと。
人間は、「人生から問われている」
まるで自分が行ったかのように思えることも、そもそも人間という存在の本質は、自分ではない誰か、自分ではない何かとのつながりによって生きる力を得ているのだと知ることができる。
親鸞のいう「他力」という言葉の意味にも通じる自分ではない「大いなる力」によって、人は生きることができている。
だとしたら、人生の転機となる出来事に遭遇した時、その出来事が自分の人生に指し示してくれる道が一体何なのか、何を問いかけられているのか、自分に与えられた使命が何なのか、何をなすべきなのか、そのことを想っていかなければならないのではないか。
おそらく「転機」は、「他力」によって与えられた大きなチャンスに違いない。
人生から問われた自らの生き方を省みて、「人生」から問われる質問に、正面から向かい合っていかなければならない。
人生のあらゆる場面から生じる問いかけに対し、
大きな視野を持ち、
自らの姿を客観的に見ることを忘れず、
慢心と驕りを戒めつつ。