古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

寄り道・隋書倭国伝の阿蘇山について①

2006年04月05日 23時20分08秒 | Weblog
ここ一週間ほど「隋書倭国伝の阿蘇山」が気にかかっています。
別の機会に書けばいいのですが、忘れるといけませんから、書いておくことにします。
「隋書倭国伝」には阿蘇山が出てきます。
どなたもこの阿蘇山を九州・熊本の阿蘇山と理解されているようです。
そこが引っ掛かっています。

《有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行禱祭。有如意寶珠、其色青、大如雞卵、夜則有光、云魚眼精也。》

《阿蘇山あり。その石、故なくして火起こり天に接する者、俗以て異となし、因って禱祭を行う。如意宝珠があり、その色青く、大いさ雞卵の如く、夜は則ち光り、魚の眼精なりと。》訳注『隋書』倭国伝  岩波文庫p70

我々はこの『阿蘇山』を九州・熊本の阿蘇山だ、とばかり思っています。
ですが、少し奇妙ではないでしょうか。
「阿蘇山」では、日本人にとって、あまりに馴染み深い名前です。

 他にこういう例はあるのでしょうか。
 日本の表記と中国の表記が一致する例があるのでしょうか、ということです。
後に唐の時代になると日本の国名を「日本」と記すようになったそうです。
しかし、中国人は「にほん」「にっぽん」と読んでくれるはずがありません。
「リーベン」(リはri)と聞こえます。

では、どういう場合に『隋書倭国伝』の「阿蘇山」の表記が可能なのでしょうか。

①日本人が「あそ」と発音したとします。
中国人が、それを「阿蘇」と書き記します。
そして、日本人は、その表記を尊重し、熊本の「あそ山」を「阿蘇山」と表記するようになったのでしょうか。

②または、「あそ」と日本人が発音し、それを中国人が「阿蘇」と表記したのですが、たまたま日本人も既に「阿蘇」と表記していたのでしょうか。(これはあまり起こりそうにありません)

③それとも、日本人は「阿蘇山」と初めから、中国人に漢字の表記を提示して、中国人はそれを尊重して「阿蘇山」と表記したのでしょうか。この場合、発音は無視できます。「日本」の発音と同じです。

しかし、③のようなことはありえません。
なぜなら、『隋書倭国伝』には、日本人が日本語で伝えたであろうものがいくつも載せられています。
倭王の姓は「阿毎」、字は「多利思比孤、阿輩雞弥」と記されていて、一応、「あめ(天)」「たりしひこ、おおきみ」と読むのではないかとされています。

 しかし、確実ではありません。そう読むのが正しいとしても、表記は現在の日本の表記ではありません。
日本人は漢字で「阿毎」などと示したようには見えません。
「あめ」と発音したであろうと、想像されます。
ヒミコ、スサノヲの時代と、まだこのとき、その辺は変わっていないようです。
そこで「阿蘇山」だけが漢字で伝えられるとは思えません。

(しかし、ともかく、漢字で伝えた場合は、発音が違ってきます。「阿蘇」を「アソ」と発音するとは限りません。日本人の名前を漢字で示して中国人に発音してもらう場合、誰の名前なのか日本人にはわからないのです。なんせ、中国の発音で読むのです。
『ギョエテとは俺のことかとゲーテいい』てなもんです。いや、もっと、わからないかもしれません。)

次に①の場合です。
日本人が「あそ」と発音し、中国人が「阿蘇」と記すのもおかしいのです。
『隋書倭国伝』の「阿蘇山」の「阿蘇」は、本当に「アソ」と読むのでしょうか、ということです。
        一回だけのつもりだったのですが、もう一回だけ続く。
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