古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

北野天満宮と阿武山古墳・大山守命墓

2011年06月20日 10時33分23秒 | Weblog
大山守命墓の位置 Ⅲ
2011年03月31日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/6b25249471deebf2eef0dc13df086dfc
ここに北野天満宮をたします。

すると、北野天満宮-阿武山古墳-大山守命墓も直角三角形になります。
このときでも、阿武山古墳-大山守命墓の直線と直角になる地点を、北側の部分で探したはずです。
ですが、そのときはわかりませんでした。
しかし、北野天満宮とすると、合点がいきます。



黄色の直線は北野天満宮と箸墓を結んだものです。大山守命墓は通りません。海龍王寺辺りを通ります。




北野天満宮と阿武山古墳を結んだ線と直角になるのは、大山守命墓だけでなく、多くあります。


法隆寺あたり



私の考えでは、阿武山古墳は落雷が原因で落馬し、それが死亡につながった百済王の豊璋の墓ですし、大山守命墓の被葬者は豊璋の子の藤原不比等です。
北野天満宮は、怨霊で雷神になった菅原道真を祀るということで、雷を防ぐという目的で創始されたものでしょう。
そうしますと、法隆寺の真北に北野天満宮があることなどを含めて、その他多くの直角、同一線上にあることなどは、有機的にこれらの位置を結びつけていることになりそうです。

北野天満宮
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=350153.03&l=1354406.44

阿武山古墳
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=345147.60&l=1353409.67

大山守命墓
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344200.23&l=1354855.87

阿武山古墳→北野天満宮
 Ⅰ39°00′56.83″  Ⅱ219°06′38.68″ Ⅲ24,028.900(m)
阿武山古墳→大山守命墓
 Ⅰ128°42′19.86″  Ⅱ308°50′45.40″ Ⅲ28,901.416(m)
北野天満宮→大山守命墓
 Ⅰ168°40′02.62″  Ⅱ348°42′48.07″ Ⅲ37,485.391(m)

阿武山古墳での角度
 128°42′19.86″-39°00′56.83″=89°41′23.03″≒89.6897度
大山守命墓での角度
 348°42′48.07″-308°50′45.40″=39°52′02.67″≒39.8674度
北野天満宮での角度
 219°06′38.68″-168°40′02.62″=50°26′36.06″≒50.4433度


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