古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

壬申の乱と磐井の乱の似た点。浮羽と不破。

2007年07月06日 22時31分56秒 | Weblog
6/22の記事で、磐井の乱は527年ではなく、660年の百済滅亡の時の乱ではないかとかきました。
そして、672年の壬申の乱も、実は660年の乱ではないかと強く思えるようになりました。
660年の百済滅亡時の日本での動乱は、527年と672年の二つに分けて記述されているのではないか、ということです。(他にも書かれている可能性はあります)
「魏志倭人伝」は、二人の卑弥呼の死を同一時点のものと勘違いしたために、247年と279年の倭国の動乱を同一視し、一緒くたに記述しているはずです。
それを、日本書紀は、逆にここで同一の動乱を二つに分けてしまった、と考えられます。
「魏志倭人伝」の中では同一人物が二人以上の別人とされていたり、違う人物が同一人物になっていたりするはずのところがあります。
しかし、同一の事件を二つ以上に分けて記述している所はないのではないかと考えられますが、もしかすると「魏志倭人伝」の中にそういう間違いもあるのかもしれません。

≪660-527=133(=19×7)
672-660=12(本当ならここは13にならなければなりません)
266-247=19(266年は「魏志倭人伝」の記述上の最後の年)
279-266=13(266年の記事が最後のはずなのに、279年より後の墓のことも描かれている)≫

なぜ、ここにこだわるかといいますと、壬申の乱と磐井の乱が似ている点が多く見つかるからです。
もちろん、表面的にはまるで違います。ところが、古田武彦氏の主張されるように、壬申の乱が九州で起きたものだとすると、年代の違う磐井の乱にどんどん近づいてしまうのです。
簡単に、二つの乱の相違点を再度挙げておきます。
 ①年代・・・527年と672年
 ②地域・・・九州と近畿
 ③戦った相手・・・天武天皇(大海人皇子)⇔大友皇子・・・皇族同士
       ・・・大和朝廷⇔筑紫国造、磐井

まるで違う戦闘のようです。
しかし、似ている点を探せます。
とりあえず、浮羽郡と不破郡です。

磐井の乱では、(ウィキペディア(Wikipedia)
≪・・・磐井は挙兵し、火の国(肥前国・肥後国)と豊の国(豊前国・豊後国)を制圧するとともに、倭国と朝鮮半島とを結ぶ海路を封鎖して朝鮮半島諸国からの朝貢船を誘い込み、近江毛野軍の進軍をはばんで交戦した。≫

磐井は火の国(肥前国・肥後国)と豊の国(豊前国・豊後国)を制圧します。
地図を見てください。
その両国の間に、浮羽郡(うきはぐん)が見えます。

壬申の乱では
≪大海人皇子は6月24日(7月27日)に吉野を出立し、伊賀、伊勢国を経由して美濃に逃れた。美濃では大海人皇子の指示を受けて多品治が既に兵を興しており、不破の道を封鎖した。≫

近江朝廷が、美濃で兵を集めようとしているからと、大海人軍は美濃を抑え、不破の道を塞ぎます。

浮羽は「うきは」と読まれています。
しかし、「ふわ」とも読めるはずです。
「浮」は「浮力」の「ふ」です。「羽」は一羽、二羽の「わ」です。
もともと「うきは」か、それに近い呼び名で呼ばれていた地に「浮羽」という漢字をあて、「不破」との関連をつけようとしたものと思われます。

(浮羽が不破と読めるということは、九州王朝説を採る人たちには自明のことかもしれません。しかし、磐井の乱と壬申の乱を同一視していらっしゃるのかどうかわかりませんし、私自身始めて気付いたものですから、勝手に続けます)

浮羽郡の東は豊の国です。豊前・豊後です。豊の字が使われています。
(しかし、もともとの呼び名はどうだったかはわかりませんが、卑弥呼トヨからもたらされたにしろ、トヨに豊という字を当てるのは、以前に書いたように易経の影響のはずです。)

さて、不破郡の東は美濃・尾張で、「豊」が付く地名が多く見られます。
豊橋・豊川・豊田です。
(豊田市はトヨタの創業者の名前からつけられたものですが、トヨタの創業者の名前は、近くに豊田という地名のところがあり、そこの出身ということからつけられたのではないかと考えます。おそらく。)

そこと大友軍の連携を断つために
大海人皇子は『急(すみやか)に不破道(ふわのみち)を塞(ふさ)げ』という指令を出します。(文庫本五p72)

 ということは、たぶん、660年の争乱(磐井の乱とみられる)では、火の国と豊の国を分断するために浮羽郡の道が塞がれたのだろうと想像できます。
 (書紀では、美濃の国の乱は未然に防いだようなニュアンスが感じられますが、それならば「不破の道を塞ぐ」必要はないと思われます。)

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