高市皇子は大津皇子を弓で殺したはずです。
《多芸志美美命(たぎしみみのみこと・手研耳命)、穴穂部皇子などからの類推》
「東野炎立所見而反見為月西渡」の歌の「炎」は「朝日」と同時に、「日並知皇子」(ひなめしのみこ)を表しています。
「人麻呂の暗号」はそう解釈しています。私もそれに賛成です。
しかし、「人麻呂の暗号」では草壁皇子が日並知皇子だとしています。
確かに、それは当たり前の解釈です。
万葉集には日並皇子尊とありますし、続日本紀でも日並知皇子尊は草壁皇子と解釈されるようになっています。
しかし、草壁皇子は実在しません。
そこで、高市皇子が真の日並知皇子だったのではないか、と考えました。
ヤマトタケルの「日日並べて・・」の歌からも、高市皇子が「日並知皇子」と呼ばれていたからに違いない、と考えたのです。
ところが、「東野炎立所見而反見為月西渡」の歌からすると、大津皇子が「日並知皇子」で、「月」が高市皇子でないとつじつまが合いません。
そこで「日並知皇子」の意味をもう一度考えてみました。
「日並知皇子」を「日日並皇子」としますと、両親とも卑弥呼の子孫だということを表し、要するに「日嗣」皇子で皇太子と同じ意味になるのではないかとなりました。
それならば、即位のために伊勢に禊に行ったはずの大津皇子が日並知皇子になるはずです。
すると、この時の最初の日並知皇子は大津皇子だった可能性があります。
さてそこで、高市皇子が「月」であるならば、思い出される神話があります。
月神は(月夜見尊、月読尊、月弓尊)と表記されますが、月夜見尊は保食神(うけもちのかみ)を殺します。
《第五段本文》・・・・次生月神。〈一書云。月弓尊。月夜見尊。月読尊。〉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E9%A3%9F%E7%A5%9E
ウィキペディア(Wikipedia)
《保食神(うけもちのかみ)は、日本神話に登場する神である。『古事記』には登場せず、『日本書紀』の神産みの段の第十一の一書にのみ登場する。一般には女神とされる。》
神話での記述 [編集]
《天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。》
いかにも神話のように書かれていますが、そのときの近代史が投影されているものとみます。
「日並知皇子」を「日日並皇子」と書き換え、この「日」と「日」をくっつければ、「田」に変わります。
以前、稗田阿禮の左側の偏の部分と右側の旁の部分を引き離したことがあります。
稗田阿禮の旁の部分というよりも右側ですが(卑・日・可・豊)となり、卑弥呼の卑は日であり、卑弥呼は豊であるということを表していると考えたことがあります。
今度は、逆に日を二つくっつけます。
日・日は田になります。
すなわち日並知皇子とは日嗣の皇子で皇太子のことであると同時に田の神・耕作の神となるのです。
保食神の死体から数々の食用の元となるものが生えてきます。
是時、保食神実已死矣。唯有其神之頂、化為牛馬。顱上生粟。眉上生繭。眼中生稗。腹中生稲。陰生麦及大豆・小豆。天熊人悉取持去而奉進之。于時天照大神喜之曰。是物者則顕見蒼生可食而活之也。乃以粟・稗・麦・豆為陸田種子。以稲為水田種子。又因定天邑君。即以其稲種、始殖于天狭田及長田。
面白いことに、《「日本書紀」岩波文庫・第一巻p61)》の解説によると、牛馬・粟・稗・稲・麦・大豆・小豆の生まれる場所と生まれる物が朝鮮語と対応しているそうです。〈例えば頭(mara)と馬(mar)など、合っているかどうかわかりませんので、御自分で確認お願いします〉
ですから、日並知皇子が「田の神」であるなら、(保食神は田だけではないようですが)保食神は大津皇子になります。
月夜見尊(月弓尊)が保食神を殺しますから、高市皇子が大津皇子を殺したということが、史実だと思えます。
そして、天照大神に嫌われるのですから、この神話は天武・高市系統の消えた桓武天皇以降に創られた、または修正された神話だと思えます。
(古事記ではスサノヲが食物の女神を殺したことになっています。そうでした。
追記・思い出しました。これはスサノヲが最初の卑弥呼を殺したことが反映されています。4/11・6時)
そんなことを考えていますと、「大津皇子」の表記は正しいのか、気になりだしました。
ブログの性格上舌足らずで、申しわけありません。
修正が続くかもしれません。
・・・・・・・・
しつこく、10日の桜。今年は桜の期間が長いです。
この目黒川沿いの道は、桜の時だけ人通りは多いですが、夏は青葉の木陰の道に変わります。
・・・・・・・・
本日午後四時過ぎ、
ヤマタノオロチ(卑弥呼)はスサノヲに斬られ、肥の川は血になりましたが、目黒川は桜の川になりました。
《多芸志美美命(たぎしみみのみこと・手研耳命)、穴穂部皇子などからの類推》
「東野炎立所見而反見為月西渡」の歌の「炎」は「朝日」と同時に、「日並知皇子」(ひなめしのみこ)を表しています。
「人麻呂の暗号」はそう解釈しています。私もそれに賛成です。
しかし、「人麻呂の暗号」では草壁皇子が日並知皇子だとしています。
確かに、それは当たり前の解釈です。
万葉集には日並皇子尊とありますし、続日本紀でも日並知皇子尊は草壁皇子と解釈されるようになっています。
しかし、草壁皇子は実在しません。
そこで、高市皇子が真の日並知皇子だったのではないか、と考えました。
ヤマトタケルの「日日並べて・・」の歌からも、高市皇子が「日並知皇子」と呼ばれていたからに違いない、と考えたのです。
ところが、「東野炎立所見而反見為月西渡」の歌からすると、大津皇子が「日並知皇子」で、「月」が高市皇子でないとつじつまが合いません。
そこで「日並知皇子」の意味をもう一度考えてみました。
「日並知皇子」を「日日並皇子」としますと、両親とも卑弥呼の子孫だということを表し、要するに「日嗣」皇子で皇太子と同じ意味になるのではないかとなりました。
それならば、即位のために伊勢に禊に行ったはずの大津皇子が日並知皇子になるはずです。
すると、この時の最初の日並知皇子は大津皇子だった可能性があります。
さてそこで、高市皇子が「月」であるならば、思い出される神話があります。
月神は(月夜見尊、月読尊、月弓尊)と表記されますが、月夜見尊は保食神(うけもちのかみ)を殺します。
《第五段本文》・・・・次生月神。〈一書云。月弓尊。月夜見尊。月読尊。〉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E9%A3%9F%E7%A5%9E
ウィキペディア(Wikipedia)
《保食神(うけもちのかみ)は、日本神話に登場する神である。『古事記』には登場せず、『日本書紀』の神産みの段の第十一の一書にのみ登場する。一般には女神とされる。》
神話での記述 [編集]
《天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。》
いかにも神話のように書かれていますが、そのときの近代史が投影されているものとみます。
「日並知皇子」を「日日並皇子」と書き換え、この「日」と「日」をくっつければ、「田」に変わります。
以前、稗田阿禮の左側の偏の部分と右側の旁の部分を引き離したことがあります。
稗田阿禮の旁の部分というよりも右側ですが(卑・日・可・豊)となり、卑弥呼の卑は日であり、卑弥呼は豊であるということを表していると考えたことがあります。
今度は、逆に日を二つくっつけます。
日・日は田になります。
すなわち日並知皇子とは日嗣の皇子で皇太子のことであると同時に田の神・耕作の神となるのです。
保食神の死体から数々の食用の元となるものが生えてきます。
是時、保食神実已死矣。唯有其神之頂、化為牛馬。顱上生粟。眉上生繭。眼中生稗。腹中生稲。陰生麦及大豆・小豆。天熊人悉取持去而奉進之。于時天照大神喜之曰。是物者則顕見蒼生可食而活之也。乃以粟・稗・麦・豆為陸田種子。以稲為水田種子。又因定天邑君。即以其稲種、始殖于天狭田及長田。
面白いことに、《「日本書紀」岩波文庫・第一巻p61)》の解説によると、牛馬・粟・稗・稲・麦・大豆・小豆の生まれる場所と生まれる物が朝鮮語と対応しているそうです。〈例えば頭(mara)と馬(mar)など、合っているかどうかわかりませんので、御自分で確認お願いします〉
ですから、日並知皇子が「田の神」であるなら、(保食神は田だけではないようですが)保食神は大津皇子になります。
月夜見尊(月弓尊)が保食神を殺しますから、高市皇子が大津皇子を殺したということが、史実だと思えます。
そして、天照大神に嫌われるのですから、この神話は天武・高市系統の消えた桓武天皇以降に創られた、または修正された神話だと思えます。
(古事記ではスサノヲが食物の女神を殺したことになっています。そうでした。
追記・思い出しました。これはスサノヲが最初の卑弥呼を殺したことが反映されています。4/11・6時)
そんなことを考えていますと、「大津皇子」の表記は正しいのか、気になりだしました。
ブログの性格上舌足らずで、申しわけありません。
修正が続くかもしれません。
・・・・・・・・
しつこく、10日の桜。今年は桜の期間が長いです。
この目黒川沿いの道は、桜の時だけ人通りは多いですが、夏は青葉の木陰の道に変わります。
・・・・・・・・
本日午後四時過ぎ、
ヤマタノオロチ(卑弥呼)はスサノヲに斬られ、肥の川は血になりましたが、目黒川は桜の川になりました。