ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習

2008年01月23日 | 映画レビュー
 下品すぎて笑えない! アメリカもカザフスタンも両方をコケにする、タブー破りのコメディ・ドキュメンタリー。

 主演俳優はイギリス人だとはちっとも知らなかった。コーエンという名前からしてユダヤ系だけど、ものすごいユダヤ差別ネタには参った。ユダヤも同性愛も排泄もフェミニズムも人種差別もなにもかも過激に下品に笑い飛ばしバカにしまくる。そりゃあまあ、狙いはわかるけどね、これをコメディとして笑い飛ばせるコードがわたしにはない。

 一箇所、面白いと思って少しは笑えたのはボラットがカザフスタン国歌をアメリカ国歌に乗せて替え歌で歌う場面。「われわれカザフスタン人もアメリカのテロ戦争を支持しています!」と演説して満場の観客から拍手喝采を受けたのはいいけれど、調子に乗って「イラク国民を皆殺しだ! 徹底的に破壊してトカゲ一匹いない砂漠にしてしまえ!」と叫びだす。しまいには「カザフスタンは偉大な国~♪」と「星条旗よ永遠なれ」に乗せて歌ったものだからブーイングの嵐。これは面白かったね。

 どこまでがやらせでどこまでがドキュメンタリーなのか全然わからない映像の数々は映画の持つ虚構性をうまくついていたと思うが、それにしてもあまりにもやりすぎているので、度を超すと白けてしまう。

 「バカには理解できないバカです」というのがキャッチコピーなので、きっとわたしはボラット以下のバカなんだろう。

 ところで、つい最近『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』角崎利夫著、早稲田出版 というカザフスタンの魅力を満載した本が出たのだけれど、これってこの映画のせい(笑)? そういえば、カザフスタン駐日大使館も2006年10月に自国紹介のパンフレットを作ってます。やっぱ映画のせいでネガティブなイメージがついちゃったからねぇ。ちなみにこの映画、いろんなとこで名誉毀損の裁判起こされているそうです。やっぱり。いくらアメリカ文化を批判する社会派(!?)ものだからって、下品すぎるので、日本ではR-15です。(レンタルDVD)

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BORAT: CULTURAL LEARNINGS OF AMERICA FOR MAKE BENEFIT GLORIOUS NATION OF KAZAKHSTAN
アメリカ、2006年、上映時間 84分
監督: ラリー・チャールズ、製作: サシャ・バロン・コーエン、ジェイ・ローチ
脚本: サシャ・バロン・コーエンほか、音楽: エラン・バロン・コーエン
出演: サシャ・バロン・コーエン、ケン・ダヴィティアン、ルネル

輝ける女たち

2008年01月22日 | 映画レビュー
 人間関係がややこしすぎる! 登場人物の血縁関係を把握するまでにだいぶ時間がかかってしまったわ。おまけにやっと納得した人間関係にも疑惑の目が…。わたしは最後まで疑ってたからね。

以下、ネタバレぎみに展開します。未見の方はご注意。「ネタバレが絶対嫌」な方は読まないでください。



 ミナミフランスはニースの下町にある古いキャバレーが舞台だけあって、そこで繰り広げられるショーがどこか田舎じみて垢抜けない。でもそのイモいところがなんとも楽しげで懐かしい香りがしていいのだ。巻頭の、歌って踊るシーンなんて、ワクワクしてしまった。

 キャバレー「青いオウム」のオーナー、ガブリエルが急死した。彼は女装趣味の変わった老人だったが、アルジェリアから流れてきた15歳の少年だったニッキー(ジェラール・ランヴァン)を拾って親代わりに育て、立派なマジシャンとして独り立ちさせた。そのニッキーの二人の元妻がアリス(カトリーヌ・ドヌーヴ)とシモーヌ(ミュウ=ミュウ)だ。今は二人とも離婚して、ニッキーは独身中年男。青いオウムの売れっ子歌手レア(エマニュエル・ベアール)にぞっこんで、なんとか口説こうとしている。そんなニッキーの息子と娘もガブリエルの葬儀のために集まってきた。二人ともガブリエルを「おじいちゃん」(または「おばあちゃん」)と呼んで親しんでいたのだ。

 やがてガブリエルの遺言状が公開され、キャバレー青いオウムは存続の危機に瀕する…


 愛憎が錯綜していそうな男女2人ずつ。じいさんのガブリエルと、息子同然のニッキー、その二人の元妻。それに加えてニッキーの子どもたる異母兄妹ニノとマリアンヌ。この合計6人の男女の関係がすっきり観客に理解できるまでが大変。なにしろガブリエルとニッキーには血縁関係がなくて、さらにニノとマリアンヌは異母兄妹で、その母親達はどちらもニッキーのことをそれなりに愛していてかつ……というややこしい相関図。

 異母兄妹の仲の良さというか確執というか、二人とも極めて美しいのだけれど、兄のほうがゲイなもんだから、兄と妹で同じ男を取り合いしたりして…という、さらに加えてややこしいお話が展開する。で、親の世代の4人に関しては絶対なんかあるぞと思っていたけれど、案外すんなり関係は暴露されてなんということもなく収まった。それでもわたしは疑っていました、絶対ニノとマリアンヌは二人ともガブリエルの子どもに違いない!

 まあこういのがおフランス映画なんでしょうか、とにかく恋愛に関しては極めて個人主義的で、カトリックの国のはずなのになぜか脅迫的な倫理観は希薄で、みなさん好き放題やってください、というノリ。物語の収束点が全然見えないってところが混乱の極みなんだけど、こういうふうに一見すっきりさせたふりして実はいっぱい秘密を残したたまま終わるっていうのがフランス風におしゃれなのかもね。

 中年の恋愛と再生という点で見ればわたしには楽しめたけど、この映画を若者が楽しめるかどうかは不明です。

 ニノ役のミヒャエル・コーエン、ちょっとキアヌ・リーブス似のイケメンで、彼が美しいからこんなややこしい話も退屈せずに見ることができた。ミヒャエルくん、素敵っ。

 「青いオウム」で繰り広げられる芸はちょっと素人っぽくて苦笑しながら見てしまった。特にエマニュアル・ベアールの歌はド素人丸出しで、恥ずかしい。あれのどこが「素晴らしい!」んだか?!(レンタルDVD)

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LE HEROS DE LA FAMILLE
フランス、2006年、上映時間 103分
監督・脚本: ティエリー・クリファ、製作: サイド・ベン・サイド、脚本: クリストファー・トンプソン 音楽: ダヴィド・モロー
出演: ジェラール・ランヴァン、カトリーヌ・ドヌーヴ、エマニュエル・ベアール、ミュウ=ミュウ、ジェラルディン・ペラス、ミヒャエル・コーエン、クロード・ブラッスール

ホワイト・プラネット

2008年01月20日 | 映画レビュー
 わたしって動物もののドキュメンタリー映画が好きなんだとつくづく思う。「WATARIDORI」なんてDVDを買ってしまったしね。「ディープブルー」ももちろん劇場で見たし、これも劇場で見たかったのだけれど、残念ながらDVDで鑑賞。で、やっぱり劇場で見ればよかったと後悔。北極の空撮は迫力満点だし、音楽はフォークロア風だったり幻想的だったりしてなかなかよかったし、けれど淡々としすぎているものだからつい寝てしまう。劇場だと寝ないですんだのじゃなかろうか。地球温暖化の影響で北極の氷も減り、白熊の狩場が狭くなって生存の危機にあるといった話には軽い恐怖心も感じた。これは「アース」にあったシーンと重なる部分ですね、「アース」のほうが後から公開されているけど。「アース」が地球全体を描写の対象としたのに対して、本作はひたすら北極圏の動物たちを追う。

 海中の撮影などは寒いし暗くて怖そうなのに、どうやって撮ったのだろう、ひたすら被写体を追いかけていくカメラマンは偉い。とにかくカメラマンに敬意を表して。(レンタルDVD)


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LA PLANETE BLANCHE
フランス/カナダ、2006年、上映時間 83分
監督: ティエリー・ラコベール、ティエリー・ピアンタニーダ、製作: ジャン・ラバディほか、脚本: ティエリー・ピアンタニーダ、ステファン・ミリエール、音楽: ブリュノ・クーレ
ナレーション: ジャン=ルイ・エティエンヌ

ラッキーナンバー7

2008年01月20日 | 映画レビュー
 最近見たサスペンスものでは一番面白い。スタイリッシュな映像、凝ったストーリー、豪華な配役。やたら人が殺される凄惨な話なのに鑑賞後の気分は爽やか。

 空港の待合室で、若い男がプロの殺し屋(ブルース・ウィリス)に殺される。その手口がまた見事。そして場面はNYのマンションの一室に変わる。その部屋に住む友人に呼び出されたスレヴン(ジョシュ・ハートネット)は、やって来た借金取立てのヤクザたちに友人と間違われて拉致される。彼の言い訳は通用せず、ヤクザに脅されたスレヴンは借金のカタに対立するマフィアの親分の息子を殺すことを強要される…


 対立するマフィアの親分たちがまた渋い。一人がモーガン・フリーマン演じる「ボス」で、もう一人がベン・キングズレー演じる「ラビ」。つまり、黒人対ユダヤ人ということ。エスニック対立が戯画的に描かれていて、しかもそのエスニックがもちろんアメリカ社会では疎外されている者たちというステレオタイプを逆手に取った面白さがある。

 よくよく考えてみれば辻褄が合わないところはいくらでもあるわけで、だからツッコミたい人には格好の材料を提供するだろうけれど、この映画はすべての謎を最後にきれいに解いてくれるので観客に大いなるカタルシスをもたらす。

 スレヴンが恋する中国系女性を演じたルーシー・リューがいい感じで、愛らしく無邪気な女性をうまく演じている。しかし、彼女が医者には見えないんですけど…(笑) 

 非情の世界にも周到な計画にも綻びが出る。その綻びを生むのが愛と慈悲だ。この映画にはその甘さがある分、後味がいい。(レンタルDVD)(R-15)


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ラッキーナンバー7
LUCKY NUMBER SLEVIN
アメリカ、2006年、上映時間 111分
監督: ポール・マクギガン
製作総指揮: ジェーン・バークレイほか、脚本: ジェイソン・スマイロヴィック、音楽: J・ラルフ
出演: ジョシュ・ハートネット、ブルース・ウィリス、ルーシー・リュー、モーガン・フリーマン、ベン・キングズレー

もだえ

2008年01月20日 | 映画レビュー
 スパルタ教育に追い立てられる学生の青春の蹉跌を描いたベルイマン初脚本作。国際的にも評価されているようだが、今の日本の教育状況と懸け離れすぎているから内容が古くさく、魅力を感じない。ただし、これを教育問題に限定せず、青春の反抗と挫折というより広いテーマを扱っていると見ればそこそこいいかもしれない。

 上流階級の子弟が通う高校の最上級生たるヤンエーリクは、生徒たちから「カリギュラ」とあだ名される謹厳な教師にいじめられていた。カリギュラは生徒をいびることを無上の楽しみするような人物で、ヤンエーリクも卒業試験を落とされる恐れがあった。学校の前にある煙草屋の女店員ベルタに恋したヤンエーリクだったが、彼女は「あの男がやって来る! あいつにいたぶられるのが怖い」と恐れおののく。酒浸りの荒んだ生活をしていたベルタには秘密があったのだ。だが、その男のことを語りたがらないベルタだった…

 ドイツ表現主義風のおどろおどろしい場面もあり、それなりに怖がらせる描写にも力を入れているけれど、やはりこの時代の映画は端正だ。今なら淫猥な教師の変態ぶりをたっぷり描写しそうなところを、この当時はセリフだけですませてしまう。だから、妙にリアリティがなく、また、逆にそのリアリティのなさを補う大仰な演出があったりして、ちょっとどうかと今どきの観客としては思ってしまうのだ。

 ただ、これがハリウッド映画ならすっきり爽やかなハッピーエンドにするんだろうに、そうならないところがベルイマンの脚本だ。どう考えても理不尽なラストなのになぜか明るい空と明るい音楽。どうなっているの、これは。こういう皮肉な終わりかたがほんとうにベルイマンが求めたラストなのだろうか?

 脚本力よりも演出力に問題を感じた一作。

 1944年製作。戦争中にこういう「時局」に無関係な映画を作る余裕があったのだからスウェーデンというのは文化立国なのかも。(CATV)


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もだえ
HETS
スウェーデン、1944年、上映時間 105分
監督: アルフ・シェーベルイ、脚本: イングマール・ベルイマン
出演: スティーグ・イェレル、マイ・ゼッタリング、アルフ・ケリン、グンナール・ビョルンストランド

ユゴ 大統領有故

2008年01月19日 | 映画レビュー
 緊迫した政治劇を期待したのが間違いで、実はもっとゆるゆるしたコメディタッチもまぶした映画だったのだ。しかし、コメディというにはあまり可笑しくもないし、シリアスな劇なんだけどそれにしては緊張感に欠けるし、どうにも中途半端な一作。韓国では朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の遺族が公開禁止の仮処分を訴えたといういわくつきの作品だが、日本ではノーカット完全版で上映。

 とにかく期待値が高すぎたのがいけなかったのかもしれないが、結局なぜ大統領が暗殺されたのかちっとも真相が見えてこないことに不満がくすぶる。ひょっとしたらそんな「真相」なんてなかったのかもしれない。なにしろあまりにもずさんな暗殺事件だから、犯人のKCIA部長の思いつきだという噂もあるし(映画でもそんなふうに描かれていた)、私怨だという話もあるし。

 パク大統領暗殺事件は1979年10月26日に起こった。あの日の衝撃は記憶にあるのだが、詳細はすっかり忘れている。それより、わたしの記憶に大きな間違いがあって、暗殺当日に犯人のKCIA部長金戴圭(キム・ジェギュ)は射殺されたと思いこんでいたが、実際には裁判にかけられて絞首刑になっていたのだ。当時から裏にはアメリカがついていたとか噂があったが、その噂を裏付けるようなセリフが映画にも登場する。なにしろ当時のアメリカ合衆国大統領は人権外交をモットーとするジミー・カーターだったから、独裁者朴正煕は邪魔者だったのだろう。しかしそれにしては実際の暗殺後、アメリカは動かなかったし、これまた謎のままだ。

 思えば、この暗殺事件のあと、急遽大統領に就任した後釜が優柔不断な男で、結局チョン・ドファンのクーデータをまねくことになり、翌年5月には光州事件が起きる。10.26暗殺事件は激動の韓国現代史の不吉な発火点だったのだ。だが、そういうことは映画には描かれないので、この映画は韓国現代史に興味のある人しか見ても面白くないし、韓国現代史に興味のある人間にとってはむしろ不満が残る。

 映画の最後に当時の国葬のドキュメントフィルムが使われる。ここに映っているのは若かりし頃のパク・クネだ。彼女は今、韓国最大野党ハンナラ党の元党首であり、李明博に破れたとはいえ、いずれ大統領にになるかもしれない。暗殺事件以後の韓国の政治が走馬燈のように頭をめぐるけれど、結局この映画では何が描きたかったのか、いまいち伝わってこない。

 「朴正煕政権を、日本の極右国粋主義が朝鮮に生み出し、歪曲され、生き残ったその劣化バージョンとみるなら、日本の市民たちにも、この映画が興味深くみられるのではないだろうか」とイム・サンス監督が語っているが(劇場用パンフレットより)、パク・チョンヒ政権への辛辣な批判がだからといって何に向いているのか、それもよく伝わらない。つまり、これは受け手たるわたしの問題かもしれないが、朴正煕政権が暴力支配の独裁政権であったということはあまりにも明らかで、そんなことは今更別に知りたいと思うようなことではない。しかも朴政権が人民から恨まれていただけなら、巻末の国葬場面で多くの韓国民が慟哭しているのは全部「嘘」なのかといえばそうとも言えないだろうし、朴正煕の悪辣さを描くにしては描写が表層的で物足りない。

 もちろん、それなりに面白い描写はあったし、映像の凝り方もなかなかスタイリッシュでよかったのだが、ちょっと期待しすぎたかも。

 あ、そうそう、おじさんたちがみんな情けないのに、この映画では女子学生二人がとっても勇敢で彼女たちがいちばんはつらつとしていた。これも時代の生める描写かな。(PG-12)

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韓国、2005年、上映時間 104分
監督・脚本: イム・サンス、音楽: キム・ホンジプ
出演: ハン・ソッキュ、ペク・ユンシク、キム・ユナ、チョ・ウンジ、ソン・ジェホ、キム・ウンス

ストーリー・オブ・ラブ

2008年01月19日 | 映画レビュー
 原題は「わたしたちの物語」。
 これ、「そうそう、まさにわたしたちの物語よ!」と食い入るように画面にかぶりついてしまう観客は多いのじゃないかな、結婚15年以上なら。これが「わたしたちの物語」と思えない夫婦は幸せだ。そういう人はこの映画を見る必要はないので最初の30分までで見るのを止めてけっこうです。

 ここに描かれた夫婦の葛藤はあまりにもありきたりで、「ドラマ」でもなんでもない。結婚15年を迎える一組の夫婦が、子ども達の不在をきっかけに試験的に別居に踏み切る。そのまま二人は離婚するのかどうか? この、ありきたりの倦怠期の話をロブ・ライナーはベルイマンのようにギリギリと追いつめることなく描いていく。だから、ここに描かれる夫婦喧嘩のたわいのない内容には思わず苦笑したり、身に覚えがあると思って首肯したり、とにかくどこか安心して見ていられるドラマの「リアリティと嘘」のバランスのよいシャッフルが感じられる。

 脚本はよく練られていて、会話が小粋で、特に中年女たちのあけすけな話にはドギマギしながらも小気味よさに笑えるし、なかなかうまく作られた一作だ。

 ただし、先にも書いたように、他者同士の葛藤たる夫婦の関係についてはこの映画は深く追及しない。そこがベルイマンとの違いで、そういう意味では窒息しそうなベルイマンの緊張感はここにはなく、それだけ安心して見ていられるというもの。

 この映画の結末を是として受けとめられるかどうか、リトマス試験紙として試してみたい方はぜひご覧ください。(レンタルDVD)

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THE STORY OF US
アメリカ、1999年、上映時間 96分
監督: ロブ・ライナー、製作: アラン・ズウェイベルほか、脚本: アラン・ズウェイベル、ジェシー・ネルソン、音楽: エリック・クラプトン、マーク・シェイマン
出演: ブルース・ウィリス、ミシェル・ファイファー、リタ・ウィルソン、ジュリー・ハガティ

マンハッタン

2008年01月19日 | 映画レビュー
 「アニー・ホール」ほど弾けていないし、突出した面白さがないと感じるのはわたしの体調が悪かったせいかもしれない。

 「アニー・ホール」よりさらにインテリにしかわからないようなジョークばかり登場する。 

 マンハッタンの街並みを映し出すモノクロ映像、かぶる音楽はガーシュイン。いかにもニューヨークへの過剰な愛が溢れる作品。

 少女愛に萌える中年男の主人公アイザックはその後のウディ・アレンの実生活の姿を暗示するようで興味深い。(レンタルDVD)

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MANHATTAN
アメリカ、1979年、上映時間 96分
監督・脚本: ウディ・アレン、製作: チャールズ・H・ジョフィほか、音楽: ジョージ・ガーシュウィン
出演: ウディ・アレン、ダイアン・キートン、マリエル・ヘミングウェイ、メリル・ストリープ、アン・バーン

アース EARTH

2008年01月17日 | 映画レビュー
 「ディープ・ブルー」と同じスタッフで二番煎じをやろうという企画。NHKとBBC共同製作の「プラネット・アース」の映像を映画用に編集した作品。前作とほとんど同じようなつくりなので、前作のファンにはそれなりに満足が得られる一方で、新鮮味がないと感じる部分もあり、良くも悪くもシリーズ第2作、というもの。ベルリンフィルの演奏も心地よく、あまりに気持ちよすぎて寝てしまう恐れもあるけれど、動物好きにはたまらない一作でしょう。

 テーマは「環境破壊への警鐘を鳴らす」こと。それゆえ、地球温暖化の犠牲種として最も象徴的な北極の白熊がオープニングとエンド映像に使われている。白熊が狩りをするために乗る北極の氷がどんどん解けて減っていき、彼らの猟場が減少して絶滅の危機に瀕している。このままでは2050年には北極熊は絶滅するといわれている。

 砂漠を延々何週間も飲まず食わずで旅をする象の群れや、ヒマラヤ山脈を越える渡り鳥など、動物達の忍耐力には限界がないかのようだが、確実に環境変化が彼らの旅を困難なものに変えている。映像で繰り返しそのことが描かれ、わたしたちは地球環境の危機をそこから感じとる。

 誰も見たこともない秘境の動物の実態や、誰も撮ったことのない場面、誰も撮れなかった高さや角度で捉えた映像は確かに素晴らしい。そしてほんの数秒の撮影のために何ヶ月もかけたというクルーの忍耐力には頭が下がる。映像も素晴らしいが、これは撮影の裏話を知ってこそ驚嘆すべき映画だ。限界の高度からの撮影のために低酸素症に陥り白目をむいたカメラマンや、極寒の地での撮影のために瞼がカメラに張り付いてしまうといった苦労話は尽きない。

 しかししかし、だからこそ思うことがあるのだが、そこまでしてなぜ「秘境の動物たち」を見る必要があるのだろう? なぜ動物と人間の世界の距離を隔てたままにしないのか? 彼らをそうっとしておいてやることはできないのか? いや、もはやそれは不可能なことなのだろう。既に人間の開発の手はどこまでも伸び、動物達には安住の地は残り少ない。動物達が安住できない地球は遅かれ早かれ人間達も安住できなくなるだろう。

 動物の生態も興味深いが、この映画が捉えたタイガの大森林地帯の空撮や大瀑布を垂直に捉えた迫力ある映像は必見の上にも必見。これこそ映画館で見る映画です。

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EARTH、ドイツ/イギリス 、2007年、上映時間 96分
監督: アラステア・フォザーギル、マーク・リンフィールド、製作: アリックス・ティドマーシュ、ソフォクレス・タシオリス、脚本: デヴィッド・アッテンボローほか、音楽: ジョージ・フェントン
ナレーション(日本語版): 渡辺謙

サラエボの花

2008年01月15日 | 映画レビュー
 予想したよりもずっと淡々とした作品で、泣くだろうと思って用意したハンカチを使う場面がまったくなかった。これがハリウッド映画ならもっとわかりやすく描写しただろうに、日本映画ならもっとベタベタな母子物語になっただろうに、そうはならないところが、ヨーロッパ映画の枯れたスタンスなのだろうか? 語らない描かない部分にこそわたしたちの琴線に触れる物語があった、二十世紀最後の悲劇。

 サラは12歳の少女。思春期を迎え、多感な時だ。母のエスマはボスニア政府からもらう援助金とお針子の仕事だけでは生活できず、夜のクラブでウェイトレスの仕事を始める。母子家庭の二人は慎ましく暮らすが、サラの修学旅行の200ユーロを工面できないエスマは焦って金策に走る。サラの父はシャヒード(殉教者)だから、証明書を出せば旅行費用は免除されるのだ。サラは母エスマに証明書をもらってくるように何度もせがむ。だがエスマは言を左右にして証明書をとろうとしない…

 サラの父は本当にシャヒードなのか? 予告編でもかなりのネタバレがあったし、もう観客には真相はわかっていることなのだ。エスマは女性ばかりの集団セラピーを受けている。それが何のセラピーなのか、観客には理解できるし、ボスニアでムスリムの女たちに何が起こったのか、観客は歴史的事実として知っている。だから、この物語は彼女の再生の物語であり、娘との和解の物語であろうと先読みしながら映画を見ることになる。

 この映画には、戦火のシーンもなければ残虐な回想シーンもない。ひたすら時制は現在である。戦火が消えて十数年の今を女たちはどのように生きるのか。徹底してその視点から描かれているから、慎ましい母子の生活に戦争はまるで存在していないかのようにも見える。しかし、戦争の傷は今もなお生きてエスマを苦しめる。


死者20万人、難民・避難民が200万人と言われたボスニア紛争の原因について語る力量はわたしにはない。ただ、この内戦をルポして『殺しあう市民たち』を書いた吉岡達也氏が、「ボスニアの民族の違いなんて、大阪人と東京人の違いほどもない」と言っていたという話を思い出す。現地の人々も、外見では民族の見分けがつかないという。それなのに、なぜ「民族浄化」などという恐ろしい事態が起きるのか、わたしには理解できない。チトーが生きていれば歴史は変わっていたのだろうか。映画の中でも「チトーにかけて誓うわ」というジョークが出るほどにカリスマだった共産主義者が死んだ後、タガがはずれてしまった共和国を統合するものは存在しなかったのだ。


 サラを演じたルナ・ミヨヴィッチがとてもいい。存在感があり、愛らしく、けなげだ。彼女がこの映画の魅力のかなりの部分を負っている。母子の諍いを経て、泣きじゃくるサラ。彼女のふてくされた顔がそれでもかすかな笑顔を宿すラストが小さな灯りをともす。とてもとてもあっさりと拍子抜けするほど慎ましく終わる物語は、つまりそれほどに癒されることが困難な今のサラエボの女たちの心を表象するのだろう。戦争、傷、記憶、赦し、というテーマに興味のある人なら必見作。(PG-12)

 ところで、「シャヒード」という言葉に接して、数年前に見た展覧会「シャヒード、100の命:パレスチナで生きて死ぬこと」を思い出したので、HPの「よしなしごと」にかつて掲載していた記事をこちらのブログに復活させることにした。古い記事ですがご参考までに。といっても、映画には全然関係ありません。
http://blog.goo.ne.jp/ginyucinema/c/2f039d1ed9ec06feb30ab57cf8024396




<以下、ネタバレ>





 出生の秘密を知ったサラは髪を切って丸坊主にしてしまう。彼女は「わたしがパパに似ているとこはどこ?」と無邪気にエスマに訊いて「そうね、髪の毛ね」という返答をもらって嬉しそうに笑った、そのシーンが思い起こされる。泣きながら髪を切るサラ。忌まわしい父の記憶につながる髪の毛を彼女は許すことができなかったのだろう。そうして、自分の出生自身を罰したサラ。可哀想なサラ。けれど、エスマは言う。「この世にこれほど美しい存在があるとは」と。

 子どもは希望だ。命を燃やす、希望の火だ。

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GRBAVICA
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ/オーストリア/ドイツ/クロアチア、2005年、上映時間 95分
監督・脚本: ヤスミラ・ジュバニッチ、製作: バーバラ・アルバートほか
出演: ミリャナ・カラノヴィッチ、ルナ・ミヨヴィッチ、レオン・ルチェフ、ケナン・チャティチ

カンバセーションズ ~終わらせた恋のはじめ方~

2008年01月14日 | 映画レビュー
 別れた元夫婦が知人の結婚式で十数年ぶりに再会し、ベッドイン。彼女が飛行機に乗るまでの一晩の元カップルの会話だけで成り立たせた映画。

 画面を二つに分割し、一つの場面を二つの角度から映したり、またときには二人の出会いのころの若々しい姿が映し出されたりする。画面を二分割する映画じたいはそう珍しくはないが、最初から最後まで分割したのは見たことがないので、なかなか面白い演出だと思う。画面の二分割は再会した二人の心の距離や、取り戻せない過去への切ない思いを表すのにうまい表現法だ。

 かなりの低予算映画と思える会話劇で、予告編のイメージと違ってスピード感がない。どちらかというと、中年になった元カップルのだらだらした会話劇という印象のほうが強い。こういう微妙な会話を理解できるためにはそれなりの人生経験が必要だ。男は元妻に未練たらたらで、女のほうがクール。それは、男がいまだに独身で、恋人はいるけれどそれほど本気じゃなく、女のほうは既に再婚して家庭があるという事情がそうさせているのだ。

 互いに過去を語り合い、今の恋人のことを語り、心を探りあうその会話はリアルだけれど、そもそも二人がなぜ昔別れたのかそれが最後までよくわからないから、やり直せるのかどうかというスリルがいまいち盛り上がらない。ただ、「終わった恋」への心の残し方が男と女の今の感情に異なる影を落とすことはよくわかる。

 二度と戻らない青春時代、過ぎ去った時間は残酷で、今の二人はもうかつての同じ二人ではない。では違う二人だからこそやり直せるのか? それは一夜に見た夢か幻。

 わたしなら、昔の恋人と再会してベッドインなんていうことは絶対に起きない、と思いながら見たけれど、この二人がそうなるのは結局のところ今の愛に満足していないからだろう。

 最後の最後に二分割の画面が一つになる。そのときこそ、二人の本当の別れが来るというのも皮肉だ。ラストシーンが心憎い。(レンタルDVD)

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CONVERSATIONS WITH OTHER WOMEN
アメリカ/イギリス、2005年、上映時間 84分
監督: ハンス・カノーザ、製作: ラム・バーグマンほか、脚本: ガブリエル・ゼヴィン
出演: ヘレナ・ボナム=カーター、アーロン・エッカート

フランシスコの2人の息子

2008年01月14日 | 映画レビュー
 これはまあなんと素直に作られたごく普通の感動物語なのでしょう。ちょっと恥ずかしくなるくらいにストレートなサクセスストーリー。だなんて、貶しているようだけれど、ラストシーンで思わず泣いてしまったわ。

 ブラジルでは国民的人気を誇るという兄弟デュオ、ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノの伝記映画。

 貧しい小作農の一家の主は音楽好きな働き者の父親。彼の夢は息子たちを音楽の道で出世させることだった。なけなしの金をはたいて7人きょうだいの長男にはアコーディオンを次男にはギターを買い与え、懸命に練習させる。最初のうち、どうしようもない音痴だった息子たちがどんどん上達していくのには驚きを禁じ得ない。それにしてもベートーベンの父じゃあるまいし、息子たちに無理矢理音楽をやらせたりして、たまたま才能があったからよかったものの、箸にも棒にもかからなかったらどうするつもりだったんでしょうねぇ。

 こういう映画を見るといつも思うけど、こんな親の無理強いや親の思いが成功に結果したからよかったものの、もしどうしようもなくこれで子どもがぐれたり一家離散になったりしたらどうするのだろう? 息子たちの楽器を買うために穀物をすべて売り払ってしまった父親は地代も払えなくなって都市へ流れてくる。小作地を失った農民は都市に集まればスラムの住民にしかなりようがなく、下手をすればそのままホームレス、子どもはストリート・チルドレン。

 とまあ、暗いほうへと考えは泳いでしまうが、そうなる寸前でフランシスコの息子達は親の苦境を見かねて二人、街に立つ。親を助けるために雨の中を重い楽器を持って出かける姿には涙がちょちょぎれるではないか。街角に立って歌う二人の姿に人々は足を止め、耳を傾ける。見よう見まねで置いた投げ銭入れにはみるみるうちに金が溜まった。目を輝かせる二人の愛らしいこと。やがて彼らに目をつけたプロモーターが二人を連れて巡業の旅に出るが…

 この後、山あり谷あり悲劇ありの下積み時代を経て、フランシスコの息子たちはトップスターへと上り詰める。映画のラストでは本物の兄弟が登場してコンサート場面が映る。両親もステージに上り、息子達を抱きしめる姿を見て思わず涙が出てしまった。こんなに素直な映画も珍しいけど、これで泣かされるわたしも素直な人間だと自分に感動した(笑)。


 男の子が頑張る映画に弱い人にはいいかもしれません。(レンタルDVD)

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2 FILHOS DE FRANCISCO - A HISTO'RIA DE ZEZE' DI CAMARGO & LUCIANO
ブラジル、2005年、124分
製作・監督: ブレノ・シウヴェイラ、脚本: パトリシア・アンドラージ、カロリーナ・コトショ、脚本協力: ルシアーノ・カマルゴ、ドミンゴス・デ・オリヴェイラ、ブレノ・シウヴェイラ、音楽: カエターノ・ヴェローゾ
出演: アンジェロ・アントニオ、ジラ・パエス、ダブリオ・モレイラ、マルコス・エンヒケ、マルシオ・ケーリング、チアゴ・メンドンサ

キンキー・ブーツ

2008年01月13日 | 映画レビュー
 倒産しかかっている老舗の靴工場を継いだ4代目の若社長が、起死回生を図って製造しようとしたのはなんと、女装愛好家のための「紳士靴サイズの婦人靴」、名づけて「キンキー・ブーツ」だった! というお話。構造不況業種が起死回生をかける話ってどこかできいたことがあるような気がするし、不況だけど頑張るっていうのは「ブラス!」とか「フルモンティ」みたいだけど、実際に成功したお話を元にしているだけあって、結末は明るい。

 驚いたのはキウェテル・イジョフォーのドラッグ・クイーンぶりだ。「堕天使のパスポート」で好感度の高い医師の役がぴったりだと思ったのに、今回は女装してド派手な化粧でおまけに大口あけて歌っているのには驚いた。キウェテル・イジョフォーだなんて、最初のうちはまったく気付かなかった。この人はいろんな役ができる器用な役者なんだ! それに女装したから初めて気付いたけど、こんな大柄な男だとも思わなかった。確かにこの体重では婦人靴のピンヒールは履けないわなぁ。

 若社長チャーリーが工場を継いで最初にやったことが人員整理。一人ずつ労働者を社長室に呼んで解雇を申し渡すわけだが、靴工場の労働者は熟練の職人たちではないのか? 解雇されて唯々諾々と辞めていくのはなんとも納得しがたいのだが、かつてのクラフトユニオンの強さを誇ったイギリスの労働運動も地に落ちたということだろうか。だが彼は、一人の若い女性労働者の言葉にひらめく。「新製品の開拓を」。そうだ、ニッチ(隙間)製品を開発すればいい。チャーリーが偶然知り合ったドラッグクイーンの女性(男性)ローラなどは、女性用のピンヒールブーツを無理やり履いてはヒールを折っていたのだが、ちゃんとした丈夫な男性用婦人靴を作れば需要があるに違いない。

 で、そこで従業員たちを前に演説をぶつチャーリーは、クイァな人々への偏見で凝り固まる彼らを説得し、またローラ自身が工場に出向いてデザインを担当するうち、いつしか労働者たちも仕事に熱心に取り組むようになり…。とまあ、予想通りの展開。チャーリーの婚約者とのぎくしゃくも加わって、定石どおり。

 ローラへへの偏見に固まっていた一人の労働者が、彼女(彼?)への差別意識を払拭するようになるきっかけがやっぱりローラの中にある「男らしさ」の再発見にあったというのはいかがなんでしょうか??

 ま、とにかくいろいろあってもハッピーエンドということで、可もなく不可もなく楽しい映画でした。(レンタルDVD)

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KINKY BOOTS
イギリス・アメリカ、2005年、上映時間 107分
監督: ジュリアン・ジャロルド、製作: ニック・バートンほか、脚本: ジェフ・ディーン、ティム・ファース、音楽: エイドリアン・ジョンストン
出演: ジョエル・エドガートン、キウェテル・イジョフォー、サラ=ジェーン・ポッツ

冷血

2008年01月13日 | 映画レビュー
 1959年にカンザス州で起きた一家4人惨殺事件を描くドラマ。ほぼカポーティの原作ノンフィクション小説の筋書き通りに進むドラマ展開には新鮮味がなく、やや退屈。また人物のイメージがわたしの想像とは違っていたので違和感も覚えた。原作が長いだけに、犯人若者二人の生い立ちをはしょってしまったのは残念だ。カポーティの原作ではとりわけペリー・スミスの生い立ちにかなりの紙幅を割いていただけに、そこをカットしてしまうと、この犯罪の背景が見えない。貧しさゆえに犯罪に走る者たちの苦しみがさらりと描かれてしまい、とりわけペリー・スミスの母親がチェロキー族出身であったことなど、彼の性格に大きな影を落とした部分を映画ではさらりと触れただけなのが残念だ。原作未読者にとってはこの程度の描写で充分と思われるかもしれないが、わたしにとっては原作のイメージが強いだけに物足りなさを感じる。あとは、被害者一家の説明がほとんどない点も不満が残る。

 ただ、特筆すべき点もある。ラスト、犯人たちが死刑になる場面、ガラス窓に叩きつけるように降る雨のしずくがペリー・スミスの顔に影を作る不気味さはモノクロ映像ならではの効果だ。犯人達の逃避行から死刑まで一気に見せる演出はよかったし、緊張感があり、この部分はぐっと画面にのめりこんでいく。この映画は原作を読んでいない人のほうが面白く見られるのではなかろうか。(レンタルDVD)


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IN COLD BLOOD
アメリカ、1967年、上映時間 133分
監督・脚本: リチャード・ブルックス、原作: トルーマン・カポーティ、音楽: クインシー・ジョーンズ
出演: ロバート・ブレイク、スコット・ウィルソン、ジョン・フォーサイス、ポール・スチュワート、ジェフ・コーリイ

サンセット大通り

2008年01月13日 | 映画レビュー
 これはひょっとしてビリー・ワイルダー脚本の最高傑作ではなかろうか?まったく息つく間もないたたみかけるような展開にはストーリーテラーの腕前を見せつけられた思いがする。

 過去の栄光が忘れられない勘違い人間というのはどこにでもいる。有名人だけではなくて、ほんとにどこにでもいるものだ。「昔はなぁ…」と言いたがる、「昔取った杵柄」が離せない人間なんてたいていの人がそうに違いない(もちろんわたしも)。

 次第に世間から忘れられていき、疎んじられるようになった大スターは、過去の自分に酔いしれ、いつしか心が壊れていく。110分という尺のなかでビリー・ワイルダーはその様子を実に丁寧になんの無駄も冗長さもなく描いた。グロリア・スワンソンの鬼気迫る演技とともに映画ファンの記憶に残る作品といえる。主人公が女優と脚本家なので、映画制作の舞台裏も見られて映画ファンの喜ぶ題材だし、セシル・B・デミル監督が本人役で登場してこれまた興味深い。演技もなかなかうまいではないか。特典映像の解説によれば、デミル監督は法外なギャラを要求したとか。実際のパラマウント映画のスタジオを使ったロケも面白いし、ハリウッドのスタジオシステムが(ごく一部とはいえ)垣間見えることは映画ファンにとっては嬉しい。


 売れない脚本家ジョー・ギリスの独白によって展開するサスペンスは悲劇に終わるが、そこにはシニカルな叙情が漂う。まずはプールに死体が浮いている巻頭のシーンの凝っていること。これは実は当初、別のオープニングが用意されていたのだが試写会で観客の失笑を買ったためワイルダー監督がショックを受けて全面的に書き換えたのだとか。死体を水中から捉えたアングルは見ものである。

 この映画では元大スターのノーマ・デズモンドが20年も映画界から干されているにもかかわらず豪邸に住み浪費のうちに人生を孤独に送っている絢爛たる描写が観客の目を奪う。既に容色は衰えたにもかかわらず現実を見ることができないノーマは自分の書いた脚本をセシル・B・デミル監督に送りつけて次回作に主演するつもりでいる。その出来損ないの脚本を書き直すために雇われたのが売れない脚本家のジョー・ギリスだった。彼は金に困っているからやむなくノーマの豪邸に住み込むことになるが、いつしかノーマの囲われ者になる。しかしノーマに愛を感じているわけではないジョーはなんとかノーマの手から逃れようとするのだが…

 ノーマもジョーも互いを利用する人間であり、そこには一抹の憐憫があるとはいえ、不毛の愛しか存在しない。憐れなノーマはプライドだけはいつまでも高く、ジョーを金の力と自殺未遂で脅迫し束縛する。ノーマのいやらしさをよくぞ演じたり、グロリア・スワンソン。まるで自分の伝記映画のようなこんな悲惨な話によく出演したものだと感心するけど、一世一代の名演・怪演を見せている。

 われらがヒーローたるジョーにしたところで情けない男であり、ウィリアム・ホールデンも適役を演じている。

 たとえばこの物語を、年齢に相応しい素晴らしい役があることをノーマに気づかせてやるという結末を用意して彼女と観客に救いを与えることもできただろうに、ビリー・ワイルダーはそんな話を書いたりしない。ジョーの悲劇はビリー・ワイルダーの自己像の反映かもしれない。売れない男がやけになっていやいやながらも結局は長いものに巻かれて贅沢な暮らしに甘んじる、その末路を自嘲的に描いたと考えれば、ワイルダーのシニカルな人生観がにじみ出ていると言える。人間の甘さ醜さを実に巧みに描いたエンタメ性溢れる傑作。「アパートの鍵貸します」と甲乙つけがたく好きだなぁ。あ、「昼下がりの情事」も好きです。

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SUNSET BOULEVARD
アメリカ、1950年、上映時間 110分
監督: ビリー・ワイルダー、製作: チャールズ・ブラケット、脚本: ビリー・ワイルダー、チャールズ・ブラケット、D・M・マーシュマン・Jr、音楽: フランツ・ワックスマン
出演: グロリア・スワンソン、ウィリアム・ホールデン、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、ナンシー・オルソン、フレッド・クラーク、バスター・キートン、セシル・B・デミル