ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

予告編まで出しながら脳みそが溶けたので最近読んだ本のコメントで誤魔化す

2006年08月27日 | 読書
 また来週、なんていう予告をしておきながら先週の土・日はあまりの暑さに呆然としているうちに終わってしまいました。知的活動はいっさいできず。とほほ。

 今週は忙しくてまとまった時間が取れそうにないので、こういう難しい本(『歴史と瞬間』)の感想文を書くのはちょっと無理なので、9月に入ってから改めて書きます。

 というわけで、本日はお茶濁しに、最近読んだ本の中から印象に残ったものの短評を。
 


 毎度おなじみ内田樹さんの編著による、「護憲本」? 「?」がつくところが普通の護憲ものとは違うところ。下記の4人による著作で、この順番に並んでいる。内容の面白さもこの順番。
 やっぱり内田さんって、誰も思いつかないような「ニッチ」な部分にコメントを入れてくるね。すごいと思ったわ。保守と言えば究極の保守がこの人。だってね、「今のままでいい」というのだから。憲法を変える必要はない。自衛隊があったっていい。今のままで日本は平和で繁栄してきたんだからって。で、その論拠はというと…これが日本の「解離性」がミソだっていうのね。詳細は本書を手にとってお読みください。

 それから、映画評論でお馴染みの町山さんが在日コリアンの帰化者だということは知らなかった。今アメリカで活躍中の町山さんらしいコメントが興味深い。

憲法がこのままで何か問題でも? 内田樹
改憲したら僕と一緒に兵隊になろう 町山智浩
三十六計、九条に如かず 小田嶋隆
普通の国の寂しい夢 平川克美著

<書誌情報>
 9条どうでしょう / 内田樹 [ほか] 著. -- 毎日新聞社, 2006




 次は最近、たくさん本を出しているという印象の強い斎藤貴男さんの対談集。途中まではものすごく面白かったけど、さすがに同じような論調が続くと飽きてくる。でも、「ゆとり教育」をめぐる宮崎哲弥さんとの論争で目が覚める。これは面白かった。簡単に言えば斎藤さんが悲観的で宮崎さんが楽観的。斎藤さんがゆとり教育反対で宮崎さんが賛成。さて、どちらの現状分析と未来予想が正しいのかな。どっちもどっち、という部分があって、この論争はこれだけで本が一冊書けそうだ。議論が途中で終わっちゃってて、惜しい。

 格差社会に警鐘を鳴らす対談集です。山田昌弘さんとの対談もあって、この人の『希望格差社会』を読んだ時よりは好感が持てた。斎藤さんによると、『希望格差社会』にしろ三浦展『下流社会』にしろ、売れたのはこれらの本に「怒りがない」からだという。なるほど、わたしがこの2作にイヤな感じを受けたのは、「怒りがない」からか。
 とりわけ『下流社会』なんて、格差をおもしろがって笑っているようなところがあって、とても嫌な感じだったのだ。

<書誌情報>
 みんなで一緒に「貧しく」なろう : 斎藤貴男対談集 / 斎藤貴男著. -- かも
がわ出版, 2006. -- (かもがわCブックス ; 6)




 さて三冊目。この本は副書名から判断してネットの言説分析かと勘違いしたけど、内容は中間層が崩壊していく現代日本・韓国・中国の社会変動について書かれたものだ。たいへん手際よくわかりやすくまとめてあって、読みやすい。特に中国や韓国の状況については勉強になった。書き手はまだ大学院生。これからが楽しみな逸材がまた登場した、という感じ。

<書誌情報>
 不安型ナショナリズムの時代 : 日韓中のネット世代が憎みあう本当の理由 /
高原基彰著. -- 洋泉社, 2006. -- (新書y ; 151)




 最後はベストセラー小説を。ユーモアにあふれて面白くてサクサク読めて泣かせる。究極のマザコン小説と揶揄するのは品がない振る舞いだろう。自伝小説というのは、ただ自分の生きてきた道を振り返るだけでは面白くない。そこはかとない人生への哀感や切なさがにじむフレーズにはぐっと胸を掴まれる。この小説に惹かれるのは、説教臭さがないからだろう。ひたすらな母への愛にはただ感動するしかない。ここまで息子をしっかり捕まえてしまった母の功罪というものを考えずにはいられない。無償の愛の美しさと怖さを見た。

<書誌情報>
 東京タワー : オカンとボクと、時々、オトン / リリー・フランキー著. --
扶桑社, 2005

『歴史と瞬間 ジョルジュ・バタイユにおける時間思想の研究 』予告編

2006年08月13日 | 読書
昨年の春より予告していた「バタイユ月間」、ようやく終わりました。月間といいながらここまで延び延びになってしまったのはひとえにわたしの怠慢によります。

 この間、さまざまな励ましやご協力をいただいた皆様には伏してお詫び申し上げ、また暑く、いや、厚くお礼もうしあげます。ほんまに暑いですねぇ~、なんとかならんのかいっ、関係者出て来い!
 
 おっと、閑話休題。
 特に記して謝意を表したいかたがお二人。かつての卒業論文を3度にわたってネットにアップしてくださった曽根朗さん、そしてメールでご連絡くださった猿虎(永野潤)さん、ほんとうにありがとうございました。
 
 ここでお一人、重要な方に謝辞を捧げねばなりませんが、その方はすでにこの世になく、それがまたわたしには大いなる衝撃で、本書へのコメントもいっそう遅くなってしまいました。

 『歴史と瞬間』という高価な本を、一面識もないわたしに贈ってくださった和田康さんには、もっと早く本書の感想をお送りしなければならなかったのに、もはやお礼の言葉も和田さんには届けることがかないません。去年の5月に本書を送ってきてくださった和田さんは、9月に自死されたとのこと。そのことを知ったのは今年の5月でした。その時点でまだ本書を読み始めていなかったのですが、著者の死という衝撃的な「外部事情」を織り込むことなしに本書を読み進めることはできませんでした。

 「作者の死」を述べたのはロラン・バルトだったけれど、文字通り作者が死んでしまったという事実が本書に「テクストから作者へ」というバルトと逆ベクトルの読みをわたしに強いることになりました。

 バタイユを読もうと思ったのは、そもそもアガンベンを読み始めたからです。その前にアガンベンは大澤真幸さんの作品にふれることによって興味をもちました。このように芋づる式の読書を進めるうちに、バタイユを読もうという気持ちになり、まずは入門書を手始めに読書を始めたのが去年の夏。それから延々、一年がかりで、あちこち脱線しながらバタイユ関連の本を読み進めて参りました。 

 読書のスピードが異様に落ち、レビューを書く気力もうせたこのごろ、何人ものブロガーが毎日のようにブログをアップされているご様子にはまさに驚嘆するしかないという思いです。

 というわけで、本日は『歴史と瞬間』の予告編でありました。本編はまた来週にでも。
 
曽根朗さんのバタイユ論についても来週、まとめてコメントさせていただきます。

 曽根朗さんのバタイユ論第1回
  第2回
  第3回