ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

「論理哲学論考」

2003年11月13日 | 読書
論理哲学論考 (岩波文庫)
ウィトゲンシュタイン著 野矢 茂樹訳 : 岩波書店 : 2003.8

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友人が訳したからというだけの理由で数年前に読んだのが、『ウィトゲンシュタイン』(講談社選書メチエ)だった。これがウィトゲンシュタインとの出会いだったが、とてもわかりやすい概説書だったおかげで、次は原典(もちろん翻訳で)を読んでみたいという気持ちに駆られたものだ。

 文庫本が出たのはやっと今年になってからというのは意外だったが、さっそく飛びついて読んでみた。
 29歳の若者だからこそ書けた、まったく新しい哲学書。それは何かの論を叙述しているというよりは、独り言のようにウィトゲンシュタインがつぶやく言葉の連なりなのだ。しかも一文ずつは曖昧さがどこにもなく、明解な論旨から成り立ち、隙がない。

 論理学についてはまったく素養のないわたしが読んで内容を理解できたとは思われないのだが、数学の解説のような部分には反応しないわたしのような人間でも、本書をアフォリズムの書として読めば、実に味わい深く感じることができる。
 かの有名な「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」という言葉で終わるこの哲学書は、そういう意味で、何度も繰り返し読んでこそじわじわと心に染みてくる。
「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する」
「死は人生のできごとではない。ひとは死を体験しない」
「神秘とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるというそのことである」

 それにしても、ウィトゲンシュタインの師バートランド・ラッセルの序文はまったく興ざめである。ウィトゲンシュタインの含蓄ある書を、論理学の等式記号だけに押し縮めてしまうような解説のしかたは許しがたい。全然文学的じゃない。
 その上、訳者野矢氏によれば、ラッセルは本書を誤読しているという。ウィトゲンシュタインの師にして論理学の大家が間違うんだから、素人はどう読んでも許されるんじゃないか、と思えてくる…。

 ウィトゲンシュタインは、論理学をつきつめれば哲学の難問のすべてを解けると、ほんとうに信じていたんだろうか。『論理哲学論考』は読めば読むほど、謎が深まるばかりだとわたしは思うのだが……。

 さて次は『ウィトゲンシュタインはこう考えた』を読まなくちゃ。