ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

オーストラリア

2009年03月21日 | 映画レビュー
オーストラリア版「風と共に去りぬ」と言われている、山あり谷ありの大河ドラマ。山場をいくつも設定したために散漫になってしまった印象も。

 アボリジニの子どもたちの強制隔離政策への批判と反省が込められた映画だけに、「国民的統合」を狙った国民映画である。異文化・多文化の和解・統合がありえるのか、と問う内容であるが、それゆえ各方面に目配りが利きすぎて今一歩深め方が足りないのが不満。しかしなかなか感動的で、最後はけっこう泣けます。 

 舞台は1939年のオーストラリア奥地、砂漠のように乾いた大地の中にポツンと建つ立派な屋敷「ファラウェイ・ダウンズ」。ここにイギリス本国からやってきたのは土地の持ち主の妻であるサラ・アシュレイ。行方不明の夫を捜してやってきたサラが、夫の死と直面し、土地を守るために荒くれ牛追い人ドローヴァーと共に1500頭の牛を引き連れ、北部の町ダーウィンへと旅立つ。貴婦人サラと野人ドローヴァーは何かと反発し合うが、やがて二人は一致協力して艱難辛苦を乗り越えるうちに愛し合うようになり…

 という、アドヴェンチャー・ロマン。オープニング、船からダーウィンの町に降り立った貴婦人サラが、いきなりクローヴァーの乱暴な出迎えを受けて叫び声を上げるシーンから、続いて奥地へと砂漠の中をおんぼろジープで疾走する場面まで、漫才のような会話が続く、テンポのいい展開。つかみはコミカルで、いかにものステレオタイプの人物紹介部分は、本物のハリウッド映画の王道をいくかのような演出だ。まさに「風と共に去りぬ」。その後の展開も予想通りだが、サラとドローヴァーという生まれも育ちも正反対の二人が異文化どうしのぶつかり合いからいつしか惹かれあうようになるその過程で、アボリジニの少年ナラが大きな役割を果たす。演じるブランドン・ウォルターズは、1000人のアボリジニ少年からオーディションを通過して選ばれたというだけあって、大きな瞳が神秘的で引き込むような魅力を持っている。1974年まで、オーストラリアではアボリジニと白人の混血児を親から引き離す隔離政策がとられていたが、これへの批判と反省という大きなテーマがあるところが、バズ・ラーマン監督の気合いの入った部分だ。

 アボリジニと白人との混血であるナラは、祖父で祈祷師のキング・ジョージから不思議な力を譲り受けている。この映画では、アボリジニの神秘的な力が強調され、ファンタジー色が濃い。ちょっと信じがたいような奇跡がいくつも起きるのだが、「まあ、映画だからえっか」と思うことにする。なにしろ、映画の中で何度も言及され、音楽が引用される「オズの魔法使い」がこの物語の底流に流れているのだから、不思議なことがいくつ起きても構わないのだ。 

 1939年といえば第2次世界大戦が始まった年。映画の中でも年月が経ち、やがて真珠湾攻撃の日を迎える。日本軍はオーストラリア北部のダーウィンにも空爆を60回行ったということで、この映画の後半のハイライトはダーウィンが廃墟と化す場面である。

 映画の中で繰り返し問い返されるのは、異文化への理解の努力がともすれば同化の強要へと転化するという問題だ。貴婦人サラはアボリジニに対する偏見をもたない女性で、ナラを我が子のように愛する。しかし、それはアボリジニの文化や伝統を理解した上での話ではなく、彼女はあくまでもナラを白人世界に留め置こうとする。また、同じ白人でも、貴族のサラと牛追い人のドローヴァーとの文化の違いがまた二人の愛に亀裂を生んでしまう。異なる民族、異なる階級間での愛は可能なのか、相互理解は可能なのか、という現在の問題意識からこの映画は作られている。だから、最後にサラがとる行動は、1940年代のオーストラリアでは一般的ではなかったであろうが、現代的な視点からは<政治的に正しい>のである。

 颯爽と馬を駆る西部劇のような場面あり、ロマンあり、ファンタジーあり、戦争スペクタクルあり、という、映画的にはたいへん美味しいところを全部取り込んだ作品で、お腹いっぱいの気分を味わえる。

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オーストラリ
AUSTRALIA
オーストラリア 、2008年、上映時間 165分
製作・監督・脚本: バズ・ラーマン、音楽: デヴィッド・ハーシュフェルダー
出演: ニコール・キッドマン、ヒュー・ジャックマン、デヴィッド・ウェンハム、
ブライアン・ブラウン、ジャック・トンプソン、デヴィッド・ガルピリル、ブランドン・ウォルターズ、デヴィッド・ングームブージャラ

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