ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国

2008年06月29日 | 映画レビュー
久しぶりに一家全員で映画鑑賞。わたしは途中でちょっと寝てしまったけど、あとの男の子たち3人は喜んでいたようで。慶賀かな。

Y太郎(高校2年)が右隣でするめをかじり、S次郎(中学3年)が左でジュースを飲み、匂いに挟まれてちょっと難儀した母でありました。

もともと荒唐無稽なお話だったけど、今作は思いっきりやってくれました。インディ meets E.T. with ”未知との遭遇”!



 巻頭のエルビス・プレスリーの「ハウンド・ドック」に時代を感じさせる。そして、核実験で有名なネバダ砂漠が舞台であることが判明し、そこにソ連兵が登場して…。というように、まさに1957年の冷戦時代を映し出す映像の数々。そして、ソ連のエリート将校イリーナ・スパルコ (ケイト・ブランシェット)が、時代がかった立ち居振る舞いでスターリンの秘蔵っ子ぶりを発揮する。歌舞伎の見栄じゃあるまいし、いちいち決まりポーズをとるところが嗤える。演出はまるで漫画。とにかくやたら古めかしくばかばかしいばかりの演出には、「わざとやってるよね?!」というくすくす笑いを禁じ得ない。

 本シリーズのワンダーランドぶりは健在なれど、次々繰り出すアクションにまったくスリルがないのはいただけない。スピルバーグの演出にも切れがなくなってきたね。緩急をつけないものだから、飽きてきてしまう。主人公たちが絶対に死なないという安心感があまりにも高く、これではなんぼなんでもいかんやろ~。劇場用パンフレットには完全に結末まで書いたストーリーが記されている。通常、こういう場合は「結末にふれていますので映画鑑賞後にお読みください」という注意書きがあるのだが、それもない。つまりはストーリーなんて二の次三の次、たとえラストがわかっていても「そんなの関係ねぇ~」わけね。確かに舞台を次々と移して展開するこれでもかとばかりのアドベンチャーワールドぶりにはいささかうんざりするところもあり、すっかりパターン化した「原住民」描写には、二昔以上前のハリウッド映画の雰囲気ぷんぷん。物語の時代が1950年代だけあって、映画そのものの作りが1950年代風なのだ。

 後で知ったのだが、本作は第3作の続きではなく、第1作「失われたアーク」の続編である。ちゃんと第1作のラストシーンをそのまま引き継いでいるのだ。本作を見る前に第1作をおさらいしたほうがいいでしょう。

 それにしてもこのラスト! まだ続編を作る気?!

 そうそう、S次郎が言ってました、「ハリソン・フォードって若い頃より今のほうが渋くてかっこいいなぁ」。Sもそんなことがわかるような歳になったのかな。子どもの成長がちょっと嬉しい母でありました。

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INDIANA JONES AND THE KINGDOM OF THE CRYSTAL SKULL
インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国
アメリカ、2008年、監督: スティーヴン・スピルバーグ、製作総指揮: ジョージ・ルーカス、キャスリーン・ケネディ、原案: ジョージ・ルーカス、ジェフ・ナサンソン、脚本: デヴィッド・コープ、撮影: ヤヌス・カミンスキー、音楽: ジョン・ウィリアムズ
出演: ハリソン・フォード、シャイア・ラブーフ、レイ・ウィンストン、カレン・アレン、ケイト・ブランシェット、ジョン・ハート

幸せになるための27のドレス

2008年06月22日 | 映画レビュー
 この映画のテーマは結婚ではなく結婚式。あくまでブライダルに焦点が当たっているため、スポンサーにブライダル産業がついているのだろう。日本の場合は少子化が進んでブライダル産業も構造不況業種ではなかろうかと思うが、実態はどうなのだろう。こういう映画を作る意図も、斜陽のブライダル産業活性化のためか?

 日本にはない習慣だが、アメリカの結婚式には「ブライズ・メイド」なる女性たちがいて、花嫁の付き添いをする。ということはこれまで何本か見た映画でも描かれていたからなんとなく知っていたけど、今回、そんなものがちゃんとしたシステムとしてあるのか、と驚いてしまった。結婚式のテーマにそって付添人の服装も指定されていて、花嫁を引き立てるべく周りでドレスを着る。ふーむ。結婚式全体がきちんとしたコンセプトの上に成り立ち、統一的形式で構築されているわけか。 

 ヒロインのジェーンは結婚式大好き人間で、とにかくやたらと他人の結婚式の世話を焼き、ウェディングドレスの仮縫いの代役を務めたり結婚式の招待客に配るプレゼントを手配したりリストを作ったり招待状を書いたり花嫁のトイレの世話までしたりと大忙し。自分の結婚はその気配もないのに、すでに彼女のクロゼットには27着の付添人用ドレスがぎゅぎゅう詰めになっている。28着目を着る前に自分の恋を成就させたいジェーンだが、彼女の憧れの男性たる職場の上司はジェーンを有能な秘書としか見ていない。そんなジェーンが、ブライダル記事専門のライター、ケビンと知り合う。ケビンが登場したところで、「お、こいつが本命になるのか?」と思わせておいて一筋縄ではいかない展開へとストーリーはねじれていく。ジェーンの妹テスが登場してジェーンの憧れの君ジョージと一目で恋に落ちたからさあたいへん。ジェーンの恋はこれにて一巻の終わりか?! 28着目のドレスは妹のために着るはめになるのか?!

 世話好きで人のいいジェーンは、決して”No”と言えない。わがままな妹テスに振り回されても黙って耐えている。だが、とうとう我慢できずに切れてしまったとき、ジェーンはどんな復讐にでるのだろう? この場面をみて溜飲が下がる思いのする観客がいたら相当根性が悪い。人を傷つければ自分も傷つく。我慢の限度を超えたときに見せる優しさこそが人の値打ちを決めるのではなかろうか。切れてしまったからこそ、そこで相手に対して言うべきことやするべきことは本当によく考えなければならないのだ。

 とはいえ、なかなかそんなふうに聖人君子になれないのが人間で、ただこの映画では、アメリカ的なドライさなのか、お互いへの憎しみがどろどろと渦巻くこともなくさっさと気持ちを切り替えてしまうところがあっけにとられる。これがベルイマン監督だったらもう大変な湿度の高い映画になるんだろうと思うが、そうではないあっさりさに見ているほうが脱力してしまう。「自分を殺して<いい人>になるのはよくない」というメッセージはアグレッシブなアメリカ的発想そのものだ。いかにもアメリカ映画、これが好きな人にはお気楽に見られるしそうでない人には27着のファッションショーが楽しいという以外にはそれほど見所はない。あ、ジェーンの憧れの上司役エドワード・バーンズってけっこういいかも。


<追記6.23>
 今夜、ヨガプラーナのレッスンを受けていてふと思い出したのだが、この映画でも主人公たちがヨガプラーナをしながら大声でおしゃべりするシーンがあった。ヨガプラーナをしながらおしゃべりできるなんてある意味すごいかも。わたしなんて全然余裕ないもんね。いつも息が上がってるし。

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幸せになるための27のドレス
27 DRESSES
アメリカ、2008年、上映時間 111分
監督:アン・フレッチャー、製作: ロジャー・バーンバウムほか、脚本: アライン・ブロッシュ・マッケンナ、衣装デザイン: キャサリン・マリー・トーマス、音楽: ランディ・エデルマン
出演: キャサリン・ハイグル、ジェームズ・マースデン、マリン・アッカーマン、
エドワード・バーンズ

ザ・マジックアワー

2008年06月22日 | 映画レビュー
 これまで見た三谷作品の中ではもっとも面白かった。監督本人が言うように、一番映画らしい映画に仕上がったのではなかろうか。大いに笑わせてもらいました。

 映画人なら誰でも一度は作りたくなるのが自己言及的映画らしい。映画内映画を描いたこの作品の一番の魅力は全編に漂う「フェイク感」だ。いかにもセットくさいセットの港町が写り、おもちゃの町のような町並みと小さなホテルが画面の真ん中に登場する。このいきなりの嘘くささ! 何よりも、主人公村田大樹(佐藤浩市)という売れない役者が語るくさいくさい台詞、「マジックアワーっていうのはなぁ、日が落ちてから周囲が暗くなるまでのほんのわずかな時間帯のことを言うんだ。そこを映画監督は狙って撮るんだよ」という巻頭の場面がそもそもこの映画全体の雰囲気を宣言している。これから始まる作品は、全編がその、「マジックアワー」にかける映画人の意気込みを描いたものなんだよ、と。

 だから、わたしは冒頭しばらくは、この映画じたいが実は三重構造のフェイクものではないか、つまり、映画内映画内映画を描いているのではなかろうかと疑っていた。そのくらい、あまりにも嘘くさい。しかもその嘘くささがこの映画の文法であると了解してからは、逆に嘘くささを堪能できるようになるのだ。映画内映画がもっと何重にも虚構化されているのではないかという疑いを観客に与えるほど素晴らしく「作り物めいた映画」なのだ、いい意味で。


 やくざの親分の情婦に手を出してしまった備後(びんご)という青年(妻夫木聡)が、親分の許しを得るために「デラ富樫」という正体不明の伝説のヒットマンをつれてくることになった。デラ富樫など一面識もないのに知り合いであると豪語した備後は、苦肉の策として、売れない俳優村田大樹をだまして「デラ富樫という殺し屋を主役にする映画を撮るので、主役を演じてほしい」と持ちかけ…



 この映画のおもしろさは、デラ富樫を演じる村田大樹だけが演技をしているつもりで、あとのやくざたちがみなマジにデラ富樫とかけあいをしている落差にあるのだが、「真剣と遊び」、「まじめとおふざけ」のディスコミュニケーション(といいながら不思議とコミュニケーションが継続する)がこれほど笑いを誘うものであったとは新発見である。デラ富樫とボスの西田敏行が初対面の場面が繰り返し描かれるシーンなどは、3回目にはついに劇場内から爆笑の声が上がっていた。こういうコメディを映画館で見る楽しみは、どこで誰が笑うかという観客の反応を見ることにある。今作では三谷監督はかなり笑いのツボを的確に押さえたようで、見事である。西田敏行と佐藤浩市がうまかったというのもあるのですが。


 映画製作の場面がいくつも登場し、古い映画へのオマージュがあふれている映画というのは映画ファンにとってはそれだけで十分楽しめる。それで気づいたのだけれど、映画館の椅子ってなんで赤い布張なのだろう? 黒とか黄色とかほかの色でもよさそうなのに、どういうわけかほとんどの劇場で椅子は赤と相場が決まっている。いえ、黒い椅子もあるでしょうし、茶色だってありますが、でもやっぱり赤が王道よねぇ。
 

 この作品は、懸命に演技する大根役者村田を嗤いながら最後は彼の懸命さにほろりとさせるという落としかたが心憎い。ドスの利いたボスの意外な面を最後に見せた西田敏行もなかなかのもの。

 登場人物たちのキャラが面白いのでそれもお楽しみ。戸田恵子演じる安ホテルのマダムが登場するたびに黒子の位置を変えたり雰囲気を一変させたり、摩訶不思議で笑えます。わたしは宝塚の役者かと勘違いしたわ(^_^;)

 それにしても佐藤浩市の演技の幅については改めて感心した。この人、ますます父親に似てきたけど、ひょっとしてそろそろ父を超えるのではなかろうか? 十分その演技力について感嘆せしめる今回の出来であった。

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ザ・マジックアワー
日本、2008年、上映時間 136分
監督・脚本: 三谷幸喜、製作: 亀山千広 、島谷能成、音楽: 荻野清子
出演: 佐藤浩市、妻夫木聡、深津絵里、綾瀬はるか、西田敏行、小日向文世、寺島進、戸田恵子、伊吹吾郎、浅野和之、市村萬次郎、香川照之、市川崑、中井貴一、
鈴木京香、唐沢寿明

大奥

2008年06月20日 | 映画レビュー
 予告編を劇場で見たときにはもう、江戸城の廊下をお女中たちが大挙してすり足で音を立てて歩く姿に鳥肌立ったものです。あの「ずざさささっ」という音を聞きたいためだけに見た映画。ところがなんと、DVDを自宅テレビモニタで見ると、「ずささささっ」がない! ショック! 金ぴか打ち掛け姿のお姉様方が大迫力で迫ってくる廊下の場面がない! いや、あったのかもしれないけれど、予告編の感動がないっ。うぬぅ~。

 さすがにテレビドラマを映画にしただけあって、ばっちりテレビ的な作りの分かりやすさには大笑い。嫉妬と憎悪が渦巻く大奥の、女たちの嫌がらせ苛め謀略の数々、それはもう敵役は思いきり憎たらしく、われらが主人公はあくまで清く美しく! なんという類型化、なんというわかりやすさ、なんというあほらしさ。しかしこれが面白かったからバカにしてはいけません。最後は思わず泣いてしまいましたよ。 

 時代は7代将軍家継の時世。この将軍がわずか5歳というのが悲劇の始まりで、生母側室や先代将軍の正室たちが大奥で権勢を張り合い、それぞれ取り巻きの女中たちを巻き込んで日々にらみ合い。将軍の生母月光院の信頼も厚い大奥総取締役絵島(仲間由紀恵)が28歳の若さで知性と教養を誇り、大奥で辣腕を振るっていた。しかし、月光院と絵島を快く思わない先代将軍の正室天英院(高島礼子)が策略をめぐらせ、歌舞伎役者生島新五郎に金を握らせ、男を知らない絵島を籠絡せよと持ちかける…。世に言う「絵島生島事件」である。
この事件の真相は不明らしいけど、映画では、事件を捏造したのは天英院ということになっている。

 大奥で男性との交わりを禁じられた女たちの悶々とした日々、そして将軍亡き後、側用人と通じ合う月光院の、恋に溺れる女の姿などはいかにも昼ドラふう。人を恋い慕う気持ちは誰にも止められない。たとえ命を奪われることがわかっていても、それでもなお一夜の恋のためにすべてを捨ててしまう絵島の気品と潔さに感動すべき物語。同じように恋に溺れる女としても、月光院と絵島ではその抑制の強さが違う。気品と知性が違う。というわけで、観客はあまねく絵島の心に大いに同情し涙をそそられるのであった。ああ、悲しきかな、恋を知らぬ乙女の涙。



 というわけで、本作は元祖総合職エリート女性たる絵島がセクハラを仕掛けられてまんまと罠にはまるという悲しき物語。エリート女性はつらいのである。いかに自己抑制が強くても、やっぱりそこはそれ、ほころびというものがあります。そこにつけいられた絵島の悔しさを観客は感応するように作られている。しかしこの大奥物語を見て単純に同情するような女は実は総合職でもエリートでもない。映画のターゲットはもっと低い。だからこそ、エリートの凋落は快感なのだろう。現代にはびこるルサンチマンはげに恐ろしきものである。ねたみそねみは大奥だけの話ではない。今の世の中、自分は何も主体的に努力せずただ指示を待っているだけの人間がいかに多いことか。いや、指示を待っているだけならまだしも、降りてきた指示を指示通りに仕事できない。そんな人間こそ、懸命に努力する他者をねたみの目で見る。最悪のルサンチマンのデススパイラルが覆う世の中には、たとえば公務員バッシングで溜飲を下げるというレベルの低いネット人間が頻出する。

 人々の創意工夫を生かせることのできない社会は足の引っ張り合いをもたらすだけだ。大奥での陰謀も結局はくだらない権力闘争であり足の引っ張り合いである。そうではなく、人々がゆとりをもって働ける社会、創意工夫を生かせる社会、自らの職場の規律は自分で作り、自分たちの新しい試みがすぐさま成果を生むことができる社会。そういうものを目指すことこそ、理想とすべきではないのか? 上司の決裁をいくつも経なければ何一つ新しいことができないような硬直した官僚システムにはおさらばすべきだ。

 と、映画から話がどんどんそれていきますが、とにかく、この時代劇から何か現代に通じるものを教訓として読み取るならば、とついつい考えながら見ておりました。(レンタルDVD)

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大奥
日本、2006年、上映時間 126分
監督: 林徹、製作: 亀山千広、坂上順、脚本: 浅野妙子、音楽: 石田勝範
出演: 仲間由紀恵、西島秀俊、井川遥、及川光博、杉田かおる、浅野ゆう子、松下由樹、柳葉敏郎、藤田まこと、岸谷五朗、高島礼子

ランジェ侯爵夫人

2008年06月19日 | 映画レビュー
 18世紀、パリ社交界の花形夫人と野人的将軍との恋の駆け引き。行き詰まる心理的駆け引きに手に汗握るか、果てしなく退屈な思わせぶりに眠気を催すか、評価が極端に分かれそうな一作。で、わたくしは後者でございます。疲労困憊の毎日なのだから、この映画では目が覚めませんことよ、おほほほ。でも眠気と戦い、うつらうつらしながらも最後までちゃんと見てました。歯がゆい恋の駆け引き場面にイライラしたけど。何しろ恋愛映画のくせにキスシーン一つ登場しない。男と女は近づいたかと思えばどちらかがさっと身を引く。触れあいそうになれば途端に「わたしには夫ある身」などと言い出す。自分から誘いをかけておいてそれはないやろ~。しかしこれが19世紀の人々を喜ばせる恋の手練手管の物語なのだろう。

 バルザックの原作は読んでいないのだが、劇場用パンフレットによればほぼ原作通りだという。ということは、この作品の恋の駆け引きが観客に与えるイライラは原作のなせる技ですな。それに映画的には音をうまく使っている。BGMがなく、靴音や床の軋む音が妙に甲高く耳につくので一層焦燥感が募る。ギョーム・ドパルデュ-(ジェラール・ドパルデューの長男。父親よりかなりハンサム)は事故で片足を失い、義足をつけているため、歩くたびにギシギシと音が鳴る。それが映画に不協和音的効果をもたらす。そして、ほとんど室内だけで撮影される場面でカメラはじっくりと長回し。思わせぶりなカメラの動きに、フレームの外が気になる観客をやきもきさせる手管はさすがに老匠監督のもの。


 めくるめくコスチューム・プレイに目を見張るのは、ランジェ公爵夫人たちの衣装。古代ギリシャ風のスタイルが流行ったナポレオン時代の名残で、彼女たちの服装が胸を強調した軽いシフォンドレスであるところが美しい。現在流行中の若い女性たちが着ている胸元切り替えのドレスとそっくりですねぇ。ランジェ公爵夫人を見ていると、ジャック=ルイ・ダヴィッドが描いた「レカミエ夫人」を思い出す。
 

 それにしても彼らの恋の駆け引きは、いったいどちらが主でどちらが従なのか、その立場が簡単に逆転し、いつか分からなくなるところが興味深い。結局最後の最後まで翻弄されたのは将軍のほうだったのだろうか、それとも…。

 将軍が秘密結社を率いているらしいという裏話めいた部分や、ナポレオン遠征後の軍人たちの行く末など、歴史的興味もそそられる。
 とはいえ、すっきり爽やかで気持ちが晴れたという映画ではなく始終いらいらと切歯扼腕させられたため、けっこう疲れた一作でありました。やっぱり「インディ・ジョーンズ」でも見てバカ笑いするしかないよね~。

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ランジェ公爵夫人
NE TOUCHEZ PAS LA HACHE
フランス/イタリア、2007年、上映時間 137分
監督: ジャック・リヴェット、製作: モーリス・タンシャンほか、原作: オノレ・ド・バルザック、脚本: パスカル・ボニゼール、 クリスティーヌ・ローラン
、ジャック・リヴェット 、音楽: ピエール・アリオ
出演: ジャンヌ・バリバール、ギョーム・ドパルデュー、ビュル・オジエ、ミシェル・ピッコリ

チャーリー・ウィルソンズ・ウォー

2008年06月15日 | 映画レビュー
 派手派手しく何度も劇場で予告編を流していた作品だけれど、そのお気楽な雰囲気とは違って、実はとっても重いテーマを持つ映画。観客が「素直で脳天気なお子様」か「物事の裏を読みたがる老人」かによって極端に受け止め方が変わる作品だ。もちろん、「お子様」と「老人」は文字通りの意味ではなく比喩です、念のため。素直にこの映画を受け止めれば、アメリカ万々歳、ソ連のアフガン侵略を阻止し、貧しい人々を救った英雄はチャーリー・ウィルソンという酒と女に目がないテキサスの議員です、ただし最後の詰めを誤ったのでアフガンゲリラを育てることになってしまいました、そこは残念だったねぇ。というお話。最後の詰めを誤ったということはラストでちらっとテロップで流れるだけだし、そこすら見落とすお子様がいるかもしれない。

 で、疑り深い老人はどう見るか? もちろんこの愛すべきチャーリー・ウィルソンという男(トム・ハンクスが演じるからほんとに憎めない)、恋人で大富豪の美しき未亡人と組んでソ連をアフガンから放逐した裏の仕掛け人ではあるが、その企みがそうそう単純に人道的な動機から出ているとは思えない。莫大な工作費をつぎ込んだことは結果的にその金がどこに環流したか、誰を潤したかを考えるべきだ。

 今では、9.11の実行犯「テロリスト」を育てたのはCIAだということは知られているが、この映画の時代、1980年代にはそれはもちろん極秘事項だった。議会を通さない莫大な予算をCIAにつけさせたのがチャーリー・ウィルソンであり、彼はなんとソ連製の武器をイスラエルから調達してアフガンゲリラに流すという荒技をやってのけた。その交渉術が映画でおもしろおかしく描かれる。結果を知っている政治劇だが、裏話がよく描けているため、面白い。主役3人のキャラクターが立っているため、非常にわかりやすい政治コメディとしてそれなりのヒット作となるだろう。

 トム・ハンクス演じるお気楽で正義感の強いテキサスの議員、ジュリア・ロバーツ演じるテキサスのキリスト教原理主義者大富豪、フィリップ・シーモア・ホフマン演じるCIAの窓際族。この3人のからみが面白い。実在の人物3人を描き、しかも関係者が生存しているという状況ではなかなか本人たちを悪し様に描くことは難しい。映画的な誇張があるとはいえ、相当に癖のあるこの3人がそれぞれの思惑で動きながらも結果的にアフガンをソ連から解放し、ソ連の崩壊を導く。しかしこの、一見裏話を描いた暴露モノとして面白げに作られた作品が、アメリカの現状への明確な批判を欠くため、そこに何かが隠されているような疑念が消えない。見終わった後の感慨も薄い。

 退屈せずに見られるように手堅く作ってある作品だけに、これを単純に鵜呑みして見ることは要注意。何もかもアメリカが自分の思惑通りに物事を運べると勘違いしているかのようなチャーリー・ウィルソンを称揚するようでは、「世界の警察」アメリカ礼賛のイデオロギーから自由にはなれないだろう。

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チャーリー・ウィルソンズ・ウォー
CHARLIE WILSON'S WAR
アメリカ、2007年、上映時間 101分
監督: マイク・ニコルズ、製作: トム・ハンクス、ゲイリー・ゴーツマン、原作: ジョージ・クライル、脚本: アーロン・ソーキン、音楽: ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演: トム・ハンクス、ジュリア・ロバーツ、フィリップ・シーモア・ホフマン、
エイミー・アダムス

ミスト

2008年06月14日 | 映画レビュー
 この映画を単なるホラー映画として見ることはできない。衝撃のラスト、この場面に刻印された深い絶望には打ちのめされた。どんなに努力しても、どんなに勇気を奮っても、決して報われることのない絶望に日々苛まれている人にとっては、あまりにも共振してしまう作品だろう。
 ある日突然霧が発生し、その霧の中に異次元の怪物がいて人々が襲われる、というパニック映画。途中まではそういうパニックホラー映画であったのだが、ラストですべてが吹っ飛んでしまった。

 先を急いでラストシーンについて書くのはやめて、映画のあらすじから書いてみよう。


 まずこの映画は、ほとんどの場面がスーパーマーケットの中に限定されている。スーパーに閉じこめられた20人弱の人々。外に出れば化け物が襲ってくる。彼らは閉じこめられて恐怖に戦く。とりあえず場所がスーパーなので食べ物には困らない。つまりこのパニック劇の恐怖の源泉はひたすら「霧の中の化け物」である。いつ襲ってくるのか分からない。ガラスがいつ破られるのか、外へ出れば確実に殺されるだろうという恐怖。しかし、外にでなければいずれ全員死んでしまう。そのとき、閉じこめられている人々はどう行動したのか? ここに描かれている人物像が実に類型的で面白い。勇敢で理知的な人々がいるかと思えば、ありえないような現実を認めることができない「理性絶対主義」あるいは「主知主義」の人々がいて、その一方でキリスト教原理主義の狂信者に煽動される人々がいる。

わが主人公デヴィッドはまだ幼い息子を抱いて、このパニックに果敢に立ち向かう。妻を自宅に残したまま、連絡もとれずに不安は募るが、とにかく今は目の前にある危機をいかに切り抜け生き残るかが先決事項なのだ。恐怖に泣く息子には「かならず助け出す、必ずパパが守る」と言い聞かせながら、デヴィッドは化け物たちと戦い、狂信者と戦う。

 この映画の化け物というのは実はあまり怖くない。これは今まで見たいろんな映画(「エイリアン」だとか「遊星からの物体X」だとか)へのオマージュともいうべき異次元の生物であり、それじたいの恐怖はまあ、そこそこのものである。それより一番怖かったのはキリスト教原理主義に凝り固まっている中年女性ミセス・カーモディだ。マーシャ・ゲイ・ハーデンの演技があまりにも鬼気迫るものだから、しまいには本物の狂信者ではなかろうかとぞっとしてしまったぐらい。そして、さらに怖いのは、理性を失った人々が容易にその言葉に乗せられてしまうことだ。この、露骨なキリスト教原理主義批判には驚いた。ブッシュ大統領批判がここまで幅を利かせているとはね。

 で、当然にもわたしたち観客は勇敢な主人公に感情移入して見ているわけだから、原理主義者には恐怖と憎悪を感じる。そして、主人公を取り巻く理性的な人々の中に美しい女性教師がいたりすると、なにやデヴィッドと怪しげな関係になるのではないかとか期待してしまうのだが、まあそこはそれ、ホラー映画の本筋から外れることはない。

 この映画では化け物たちの襲来がそれほど派手ではない。演出はそういったところに重点を置いていないのだ。すべてがラストシーンのためにあったというべき作品で、この不条理を観客がどのように咀嚼するのか、あとは好きなようにどうぞというその突き放し方に唖然としてしまう。気分が滅入っている時に見ればいっそう落ち込む映画です。とはいえ、これは必見と言いたい。今年もっとも印象に残る一作。(R-15)


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ミスト
THE MIST
アメリカ、2007年、上映時間 125分
映倫
製作・監督・脚本: フランク・ダラボン、原作: スティーヴン・キング『霧』、
音楽: マーク・アイシャム
出演: トーマス・ジェーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ローリー・ホールデン、
アンドレ・ブラウアー、トビー・ジョーンズ、ウィリアム・サドラー

つぐない

2008年06月11日 | 映画レビュー
 13歳の少女にありがちな性的潔癖感と姉への嫉妬から、ついつい妄想と誤解にとりつかれ、嘘をついてしまったブライオニー。ささいな、しかし決然たる彼女の嘘が大きな悲劇へとつながる。その罪に気づいたとき、彼女に贖罪の道は残されていたのだろうか?


 罪を犯したことを悔い、その罪とともに長い時を生きていた人の苦しみはいかばかりだろう。嘘の被害に遭った人の苦しみと、その苦しみを与えたことを悔い続ける人生と、どちらがつらいだろう? それはどちらも悲劇に違いない。時代が違えば、社会が違えば、また起こりえるはずもなかった悲劇なのだ。

 幼なじみとして育った大富豪の令嬢セシーリアと使用人の息子ロビーは互いへの愛を素直に表現できないでいた。そしてついに、稲妻に打たれたかのように互いへの想いを知ったとき、二人は結ばれる。しかし、その瞬間こそが二人の悲劇の始まりだった。時代は1930年代。もうすぐ世界大戦の戦火が燃え上がろうとしていたときに、若い二人の恋ははかなくも引き裂かれる。

 聡明で早熟な文学少女にありがちな想像力過剰、自分を中心にものごとを考え運ばないと気が済まないブライオニー。彼女の性格がもたらした<嘘>が姉セシーリアと幼なじみロビーの恋を引き裂くことになるとは。短い台詞と印象的なカットによって、登場人物たちの性格付けを見事に観客に提示してみせる監督の手腕はお見事。ただし、この微妙な心理は女性にはよく理解できても男性にはいまいちわかりにくいかもしれない。

 緻密に練り上げられた脚本と演出により、わたしたち観客はこの物語が、ありがちな少女らしい「正義感」と、ありがちな「恋に素直になれない乙女心」の二つがぶつかった心理の葛藤としてリアルに受け止めることができる。自分で戯曲を書いてしまう多感で才能あふれる少女ブライオニーがいつもタイプに向かって文章を打っている、そのことがこの映画全体の伏線になっている。タイプライターを楽器にして曲をつけた映画というのはこれが初めてではなかろうか? この効果音とも打楽器音ともつかないタイピングの音が見事に緊張感を高める。さすがにアカデミー賞作曲賞をとるだけはある。

 いろいろ見所のある映画だが、圧巻はやはりイギリス軍のダンケルクの撤退を描いたショットだろう。延々と長回しで移動撮影していくそのさまには、「映画史上に残るワンカット」を狙ったのか、というあざとささえ感じられるが、疲弊しきった軍隊の悲惨な様子をリアルに描いた手回しは素晴らしい。疲れ果てた兵士、しかしそれでもなお祖国に帰れることを待ち望んで希望にわく兵士たちの様子は、救出を目前にして病に倒れていく絶望で観客の胸を引き裂く。 

 ロビーが出征する前のセシーリアとのつかの間の逢瀬、二人が握り合う手のぬくもりのはかなさには涙をそそられた。そして、何よりも、贖罪を願い、姉とロビーに詫びるブライオニーの苦しさがわたしたちの胸を打つ。この贖罪は誰の心も癒すことがない。その苦しみを、ヴァネッサ・レッドグレイヴが振り絞るような演技で見せた。

 本作は「プライドと偏見」よりも遙かに素晴らしい。脚本、演出、演技、どれをとっても見事に練り上げられた悲劇の王道。戦争さえなければ、階級社会でなければ、この悲劇は起きなかった。それゆえに反戦映画の一つと言える。そして何よりも、人はつねに後悔とともに苦渋を飲み込みつつ生きていかざるを得ない存在であるということを描いてみせた点で、現代に通じる普遍性を持つ。

 「つぐない」はそのことが永遠に不可能になったときこそ、意味の光を放ち、人の心を射る。ラストシーンに漂う深い深い悲しみが、死者の魂を癒すものは生き残った者の言葉=エクリチュールであることをわたしたちに知らしめる。死者は語らない。死者の記憶はわたしたち生者が書き直す。書き直された記憶=歴史の中で死者は別の人生を生きる。そこには「生きることができたはずだった」人生と記憶がある。死者の未来は生者の過去とともにある。そして生者は永遠に過去の光から解き放たれず、死者に寄り添う。その悲しみから誰も自由にはなれないのだ。(PG-12)

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ATONEMENT
イギリス、2007年、上映時間 123分
監督: ジョー・ライト
製作: ティム・ビーヴァンほか、原作: イアン・マキューアン『贖罪』、脚本: クリストファー・ハンプトン、撮影: シーマス・マッガーヴェイ、音楽: ダリオ・マリアネッリ
出演: キーラ・ナイトレイ、ジェームズ・マカヴォイ、シアーシャ・ローナン、
ロモーラ・ガライ、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、ブレンダ・ブレシン、パトリック・ケネディ リーオン・タリス アンソニー・ミンゲラ

最高の人生の見つけ方

2008年06月02日 | 映画レビュー
「死ぬまでにしたい10のこと」オヤジ版。それにしても大富豪のオヤジはスケールが違う。「死ぬ前にしたい…」でサラ・ポーリーは慎ましいことしかしなかったけれど、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンは金に糸目を付けずに庶民が決して叶わぬファンタジーを実現してみせる。いやぁ~、お見事でした。


 脚本がこじゃれているので、見ていて爽快。特にジャック・ニコルソン演じる大富豪エドワードとその秘書との会話が絶妙だ。金だけは有り余っているのに偏屈で他人へのやさしさを持ち合わさないために実の娘にすら縁を切られて、今や話相手は秘書しかいないといういやな男エドワードを、ジャック・ニコルソンはまったく「地のまま」のように演じる。

 対する実直な自動車修理工で驚異の知識と教養の持ち主カーターを演じるモーガン・フリーマンもまた「そのまんま」のイメージ。この二人が脱力して演じているから見ているほうも安心できる。おそらくロブ・ライナー監督もこの二人に好きなように演じさせたのではなかろうか? ベテラン3人がお互いに肩肘張らずに、「あ、ちょっとやってみようかね、はい、カット」てな具合にひょうひょうと撮ったという雰囲気が溢れている佳作だ。


 末期癌で余命6ヶ月を宣告されたオヤジ二人の旅にしてはあまりにもド派手に金を使いすぎるので、その点にはわたしのような人間は眉をひそめてしまうけれど、「まあ、所詮は映画だし。映画的には面白い、まあ、えっか」と思っているうちに、最後の最後に「やられた!」というちょっとしたどんでん返しがある、楽しい映画。
 

 死を目前にした二人が、「棺桶リスト」として、死ぬまでにやり残したことを書き留めては一つずつそれを実現していく。そのさまが爽快だ。金をかけなければできないこともあればそうでないこともある。最後に残った一つをどのように実現したか? それがまた可笑しいというか泣けるというか…。


 ところで、この映画を見ていて興味深かったのは、死を目前にして「さあ、あなたは誰と何がしたい?」と訊かれて、実際どうするだろうか、ということ。普通は「家族と過ごしたい」とか「思いっきりご馳走を食べたい」とかいろいろ考えるだろうに、なぜこの映画の二人は「まったく見ず知らずであったのに、たまたま癌で入院し同室になっただけ」という縁で家族すら放擲して二人で旅に出てしまうのだろうか? ここに見られる、「家族愛よりも友愛」を優先する思想がアメリカでも受け入れられ始めているのだろうか? 最近のアメリカ映画は家族回帰ものが多いのに、本作はその流れに逆行すると感じた。ところが、最後にはやはり「家族愛」で落とすオチがついているので、なあんだやっぱり。と、ありがちな結末にちょっとがっかりしていたのだが……ま、その先は言わないことにしましょう。

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THE BUCKET LIST
アメリカ、2007年、上映時間 97分
製作・監督: ロブ・ライナー、脚本: ジャスティン・ザッカム、音楽: マーク・シェイマン
出演: ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン、ショーン・ヘイズ、ビヴァリー・トッド、ロブ・モロー

5.28「専門職の集い」、ご参加ありがとうございました

2008年06月02日 | 図書館
 わたしとドーンセンター木下みゆきさんが呼びかけ人になった5月28日の「集い」は、無事終わりました。ほんのささいな集会のつもりでいましたが、おかげさまで会場の定員オーバーとなりました。

 詳細はこちらにありますのでご高覧ください。なお、明日には全体のもようがわかる「会議録」をアップします。

http://shaunkyo.exblog.jp/i9/