ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

ピンクパンサー

2007年04月25日 | 映画レビュー
 気分が沈んでいるときはなるべくおばかな映画を観て笑うのがいい。何も考えずにただわはははっと笑える映画。そう、本作のような。実にばかばかしい。笑える。何箇所も声を出して笑わせてもらった。

 フランス人なのに妙な発音で英語の台詞をしゃべったりするのはご愛嬌なのか? オリジナルは大昔に見てすっかり忘れてしまったわ。オリジナルも見たくなった。

 それにしても配役がけっこう豪華なので驚き。クライヴ・オーウェンがなんと「006」役で登場。007ばりの新兵器で颯爽とアクションを見せる。(レンタルDVD)

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THE PINK PANTHER 上映時間93分(アメリカ、2006年)
監督:ショーン・レヴィ、製作:ロバート・シモンズ、脚本:レン・ブラム、スティーヴ・マーティン、音楽:クリストフ・ベック、テーマ曲:ヘンリー・マンシーニ
出演: スティーヴ・マーティン、ケヴィン・クライン、ビヨンセ・ノウルズ、ジャン・レノ、クライヴ・オーウェン

ブラックブック

2007年04月24日 | 映画レビュー
 ハリウッドにやって来てやたら娯楽作ばかり作っていると思ったヴァーホーヴェンだけれど、オランダではこういう硬派のドラマも作ります。

 映画はとてもよくできていて、二時間半をまったく飽きさせなかった。ただし、「犯人当て」の謎に力を入れすぎて、ナチやレジスタンスの政治構造についてはほとんど触れずじまいだし、人物像についても掘り下げ方がやや物足りなかったため、後から考えるとどこかに物足りなさも残るのだろう。肝心の「ブラックブック」が最後になってやっと登場するというのが意外だったし、この謎解きの説明が慌ただしくて心残りだ。

 ヴァーホーヴェン監督、さすがにエンタメ的な作りはうまい。この映画もナチスとレジスタンスとの闘いを描きつつ、レジスタンスの裏切り者は誰かという犯人探しのミステリーで観客を引っ張ることを忘れない。オランダのユダヤ人といえば誰もが思い出すのがアンネ・フランクだろう。アンネと同じく、この映画でもヒロインが隠れ家に住んでいる場面から始まるのだ。やがて家族全員を殺された彼女は髪を染め名前を変えてユダヤ人であることを隠してエリス・デ・フリースというオランダ人として生きるようになる。レジスタンス組織に命を助けられたエリスは組織のために働くようになり、美貌を生かしてナチの情報将校ムンツェを篭絡するスパイ活動に手をつけるが、ムンツェの優しさに惹かれて彼を本気で愛するようになる……

 物語の時代は1944年。既にドイツの敗色濃厚なとき、ユダヤ人の命と引き替えの不正蓄財に励む豚のような軍人の強欲な姿が戯画的なまでに醜く描かれる。ムンツェにしたところで自軍の敗北を予想しているし、オランダのドイツ兵の士気はかなり低そうだ。オランダ人女性の中にはドイツ兵に媚びてその愛人となる者もいるし、エリスも表面上はその一人なのだ。彼女達は戦後、オランダ人たちから裏切り者のレッテルを貼られて衆人環視の中で辱めを受けるだろう。ヴァーホーヴェンの描写はいつもかなりえぐくて、本作でもその面目躍如たる場面がいくつも登場する。下司兵士の全裸シーン(ぼかしが入っているけど、これがまたいやらしい)や戦後のエリスが汚辱にまみれる場面など、思わず身を引いてしまう。

 また、レジスタンスの中にはリベラル派、愛国派、共産主義者、といろいろ混在していると思われるのだが、その描写はさらりと流され、彼らの苦悩や主義主張に深入りすることはない。ブラックブックというのは裏切り者の正体がわかる手帳なのだが、これが登場するのがかなり後になってからで、ブラックブックをめぐる手に汗握る場面が最後にどたばたと展開したのはちょっと減点。この部分は無理のある設定や展開だったような気がする。

 ラストシーンにヴァーホーヴェンの視点の確かさを感じた。最後は平和な1956年のイスラエルのキブツを描写してお終い…と思わせて、カメラがパンするとそこにはイスラエル兵の緊迫した様子が写っている。そう、1956年は第二次中東戦争の時なのだ。虐殺を生き残ったユダヤの人々の戦後が決して平和なうちにはないことを示して映画は終わる。(PG-12)
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ZWARTBOEK 上映時間144分(オランダ/ドイツ/イギリス/ベルギー、2006年)
監督:ポール・ヴァーホーヴェン、脚本:ジェラルド・ソエトマン、ポール・ヴァーホーヴェン、音楽:アン・ダッドリー
出演: カリス・ファン・ハウテン、トム・ホフマン、セバスチャン・コッホ、デレク・デ・リント、ハリナ・ライン、ワルデマー・コブス

プラダを着た悪魔

2007年04月23日 | 映画レビュー
 超有名なファッション雑誌のカリスマ編集長相手に奮闘する新米アシスタント嬢、というサクセスもののコメディということから言えば定番のような構造の物語。 

 原作は『VOGUE』編集長のアシスタントを経験したローレン・ワイズバーガーが書いた小説。ヴォーグ誌の現役編集長がモデルと言われているけれど、実際には全然似ていないというし、ご本人も「あれはわたしじゃないわ、映画は楽しんだわよ」と余裕のコメントとか。

 ジャーナリスト希望でファッションには興味がなかった女性アンドレアが超有名なファッション雑誌の編集長第2アシスタントに採用されるというのも妙な話だけれど、この映画の中では『ランウェイ』という名前になっているその雑誌のファンをアシスタントに採用すると、おしゃれだけは決めてくるけれど頭が悪いから「使えない」という鬼編集長ミランダの言葉に納得。

 このカリスマ編集長ミランダの「悪役」ぶりが堂々たるもので、メリル・ストリープはさすがの演技。この人が上手いのはあまりにも当然なので別に驚かない。しっかし、アメリカの会社は日本よりクールで、上司が部下を私用にこき使ったりしないものだと思っていたけれど、このミランダは違う。自分の娘たちのために、「まだ出版されていない『ハリー・ポッター』の新しい巻を手に入れよ、しかもあと4時間で」などと無茶な注文を出す。「3時までに手に入れられなかったら、(会社に)戻って来なくていいわよ」と冷たく言い放つ。信じられんで、この上司。

 それにしてもアメリカのトップビジネスマンはいったいいつ眠るのだろう? こき使われるアシスタントたちもいつ寝るの? というわけで、仕事がうまくいって上司にも見込まれるようになると、アンドレアの恋人との私生活は破綻をきたす。それに、自分自身で『ランウェイ』の愛読者なんてバカ女だと嗤っていたくせに、自分はすっかりおしゃれになって『ランウェイ』のスタッフらしくなっていくのだ。

 最初にうちは、ファッション雑誌の裏話みたいな部分が面白く興味深く見ていられたけれど、だんだんこれがイヤになってくる。わたしはおしゃれが好きだし、衣食住は生活の基本だから、服は絶対に必要なものであり、どうせなら似合う物センスのいい物を着たいと思う。だが、わたし自身はファッション雑誌は読まないし、実はほとんど興味がない。けれどこの映画に登場するスタッフたちや『ランウェイ』に憧れる女性たちは、おしゃれを生き甲斐にし、おしゃれを生きる目的と勘違いしている。そのことがわたしの気持ちを冷めさせる。

 考えてみれば職業に貴賤はないはず。この話がファッション雑誌の編集部ではなく社会派雑誌や文芸雑誌の話なら、わたしはもっと面白くまた敬意を持ってみることができたのだろうか。そこにはファッション雑誌やそれを作る人間、それを愛読する人間へのわたしの隠された蔑視感がある。その気持ちがあるから、最後にアンドレアがミランダを見限るとほっとするのだ。

 この映画の教訓とするところは、仕事仕事に追われ上司(会社)のためにこき使われ社畜に成り下がることに警鐘を鳴らすことなのだが、やはり選ばれた職場が「ファッション」ということがミソ。映画的にはおしゃれな衣装が次々登場して女性映画ファンを喜ばせつつ、じつはそんなものに喜んでいる女性自身をバカにするという含意があるのだが、そのことに観客自身が気づくのだろうか。

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THE DEVIL WEARS PRADA 上映時間 110分(アメリカ、2006年)
監督: デヴィッド・フランケル、原作: ローレン・ワイズバーガー、脚本: アライン・ブロッシュ・マッケンナ、音楽: セオドア・シャピロ
出演: メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ、エミリー・ブラント、スタンリー・トゥッチ、エイドリアン・グレニアー

サン・ジャックへの道

2007年04月22日 | 映画レビュー
 これは面白かった! 目が覚めるコメディでございます。巡礼の旅だけあって、罰当たりなシーンのない、安心映画なので家族揃って見られます。と言いたいけど裸体が二度出てきます、為念。四国のお遍路さんみたいなのがキリスト教徒の世界で今でも生きているのね、興味深かった。

 さて物語は…。
 亡き母の遺産を相続するにはパリからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ(フランス語でサン・ジャック)まで徒歩で1500キロの巡礼の旅に、それも仲の悪い姉兄弟そろって行かねばならないと知った3人は、嫌々ながら出発したのだった。旅のお供はガイドのギイと若い女性二人、青年二人(なぜかイスラム教徒)、しかも男の子の一人は聖地メッカへの巡礼だと思い込んでいる。もう一人の中年女性はいつもスカーフを頭に巻いて颯爽と歩く。総勢8人、バックパックを担いでの二ヶ月の旅はどうなることだろう…

 一行のキャラがはっきりしていて大変面白い。特に中心となる中年3人きょうだいの仲の悪さが笑わせる。彼らがいい歳をしてつかみ合いの喧嘩をするところなんて可笑しくってたまりません。嫌々歩いているものだからいろんな小事件・笑事件を巻き起こす。
 フランスってこんなに田舎だったのね、と思わせるひたすら美しい田園風景が広がるが、最初のうち、一日7時間の山歩きに慣れない彼らは景色を楽しむ余裕もない。きょうだいは喧嘩ばかりしているし、少女達を目当てにツアーを申し込んだイスラム教徒の若者はお目当ての少女に振られるし、失読症の少年ラムジィはこの旅の間に誰かに文字を教えてもらおうと調子のいいことを考えているし。と、まとまりのない一行がいつしか心を通わせるようになるのだろうと、だいたいが先は読めるのだけれど、途中で起きるいろんな「事件」やすれ違う人々のキャラクターが面白いので、見ていてちっとも飽きない。

 キリスト教の聖地へ向かうのにガイドはアラブ系だし、一行の中にイスラム教徒が二人混じっているというのがミソなのだ。コリーヌ・セロー監督は前作「女はみんな生きている」で強烈な男性批判を繰り広げてフェミニストらしいところを見せたが、今回は男のバカぶりを嗤うだけではなく、視線がもう少し柔らかくなっているし、硬直したフェミニスト自身への批判もチクリと見せている。

 本作ではフェミニズムという視点だけではなく人種や宗教による差別という問題を組み込んだことで物語の幅が広がった。セロー監督自身は無神論者だというが、その意見を代弁するのが3人きょうだいの中のクララだ。彼女はベテランの高校フランス語教師で、ラムジィに文字を教えることになる。巡礼の旅でありながら宗教色が薄いのはセロー監督の個性ゆえだろうか。イスラム教徒二人にしてもメッカに向かっての礼拝の場面が出てこないし、巡礼者たちが宿泊する施設や教会でも祈りの場面がない。とどめは差別者神父の登場だ。巡礼の映画なのに宗教に批判的な目を向けているのが面白い。困難な旅の最後に8人が家族のように仲良くなるのも、彼らの宗教色の薄さゆえではなかろうか。

 巡礼者たちが見る夢もシュールで含意に富み、最後のどんでん返しも微笑ましく、楽しめる一作です。

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SAINT-JACQUES... LA MECQUE 上映時間112分(フランス、2005年)
監督・脚本:コリーヌ・セロー、製作:シャルル・ガッソ
出演: ミュリエル・ロバン、アルチュス・ドゥ・パンゲルン、ジャン=ピエール・ダルッサン、マリー・ビュネル、パスカル・レジティミュス、エメン・サイディ、ニコラ・カザレ、マリー・クレメール、フロール・ヴァニエ=モロー

嵐を呼ぶ十八人

2007年04月21日 | 映画レビュー
 社外工、造船スト、タコ師(手配師)、といった言葉に時代を感じさせる意外な掘り出し物だった。といっても、退屈な人にはものすごく退屈なお話。

 大阪から呉の造船所に集団就職してきたチンピラな若者18人と、彼らを管理する若き舎監との軋轢やふれあいを描く群像劇。とは言っても、ここには美しい魂の交流などありはしない。18人の若者も、彼らより少し年長の寮長もまた、一癖も二癖もある者ばかり。素直に年長者の言うことを聞くような連中ではなく、スト中の本工たちに連帯しようなどという気持ちはもちろんサラサラない。本工は賃上げを要求してストができるが、社外工にはその権利もないということが皮肉っぽく描かれる。いまや造船のストなど考えられもしないようになってしまったが、本工中心主義の日本の労働運動がその後にたどった結果を、さもありなんと思わせる。

 本作は群像劇であるが、その群像の一人ひとりに迫ったりしない。彼らはあくまでも一塊の18人として扱われる。だから、18人が並んで立つロングショットの多さが目を引く。この18人の立ち位置の構図に時代を感じてしまう。どこか古びているのだが、ぱしっと決まっているのだな。この構図は後からいろんな映画やテレビドラマが真似をしたのじゃなかろうか。それともこういう構図はもっと古くからあったのだろうか。

 不思議なことに、彼らは顔の見えない若者たちではなく、どういうわけか一人ずつの個性がまた見えてくる。18人の個別にスポットを当てるわけでもなく、かといって彼らを没個性の人間としては描かないという絶妙の技を吉田喜重は見せている。

 何よりもわたしにとって興味深かったのは1960年代初頭の造船所での暮らしと労働だ。労働についてはそれほど詳細な描写はなかったが、新品の洗濯機を月賦で買って喜ぶ寮長島崎の笑顔や、ゴーゴーダンスに興じる若者たちの細やかな生活感が息づいているところにそそられた。

 興醒めになるのは女性の描き方だろうが、これはまあ、時代が時代だからしょうがないのかな。体育女教師は教員にしてはえらくなまめかしい角度のショットで捉えられていたり、レイプ場面やその後の描写もステレオタイプで、フェミニズムの視点からは<政治的に正しくない>。

 徹底的に情緒を排したラストシーン。駅で別れる18人と島崎はどこまでも打ち解けず、言葉も交わさない。けれど、彼らが複雑な心境で互いを見つめあい、いや、睨みあい、火花が散るその視線の先には何かしらの感情の交流が読み取れるのだ。ある日突然やって来て、また嵐のように去っていく18人の若者達。流れ者の彼らの未来は明るいのだろうか? 無邪気に列車内で騒ぐ18人のアナーキーなエネルギーを淡泊な余韻に封じ込めた吉田喜重の演出は、この映画をベタな青春ドラマに落とすことがなかった。見事なラストに喝采。(レンタルDVD)

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上映時間 108分(日本、1963年)
監督・脚本: 吉田喜重、音楽: 林光
出演: 早川保、香山美子、松井英二、、岩本武司、木戸昇、殿山泰司

ココシリ

2007年04月21日 | 映画レビュー
 ココシリとはチベットの言葉で「美しい山」「美しい女性」という意味だそうだ。チベットの奥地に生息するチベットカモシカが絶滅の危機に瀕している。これはカモシカを守るために密猟者を逮捕する仕事に<ボランティアで>就いている男達の過酷な物語。実話に基づくというけれど、あまりにも壮絶な、あまりにもハードボイルドな話だ。密猟者を追う男たちは、何物かにとり付かれているとしか思えない執念で文字通り命がけで奥地へ奥地へと車を走らせる。

 密猟者達だって、元は遊牧の民だったのだ。それが砂漠化が進んで遊牧が不可能となり、皮が売れるからカモシカを殺す。ここにもグローバリゼーションの波が押し寄せているのだ。買う者がいるから密漁はなくならない。皮は遠く外国へと売り飛ばされる。

 それにしても不可解なのは、密猟者を追う者たちがボランティア活動で命を懸けているということ。近代合理主義の論理からはこの行動は説明がつかない。日本で「ボランティア活動」からイメージすることとはまったく異なるハードな闘いを繰り広げる男たち。ハードなのは人間同士の戦いだけではない。なにしろチベットの過酷な自然をも相手にしているのだ。流砂に飲み込まれて命を落とす場面の息を呑む凄惨さはどう。満天の星空の言葉を失う美しさもまた格別。食糧もなく放り出される密猟者達は平均高度4700メートルという酸素の薄い酷寒の地でどうやって生き延びていくのだろう。

 この映画に描かれたすべてのことが日本に住むわたしには想像を絶する。実話だから確かにドキュメンタリータッチではあるけれど、内容は極めてハードボイルドなサスペンスものと言っても過言ではない。ほんとに実話か、と言いたくなるぐらいだ。88分という短さもいいので、まあとにかくいっぺんご覧あれ。(レンタルDVD)

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ココシリ
KEKEXILI
上映時間 88分(中国/香港、2004年)
監督・脚本: ルー・チューアン
出演: デュオ・ブジエ、チャン・レイ、キィ・リャン、チャオ・シュエジェン

デジャヴ

2007年04月18日 | 映画レビュー
 デンゼル・ワシントン、かっこいい! 彼が出てくるだけで「うん、大丈夫、きっとなんとかしてくれる!」と思えるところがすごいです。

 それにしてもこういうタイムパラドックスね、うーん。面白かった。

 予告編を見たときに想像した内容とずいぶん違うので最初のうちは戸惑ってしまったのだが、それは「面白くない」という意味ではなく、「ふつうに正統派のアクションもの?」という面白さだったのだ。が、途中からいきなりSFになってしまったので、「あ、やっぱりこういう映画だったのね」と少々面食らった。予備知識なく見始めたら、この映画にはこの分岐点で戸惑う観客がいそうだ。

 さてストーリーは。

 ニュー・オリンズの港でカーニバルを祝うため、海軍の水兵とその家族がフェリーに乗り込みミシシッピー川に航行を始めたその瞬間、爆弾が爆発して543人が亡くなるという大惨事が起きた。捜査に当たることになった孤独な男はダグ・カーリン。デンゼル・ワシントンが演じるとそれだけで男臭くてかっこよくて痺れてしまう。切れ者のダグが見せられた映像は、衛星を使った監視カメラで特定の範囲内ならどんな角度からも4日と6時間前の映像が見られるというシロモノ。巻き戻しはできないが、リアルに室内で動く人の姿を捉えることができる。この技術がすごい。ほんとに既にこういう技術が確立しているのではないかと思わせるすごさだ。このカメラを使ってダグは他殺体となって発見された美しい女性クレアの部屋を見たいと言う。自分が殺されることも知らず目の前で生き生きと動き回るクレアの映像を凝視するダグ。爆破事件の鍵を握ると思われる彼女の様子に釘付けになる。これは監視社会の恐ろしさを実感させられる映像なのだが、勘のいいダグはこの映像の謎を解いてしまう。「これは4日前に録画された映像なんかじゃない!」

 偶然開発された最新鋭の装置を使って、ダグはクレアを救うことを決意した…だがどうやって?!

トニー・スコットの演出はアクションものなら任せとけというスピーディでパワフルなものなので、安心して見ていられる。逆に言うと、もう少し違うものも見せてほしいと思ってしまう点も否めない。その点、今回は今まで見たこともないカーチェイスを見せてくれた点では瞠目だった。ただしこれ、演じているデンゼルが「ラリっているみたいだ」と言うとおり、観客も見ているのがしんどくなってくるような映像だ。何しろ目の前の車が二重写しなんだからね、車酔いしそう。

 本作のテーマである「過去のやり直し」というのはこれまでずいぶん映画で取上げられてきた。過去は生き直せるのか? 人は過去を書き直したいという欲求にとりつかれる強欲な生き物なのだろう。何度も繰り返し取上げられるテーマであるからには人間の本質的な欲望を突いているに違いない。そして、西洋人たちはどういうわけか、ほとんどの場合「過去は変えられる」「運命は人の手で変えられる」という結論を用意する。そこには無常観がなく、人間中心主義的思考が窺えるのだ。「主体」を重んじる西洋近代主義の賜物といえよう。

 この映画でリアリティがあると思えたのは、ダグ・カーリンが命の危険を賭しても過去に戻ろうとした理由が、543人の命を救うためではなく、たった一人の女性を救うためだったということだ。「彼女を救う」という決然とした言葉には、逢ったこともない女性への強い愛が込められている。こういうのを運命の絆とでも呼ぶのだろうか。

 映画の最後に、「ハリケーン被害に遭ったニュー・オリンズの人々に捧げる」という献辞が流れる。どんな災難や困難にあっても決して諦めないこと、未来は自分達の手で掴むものだということを力強く伝えるメッセージ性の高い映画なのだ。

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デジャヴ
DEJA VU
上映時間 127分(アメリカ、2006年)
監督: トニー・スコット、製作: ジェリー・ブラッカイマー、脚本: テリー・ロッシオ、ビル・マーシリイ
出演: デンゼル・ワシントン、ポーラ・パットン、ヴァル・キルマー、ジム・カヴィーゼル、アダム・ゴールドバーグ

麦の穂をゆらす風

2007年04月17日 | 映画レビュー
 アイルランドがイギリスから「独立」したのは1922年。これはイギリス王国の自治領としての独立だった。完全独立は1949年に果たされるが、今なおアイルランド島北部はイギリス領土だ。という程度の知識しかわたしにはない。現代史専攻の人間としてはお粗末極まりないのだが、だいぶ前に見た映画「マイケル・コリンズ」もすっかり内容を忘れているし、なんとマイケル・コリンズが31歳で暗殺されたという結末まで忘れてしまっている! だいたい、リーアム・ニーソンが31歳に見えなかったのだからしょうがない。

 本作に登場するのはマイケル・コリンズのような有名人ではなく、無名のアイルランドの闘士たちだ。村一番の秀才で、ロンドンに出て医学の修行をしようとした医師になりたての若者が、イギリス軍に虐げられる同胞を目の当たりにして駅で踵を返す。その日から彼は独立運動の闘士になった。兄とともにIRAに参加するのだ。本作はこの兄弟の対立と葛藤を通して、アイルランド独立の悲劇を描く。

 重くて重くてやりきれなくて、救いがなくて。同じテーマ、同じような展開なのに、「大地と自由」のようなカタルシスがない。救いがない。それは、生真面目で真っ向勝負のストレートな作風にも表れている。映画的には面白みに欠けるとも言えるだろう。この作品に描かれたことなら小説でも表現できる。

 ただし、理屈っぽいけど、IRA内部の論争は迫力がある。役者の熱演が手に汗握る名場面を作り上げているのはさすがというべきか。いつの時代にも、「敵の譲歩」をめぐって路線の対立は生まれる。だが、それを暴力という形で止揚しようとする態度こそが今のわれわれには赦されないことなのだ。独立のための武力闘争がそのまま内ゲバへと転化していく様子はたまらない。

 若い女性シネードが最後に慟哭しながら言う台詞にケン・ローチの思いの全てが込められている。「二度と顔を見せないで」。

 この台詞が二度語られることに、「暴力の連鎖」の悲劇がある。やはり9.11以後の作品なんだということを痛感する。95年の「大地と自由」のようなある種の救いやロマンティシズムがここでは影を潜めているのだ。ケン・ローチの絶望感は深い。

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麦の穂をゆらす風
The wind that shakes the barley
126分(イギリス/アイルランド/ドイツ/イタリア/スペイン、2006年)
監督: ケン・ローチ、脚本: ポール・ラヴァーティ、音楽: ジョージ・フェントン
出演: キリアン・マーフィ、ポードリック・ディレーニー、リーアム・カニンガム、オーラ・フィッツジェラルド、メアリー・オリオーダン、メアリー・マーフィ

トゥモロー・ワールド

2007年04月16日 | 映画レビュー
 時は2027年、所はイギリス。既に人類は生殖能力を失って18年。そして今日、人類で最も若い18歳の少年が死んだというニュースが全世界に流れ、人々は深い悲しみに包まれる。

 という、巻頭の場面は、現実によくニュース番組で流されるニュースの画面にそっくりだ。少年が殺された現場からレポーターが中継し、服喪の人々を映す。テレビの前で誰もが涙を流し、仕事にもならない。そんな暗い幕開けのこの映画は、最後まで画面が薄暗く、退廃した近未来の陰鬱な社会状況の雰囲気をとてもうまく描いている。

 近未来といってもここに描かれていることはそのまま現代の状況と同じなのだ。明日や来年のイギリスや日本の状況かもしれない。貧富の格差が広がり、移民が排斥され、社会不安が広まり、都会のスラム化が進む。都市の荒廃した様子が丁寧に描かれていて、美術はいい仕事をしている。

 昔活動家、今エネルギー省の役人というありがちな転向者主人公セオは、元妻ジュリアン率いる反体制組織FISH(魚! なんで魚なんだろう)に誘拐される。FISHは、奇跡のように妊娠した一人の少女キーを匿っていた。彼女を利用して武装蜂起を計画するFISHたち。だが、内部抗争に巻き込まれてセオは結局その少女キーを連れて安全な場所まで逃げるはめに陥る…

 逃げて逃げて逃げて逃げまくる主人公というのは「戦場のピアニスト」みたいだけど、この映画ではクライブ・オーウェンは逃げてばかりじゃなくて、使命感を持っているところがエライ。 

 人は運命に巻き込まれたとき、それをどのように引き受けるのだろうか? その決意は尊敬すべきでかつ美しいものだろうか? 確かにそのように思える。だがしかし…

 この映画は「犠牲」ということを美しく切なく描く。犠牲なしには未来は開かれない。その犠牲は崇高な思想や信条によって担保されるのではなく、かつての愛情や、うっすらとした希望によってもたらされることもある、ということを描いている。大文字の政治思想や組織が暴力によって世界を変えようとしているとき、それに対抗する者はセオのような「巻き込まれ型」の人間なのだろうか? セオは政府にも反政府側にも追いかけられ命を狙われる。だが彼は決して自ら銃を持って戦ったりしない。武力による「世界革命」の虚しさを知った世代の描く革命映画だ。

 特筆すべきはやはり誰もが息を呑むであろう戦闘シーンの長回しだ。手持ちのカメラでの長回しは驚嘆すべきテクニックなんだろう。入念な計算と打ち合わせなしにはできないことだ。映画を撮影するカメラではなく、戦場をルポする報道カメラのような臨場感がある。血しぶきがレンズに飛ぶ場面なんて思わず身を引いてしまった。

 凝りまくりの美術といい、実にリアル。とにかくリアル。近未来というけれど、嘘くさいところがない。すごい映画です。意外と地味だけどね。あまりヒットしないと思う。何しろ暗いから。

 音楽がたまらなくいい。「クリムゾン・キングの宮殿」! この映画に使われる音楽はわたしたちの世代の心をくすぐる曲を選んでいて、わたしはこの青春の蹉跌を彷彿させるほろ苦い思い出とともに胸を痛めながらでなければ聞くことのできない「クリムゾン・キングの宮殿」が大音量で流れてきただけで、ぐぐっっときてしまった。

 セオとキーを助けてくれるヒッピーくずれみたいなロハスなインテリ隠遁者ジャスパーが好感度高い。演じたマイケル・ケイン、すごくいい感じ。この人は役者だねぇ。

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トゥモロー・ワールド
CHILDREN OF MEN
上映時間 109分、(アメリカ/イギリス、2006年)
監督・脚本: アルフォンソ・キュアロン、原作: P・D・ジェイムズ 『人類の子供たち』、音楽: ジョン・タヴナー
出演: クライヴ・オーウェン、ジュリアン・ムーア、マイケル・ケイン、キウェテル・イジョフォー、チャーリー・ハナム、クレア=ホープ・アシティー

パリ、ジュテーム

2007年04月15日 | 映画レビュー
 これはとても楽しい! 18人の監督が5分ずつで撮ったオムニバス。とても全作品にコメントできないし、こんな短い作品を解説してしまうとかえって面白くない。

 映画館に行く途中、春爛漫の光を浴びて少々汗ばみながら歩いた。大阪駅北側はいま、広大な空き地になっている。塀で囲ってあるのだけれど、工事中のそのようすを隙間から見ると、すっかり更地になった部分が広々と気持ちいい。とてもよく見渡せるこんな状況はあと数年で消えてなくなる。今にここには大きな商業ビルが建ってしまうのだろう。なぜここに公園を作ろうとか考えないのだろう? 梅田に公園を作ればまさに都会のオアシスとなるし都市のヒートアイランド現象も緩和できるというのに。キタにはこれ以上の商業施設は不要だ。これ以上作ってもパイを取り合うだけなのに、そんなこともわからないのだろうか。 

 翻ってパリの街はどうなのだろう。行ったことはないけれど、梅田よりは遙かに緑が多そうだし、美術館もある(梅田とパリ全体では広さが違うので比べてはいけないかもしれないが)。この映画を見終わる頃にはすっかりパリが好きになっていた。パリの裏通りを歩いてみたい、行ってみたい。


 さて、18話すべての感想は書けないので、特に印象に残ったものだけコメントしてみよう。

 最高に受けたのはコーエン兄弟の「チュイルリー」。パリを舞台に出会いの映画を5分で撮ってくれとオファーがあってこういう作品を作るかぁ、ふつう?! あり得ないぐらい面白い。これはもう必笑ものです。一言もセリフがないのに存在だけで演技しているスティーヴン・ブシェミがすごいっす。それにしても彼はこういう情けない役しかやらせてもらえないの? 異邦人のパリ、とってもよくわかります。

 続くウォルター・サレスの「16区から遠く離れて」。貧富の格差をこんなふうに描くこともできるんだ! これは切なかったです。母親としては辛い。 

 諏訪敦彦の「ヴィクトワール広場」、泣きました。5分の映画でよく泣けるもんだと我ながら感動するけれど、この監督は名前も知らなかった。で、5分しかないのに泣いてしまうから、次の作品のときもまだ涙目。その次もまだ涙が残っている。という妙な事態になりました。

 トム・ティクヴァ「フォブール・サ・ドニ」 、これもすごい作品だ。たった5分でよくこれだけ詰め込みました。これ、意外と金がかかっているんではなかろうか。

 フレデリック・オービュルタンとジェラール・ドパルデューの「カルチェラタン」、熟年カップルの離婚話。これも会話がしゃれててよかったわ。フランス映画らしくていいです。ぐっと来ました。

 個人的にはこれも受けた、ウェス・クレイヴン監督「ペール・ラシェーズ墓地」。冗談の通じない真面目な恋人に愛想を尽かす婚約者。この二人はどうなるの?!

 そのほか吸血鬼ものとか、いろいろあって、全然退屈しない2時間でした。なにしろパリを舞台に出会いの映画を撮って欲しいというのがプロデューサー側の依頼だったのに、それでこういう映画ができるんだからすごいですね、アイデアを出し合った監督たちもすごいです。正攻法なのもあればとんでもものもあり。いやぁ~、実に楽しかった。劇場用パンフレットによれば、次はNY篇を作るとか。東京篇も企画に上っているそうです。楽しみね。

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パリ、ジュテーム
PARIS, JE T'AIME
上映時間 120分(フランス/ドイツ/リヒテンシュタイン/スイス、2006年)
監督・脚本: ブリュノ・ポダリデス、グリンダ・チャーダ、ガス・ヴァン・サント、ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン、ウォルター・サレス、ダニエラ・トマス、クリストファー・ドイル、イザベル・コイシェ、諏訪敦彦、シルヴァン・ショメ、アルフォンソ・キュアロン、オリヴィエ・アサイヤス、オリヴァー・シュミッツ、リチャード・ラグラヴェネーズ、ヴィンチェンゾ・ナタリ、ウェス・クレイヴン、トム・ティクヴァ、フレデリック・オービュルタン、ジェラール・ドパルデュー、アレクサンダー・ペイン
出演: ブリュノ・ポダリデス、フロランス・ミューレル、レイラ・ベクティ、スティーヴ・ブシェミ、ジュリエット・ビノシュ、ウィレム・デフォー、ナタリー・ポートマン、ジーナ・ローランズ、ジェラール・ドパルデュー、エミリー・モーティマー、カタリーナ・サンディノ・モレノ、イライジャ・ウッド

パフューム ある人殺しの物語

2007年04月12日 | 映画レビュー
 嗅覚の天才児ジャンにとって匂いこそが神。彼の神はただ一人、匂いだった。追い求める匂いを得るために彼は身も心も投げ出し、禁断の匂いをついに手に入れたとき、ついに彼こそが神となった。

 これはたった一人の神に魅入られ神のために全てを捧げ、神のために破滅する孤独な男の壮絶な物語。クライマックスシーンのどんでん返しには息を飲んだ。スピーディでスタイリッシュなティクヴァの映像センスが全開した作品。途中ちょっとだれて眠くなり、寝たきりおばさんになってしまったけれど、後半は一気に魅せます。

 18世紀、パリの街はとても臭かったという。その臭気を消すために人々はやっきになり、香水が人気を集めた。調香師がヒット作を作れば飛ぶように売れるし、そうでなければ落ち目となる。

 かつての栄華も何処へやら、いまやすっかり客足の遠のいたベテラン調香師の店に押しかけて弟子入りするのが我等がヒーロー、ジャン=バティスト・グルヌイユ(ベン・ウィショー)だ。彼は汚く臭いパリの市場で産み落とされ、鬼婆の養母のもとで13歳まで育てられた。彼の出生と育成にまつわるエピソードがまさに臭い立つほど汚く印象的だ。

 映画の最後の技術的難問といわれている「匂い」がこの作品のテーマ。実際に映画館でチョコレートの香りを噴霧した「チャーリーとチョコレート工場」が上映されたとはいえ、まだ香りつき映画というのは一般化するのは程遠い。第一、異臭を放つような映画ではこういうことは困るしね。本作の見所は「香り」をいかに映像で見せるか、ということに尽きる。

 それにしても「臭い」をテーマに持ってきたというのがいかにも現代風だ。欧米ではどうか知らないが、日本では今や空前の消臭ブームが続いている。かつて日本人は今ほど臭いに敏感ではなかったと思う。せいぜい香を焚き染めるぐらいだったのに、もはや着香を通り越して消臭時代なのだ。売らんかなの広告に指摘されるまでは、人々は自分が臭いということを気にしていなかった。口臭体臭を今ほど気にする時代はないのでは? 食生活が欧米化して肉食が増えたから実際に日本人が臭くなったのかもしれないし、エスニック料理が好まれて口臭もきつくなったのだろうか? それよりも、やはり「お前は臭い、臭いニオイは消さなきゃダメ」という強迫観念のほうが強いではないだろうか。臭いについて社会学的に研究したらかなり面白い結果が出そうな気がするが、この話はともかくとして映画の話に戻る。 

 ティクヴァのカメラは舐めるように臭いを映し出す。赤毛の美少女の匂いに魅せられたジャン=バティストが思わず殺してしまった相手の匂いを嗅ぎまわる場面といい、薄汚い彼がかぐわしい香水を生み出す場面といい、常に不機嫌でにこりとも笑わない演技で観客の嫌悪と畏怖の念を招来するベン・ウィショー、お見事でした。しかし個人的な趣味からいうともっとイケメンだったらよかったのに… 

 フランスのお話なのにフランス語が聞けなかったというのはまあ、許すとしよう。とにかくクライマックスシーンは圧巻、これに尽きます。香りによって天使になった男。淫猥な天使の香りは聖職者をもたぶらかす。ラストもすごいよ、愛は貪りつくす。すさまじいです。


<2007.12.27追記> 
 ラストシーンはテオ・アンゲロプロス監督の「アレクサンダー大王」へのオマージュと思われる。

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パフューム ある人殺しの物語
PERFUME: THE STORY OF A MURDERER
上映時間147分(ドイツ/フランス/スペイン、2006年)
映倫 PG-12
監督・脚本・音楽: トム・ティクヴァ、原作: パトリック・ジュースキン
出演: ベン・ウィショー、ダスティン・ホフマン、アラン・リックマン、レイチェル・ハード=ウッド、アンドレス・エレーラ

恋人たちの食卓

2007年04月11日 | 映画レビュー
 ありえないぐらい見事な手さばきで黙々と調理する料理人の手元が映し出される巻頭、観客の目は画面に釘付けになるだろう。本作は、お腹が空いているときならたまらない垂涎もののオンパレードなのだ。必ず食事を済ませてから見ましょうね。

 大きな家の中で一人黙々と包丁を振るうその人は、年頃になった3人の娘のために毎週日曜日の晩餐を作っている。大きなホテルのコック長をしていたチュは、請われて臨時にホテルに出向く以外は家で娘達のために料理の腕を振るうのみ。何より味覚障害が出てしまった今では、料理にも自信が持てないのだ。妻を早くに亡くして男手一つで娘3人を育てあげたが、娘たちは父の面倒を誰が見るのかと互いの腹を探り合うような日々。せっかくのご馳走三昧にも不機嫌面で、しかも「腕が落ちてきた」と言うような始末。

 物語はこの3人の娘達の仕事と恋愛を軸に、喧しい隣人とか長い付き合いのコック仲間とか、様々な人々との交流を織り交ぜ、その合間合間に目が醒めるようなご馳走をふんだんに見せてくれる、たいへんまとまりのよい、テンポも軽快な秀作だ。3人姉妹それぞれの生き方が丁寧に描かれていて、また、寡黙な父を演じたラン・シャンの枯れた魅力がたいへん心地よく、小気味よい。人物の心理の襞も手に取るようにわかるし、あっと驚く結末へと持っていくその微妙な伏線の張り方も、後から「おお、あれが」と思わせて心憎い。

 親というのは子どもに限りない愛情を注ぐものだ(たいていの場合)。その表現が一人ひとり違っているのは当然。この父の場合は、それが日曜ごとの晩餐なのだ。しかし、そのご馳走に「味が落ちた」と辛辣な言葉を発するような次女には、父の愛が届いていない。それは、次女自身が父からコックへの道を反対された意趣返しでもある。父と娘の葛藤が料理を通じて微妙にからまる。そして、最後には料理を通じて父と娘が心を通じあわせるというラストがほのぼのして秀逸。

 キャリアウーマンとしてまたもてる女として一番派手な生活をしていた次女が結局は「結婚できない女」になっちゃうという皮肉。これはアン・リーの価値観を表していて面白い。フェミニズム的には正しくない結末だと思うんだけどね。いかがでしょ。

 恋と食事。性欲と食欲。この二つこそが人生のすべてだと思わせるような映画でした。(レンタルDVD)

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恋人たちの食卓
上映時間:125分(台湾、1994年)
監督・脚本: アン・リー
出演: ロン・ション、ヤン・クイメイ、ワン・ユーウェン、シルヴィア・チャン

今宵、フィッツジェラルド劇場で

2007年04月10日 | 映画レビュー
 こんなに楽しい作品を遺してくれたアルトマンに感謝。即興的な演出と軽やかなカメラワークが楽しい逸品です。最初のうちこそしゃべくりすぎでちょっとしんどかったけど、途中からはぐっとのめり込みました。

 今夜が最後の公開録音日となったフィッツジェラルド劇場では、オンエア前の慌しい雰囲気が満ちていた。もう30年以上もカントリーやフォークを流し続け、ライブ演奏を公開で流し続けてきたこの番組も今夜が最後なのだ。というのも、ラジオ局が大手資本に買収され、経営者が番組の終了を決めてしまったからだ。今夜は買収した企業の社長もやってきて最後の公開放送をVIP席から見ている。

 この番組、何しろ30年とか50年とか続けているらしいので、この物語の時代がいつなのかがさっぱりわからない。現代劇のはずなのに雰囲気がやたらレトロで、わたしはすっかり1930年代だと騙されていた。まあ、考えてみれば1930年代に30年以上続いているラジオ放送なんてないわな。

 饒舌で歌も上手い名司会者の名はギャリソン・キーラー。ご本人が本人役で演じてます。キーラーは今日で番組が終わるということをどうしてもリスナーに告げることができない。今夜も明日もずっと番組が続くかのようなことをしゃべり続ける、その気持ちが切ない。映画はアルトマン監督らしく、群像劇だ。登場人物たちそれぞれがとても魅力的。年老いた恋人たちのいちゃいちゃする様子も微笑ましいし、中高年姉妹デュオというぱっとしないカントリー歌手もいいし(メリル・ストリープって歌も歌えたのね、すごい)、カウボーイたちの下品な歌も大笑い。ガイ・ノワールと言う名前のダンディな探偵(ケヴィン・クライン、かっこいい)が場違いに一人フィルム・ノワールの雰囲気を出しているところも笑える。そして、謎の美女が白いコートで現れるところなんて、ゾクゾクします。さてこの美女の正体は?! なんとも遊び心に満ちた映画ですねぇ。

 番組が終わるというときに様々な悲喜劇が描かれ、金にものを言わせる経営者への批判がチクリと描かれ、最後は新たな旅立ちへと。いいです、音楽も楽しくって。お奨め!


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今宵、フィッツジェラルド劇場で
A PRAIRIE HOME COMPANION
上映時間 105分(アメリカ、2006年)
監督: ロバート・アルトマン、脚本: ギャリソン・キーラー
出演: ウディ・ハレルソン、トミー・リー・ジョーンズ、ギャリソン・キーラー、ケヴィン・クライン、リンジー・ローハン、ヴァージニア・マドセン、ジョン・C・ライリー、メリル・ストリープ

ダーウィンの悪夢

2007年04月09日 | 映画レビュー
世界第2位の大きさを誇るアフリカ中東部のヴィクトリア湖。そこで起きている生態系の破壊と人間生活の破壊を記録した驚くべきドキュメンタリー。

 50年前、ちょっとした気まぐれでヴィクトリア湖に放流された「ナイルパーチ」という大型の肉食魚が、あっという間に在来種を食いつくし大量繁殖した。とにかくでかい。水揚げされたナイルパーチの大きさは2メートルにもなる。そしてこの魚肉が美味で加工がたやすいことから、湖の周辺には魚加工工場が建設された。輸出先はEUと日本だ。日本では数年前まで「白スズキ」という名前でスーパーなどに出回っていた。現在では切り身は弁当や外食産業で使用され、スーパーでは加工品が「西京漬け」などの名称で売られているという。

 ダーウィンの箱庭と呼ばれた在来種の宝庫だったヴィクトリア湖の生態系が破壊されるにとどまらず、湖の周辺には職を求めて大量に流入してきた人々があふれ失業者となり、売春婦が集まり、ストリートチルドレンが徘徊する下層社会が形成された。貧困、粗末なドラッグ、エイズが蔓延する社会。

 カメラが映し出すヴィクトリア湖周辺の情景はすさまじい。何百万匹も捨てられたナイルパーチの頭やアラが画面にいっぱいにどす黒く映し出される異形の不気味さにはぞっとする。魚のアラが発生させるアンモニアガスによって眼球が溶けてしまった女性がインタビューに答える姿にも驚く。

 カメラに映し出されるうんざりするような暗い光景は、映像がもつ説得力というものを感じさせる。確かに描かれていることはすさまじいのだが、インタビュー場面のつなぎかたなどは工夫がなく、ついつい眠くなる。映し出される「事実」は驚くべき絵を描いているが、映画としては面白くない、という妙なことになっている作品だ。

 グローバリゼーションがヴィクトリア湖周辺に住む人々から潤いを奪った。一部の人たちは確かに豊かになっただろうが、そうでない人々をも大量に生み出した。何よりも親のいない子どもたちの姿に心が痛む。貧しい食事を奪い合い殴り合う姿や、魚の梱包剤を燃やした煙から成る粗悪なドラッグで飢えと恐怖を忘れて眠る姿には絶望しか感じられない。しかし、だからといってナイルパーチを先進国が消費しなければもはやさらに大量の失業者を生むだけなのだ。この出口の見えない状況をどうすればいいのか? 

 さらに映画は魚肉をヨーロッパに運ぶ飛行機のパイロットたちにインタビューして驚くべきことを聞き出す。いや、もう何があっても驚かないよという感じ。

 この映画を見終わって思わず『グローバリゼーション』という大学生向けの本を読んでしまった。

 本作を見た後で梶ピエールさんのブログを読み、アフリカ関係研究者からこの映画への批判があることを知った。↓をお読みください。グローバリズム問題に解消できないことがあるし、この映画が都合のいい部分だけを切り取ったり事実を歪曲している点があり、何よりも現地の視点がないことが批判の対象になっている。
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20070223

 この映画の画面から受けるインパクトの強さに比べて見終わった後すっきりした気分になれなかったのはなぜなのか、梶ピエールさんのブログを読んで膝を打った。これは単に描かれている問題が重くて解決困難だからすっきりしなかったのではない。この映画には「白人の重荷」(@梶ピエール)の危うさが現れているからなのだ。


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ダーウィンの悪夢
DARWIN'S NIGHTMARE 上映時間 112分(オーストリア/ベルギー/フランス、2004年)
監督・脚本: フーベルト・ザウパー

明日へのチケット

2007年04月08日 | 映画レビュー
 カンヌ映画祭パルムドール組3人の監督によるオムニバス。それぞれの監督の個性が際立ってい て、面白いオムニバスになっている。しかも、それぞれが単独の話ではなく、共同編集による長編という形をとっているため、物語としてはちゃんとつながっているところがすごい。三人の監督の個性がぶつかりあう場面もあるという、そのメイキングを見てみたいものだ。
 3話オムニバスの共通点は、ヨーロッパを走る鉄道を舞台とすること。それ以外には特にしばりはなかったそうだ。本作は、作品の出来もなかなかのものだが、それ以上に、制作過程の話が面白いので、そのあたりがシネ・フィルの興味をそそると思われる。

 で、第一話は「木靴の樹」のエルマンノ・オルミ監督がメガフォンをとった。オルミの作品は見たことがないのでほかのものと比べようがないのだが、実に叙情溢れる淡々とした詩作、といったおももちの「画風」だ。
 知的で美しい中年女性に惹かれてしまう初老の大学教授の話。女性のちょっとした気遣いに心を動かされる教授。列車が駅を出るまでの短いひとときに交わした彼女との会話が忘れられず、列車内でも思わずメールを書こうとするのだが、その文章を書いては消し、また書いては消してしまう。教授はまだ少年だったころの頃の思い出と、さきほど別れたばかりの中年女性への想いを交錯させ、妄想の世界に遊ぶ。
 
 オルミの「筆致」は枯淡の味わい。この境地がわかるためには、それなりの人生経験を必要とするだろう。枯れきることのないエロスにためらいがちに燃え立たされる男のアンビバレンツな心情が憎いほど伝わってくる。

 2話目は「友だちのうちはどこ?」のアッバス・キアロスタミ監督の作品。これは大阪のオバタリアンもびっくりという超我が儘な中年女性のお話。太ったからだを揺らしてハァハァ言いながらよちよち歩く姿も滑稽で、彼女のド根性の悪さと傍若無人さにあきれ果てる。ところがこの映画には、ちゃんと面白い伏線があって、オバタリアンを泥棒よばわりしたオッサンが結局は彼女の荷物を運ぶのを手伝ってやったりという、ちょっとおかしなオチがついている。
 演じた女優はよく見れば美しい人で、体重を30キロ減らして歳を40歳若返らせたら相当な美女なのではなかろうか。将軍の未亡人という設定で、夫の一周忌の法事に出かける旅の途中なのだ。この彼女に罵詈雑言を浴びせられる従者の若者も可哀想だけれど、こういうおばさんは、痛い目に遭って自立しなきゃだめよ。
 なかなか人の心理の彩とか襞をうまく描いたシニカルな作品だった。

 3作目はわれらがケン・ローチがメガホンをとった。これがやっぱり一番素晴らしい。スコットランドからローマへとサッカーの試合を応援に行く若者3人の貧乏旅行、これが楽しげいいねぇ。ところが、偶然乗り合わせたアルバニア難民一家の少年に切符を盗まれたらしくて……

 これは脚本と演出が優れているので、極めてリアリティのある物語になっている。ユーモアもあり、ハラハラさせ、最後は爽快痛快! 思わず拳を振り上げてわたしも歌ってしまいそうになった。

 「施し」や「同情」は自分に余裕があるときならいくらでも可能だ。だが、我が身を犠牲にしてまで弱者に手をさしのべることができるだろうか? その大難問をつきつけられた若者3人の葛藤が手に汗握るスリリングな描写で活写されている。3人のスーパー店員が悩む悩みは、誰でもが心に抱くようなことだし、現にわたしはよくそういう葛藤や欺瞞に密かに苦しむことがある。「恵まれない人」への富者のほどこしは欺瞞ではないのか? と、この短い物語はこちらをギクリとさせてくれるのだ。
 それにしてもケン・ローチはやはり心の温かい人だ。劇場では感動して泣いていた人もいたというから、なかなかのものです。

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明日へのチケット
TICKETS 上映時間 110分 (イタリア/イギリス、2005年)
監督: エルマンノ・オルミ 、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチ