ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

セプテンバー

2008年03月29日 | 映画レビュー
 物語は室内に限定され、舞台劇のような会話主体の作品。ウディ・アレンの作品の中では「インテリア」系列のシリアスドラマだけれど、「インテリア」ほどには緊張感や寂寞感がない。それは、アレンの視線が「インテリア」のときよりやさしくなっているからではなかろうか。そして、緊張感を解きほぐすのは音楽だ。古いジャズが流れるととてもいいムードが漂い、重い話の中に軽さをトッピングする。この音楽、すっかり気に入ってしまった。

 家族の中に一人過去の傷の犠牲になっている娘レーンがいて、その娘もすでに中年という年齢なのに、恋人もいない。心を寄せている作家ピーターはレーンの親友ステファニーを愛しているのだが、そのことをレーンは知らない。そしてレーンに心を寄せて告白する年上の男もいるのに、レーンの気持ちはピーターへの片想いでいっぱいだ。お互いへの想いは見事にすれ違い、危うい感情のもつれが行き来する。ステファニーには夫も子どももいるのに、ピーターに言い寄られると心が揺れる。

 レーンの心の傷は我が儘で奔放な母のせいなのだが、母は自分の波瀾万丈の人生をピーターに伝記小説として書かせようともくろんでいる。傍若無人で他者を顧みることのない母だけがこの作品のなかであっけらかんと輝いている。彼女は人生を楽しみ、これからも他者の優しさを踏み台にして生きていくのだろう。

 レーンの心の傷が物語の最後にさしかかってやっと爆発するように彼女の口から語られたとき、わたしは思わず息を呑んだが、その物語がより深く紡がれることはない。結局のところ、いろいろ撒かれた種は物語の最後に回収されることなくそのまま流れるようにあるいは澱みながら人々の心に「想い」を残していく。ベルイマン監督の「秋のソナタ」と同じ構造、同じテーマを持つ作品だけれど、ベルイマンのように徹底して人の心理の奥底や醜さに分け入ることをしなかったために、本作はどこか中途半端な印象が残る。それだけにかえってレーンの心の傷が癒されていくのではないかという希望も感じる。

 本作で光っていたのはダイアン・ウィーストの演技だ。彼女の個性的な小さなそして美しい目、苦悩を目の縁に宿す表情が印象に残る。(レンタルDVD)


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SEPTEMBER
アメリカ、1987年、上映時間 83分
監督・脚本: ウディ・アレン、製作: ロバート・グリーンハット、チャールズ・H・ジョフィ
出演: ミア・ファロー、デンホルム・エリオット、ダイアン・ウィースト、エレイン・ストリッチ、サム・ウォーターストン、ジャック・ウォーデン

不完全なふたり

2008年03月23日 | 映画レビュー
 離婚を決意した結婚15年目の夫婦が、友人の結婚式のために訪れたパリで時を過ごすうちに微妙な心の変化をきたす、という物語。オムニバス「パリ、ジュテーム」での諏訪作品がいちばん気に入ったわたしは、本作もかなりの期待を持ったのだが、これはダメ。違和感ばかりが募る映画だった。とはいえ、個々のシーンではハッとさせられるような演出もあり、心に沁みる場面もなかったわけではない。しかし、とりわけ主役マリーを演じたヴァレリア・ブルーニ・テデスキの演技が納得できなくて、わたしには不可解な映画だった。

 諏訪監督は決まった脚本を用いず、だいたいの設定だけを決めてあとは役者に任せて演技させる演出法をとるという(公式サイトより)。では今回、マリーを演じたヴァレリア・ブルーニ・テデスキは、離婚間際の夫婦の会話の中で、突然怒りだしたりにやにや嗤ったりということが当然ありえると思ってそのように演じているわけだ。ここがわたしには理解できない。

 マリーが喋る場面ではほとんどカメラは固定で、対話であるのに夫の姿をまったく写さない。しかも二人の会話の間にはドアという「壁」を一枚隔てさせる。作品の最初のほうではこのドアが大きな音をたててばたんと閉じられ、マリーの冷ややかで苛立った声がドア越しに聞こえてくる。ところが、そのずっと後の場面では同じような設定だが、ドアは半開きになっている。つまり、夫婦の気持ちが少しよりを戻したわけだ。その二つの場面の間の時間にいったい二人にどんな心理の変化をもたらす事件があったのだろうか?

 実は事件など何もない。この映画ではストーリーらしきものは何もなく、事件も起こらないし、とりたてて意味のあるセリフが語られているようにも思えない。ただ、ロダン美術館を一人歩くマリーは男と女が溶け合うような彫刻に魅せられ、画面には大きく、つなぎ合う巨大な手の彫刻が何度か映し出される。そういう象徴的な場面をいくつか挿んで彼女の心が揺れていく様子をやんわりと描くのみだ。だからここには、何か具体的な夫婦の不和となる原因がわかるような描写もなければ和解のための事件が描かれるわけでもない。具象がないゆえに観客は様々なドラマをそこに読み取ることができるだろう。あるいは、読み取ることを強制される、とも言えるわけだ。


 諏訪監督はヨーロッパでは人気があるらしく、この作品もいくつかの映画賞を受賞している。しかしわたしにはピンとこない映画だった。セリフが少ないとか具体的な描写がないとか、そんなことが問題なのではない。そういう映画に心がつかまれることだってあるが、この作品からは何かを受け取ることがなかった。これは受け手の側の受容能力が低いという問題だろう。こういう作品が好きな人は好きだと思う。一般受けしないことだけは確かだが、気に入る人はすごく共感できるのではなかろうか。(レンタルDVD)


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UN COUPLE PARFAIT
フランス/日本、2005年、上映時間 108分
監督: 諏訪敦彦、プロデューサー: 澤田正道、吉武美知子、音楽: 鈴木治行
出演: ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ブリュノ・トデスキーニ、ナタリー・ブトゥフ、ジョアンナ・プレイス、ジャック・ドワイヨン、アレックス・デスカス

π

2008年03月23日 | 映画レビュー
 この映画を見ると頭が痛くなる。いえ、比喩じゃなくて、ほんとに痛くてたまらなくて、途中何度も寝てしまった。わたしは頭痛持ちで、最近こそかなりよくなったけれど、十代の頃は我慢できない頭痛に毎日毎日悩まされていた。だから、この映画の主人公である数学者が頭痛にのたうつ様子が他人事とは思えず、そして実際に痛い頭を抱えながら見ていたわけだが、そういうときって頭を錐(キリ)で刺し貫きたくなる。頭痛の渦中にいるときはいつも錐で自分の頭をキリキリと刺してフランケンシュタイン状態になっている妄想にとりつかれたものだ。この映画ではまさにどんぴしゃの場面が出てくるので、「うわぁ、わかるわ、その気持ちっ」と異様な興奮と安堵感に包まれたのであった。

 モノクロの、精度の低いざらざらとした映像といい、妄想と現実の区別がつかない場面といい、実にシュールで心地よい。あ、いえ、頭が痛い。頭痛持ちには「うわあ、よくぞ作ってくれました、この映像。よく解るわぁ~」という頭痛い痛いたまらんもうやめてけれでもつい見てしまうああやっぱり頭痛いもういや、あ、でもやっぱりつい見てしまう。という映画でありました。

 謎の数字、216桁の数字。これが株価の乱高下を生んだり、ユダヤ教の秘密をといたり、なんだか世界征服のためには絶対必要な数字みたいで。とにかく「博士の愛した数式」みたいにやたら数字の話が出てきます。しかし、これは要するに、数字が世界の全てを説明できるんだという万能感にとりつかれた男の妄想なのである。そして、その妄想にとりつかれたばかりに男は犯罪に巻き込まれ、痛い思いをし、挙げ句の果ては自分の頭をぎりぎりと破壊して…という可哀想な目に遭います。

 で、この映画の教訓は何かというと、「世界征服なんて企むのはやめなさい」ということにつきますね。つまり、世界をたった一つの原理で説明できるなどという妄想にかられるのはやめたほうがいい、ということ。マルクス主義しかり、「自由主義経済」という名のもとに過剰な競争を強いる原則しかり。たった一つのイデオロギーが世界の全てを語り尽くし覆い尽くすなどということはもやは21世紀の世界にはありえないのだ。そこから自由にならなければわたしたちは追いつめられ頭に激痛が走り破壊されてしまうのである。

 というお話でした。あー、頭痛い。(レンタルDVD)

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π
アメリカ、1997年、上映時間 85分
監督・脚本: ダーレン・アロノフスキー、製作: エリック・ワトソン、作曲: クリント・マンセル、音楽監督: スーZ
出演: ショーン・ガレット、マーク・マーゴリス、スティーヴン・パールマン、ベン・シェンクマン

アワーミュージック

2008年03月22日 | 映画レビュー
 ゴダールというのは下手にセリフのある場面を作るよりも、音楽もセリフもないコラージュ映像を作らせたほうがずっと才能を感じさせる監督だ。3部構成になっている本作の第1部は「地獄編」、この映像の美しくも残虐なこと! どこまでが記録映像でどこまでが創作映画から取った場面なのか判然としないけれど、次々と繰り広げられるのは愚かな戦争と殺戮の場面ばかり。これを見ていると、人間は数千年もずっと戦争ばかりしてきたように思える。ちっとも進化していないのだ。映像はさまざまな処理を凝らしてあるため、すぐには何かわかりにくいものもあるが、間違いなく多くの死体と多くの暴虐が行われた場面ばかり。

 七色に輝く爆破の場面の、ため息が出るような美しさの下で、間違いなく人の命が奪われている。その美しさに心を奪われている間にわたしたちは死の現実を忘れさせられる。多くの映像に刻まれた戦争の愚かさもまた、一つのイリュージョンに過ぎない。過去の様々な映画や報道映像からとられたコラージュであるこの第一部が一番気に入った。

 第2部で語られるさまざまなキーワードは現代思想を考えるために必須のアイテムばかり。ここ語られた「エクリチュール」だの「レヴィナス」だの「ハンナ・アーレント」、「カフカ」、「テルアビブ」等々にピンとこないともうまったく無意味な映画。「」内に挙げた人名や地名や事項の意味がわからない人は見るのは止めましょう、という映画です。こんなものをいったい何人の日本人が喜んで見るのかなぁと思う。思うけど、訳が分からなくても、第3部のデジタルカメラで撮影された緑の風景の美しさだけは体感できるだろう。しかも、それはすでに失われた若い命が映っている映像なのだ。その切なさはまさに絵に描いたよう。

 サラエボ。ゴダールはサラエボの大学生相手に講演する。彼は自分自身の役で登場するのだが、彼の講演を聞いていたユダヤ人女子学生から渡されたDVD、そこには彼女の姿が映っていた。若く美しく知性に満ち、内面に深い決意を秘めた憂いのある表情を見せる彼女は、イスラエルの地で儚く命を散らす。


 第2部で語られた多くのこと、それは侵略、暴力、赦し、消せない傷、絶望、物事の多元性、そういった、21世紀に投げかけられた世界への問いのすべてだ。その問いの全てにもちろんゴダールは答えない。ゴダールは問いを投げるだけ。投げかけられて迷い悩むのは観客。トロイの詩人を捜しているというパレスチナの詩人の存在に最も興味を惹かれたわたしは、「敗北した側にこそ詩が生まれる」という言葉に深く頷く。ギリシアに敗れたトロイには詩人がいなかった。しかし、いかにギリシャに優れた詩人が存在し一方トロイに詩人がいなかったからといってトロイが滅ぼされてもいいのか? 「トロイの詩人」とは、存在しない詩人のことであり、敗北こそが美しいと謡う詩人のことだ。

 わたしたちは、今、詩が生きられない世界にいる。現代詩のように美しく難解なゴダールの世界が受け入れられないとしたら、そこには絶望しかないのかもしれない。もはや日本にはゴダールを受け入れる素地はほとんど残っていない。(レンタルDVD)

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NOTRE MUSIQUE
フランス、2004年、上映時間 80分
監督・脚本: ジャン=リュック・ゴダール、製作: アラン・サルド、ルート・ヴァルトブルゲール
出演: ナード・デュー、サラ・アドラー、ロニー・クラメール、ジャン=クリストフ・ブヴェ、ジャン=リュック・ゴダール

アメリカを売った男

2008年03月21日 | 映画レビュー
 「売国奴」役と言えばこの人しかいないという陰険顔のクリス・クーパー、さすがに巧い。本物のロバート・ハンセンはもっと温厚な顔をしているから、これは映画的な演出ですね。しかし、実にうまく嫌な上司を演じています。


 2001年2月、FBI長官は記者会見でロバート・ハンセン捜査官が20年以上の間、ロシア(ソ連)のスパイであったと発表した。本作は、アメリカ史上最悪のスパイ事件と言われたハンセン事件の逮捕2ヶ月前から逮捕までを追った緊迫のドラマ。


 若きFBI訓練捜査官エリック・オニール(ライアン・フィリップ)は、上司のケイト・バロウズ(ローラ・リニー)にロバート・ハンセン捜査官の補佐役になるよう言い渡された。ハンセンは性的倒錯者でありインターネット上に実名でいかがわしい投稿をするFBIの恥さらしである、ついては彼を見張り、その動向を逐一報告するようにと命じられた。出世をちらつかせられたエリックはいやいやながらもその任務に就く。初めて会うハンセンは癖の強い男であり嫌な思いを相手に与える威圧的上司だが、敬虔なカトリック教徒であり、不思議な優しさや魅力も持っている。何よりもコンピュータの知識に秀でていて、いつの間にかエリックはハンセンに惹かれ始めていた。エリックもまたカトリックであり、家族ぐるみで教会へ礼拝に行ったりするうち、エリックは自分の任務に疑問を感じ始める。ケイトを問いただし、本当の任務を知ったエリックは仰天する。FBI一のロシア通ハンセンは20年間ソ連・ロシアのスパイだったのだ。彼の密告のせいで処刑されたアメリカのスパイは50人に上るという。ハンセンの逮捕のためには現行犯で現場を押さえる必要があるのだ。エリックは気の重い任務を続けることになる……
 

 人を騙すのがスパイの仕事。そのスパイをさらに騙すのがエリックの仕事だ。神経質で注意深いハンセンをクリス・クーパーがあまりに巧く演じるため、観ているほうも息が詰まりそうになる。この物語は徹底的にエリックの視点で描かれているため、ハンセンのちょっとした目つきに不安や恐怖を感じるエリックに観ているほうもすっかり同化してしまう。この映画はスパイ活劇などではなく、騙し騙されることの息苦しさに観客を引き込む心理劇だ。

 本作で大きなウェイトを占めているのが主役二人の信仰する宗教、カトリックだ。プロテスタントの多いアメリカにあっては少数者であり、それゆえに熱心な信者たる二人が神に祈ることを通じて心を合わる。もちろんその心合わせは嘘にまみれた虚飾の姿ではあるが、案外ハンセンはほんとうにエリックと宗教心を一つにしたという安心感を持ったのかもしれない。ハンセンがどこまでエリックに心を許していたのか、この映画を観てもわからない。さらに、なぜFBI捜査官のハンセンがCIAの情報まで含めた国家の最高機密にアクセスすることができたのか、さらに彼は実際のところどんな情報をロシアに流していたのか、その詳細は語られない。事実、ハンセンの犯罪については未だに全貌が明らかにされていないそうだ。そういう点では映画を見終わって不満や疑問が多く残るのだが、しかし、見ている間はずっと上司と部下二人の騙し合いに手に汗握っていた。

 信仰心があるゆえにこそ、人を騙すのはつらい。エリックはおそらく相当なストレスを感じていたはずだ。売国奴を逮捕するためとはいえ、一度は惹かれた人間を追いつめることの後ろめたさにエリックは苛まれたのではないか。彼がハンセンの逮捕後にFBIを辞めてしまうことの理由は映画の中でははっきりとは語られないが、素直に了解できる。

 人は誰もが小さな秘密大きな秘密を持つ。職業上知り得たことに対する守秘義務を負う人も多いだろう。誰かを騙したこともあるだろうし騙されたこともある。子どものころのちょっとしたいたずらや罪に心を痛めながら密かにそれを胸にしまっていることもある。この映画は、そんな「人を騙すことの苦しさ」がひしひしと迫ってくる秀作だ。決して国家機密だのという大それた話ではなく、こういうことは日常どこにでも転がっている。家庭や職場でのトラブルを一人で胸にしまっておくこともあるだろうし、人を傷つけないために嘘をつくことだってあるだろう。

 エリック・オニール自身が本作に全面的に協力し、FBIの協力もとりつけて撮ったという作品だけに、公にできないようなことはまだまだ巧妙に隠されていそうだし、エリックもちょっといい役すぎるかもしれない。また、本作では明らかにされなかったスパイの動機について、原作本の一つ、『アメリカを売ったFBI捜査官』の著者D.A.ヴァイスはさまざまな角度から分析し、真相に迫っているそうだ。だがこの映画ではハンセンはひたすら謎の人物である。その不可解ぶりを解明しなかったことがかえってよかったのではないか。彼はまるでモンスターのような(かつナイーブな)存在として終始描かれる。だからこそ、ラストシーンで彼が流す涙が衝撃的であり強く印象に残る。神はハンセンを赦さなかったようだ。


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BREACH
アメリカ、2007年、上映時間 110分
監督: ビリー・レイ、製作: ボビー・ニューマイヤーほか、脚本: ビリー・レイ、アダム・メイザー、ウィリアム・ロッコ、音楽: マイケル・ダナ
出演: クリス・クーパー、ライアン・フィリップ、ローラ・リニー、デニス・ヘイスバート、カロリン・ダヴァーナス

ノーカントリー

2008年03月20日 | 映画レビュー
 乾いた映画。始終、西テキサスの乾いた映像が観客を圧倒し、砂漠よりも乾いた殺人者の存在がさらにいっそう観客を恐怖に陥れる。ハビエル・バルデム演じる殺し屋が恐ろしすぎて夢に出てきそう。

 時は1980年。場所は西テキサスの広野。ベトナム帰還兵達が手傷を負った獣のように徘徊していた時代だ。

 偶然、麻薬がらみの200万ドルを砂漠で拾ったルウェリン・モスは、殺し屋に追いかけられることになる。現金の入った鞄を持ったまま、モスの逃避行が始まる。追う殺し屋アントン・シガーは酸素ボンベのような用エアガンを抱えている。シガーの不気味さは空前絶後だ。コインの裏表によって相手を殺すかどうか決める残忍無比な男。彼にかかっては殺人はまったく意味のないものとなる。人はなぜ殺されるのかなんの前触れも覚悟もなく彼によって死をもたらされる。殺人を楽しむわけでもなく意味を見つけるわけでもなくなぜかとにかく人を殺すアントン・シガー。その不気味な姿をこれ以上ないという不気味な髪型(これは実は笑えます)で演じさせたコーエン兄弟のギャグセンスには恐れ入る。この映画はまったく笑いがない。それどころか凍り付く恐ろしさと緊張感に溢れたもっさりテンポのスリラーである。それなのに、実は笑える場面がいくつかある。一つがこの殺し屋シガーの髪型。後は忘れた(・o・)。


 逃げ回るモスもかなり身体能力とサバイバル能力が高い。この時代の帰還兵は生き延びるための手だてを軍隊で教え込まれてきているから、ちょっとやそっとでは死なない。それがまた200万ドルを持ち逃げできるという妙な自信につながるのだろう。

 意味もなく横溢する暴力がもたらす恐怖というテーマと、不条理に死んでいく人間、その運命に翻弄される姿を、コーエン兄弟は徹底的に計算し尽くした空間演出と「追っかけ劇」のゆったりとした間合いによって描く。「不条理に死んでいく」と書いたが、そもそも不条理でない死はあるのだろうか。あるいは、死そのものは不条理ではなく、「そこにある」べきものではなかろうか。 

 逃亡-追走劇にもゆっくりとした間をもたせ、独特の静かなセリフ回しにより、とんでもなく緊迫感の高い作品が生まれた。だが、不死身の男シガーの不気味な姿が目に焼き付いて、とてもじゃないが後味のいい作品とは言い難い。ラストシーンもなんだか狐につままれたみたいで、ああ、最後までコーエン節で通してしまったね、という感動とも拍子抜けともいいがたい寂寞感が漂う。 

 この映画の狙いやテーマについては劇場用パンフレットにコーエン兄弟がかなり詳細にしゃべっっていて、またいろんな映画評論家などが語り尽くしてしまっているので、これから映画を見るならパンフは事前に読まないほうがいいでしょう。

 死に神の恐怖をこれほどリアルに描いた映画はかつてなかったかもしれない。(R-15)

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NO COUNTRY FOR OLD MEN
アメリカ、2007年、上映時間 122分
製作・監督・脚本: ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン、原作: コーマック・マッカーシー『血と暴力の国』、音楽: カーター・バーウェル
出演: トミー・リー・ジョーンズ、ハビエル・バルデム、ジョシュ・ブローリン、ウディ・ハレルソン、ケリー・マクドナルド

バンテージ・ポイント

2008年03月20日 | 映画レビュー
 スペインで開かれる国際会議の場で、アメリカ大統領が暗殺された! その場面を8人の視点から繰り返し眺めてみると…。

 同じ場面を巻き戻しながら何度も見さされるなんて苦痛かも、と思いきや、これが意外や意外、とても面白くてのめりこんでしまう。主役はだいぶ老けて渋みが増したデニス・クエイド、彼がシークレット・サービスのトーマス・バーンズを演じます。最初はテレビ局が映し出す何台ものカメラで捉えた映像、次はトーマス・バーンズの視点からの画(え)、次はスペインの警官、次はアメリカ人観光客…と順にめぐり、主な登場人物4人が終わってしまった。さて、次は誰の視点なんだろう? と思っていると、どんどん話は意外な方向に展開していく。8人の視点で同じ場面を繰り返すとはいうけれど、それぞれしか知らない情報がそこには描写され、謎が投げ出され謎が深まりまた謎が回収されていく。

 この着想はお見事でした。黒澤明の「羅生門」的な構成だけれど、「羅生門」のように登場人物の証言が食い違うというのではなく、8人それぞれが断片的に知っている情報をつなぎ合わせると事件の真相が明らかになるというかたちをとっている。ふつうはこういう物語の場合、8人の登場人物それぞれの事情を時系列につなぎ合わせていくのだが、この映画ではそういう手法をとらずにあえて暗殺事件前後の23分間を一人の人間に焦点を絞って何度もまき直すという方法をとったことが斬新で面白い。大統領暗殺という衝撃的な事件の真相を追うというサスペンスものを作るために法廷での証言集のようなプロットを持ってきたところが優れもののアイデアだ。しかもそれをスピーディに展開させたのがいい。最後のカーチェイスもものすごい迫力。ただしこのカーチェイスがめまぐるしすぎてしまいには目が痛くなった。

 とはいえ、見ている間は興奮して面白がっていたこの映画だけれど、見終わってふと冷静になると、いくつも辻褄の合わないところや、あまりにも説明不足の点が思い起こされてしまう。何より気になったのは、全方位外交的にすべてのコードをクリアさせるべくいろいろ気を使った展開(人種コード、テロ対立コード、平和コード)なのに、結局はアメリカ人が喜びそうな結末に落ち着かせたところ。アメリカ人はたとえ一旅行者といえどもヒーローなのに、スペイン人は警官がひどい扱いをうける。これって「差別」じゃないの?

 テロリストたちの用意周到な暗殺計画で武器となるのは小型のハイテク・リモコン。携帯電話のようなものを持ったテロリストが次々と爆破現場をリモートコントロールする。だが、完璧のはずのその計画に綻びが出る原因はまた「リモートコントロールされた視点」、つまりカメラだ。テレビ局のカメラ映像が偶然捉えた事件の真相につながる場面もしかり、旅行者が偶然捉えたハンディカメラでの場面もしかり。

 今や、街のあらゆるところにカメラがあり誰もがビデオカメラを手にできるようになれば、犯罪も目撃される可能性が高くなる。ハイテク機器に頼ったテロが同じくハイテクカメラの目を逃れることができず、最後は一人の男の捨て身の追跡によって阻止される。機械対人間、身体対身体、宗教対宗教、戦争対平和。この映画にはいくつもの対立点が示されている。しかし、90分という短さにしぼった展開だったため、そういう面白げな背景は深く顧みられることはない。

 娯楽作としてはたいへんよく出来ている、お奨めの一作。あんまり深く考えないほうがいいのかも。

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VANTAGE POINT
アメリカ、2008年、上映時間 90分
監督: ピート・トラヴィス、製作: ニール・H・モリッツ、脚本: バリー・L・レヴィ、音楽: アトリ・オーヴァーソン
出演: デニス・クエイド、マシュー・フォックス、フォレスト・ウィッテカー、サイード・タグマウイ、エドゥアルド・ノリエガ、シガーニー・ウィーヴァー、ウィリアム・ハート

歓びを歌にのせて

2008年03月20日 | 映画レビュー
 川を見れば「泳ごう」と言い出していきなり若い女がすぱっと全裸になったり、牧師が突然発情したり、最後は無理やり主人公を死なせてしまったり、なんだかけったいな映画。基調となる映画のトーンにときどき「あれ?」と思わせるような破調を持ち込むという点ではなかなか面白いのだが、なんとなくすっきりしない終わり方で、「感動もの」の割には感動が薄い。ひとつずつの場面がどこかきれぎれな感じがして、パズルがぴたっと収まる快感がないからだろう。つまり完成度が低いということ。しかしながら、個々の場面は魅力的なシーンで溢れている。

 さて物語は…

 主人公は世界的に有名な指揮者ダニエル・ダレウス。マエストロ(巨匠)といわれる彼は8年先までスケジュールがびっしり詰まっている。だが、ストレスの多い生活を続けたせいなのか、彼の心臓はボロボロで、ついに引退を決めたダニエルは生まれ故郷の寒村に戻ってくる。幼少から神童と言われた彼はしかし、村では子ども達のイジメに遭っていた。7歳で引越し、名前を変えて音楽界にデビューした偉大な指揮者のことをかつての村の人間だとは誰も気付かない。有名人がやってきたという好奇心満々の瞳で村人達はダニエルを見るし、教会の牧師からは聖歌隊の指導をしてほしいと頼まれる。最初は嫌々だったが、やがて聖歌隊の人々の素朴な声と人柄にふれたダニエルは、本気で合唱指導を始めるのだった。だが、ダニエルのやりかたが牧師の逆鱗にふれることとなり、また一方で聖歌隊のメンバーがコンテストへの出場に応募したりと、いろいろ波乱がおきる…



 世界的権威の指揮者が素人集団の聖歌隊をどのように指導するのか、とても興味のあるところだ。ダニエルの指導はたいへんユニークで興味深い。合唱の基本は「他者の音に耳を澄ませ、他者の音を聞いてそれに合わせる」という、心合わせなのだ。そのことが如実にわかる作品だった。だからこそ、ラストシーンの「心合わせ」が感動を呼ぶ。

 映画の作り方としては、素人集団の中にきら星のごとく存在する美声の持ち主の女性にソロを歌わせるという場面がクライマックスとなるのだが、それがちょっと早く来すぎたきらいがある。映画全体のクライマックスを早めに持って来すぎたために、後の展開がトーンダウンした。また、もう少しコーラスの苦労話を挿入していればより説得力があったのだが…。どう聴いてもここの聖歌隊は歌が下手なので、そんなことでコンテストに出るなどは無謀だ。もちろんダニエルにはそんなことはわかっているだろうが、観客に理解できるようなセリフがほしかった。

 独身のまま中年になってしまった孤独の人ダニエルが恋をする相手が奔放なレナという若い女性であるところがなかなか面白い。レナは恋多き女性で、ダニエルの前でも奔放に振る舞い、彼を振り回す。

 この映画の面白いところは、教会秩序への異議申し立てというテーマを含む作品が、そのテーマそのままに随所に自由な破調や逸脱を含むということだ。さきほど完成度が低いと書いたが、案外それも計算のうちかもしれない。全体としてアナーキーな印象を受けるということは、映画の狙いとしては成功しているもかもね。(レンタルDVD)

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SA SOM I HIMMELEN
スウェーデン、2004年、上映時間 132分
監督・脚本: ケイ・ポラック、音楽: ステファン・ニルソン
出演: ミカエル・ニュクビスト、フリーダ・ハルグレン、ヘレン・ヒョホルム、
レナート・ヤーケル、ニコラス・ファルク、インゲラ・オールソン

潜水服は蝶の夢を見る

2008年03月16日 | 映画レビュー
 42歳という働き盛りに脳梗塞で倒れ、左目以外はどこも動かせなくなってしまった”ELLE”編集長の自伝の映画化。唯一動かすことのできる瞼によって瞬きだけで本を書いたという驚異的な話。20万回の瞬きを書き留めた筆記者の忍耐力には感動する。アルファベット表を読み上げてもらって、自分が表示したい文字のところで瞬きをするという信じられないぐらいじれったい方法で書き上げた本の文章も、素晴らしく思索に満ちて詩的な響きを持つ。人間の能力の限界のなさに感動すると同時に、驚異的映像の力によって、どうしようもない肉体への苛立ちをも観客は主人公と共に味わう。指一本動かせなくてもなくならないエロス的身体のざわめきを、自由への渇望を、わたしたちは主人公ジャン=ドミニク・ボビーと共にする。


 映画はいきなり、身動きできないジャン=ドミニク愛称ジャン=ドゥの視点で始まる。巻頭十数分は主人公の主観カメラによって、彼の身に何が起こっているのかをジャンと共に知るのだ。どうやら発作で倒れたらしい。目の前に見える人々は白衣の医療関係者たち。自分の声は発しているはずなのに周囲の人間には聴き取ることができない。おまけに彼らは患者本人の意志など無視して治療に当たる。ジャンはまったく身体が動かせない、まるで重い潜水服に包まれているかのような「ロックト・イン・シンドローム」に罹ったわけだが、意識も記憶もしっかりしているだけに、苛立ちは大きい。そんな彼の主観カメラで2時間重苦しい場面を見続けさせられるのかも、と危惧し始めた頃、画面は突然踊り飛ぶ。ジャンは自分の世話を焼いてくれる美しき治療者達を相手に妄想にふける。それはえもいわれぬほど美味しい牡蠣を思う存分彼女と食べて唇を重ねること。そう、どんな姿になっても人は食欲と性欲は忘れない。これこそ生命力の根源なのだ。

 この映画は身動きできないジャンの姿を写し、彼の視点で周囲を見、なおかつ時として自由にジャンの追憶や妄想に身を委ねる。自在なカメラの動きによって、わたしたちはいっそう、思うようにならないジャンの不自由な身体へと想像力を馳せ、彼の苛立ちと焦りと絶望とそれでも失わない希望を共にする。

 元気な頃は大勢の女たちと関係を持ち、自分の子どもたちの母親とは同居せず、好き勝手に暮らしていたドンファンだったのに、今やジャンは涎を垂らして片眼を剥く「醜い」存在だ。彼は瞬きで意思表示した、「死にたい」と。しかし自殺すらできないジャンは別のことを考えた。自分のことを本に書くのだ。

 ジャンには本を書くという知性と才能があった。このことが彼を生かし続けたのだ。それだけではない。彼は病になって初めて子どもたちやその母親の愛情にしみじみと接することになる。何人もの医療関係者が手厚く彼を介護し、リハビリさせる。こういうとき、ほんとうに人は人に助けられて生きているということを実感するものだろう。

 ジャンを世話するのは美しい女性たちばかりではない。男性の介護士もまた彼をプールに入れて、「気持ちいいですか?」と訊く。その場面はとても印象深い。静謐な力の溢れる不思議な場面だ。水着姿の中年男が二人、抱き合ってプールに浮かんでいる。一見、妙な感じを与えるのに、そこには優しい信頼感がある。

 ジャンの父親役がマックス・フォン・シドー! やっぱりこの人の演技は確かです、画面に登場するだけで観客のほうがかしこまってしまうような威厳がある。父親もまた老人ホーム(?)に入っていて、車椅子生活だ。ジャンと父親とのやりとりは切ない。

 身動きできないジャンの元に恋人から電話がかかってくる。その電話を受け取るのは別の女性だ。ドンファンはこんな姿になっても女を泣かせる。その場面もまた切ない。

 どんなときも希望を持って生きるということの意味、そして日々の何気ない生活の中で築いてきたものの大切さ、なくして始めてわかる数々の自由のありがたさ。この映画は多くの哲学をわたしたちに語ってくれる。




 潜水服の中でジャンは蝶の夢を見た。それはわたしたちもまた見る夢かもしれない。

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LE SCAPHANDRE ET LE PAPILLON
フランス/アメリカ、2007年、上映時間 112分
監督: ジュリアン・シュナーベル、製作: キャスリーン・ケネディ、ジョン・キリク、製作総指揮: ジム・レムリー、ピエール・グルンステイン、脚本: ロナルド・ハーウッド、撮影: ヤヌス・カミンスキー、音楽: ポール・カンテロン
出演: マチュー・アマルリック、エマニュエル・セニエ、マリ=ジョゼ・クローズ、アンヌ・コンシニ、パトリック・シェネ、マックス・フォン・シドー

エリザベス/ゴールデン・エイジ

2008年03月15日 | 映画レビュー
 ひたすら豪華、絢爛の衣装の数々。コスチューム劇は大好きなんです、わたし。前作に比べてとってもわかりやすいのもいい。今回は照明に凝るのはやめたのか、画面も明るくてよろしい。キュートな侍女も侍らせて、エンタメ映画的には前作よりずっとよろしい。

 しかしなんで今頃エリザベス1世の時代劇なんだろうか、とそのことをつい考えてしまう。スペインの覇権を破ってイングランド全盛時代を迎えた女王の気品と気高さに触れてイギリス人よ、夢よもう一度。なのかな? 宿敵であり従姉妹であるメアリ・スチュアートを処刑したエリザベスではあるが、それは彼女の本心ではなく、本当はとてもつらかったのだとか、「民はその行いによって裁かれる。思想によってではない」という民主的信念を持っていた(ほんとか?)といった啓蒙君主的な面を強調しつつ、年下の男への恋心に揺れる一人の女としての側面をも描く、割と美味しいとこどりの作品。でも、薄いです。ドラマが薄い。こんな薄い脚本なのにケイト・ブランシェットは熱演している。


 ところで、不思議に思ったのは、エリザベスの衣装の色。青系統が多くて、ピンクや赤がないのはどうしてだろう。青、緑、紫、白、といった色のドレスは何着も登場するが、赤系統を着ることがない。これは理由があるのだろうか。女王だけではなく侍女達もそうだ。

 収穫は次女ベス役のアビー・コーニッシュ。愛らしい彼女の今後が楽しみ。あ、アビーちゃんは「プロバンスの贈り物」にも登場していました。しかし、本作のアビーのほうが可愛いです。

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ELIZABETH: THE GOLDEN AGE
イギリス/フランス、2007年、上映時間 114分
監督: シェカール・カプール、製作: ティム・ビーヴァンほか、製作総指揮: マイケル・ハーストほか、脚本: ウィリアム・ニコルソン、マイケル・ハースト、撮影: レミ・アデファラシン、衣装デザイン: アレクサンドラ・バーン、音楽: クレイグ・アームストロング、アル・ラーマン
出演: ケイト・ブランシェット、ジェフリー・ラッシュ、クライヴ・オーウェン、リス・エヴァンス、ジョルディ・モリャ、アビー・コーニッシュ、サマンサ・モートン

晴れた日に永遠が見える

2008年03月15日 | 映画レビュー
 バーブラ・ストライザンドが若い! ジャック・ニコルソンが若い! 70年ファッションが懐かしい。輪廻転生をテーマとする不思議なラブコメ・ミュージカル。

 と、ここまで書いてもうすべて言い尽くしてしまったような気になった。見終わって2週間でほとんど何も記憶に残っていない作品。でも面白くなかったわけじゃなくて、十分楽しんだ作品でもある。バーブラ・ストライザンドがチェーン・スモーカーのヒロインを可愛く演じて、歌もたっぷり聴かせてくれる。未来が予言できるとか、他人の心がなんとなく読めるとか、超能力の持ち主の割にはその能力がしけていて、「電話がかかってくるのがわかるの」という程度ではほとんど何の役にも立ちません。

 途中でちょっと寝てしまったからストーリーはよくわからない部分もあるんだけれど、いっぷう変わったラブコメなので、70年ファッションの数々とともにニューエイジっぽさを味わうといった楽しみ方でいかがでしょうか。(レンタルDVD)

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ON A CLEAR DAY YOU CAN SEE FOREVER
アメリカ、1970年、上映時間 129分
監督: ヴィンセント・ミネリ、製作: ハワード・W・コッチ、脚本: アラン・ジェイ・ラーナー、音楽: バートン・レイン、ネルソン・リドル
出演: バーブラ・ストライサンド、イヴ・モンタン、ボブ・ニューハート、ラリー・ブライデン、ジャック・ニコルソン

いつか眠りにつく前に

2008年03月13日 | 映画レビュー
 どれだけの娘が母の人生を知っているのだろうか。どれだけの母が人生を娘に語って聴かせるのだろうか。わたしの母は76歳。あと何年生きてくれるのかわからないけれど、わたしは母の人生をどれほど知っていると言えるのだろう。娘時代の恋、父との恋、結婚、父の病気、独立起業。お嬢様育ちとはいえそれなりに苦労もあっただろう。何よりも戦争を生き抜いたのだからそれだけでも随分な苦労のはず。しかし、母はわたしに「過ち」については何も語っていない。ひょっとしたら何も過ちなど犯さなかったのかもしれないし、人生に何一つ後悔がないのかもしれない。

 翻ってわたしはどうだろうか。娘をもつことがなかったわたしには、「女の思い」を語るべき相手がいない。たとえいたとしても、わたしは自分の人生を娘に語るだろうか。様々な過ちや後悔や自責や自負や自己嫌悪やプライド、矛盾する多くの混沌とした想いを、死ぬ前に語るのだろうか。

 そんなことを考えながら画面を見ていた。そして、ラストシーン、静かに涙が流れた。実をいうと登場人物の誰にも感情移入することがなかった。ヒロインの生き方に共感もできなかったのに、それでも「ああ、理解できる」と感じて、そして娘たちが母への愛を胸一杯に溢れさせ、姉妹の葛藤も死に行く母の前で消えていく、その美しさに打たれてしまったのだ。


 死ぬ前に、「自分の人生の最初の過ちはハリスだった。わたしはハリスを愛し、バディを殺してしまった」と錯乱して娘たちに語る母アン(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)。瀕死のアンと、若き日のアン(クレア・デインズ)の物語が時を往還しつつ並行して語られていく。母は、自分の過去を娘達に語ったわけではない。結局のところ、「ハリスとは誰だったのか」、母の口からその答を聞くことはなかった。

 ハリスとは誰だったのか、なぜアンにとって一生の恋人だったのか、その愛の深さをこの映画からだけでは測りづらい。アンの親友ライラ(メイミー・ガマー)が恋した男がハリスだったのだが、アンの弟バディもまたハリスに憧れていた。使用人の息子だったハリスに想いを告げることがなかったライラは、ついに結婚式の前夜、ハリスに告白するのだが、彼に愛されていないことを知り、泣く泣く他の男と結婚式を挙げる。マリッジ・ブルーなのか、泣き続ける花嫁は式の当日まで迷っている。親友の迷いを目の前にしてアンは「まだ逃げられるわ」と忠告するのだが、そのアンもまた出会ったばかりのハリスを愛してしまう。 

 ライラの結婚式の前日と当日というたった2日の間に生まれた愛と悲劇がその後の彼らの人生に生涯影を落とすことになる。しかし、人物の造形がきちんとできているとは言い難く、一人一人の思いを過不足なく描くという点でも不満が残る作品だ。これでは彼らの行動も心理も不可解だと思う観客は多いだろう。原作のある作品の脚本化は難しい、とこういうときに思う。おそらく原作のかなりをはしょったのだろうなと思わせる展開なので、観客が想像力を全力動員して、描かれていない行間を埋めていかねばならない。

 本作の印象的なのは巻頭の夢の場面。海に浮かぶ小舟に横たわる若き日の自分の姿を岸辺から厳しい表情で見つめる老いたアン。油絵に描いたようにくっきりとした輪郭のこの場面をCGなしで撮ったのだという。さすがは撮影監督を長らく務めたコルタイ監督、この場面だけではなく、光の使い方が素晴らしい。演出力についてはあんまりよくわからないのだが、なんといっても名女優たちの名演が助けてくれるから、並の監督だったらすることないよ、って感じ。

 メリル・ストリープとヴァネッサ・レッドグレーヴが素晴らしいのは言わずもがなだから当然として、意外な収穫だったのはヒュー・ダンシー。彼の演技には舌を巻いた。

 この映画のもう一つの楽しみは親子共演だ。メイミー・ガマーがメリル・ストリープの娘だと知らずに見ていて、「メリル・ストリープによく似ているなぁ」と思っていたらやっぱり実娘だった。ヴァネッサの娘がナターシャ・リチャードソンだったとはこれまた知らなかったのだが、娘のナターシャは「上海の伯爵夫人」に主演していたのだった。ちなみに「上海の伯爵夫人」でも親子共演だったのに気づかなかった。

 ひたすら静かな映画で、肝心の「過ち」の意味が判然とせず、しかも後半は皺だらけの老女のアップが連続するので、若い人には耐えられないだろう。人生の「過ち」の意味を噛みしめている40歳以上の女性にはお奨め。

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EVENING
アメリカ/ドイツ、2007年、上映時間 117分
監督: ラホス・コルタイ、製作: ジェフリー・シャープ、原作: スーザン・マイノット、脚本: スーザン・マイノット、マイケル・カニンガム、音楽: ヤン・A・P・カチュマレク
出演: クレア・デインズ、トニ・コレット、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、パトリック・ウィルソン、ヒュー・ダンシー、ナターシャ・リチャードソン、メイミー・ガマー、アイリーン・アトキンス、メリル・ストリープ、グレン・クローズ

椿三十郎

2008年03月09日 | 映画レビュー
 実家の両親がやって来たので、久しぶりに家族全員で見られる映画を、ということでS次郎(中学2年)のリクエストで「椿三十郎」を見始めたら、一番ハマったのはY太郎(高校1年)。最後まで大喜びで見ていた。

 ストーリーはとっても単純でわかりやすいがかといって決しておざなりなお話ではなく、椿の花がうまい伏線になってなかなか達者な脚本には感心させられる。リメイクしたくなるのもわかるけど、森田芳光監督はまったく同じ映画を作ったという話だから、なんでそんなことをする意味があるのか、不思議だ。これでええやんか。

 「用心棒」の続編的な作品で、敵役が同じく仲代達矢。仲代はこのときせいぜい30歳ぐらいなのだが、とてもそうとは思えないすごい存在感をまき散らしている。三船敏郎の渋さといい、この当時の役者のオーラは今のものとは比べものにならない。この二人に匹敵できるのは今の若手なら浅野忠信ぐらいかも。

 脚本の巧みさ、構図の大胆さはどちらも「用心棒」に劣るが、それは「用心棒」が面白すぎるからであって、本作だけ見れば十分面白いと評価できよう。用心棒の殺陣も素晴らしかったが、本作の最後に配置された仲代との一騎打ちはあっけなく終わるとはいえ、度肝を抜く場面だ。これは公開当時、相当話題になったのではあるまいか。

 ストーリーの要となる、藩の不正事件というのが実をいうといまいちよくわからなかったのだ。なぜ家老を巻き込む不正事件があのようにまどろっこしい展開を見るのか、全然納得できない。脚本には突っ込みたいところが山のようにあるのだけれど、すべてが「これは映画なんだから」という虚構性の前にはひれ伏してしまうような力があるのはやはりただならぬ作品といえよう。天然ぼけのようなおっとりした奥方と娘、不正を働く奸臣のくせに頭の巡りの悪いお偉方たち、血気盛んなだけで知恵の回らない青年武士たち、といったキャラクターはそれぞれ笑えるのだが、三船の演じた椿三十郎がなぜ青年武士たちに同情したのか、その肝心の部分が説得力に欠ける。

 ところで、夜のお堂の中で武士達が語り合う場面を見たうちの爺ちゃん曰く、「蝋燭一本であんなに明るくなれへんぞ」。まあまあ、そこは映画なんだから、細かいところは言わないの! とにかく息子が大喜びしていたというのが面白いところです。彼らは「白黒の映画なんかいらんわぁ~」「時代劇なんか面白くないわ!」とか文句言いながら「七人の侍」も「用心棒」も大喜びしていたし、この「椿三十郎」もすっかりハマっていたから、やはり黒澤の力は並々ならぬものがあります。

 頼りない公僕たちの義憤に手を貸すアウトローの素浪人という物語の構造が受けた時代性が今も生きているというところが面白い。これはひょっとして2.26事件の青年将校の心性にも通じるものがあるのだろうか。(レンタルDVD)

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日本、1962年、上映時間 98分
監督: 黒澤明、製作: 田中友幸、菊島隆三、原作: 山本周五郎『日々平安』、脚本: 菊島隆三、小国英雄、黒澤明、音楽: 佐藤勝
出演: 三船敏郎、仲代達矢、小林桂樹、加山雄三、団令子、志村喬、藤原釜足、入江たか子、田中邦衛

0093 女王陛下の草刈正雄

2008年03月09日 | 映画レビュー
 何を隠そう、わたくし、草刈正雄のファンなのです。この映画には草刈の若かりし頃のピンナップも登場して、もう、そのハンサムぶりには息が止まるほどです。なんで一瞬しか出さないのよ、あの場面!! なので、わたくし、ここだけ繰り返しずっと見ました。いやぁ~、DVDっていいわねぇ。草刈正雄を見るのはもう十数年ぶりかもしれないと思って調べてみたら、「古畑任三郎」に出演していたのを見たのが最後だったから、もう12年ぶり? それにしても老けたのでびっくりした。沖田総司役のあの男前をもういちど見たい! あ、今調べて判明しました、テレビドラマ「新選組始末記」のようね。また見たいわぁ~。「古畑」のほうはDVDがあるようだからもう一度見てみよう。

 あ、肝心の映画のレビューね、はいはい。これ、今年最高のオバカ映画かも。これほどお馬鹿な映画なのに草刈正雄はマジに主演して、主題歌まで歌っているし、おまけに次女まで出演させてこの映画で親子デビュー。うひゃー、たまりません。

「弾丸(たま)は抜いてある」って!(爆笑)。最初にこのギャグで思わず大笑い。あとはひたすら馬鹿馬鹿しいお話に笑うやら呆れるやら。この脚本、バカにしたもんではありませんよ、なかなかこういうギャグは思いつかないものだし、思いついてもやらないよ、ふつう、恥ずかしくて。

 0093っていうのは「草刈」の「くさ」のもじりです。では「かり」はどこへ行ったのかって? それは映画を見てのお楽しみ~(^▽^)。わたし、堪能しました。いったい何の話だったのか、昨日見たばかりなのにもう忘れているというばかばかしさ。最高ですね、最高。あ、ちなみに誰にもお奨めしません。続編を作ってシリーズ化してほしいっ。(レンタルDVD)

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日本、2007年、上映時間 88分
監督: 篠崎誠、プロデューサー: 丹羽多聞アンドリウ、脚本: 加藤淳也、音楽: 遠藤浩二
出演: 草刈正雄、黒川芽以、麻有、水野晴郎、嶋田久作、森田正光

エリザベス

2008年03月08日 | 映画レビュー
 ただいま上映中の「エリザベス ゴールデン・エイジ」の予習のため、鑑賞。

 豪華絢爛な美術が売りというけれど、画面が暗すぎて絢爛がくすんでいるではないか! 近世の暗い雰囲気を出そうとしたのか、リアリズムに凝ったのか、とにかく室内は暗くてほとんど何も見えず。処女王エリザベスは未婚だったので「処女」ということになっているらしいが、ほんとは何人も愛人がいた。そのうち特に寵愛の深かったロバート・ダドリー卿との恋愛を横軸に、エリザベス1世がイングランド女王としての地位を確立していくさまが縦軸に描かれる。

 王女といえどもその地位は不安定で、姉であるメアリ1世によってロンドン塔に幽閉されていたエリザベスは、姉の死によって25歳で即位する。当時のイングランドはエリザベスの父王がローマカトリックと縁を切って新教国に生まれ変わっていたが、まだカトリックとの闘争は続いていた。父王と違ってカトリックに復教したメアリは新教徒を弾圧し、新教徒エリザベスは再び国教を新教に変えた。スコットランドにはフランス出身のメアリ・ド・ギース女王がおり、これがエリザベスにとっては目の上のたんこぶ(彼女の娘がメアリ・スチュアート)。とにかく王位を巡ってはさまざまな国や人々の思惑が入り乱れ、当時のイングランドは王位継承を巡って吹き飛びそうな小国だったのだ。当時ヨーロッパの王家は国際結婚を繰り返していたからみんな親戚で、スコットランド女王であるメアリ・スチュワートはイングランドの王位継承権を持っていたし、スペイン王が夫だし、フランスは母の実家で…というややこしい状態だった。

 というような政治的歴史的背景はこの映画には一切説明がございません。なんという不親切な! イングランド王家の確執やエリザベスの猜疑心・不安・矜持といったものを描こうとした意図はわかるし、どろどろとした政治劇の雰囲気を出そうとしたこともわかるのですが、あまりにもドラマをおざなりにしすぎ。これでは王朝絵巻の醍醐味に欠けるというもの。もうちょっとわかりやすくしてもよかったんではなかろうか。ということで、続編に期待。(CATV)

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ELIZABETH
イギリス、1998年、上映時間 124分
監督: シェカール・カプール、製作: アリソン・オーウェンほか、脚本: マイケル・ハースト、撮影: レミ・アデファラシン、音楽: デヴィッド・ハーシュフェルダー
出演: ケイト・ブランシェット、ジョセフ・ファインズ、ジェフリー・ラッシュ、クリストファー・エクルストン、リチャード・アッテンボロー、ファニー・アルダン