ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

中村屋のインドカリーを産み出した革命家『中村屋のボース』

2006年03月18日 | 読書
 これは評判通り面白い本だった。新宿の中村屋にカレーを教えたのが亡命インド人だったというのはどこかで読んだ覚えがあったが、その亡命革命家「ボース」が日本のナショナリストたちと太い人脈を培っていたことなど、まったく知らないことだらけで、興味深く読み終えた。

 インドで死刑の危機にあった危険人物ボースを匿っていた頭山満が、新たな隠れ家として新宿中村屋に目を付け、官憲の監視を巻いてボースを中村屋へと逃避行させたくだりなどは手に汗握る。これはそのまま映画になりそうな場面だ。
 
 ボースが亡命先から故国の革命を指導しようとしたことは、片山潜や野坂参三が海外から日本革命を指導しようとしたのと同じだ。そういう「革命運動」が果たして実際的な力を持ちえたのかどうか、はなはだ疑問だ。

 ボースには革命への情熱や気遣いのいい人柄とかいった魅力はあっても、思想がなかったという。だから、彼の書いたものを今読み返してもなにも深みがないようだ。だが、そんなボースのことを日本のナショナリスト頭山満や大川周明たちは大いに持ち上げた。彼らにとっては大東亜共栄圏の壮大な夢の一角にインドがあったし、だからボースと日本の右翼は手を繋いだ。

 この構図がおもしろい。右翼が海外の独立運動に自分たちの連帯先を見いだしたのと同じように、戦後、新左翼は連帯相手を第三世界に求めたことを想起させるではないか。どちらも、自分たちの「革命理論」にとって都合のいい「外部の革命運動」を「発見」しているわけだ。日本のアジア主義者(特に頭山満)にとってはボースの「理論」や「思想」はどうでもよかったようだ。その心意気さえあればよし、という感じだったそうな。

 ここに描かれる「人脈」というものになぜか強く惹かれてしまう。日本の右翼たちとのパイプ、さらには日本に亡命していた孫文との関係、などなど、こういった「歴史的大人物」との遭遇は偶然のなせるわざなのだろうか? なぜボースは日本共産党ではなく玄洋社と結んだのか? もっとも、日本共産党は非合法組織であり、おいそれと連絡がとれる相手ではなかったし、ボースはマルクス主義者でもなかったから、この線は最初から可能性ゼロかもしれない。(それに、ボースが亡命してきた1915年(大正4年)、日本共産党はまだ結成されていなかった)

 29歳で本書を執筆した著者の才能に脱帽。ただ、どうしても「インドの革命運動にとってボースは実際のところどのような影響力を持っていたのか」が漠としている。著者はおそらくこれからもこのテーマを掘り下げていくだろう。次が楽しみだ。

 ところで、バタイユ月間のほうはようやく『エロスの涙』を読み終えたので、続いて『文学と悪』を読んでいます。4月になってもバタイユ月間は続きそう(^_^;)。

<書誌情報>

中村屋のボース : インド独立運動と近代日本のアジア主義
/ 中島岳志著. 白水社, 2005