明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



いくらなんでもいきなり一休禅師を作り始めるとは。いくら臍下三寸の思い付き優先だとしても.何故こんな展開になったのか考えている。  始業のチャイムが鳴っても図書室から出て来ず、床屋にあった本を読み始めて帰らず、何回持って行って良いよといわれたろう。縁日に家族で行っても小遣いを使わず、シヤッターを半分閉めてる本屋と家族を待たせて本を選ぶ始末。おかげで一時小遣いを貰えなくなった。小学校も4年にもなると、大きな活字と略画めいた挿絵を嫌い、始めて買ってもらった大人向けの本が『一休禅師』だった。なかなか読み終わらないのが嬉しくてしょうがない。そこで感心したのが”門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし“であった。「ホントだめでたくもあり、めでたくもない。」挿絵は竹竿にしやれこうべを掲げて歩く一休であった。   先日、久しぶりに人形とカメラを持って屋外で撮影する可能性があることを書いた。その時ほんの一瞬ではあるが、しやれこうべの一休を捧げ持ち、京都の街で撮影している私のビジョンがよぎった気がする。後で性能の劣る頭で推理すると、寒山拾得と一休、風狂繋がりか?  先ほど友人からブログに間が空いたが、どうした?と酔っ払ってしゃっくりしながら電話があった。『ヒマだからってこんな早い時間からしゃっくりしゃがって。そういえば房総の海岸で村山槐多を撮影した時人形持ってもらって撮影したな。寺山修司も持たせたか?今度は京都の街で一休禅師を持ってもらうか?』



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )