キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

乗合馬車

2008年02月04日 | Weblog
今朝の横浜は立春の強い日差しが降り注ぎ、昨日積もった雪も一気に溶け始めております。このままうららかな春になってくれるといいのですが、季節はそのように変わるものではなく三寒四温で冬と春を繰り返しながら春になって行くもので、とりあえず今日の春の日差しを大いに楽しみたいものです。

さて週末に井上靖を読み始めたらなんだか止められなくなり、「パルムの僧院」「十三妹」を読みかけにもかかわらず、「しろばんば」を購入して湯ヶ島の世界を楽しんでおります。物語は昭和初め頃の湯ヶ島が舞台になっており、何ともこの頃の半島の様子が優雅で、主人公がばあさんに連れられて豊橋の親元に行くのに、湯ヶ島から大仁まで乗合馬車、大仁から三島を軽便鉄道、そこから東海道で沼津に一泊して豊橋に向かうのですが、乗り合いバスが無かった頃の優雅な旅の様子がたまりません。私が昭和三十年代後半に伊豆を訪れた頃は既にバスが存在し、伊豆へ入るには沼津まで東海道に揺られ、そこから船で堂ヶ島か松崎に渡ったもので、その後は乗り合いバスを利用しました。一体いつ頃まで乗合馬車が存在したのでしょうか、間に合わなかった事がとても残念です。川端康成の「名人」を読んでおりますと、物語はやはり戦前で、名人戦が熱海で行われる時には小田原から馬車で熱海まで移動をしており、戦前は鉄道と馬車で行路を繋いでいた事がうかがわれ、乗り合いバスというものが最近のものである事が分かります。鉄道というものは文明開化の象徴でかなり早い時期から各地で敷設されたもののようです。

私の祖父も平塚の在で私塾をやっておりましたが、昭和三年に二宮秦野間に軽便鉄道の経営を始めるために二宮に出てきて、戦前は二宮から塩、若布、秦野から落花生、タバコの葉などを運んでいたようです。現在は敷設されていたルートは秦野街道となって乗り合いバスの運行経路になっております。しかしその乗り合いバスを利用する人も少なくなり、時代はもうだいぶ前から自家用車全盛です。きっと私の子供などは、私が乗合馬車に憧れるように乗り合いバスに憧れているのかも知れません。
コメント
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