今年になって足繁く映画館に通うようになった。金曜は始業時間が遅いので、木曜が俺にとっての〝映画の日〟に定着しつつある。今回は「ハゲタカ」(09年、大友啓史監督)について記したい。
史上最高のドラマに推す声も強い「ハゲタカ」(07年、NHK/6回)を再放送で見て、強い感銘を受けた。〝ハゲタカ〟ファンドを率いる鷲津(大森南朋)、鷲津のかつての上司でバンカーから企業再生家に転じる芝野(柴田恭兵)……。両者の葛藤と友情を推進力にしたドラマ版をスケールアップしたのが、映画版「ハゲタカ」だ。
苛烈なエンターテインメントであると同時に、宿命と業に根差した寓話である本作は、遠からずNHKで放映されるはずだ。興趣を削がぬよう、内容の紹介は最低限にとどめたい。
無名の中国系ファンド(ブルーウォーターズ)を率いる劉(玉山鉄二)が時の人となる。モノ作りの精神と伝統を象徴するアカマ自動車に敵対的買収を仕掛けたからだ。残留孤児3世を自称する劉の正体は? グループの実体は? 潤沢な資金(数十兆円)の背後で蠢く意志は? ストーリーが進むにつれ、謎と闇が曝されていく。
アカマに転じ役員を務める芝野は、「あの人は死んだ」と囁かれていた鷲津を見つけ出す。恩讐と超え強い絆で結ばれた由香(栗山千明)、西野(松田龍平)、飯島(中尾彬)、鷲津にとって〝助さん格さん〟というべき中延(志賀廣太郎)と村田(嶋田久作)もドラマ版同様、存在感は十分だった。
豊富な資金を誇る側が勝利に近く、敗北は文字通り死に繋がる……。本作を見る限り、マネーゲームの本質は丁半博打と変わらないが、度胸と知恵で〝桶狭間〟を実現することも可能なのだろう。鷲津が仕込んだ毒は、敵のみならず<狂気のシステム=金融資本主義>まで痺れさせていく。
ドラマ版で<知・理・利>を規範とする新自由主義者として登場した鷲津だが、回を重ねるごとに仮面は溶けていく。映画版で鷲津を追い詰めた劉はアメリカ時代、鷲津の部下だった。<芝野―鷲津>を置き換えた関係だが、劉の心身に流れていたのもまた、煮えたぎる真っ赤な血だった。
身を焦がす憧れと希望に衝き動かされ、<情・義・信>に生きるからこそ、死の淵に身を置くことが出来るのだ。闘いの後、鷲津は芝野に「劉はあなたと同じ人間です」と語り、劉の生まれ故郷に向かう。ストイックで孤独な3人の生き様が胸に迫った。
「21世紀の歴史」(ジャック・アタリ著)が歴史的名著の座から転落した経緯は別稿(09年4月8日)に記した通りだが、「ハゲタカ」も同じ轍を踏む可能性があった。サブプライムローン破綻⇒世界同時不況、そして自動車メーカーによる派遣切り……。制作サイド、スタッフ、キャストはクランクイン前後のドラスティックな変化に対応し、本作の価値を高みに押し上げた。追加キャラに違いない派遣工の守山(高良健吾)も重要な役割を果たしている。
「日本は生ぬるい地獄」(劉)、「資本主義では、自分が強くないと人を殺してしまう」(鷲津)……。記憶に残る台詞がちりばめられていたが、肝というべきはラストに用意されていた。「これからどうする」と芝野に問われた鷲津は、「資本主義の焼け野原を見てきます」と答える。
資本主義という過酷な戦場で、ハゲタカは傷ついた獲物に近づき、内臓を食い荒らしたが、ゼネラルモーターズが実質国営化の道を歩むなど、この半年で景色は様変わりした。焼け野原と化した戦場では、資本主義の死を悼む弔鐘が打ち鳴らされている。
エンディングで鷲津は、寒々とした荒野にひとり佇む。心優しきハゲタカに、舞う機会は再び訪れるだろうか。
史上最高のドラマに推す声も強い「ハゲタカ」(07年、NHK/6回)を再放送で見て、強い感銘を受けた。〝ハゲタカ〟ファンドを率いる鷲津(大森南朋)、鷲津のかつての上司でバンカーから企業再生家に転じる芝野(柴田恭兵)……。両者の葛藤と友情を推進力にしたドラマ版をスケールアップしたのが、映画版「ハゲタカ」だ。
苛烈なエンターテインメントであると同時に、宿命と業に根差した寓話である本作は、遠からずNHKで放映されるはずだ。興趣を削がぬよう、内容の紹介は最低限にとどめたい。
無名の中国系ファンド(ブルーウォーターズ)を率いる劉(玉山鉄二)が時の人となる。モノ作りの精神と伝統を象徴するアカマ自動車に敵対的買収を仕掛けたからだ。残留孤児3世を自称する劉の正体は? グループの実体は? 潤沢な資金(数十兆円)の背後で蠢く意志は? ストーリーが進むにつれ、謎と闇が曝されていく。
アカマに転じ役員を務める芝野は、「あの人は死んだ」と囁かれていた鷲津を見つけ出す。恩讐と超え強い絆で結ばれた由香(栗山千明)、西野(松田龍平)、飯島(中尾彬)、鷲津にとって〝助さん格さん〟というべき中延(志賀廣太郎)と村田(嶋田久作)もドラマ版同様、存在感は十分だった。
豊富な資金を誇る側が勝利に近く、敗北は文字通り死に繋がる……。本作を見る限り、マネーゲームの本質は丁半博打と変わらないが、度胸と知恵で〝桶狭間〟を実現することも可能なのだろう。鷲津が仕込んだ毒は、敵のみならず<狂気のシステム=金融資本主義>まで痺れさせていく。
ドラマ版で<知・理・利>を規範とする新自由主義者として登場した鷲津だが、回を重ねるごとに仮面は溶けていく。映画版で鷲津を追い詰めた劉はアメリカ時代、鷲津の部下だった。<芝野―鷲津>を置き換えた関係だが、劉の心身に流れていたのもまた、煮えたぎる真っ赤な血だった。
身を焦がす憧れと希望に衝き動かされ、<情・義・信>に生きるからこそ、死の淵に身を置くことが出来るのだ。闘いの後、鷲津は芝野に「劉はあなたと同じ人間です」と語り、劉の生まれ故郷に向かう。ストイックで孤独な3人の生き様が胸に迫った。
「21世紀の歴史」(ジャック・アタリ著)が歴史的名著の座から転落した経緯は別稿(09年4月8日)に記した通りだが、「ハゲタカ」も同じ轍を踏む可能性があった。サブプライムローン破綻⇒世界同時不況、そして自動車メーカーによる派遣切り……。制作サイド、スタッフ、キャストはクランクイン前後のドラスティックな変化に対応し、本作の価値を高みに押し上げた。追加キャラに違いない派遣工の守山(高良健吾)も重要な役割を果たしている。
「日本は生ぬるい地獄」(劉)、「資本主義では、自分が強くないと人を殺してしまう」(鷲津)……。記憶に残る台詞がちりばめられていたが、肝というべきはラストに用意されていた。「これからどうする」と芝野に問われた鷲津は、「資本主義の焼け野原を見てきます」と答える。
資本主義という過酷な戦場で、ハゲタカは傷ついた獲物に近づき、内臓を食い荒らしたが、ゼネラルモーターズが実質国営化の道を歩むなど、この半年で景色は様変わりした。焼け野原と化した戦場では、資本主義の死を悼む弔鐘が打ち鳴らされている。
エンディングで鷲津は、寒々とした荒野にひとり佇む。心優しきハゲタカに、舞う機会は再び訪れるだろうか。
映画版ハゲタカも面白そうですね。
私も見に行こうかと思います。
最近はNHKドラマが民放より面白くなって
いますね。昔と逆です。
この作品で大森が占める位置は大きいと思います。目先の視聴率が欲しい民放は使えないタイプですが、心の揺れを巧みに表現できる素晴らしい役者です。
男たちが美学と孤独を、ストイックかつスマートに演じる21世紀版任侠映画って感じですか。女性にはきついかもしれませんが。