酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ナニカアル」~林芙美子の疼きに感応した桐野夏生

2017-11-10 12:22:23 | 読書
 トランプ大統領のアジアツアーが佳境に入った。日本政府の卑屈さは米主要メディアで嘲笑の的だが、この国の保守派は安倍首相の矜持のなさを責める風もない。トランプは日本で拉致被害者家族と面会し、韓国では元従軍慰安婦を抱擁した。まさか〝人権派〟? そんなはずはない。

 前稿でオバマを<死の商人の頭目>と記したが、日韓に高額の武器輸入を強要したトランプは上を行く。米中で28兆円の商談を成立させるなどディール(取引)外交そのもので、軍需産業とグローバル企業を潤している。

 <トランプ-安倍-金正恩>のトリオが吠えるほど空虚になる戦争という言葉がリアルに響く小説を読んだ。桐野夏生著「ナニカアル」(10年)は、偶然発見された林芙美子の手記の形を取っており、〝辻原登の十八番〟、虚実ない交ぜのメタフィクションの手法を用いている。従軍体験を綴った手記のラストに大胆な推理が用意されていた。

 林芙美子は一作も読んでいないが、脳内の引き出しに<林芙美子-成瀬巳喜男-高峰秀子>がセットになって仕舞われていた。当稿を書く際にチェックしてみると、このトリオが成立したのは「稲妻」、「浮雲」、「放浪記」の3作だけだった。「ナニカアル」の林芙美子と重なった「あらくれ」の原作は徳田秋声である。記憶を整頓出来ないのは、数ある俺の欠点の一つだ。

 林、成瀬、高峰、脚本の水木洋子(「ナニカアル」に登場)にとって代表作である「浮雲」を辛口に評してきた。ゆき子(高峰)の一途さに比べ、兼吾(森雅之)の弱さに苛立ちを覚えたからである。本作でW不倫の相手である斎藤謙太郎(毎日新聞記者)の個性も兼吾に近い。「浮雲」を「情婦マノン」(アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督)の劣化版とまで書いた記憶がある。「ナニカアル」を読んで、目からウロコの思いがした。自身の不明を恥じ、前言を訂正したい。

 俺は<男は常に積極的で、女性を守るべき>という男権主義に無意識に囚われていた。林は強靱な〝あらくれ〟で、他の作家たちにルンペンプロレタリアートと揶揄されるように、底辺から這い上がってきた。尋常の男が太刀打ち出来るはずもなく、フェロモンを発散していたに相違ない。〝美魔女〟桐野は、林の奔放さ、規格外の生き様に共感を抱き、その情念、憤怒、悲しみを自身に重ねて「ナニカアル」を執筆した。

 林は従軍作家として中国に派遣され、南京と漢口への一番乗りを果たす。そのルポは評判を呼び、朝日新聞の部数を伸ばしたが、9月8日の稿<「時間」~堀田善衛が問う南京大虐殺の真実>に記した日本軍の蛮行には触れていない。軍に行き先を決められ、検閲されている以上、限界があった。

 1942年秋、林は南方戦線に派遣される。斎藤との逢瀬も実現したが、そこに罠が用意されていた……。と書く俺も、桐野の仕掛けた罠にかかったようだ。東京と南方のカットバックで、林は女の生理で戦争への忌避感を募らせていく。

 戦争とは何か……。これは現在の日本と無縁ではない。秘密保護法がもたらす自由の簒奪と社会を覆う閉塞感、上からの統制と下からの集団化、そして排外意識と排除の論理だ。自由を貫こうとする林は、南方を回りながら不可視の「ナニカ」を感じる。斎藤を巡る蠢きも「ナニカ」の影だった。

 桐野は林芙美子に感応し、一体となって乾きを描き切った。英米支局に赴任経験のある斎藤に<君は戦意高揚に協力しただけ。「放浪記」しか後生に残らない>と指摘され、気持ちは急激に冷める。東京での再会シーンはあまりに切なかった。でも、「ナニカ」は確かに存在した。形になった愛として……。

 桐野はキャリアを積むにつれ、ミステリーの範疇を超えたスケールを獲得した感がある。「ポリティコン」など他の作品も少しずつ読んでいきたい。人間の心の闇を抉ってきた桐野のこと、座間の事件にも関心を寄せているはずだ。

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