酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

憲法を超える規範は存在するのか~「裁判劇テロ」が問い掛けるもの

2017-07-31 22:11:59 | 映画、ドラマ
 一昨日(29日)、隅田川花火大会に足を運んだ。観覧席で光のページェントを満喫……と言いたいところだが、降りやまぬ雨にレジャーシートは水浸しで、ジーンズもびしょ濡れになり6時前、退座する。終了まで2時間半、想定されるダメージはあまりに大きかった。

 警備体制、輸送体制、テレビ放映、ツアー会社の意向など様々な事情を勘案し、事務局は順延を決断しなかった。帰宅してSNSをチェックすると、<地獄絵図>なんて厳しい言葉が躍っている。〝地獄〟の実態は雨と経路だが、後者には抜け道がある。スイスイとまで言わないが、多少歩けば混雑から逃れるルートは幾つかある。

 稲田防衛相がようやく辞任した。彼女を「朋ちゃん」と呼び、後継者と見做していた安倍首相の決断力のなさは救い難い。この間、日本でも議論になってきた軍隊(自衛隊)と憲法、危機管理、超法規的措置、シビリアンコントロールについて、考えるヒントになるドラマを録画で見た。AXNミステリーで先月オンエアされた「裁判劇テロ」(フェルディナント・フォン・シーラッハ原作)である。

 辣腕弁護士のシーラッハは「犯罪」(2009年)でデビュー以来、世界で最も注目される作家といえる。2016年5月のミュンヘン、ハイジャックされスタジアム(7万人が観戦)に突っ込む可能性があった航空機(乗客164人)をコッホ空軍少佐が撃墜する。本作の舞台は法廷で、陪審員は視聴者だ。コッホが有罪か無罪かを電話で投票し、多数を占めた方の判決が放映される。ドイツにおける裁判の知的水準の高さが窺える内容だった。

 軸に据えられたのは憲法だ。ドイツでは04年、「航空安全法」が制定され、軍はハイジャックされた民間航空機を撃墜する権限を得たが、連邦憲法裁判所は2年後、違憲判決を下した。<人命を天秤にかけてはいけない>という人権意識が背景にあった。番組ではハイジャック発生後、国防省、内務省、市民保護・災害救援庁など関連省庁のトップが「国家航空安全指令センター」に招集される。メンバーのひとりが、証人席に着いたラウダ-バッハ大佐である。

 違憲判決により、安全指令センターはコッホに撃墜指令を出さない。にもかかわらず、コッホは確信を持って爆撃し、航空機はスタジアムから離れた畑地に墜落した。乗客乗員は全員死亡で、コッホは殺人で告発された。コッホが撃たなかったら、航空機はスタジアムに墜ち、大火災を引き起こした可能性が高い。本作では繰り返し<7万人-164人>が対比されるが、7万人については神のみぞ知る架空の数字だ。それでもコッホと弁護人は、「7万人を救った」と主張する。

 違憲と命令違反で有罪を主張する検察官は論理的かつ明快で、主導権を握ったかに見えた。大佐に「安全指令センターはなぜ、スタジアムに避難命令を出さなかったのか」と尋問したのがヤブ蛇で、空気が変わってくる。検察官は大佐から、センターに集まった面々の〝暗黙の了解〟を引き出した。即ち<コッホの撃墜への期待>である。

 リアルタイムで見ていたら、俺はこの時点で<無罪>に投票しただろう。検察官の尋問でコッホの危うさが明らかになったが、<軍人の正義>が狂気と背中合わせであることは理解している。コッホは<避難命令を出せば被害は最小限に食い止められる>という事実を、知らされていなかった。センターに雁首揃えた、航空安全法違憲判決に疑義を抱く権力中枢と、直接手を下したコッホは共犯と見做すことも可能だ。<殺人罪で裁かれるべきはコッホひとりではない>という屈曲した理由で、俺は無罪が相応しいと考えた。

 弁護人は「大きな悪と闘うためには小さな悪――本件に当てはめれば164の貴い命を犠牲にすること――も許容されるべき」と、内外の判例を示して主張する。「現在は戦時」と言葉を結んだ。俺が納得しなかった最終弁論によって、無罪が勢いを増したことは想像出来る。日本だけでなく、全世界で無罪が圧倒的な支持を得た。

 「憲法とはモラルを超えた最高法規」と主張した検察官の声は視聴者に響かず、「憲法を超える良心に従っても許される」という弁護人が支持された。これは危険な兆候かもしれない。世界は壊れ、狂い始めているのだろうか。
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